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御殿山から始まる歴史散策 ~ 御殿山今昔物語 ~ 第二回 「開東閣」

御殿山から始まる歴史散策 ~ 御殿山今昔物語 ~ 第二回 「開東閣」

前回に引き続き今回も、トレーニングセンター周辺の歴史スポットと、それにまつわる歴史話をご紹介します。 今回は、三菱財閥創業家 岩崎家と品川駅前の一等地に、静かに佇む謎の洋館のお話です。

ベールに覆われた謎の洋館「開東閣」

 

(写真:筆者撮影)

上の写真は、弊社トレーニングセンター品川会場(御殿山トラストタワー14F)から、品川駅方面を撮影したものです。中央、やや右にあるのが品川駅です。(写真では小さく、遠くに見えますが、肉眼ではより近く、大きく見えます。)
ですが、品川駅よりもはるかに存在感のある洋館が、手前に写っています。八ツ山橋通り(通称)を挟んで、トレーニングセンターの真向かいに位置し、背の高い多くの木々に囲まれているため決して地上からはうかがい知ることができない、この荘厳、華麗な洋館を、みなさんはご存知でしょうか?
もちろん、突如として品川に現れた「超本格派執事カフェ」なんてことはありません!

(写真:しながわ観光協会パンフレットより) (地図:MapFanWebより http://www.mapfan.com/ )

品川駅のすぐ近くに位置するこの御殿の名は、「開東閣」(かいとうかく)です。
もともとは、三菱財閥創業家 岩崎家所有の別邸だったようですが、現在は、三菱グループの迎賓館のような役割を担っているようです。歴史上では、「岩崎家高輪別邸」だとか「岩崎弥之助高輪本邸」と言われているようです。
完全な私有地ですので、一般の方は入ることはできません。また、公開されている情報が極めて少ないため、印象として、ベールに覆われた、謎めいた、幻想的で、神秘的な空間になっています。

ただ聞くところによると、年1回、GWの頃に、「藤見の会」と呼ばれるイベントが催され、その際に、招待された方であれば中に入ることができるようです。ですが、その詳細は一切不明です。

(図:筆者作成)(写真:Wikipediaより) 注)本コラムでは、「彌」を「弥」として表記させていただきます。

開東閣のHPには、

-そもそもこの邸宅地(敷地)は、明治22年(1889年)に、岩崎久弥(ひさや:三代目)が、伊藤博文(初代首相) から買い受けたものであること。

-そして、明治33年(1900年)、久弥は、叔父の岩崎弥之助(やのすけ:二代目)にそれを譲り渡し、弥之助が、ここで晩年をすごしたこと。

-また、昭和13年(1938年)、弥之助の子の小弥太(こやた:四代目)は、ここを三菱社の賓客の接待と交友の場として利用し始めたこと。

-太平洋戦争中に戦災で内部の大部分を焼失してしまったが、外観は原型をとどめたまま、修復が行われたこと。

-そして現在は、三菱系29社(三菱金曜会)で開東閣委員会を設け、施設の維持管理にあたっていること。

などが記載されています。
さらにもうちょっと調べてみると、冒頭の写真にある洋館は、岩崎久弥(三代目)が伊藤博文から敷地を買い受けた明治22年(1889年)にはまだ存在しておらず、それから20年近くたった、明治41年(1908年)になって完成したことがわかりました。

三菱グループのHPによると、洋館の建設を企図したのは、岩崎弥之助(二代目)だったようです。
弥之助は、まだ建設途中であるにもかかわらず、完成を待ちきれずに、駿河台本邸(※)にあった日本家屋をそのまま同じ敷地に移築して住み始めてしまうほど、完成を待ちわびていたようです。
ですが、弥之助は、洋館の完成を待たずに、この世を去ってしまいました。
弥之助の没年は明治41年(1908年)、洋館の完成も同じく41年です。おそらく、わずか数ヶ月の差だったと思われます。

※駿河台本邸:御茶ノ水駅聖橋口の近辺、以前は日立製作所本社があり、現在は御茶ノ水ソラシティのある場所にあった邸宅

品川駅高輪口から、トレーニングセンター方面(御殿山方面)に向かって歩いて行くと、途中から進行方向右側に、高さ4~5mはあるかと思われる石垣が見えてきます。その石垣こそが、開東閣の敷地を表すものです。この石垣ははるか遠くまで続き、石垣に沿ってさらに歩き続けること5~6分、やっとのことでお邸の正門にたどり着きます。
Wikipediaによると、敷地の面積は、11,200坪(南北:約170m 東西:約260m)。東京ドームは約14,000坪ですので、ドームより若干小さい程度です。(正門からも洋館を望むことはできません。)

なお、三菱重工印刷紙工機械株式会社のHPによると、「開東閣」の名前は、前漢時代の歴史を記した「漢書」の「公孫弘 伝」の中の一節「於是起客館、開東閣以延賢人」(ここに於いて客館を起こし、東閣を開き、以って賢人を延く(ひく))に由来しているそうです。
補足すると、前漢時代の丞相(宰相)・公孫弘(紀元前200年~前121年)が、丞相になった折、公邸に客人用の館を建て、東閣(東の門)を開き、賢人(賓客)を招いて話し合った(意見を求めた)、といった意味のようです。以来この古事にちなみ、「東閣を開く」という言葉には「賢人(賓客)を招く」といった意味が込められるようになったようです。
あるサイトには、岩崎小弥太(四代目)が昭和13年(1938年)に命名したと記されていました。昭和13年といえば、前述のとおり、小弥太がここを三菱社の賓客の接待と交友の場とすることに決めた年です。
ちなみに、Wikipedia の「公孫弘」のページで、前出の「公孫弘伝」のおおよその内容を確認することができます。

(写真:筆者撮影)

開東閣にある洋館は、イギリスの建築家ジョサイア・コンドルによって設計されました。
ジョサイア・コンドルは、明治政府の招聘を受けて来日した建築家で、日本史上有名な「鹿鳴館」を設計した人です。ちなみに、鹿鳴館は、現在の帝国ホテル付近(日比谷)にありましたが、昭和15年(1940年)に取り壊されました。

(写真:Wikipediaより)

彼は、岩崎家に愛され、開東閣以外にも、岩崎家の

  • 「茅町本邸」(かやちょうほんてい:上野公園近く、湯島・池之端に現存する「旧岩崎邸庭園」。公開されています。)
  • 「深川別邸」(現在の清澄公園内にあった洋館。現存せず。)
  • 「箱根湯元別邸」(現在は「吉池旅館」。洋館は現存せず。)

などの設計も手掛けています。
ちなみに、岩崎家の都内の邸宅には、前述の茅町本邸、駿河台本邸、高輪別邸(開東閣)、深川別邸以外に、もう一つ「駒込別邸」がありました。(ジョサイア・コンドルが設計した建築物はありません。)
駒込別邸は、現在、「六義園」(りくぎえん)になっています。
ここはもともと将軍綱吉の側近として有名な柳沢吉保(よしやす)以来、代々、柳沢家の江戸下屋敷でした。それを、明治初年、岩崎弥太郎(やたろう:初代)が買い取り、駒込別邸としました。そして昭和13年(1938年)、岩崎小弥太(こやた:四代目)が、これを東京市に寄進したことによって、六義園となりました。

(表:筆者作成)

上表のとおり、深川別邸が清澄公園となり、駒込別邸が六義園となっていることを考えると、岩崎家が、現在の東京都民にとって大きな存在であったことがわかります。

全くの余談ですが、明治期の歴史話をしていると、名前が似ているので、私はいつも品川弥二郎と岩崎弥太郎が頭の中でごっちゃになります。品川弥二郎は、明治期の政治家です。
それと、渋沢栄一と岩崎弥太郎もごっちゃになります。どちらも明治期の偉大な会社経営者ですが、主義主張は全く異なっていたようで、いわゆるライバル同士だったようです。

さて、前述のとおり、開東閣は非公開ですので、中に入ることはできません。
ですが、冒頭の写真のように、トレーニングセンターからは、その壮麗で華麗な雄姿を眺望することできます。写真を撮影した場所は、ちょうど休憩スペースになっておりますので、トレーニングの合間に、イスに座ってゆっくりとこの風景を眺めることができます。
トレーニングセンターにお越しの際には、ぜひ、このすばらしい眺望を、ご堪能いただければと思います。

ちなみに、筆者の友人に、三菱の重役さんのご子息がいるので、もしかしたらそのツテで、近い将来、開東閣の中に入れるチャンスが訪れるかもしれません。

【2016.4.29 追記】
2016.4.29 に上記の友人に頼んで「藤見の会」に参加することができました。当日は、時々吹く突風があったものの見事な快晴。青空と緑の芝生に生える洋館をまじかに見ることができて大興奮でした。残念ながら、原則非公開の施設ですので、ここで写真などをご紹介することはできないのですが、1つだけ掘り出し情報をご報告します。それは、この開東閣の中に、大きな茶室があったというこです。冒頭の写真には一切映っていませんが、開東閣の北側にある茶色のマンションのちょうど目の前辺りに「釣月庵」という名の茶室が佇んでいました。あるサイトによると、この茶室は静嘉堂文庫(岩崎弥之助、小弥太父子が所有していた庭園と美術コレクションをベースにした美術館(世田谷区岡本)から移築されたものだそうです。
【追記】

<珍しい写真 (しながわWEB写真館より)>

<参考としたサイト>

やっぱりJTPトレーニングセンター品川会場!

今回も、最後にご紹介するのは、弊社のトレーニングセンター品川会場です。

トレーニングセンターは、御殿山トラストタワー14Fです。14Fフロア全体がトレーニングセンターとなっており、とても広々とした空間になっています。教室や、休憩スペースからは、思わず写真を撮りたくなるような絶景を臨むことができます。
優秀なインストラクターが多数お待ちしておりますので、ぜひ、弊社のトレーニングセンターをご利用ください。
また、JR品川駅からは、無料シャトルバスが出ておりますので、アクセスも大変便利です。

会場へのアクセスは下記をご確認ください。
http://edu.jtp.co.jp/about_jtp_it/venue/index.html

最後に

今回は、開東閣の歴史をご紹介しました。またまだ、品川、御殿山近辺には、たくさんの歴史が潜んでいます。
次回も引き続き、周辺の歴史をご紹介いたします。

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