もうすぐ二十四節気の最初である「立春」となります。「沖縄で雪が降る程寒いのに、もうすぐ春だなんて、旧暦はおかしいんじゃないの?」なんてまだ言っている人はいませんか。なぜこんなに寒いのに「立春」となるかについては、私のブログ「旧暦と季節感」をご覧下さい。けっしておかしくないことをわかりやすく説明してあります。
節分にはいろいろ伝統行事が行われるのに、立春には何もない。しかし古の人達は、立春を心待ちにしていました。春になった徴としては、春霞が最もよく注目されたのですが、もう一つ、「春風が氷を解かす」ということも、春到来の徴と考えられていたのです。
①袖ひちてむすびし水の凍れるを春立つけふの風やとくらむ (古今集 春 2)
②春の来る夜の間の風のいかなれば今朝吹きにしも氷とくらん (堀河院百首 立春 16)
①の「ひつ」は「濡らす」という意味、「むすぶ」とは左右の手の平を合わせて水をすくうことです。おそらく去年の夏に、袖を濡らして水をすくって飲んだのでしょう。それが冬に凍ってしまっていたのを、立春の日に吹く風が解かしているだろうか、という意味です。水をすくうの「すくう」は漢字では「掬う」と書きますが、「掬ぶ」と書いて「むすぶ」とも読みます。作者の意図は、氷を「解く」に対応して、「結ぶ」「掬ぶ」という言葉を選んでいますね。まあ言葉の技巧はともかく、立春には春風が吹き、それが氷を解かすと理解しているのです。
②は、立春の日のまた暗いうちから吹く風が、どういうわけか氷を解かしているだろうか、という意味です。①②に共通する「らむ」「らん」は現在の推量を表す助動詞で、目の前で氷が解けつつあるのを見ているわけではありません。「解かしているだろうか」と観念的に推量しているのです。つまり、春の立つ日には、春風が氷を解かす物だと、決めてかかっているのです。
このような共通理解にはその根拠があります。前漢の時代の『礼記』という書物の「月令」(がつりょう)は、各月の年中行事や天文、暦について論じているのですが、その中に「東風解凍 蟄蟲始振 魚上冰 獺祭魚 鴻鴈來」(東風凍を解き 蟄虫(ちつちゆう)始めて振(うご)き 魚冰(うをこほり)に上り 獺(だつ)魚を祭り 鴻雁来たる。)と記されています。これは七十二候の最初の四つを順に並べたものなのですが、そのような知識が早くから日本に伝えられ、日本でも、春立つ日には春風(東風)が氷を解かすということになってしまったのです。
二十四節気は中国伝来のものがそのまま日本でも使われていますが、七十二候の名称については、江戸時代に渋川春海らの天文学者により、日本の気候に合わせて改訂されました。現在日本の暦に載せられている七十二候は、これを元に1874年(明治7年)の「略本暦」に載せられた「本朝七十二候」のことで、中国のものとは少し異なっています。それでも現代人の感覚からすれば、季節のずれを感じてしまうものも多く、旧暦が批判される理由の一つになっています。ただ七十二候の最初は、中国では「東風解凍」ですが、これは「本朝七十二候」でも同じです。
実際に立春に氷が解けるかどうか、春風が吹くかどうかと観察して批判することは、あまりに合理的すぎますね。暦というものは、あくまでも季節の移り変わりの物差しのようなもので、その通りになるはずのものではありません。そもそも日本全国に当てはまる気候の物差しなど、あるはずがないのですから。
次いでのことですが、春風を「東風」と表記しますが、これは文字通り東の方角から吹いてくる風ではありません。春は東から来るというのは、古代中国から伝えられた四神思想によるもので、「東風」は「春風」のことです。皇太子様を「東宮」と書いて「とうぐう」と音読みしますが、訓読みでは「はるのみや」と読みます。菅原道真の「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花あるじなしとて春を忘るな」(拾遺集 雑春 1006)の「東風」をそのまま「東風か吹いてきたら」と訳しているのをよく見かけますが、それは間違いという程のことはありませんが、少なくとも実際の方角としての「東」ではありません。
節分にはいろいろ伝統行事が行われるのに、立春には何もない。しかし古の人達は、立春を心待ちにしていました。春になった徴としては、春霞が最もよく注目されたのですが、もう一つ、「春風が氷を解かす」ということも、春到来の徴と考えられていたのです。
①袖ひちてむすびし水の凍れるを春立つけふの風やとくらむ (古今集 春 2)
②春の来る夜の間の風のいかなれば今朝吹きにしも氷とくらん (堀河院百首 立春 16)
①の「ひつ」は「濡らす」という意味、「むすぶ」とは左右の手の平を合わせて水をすくうことです。おそらく去年の夏に、袖を濡らして水をすくって飲んだのでしょう。それが冬に凍ってしまっていたのを、立春の日に吹く風が解かしているだろうか、という意味です。水をすくうの「すくう」は漢字では「掬う」と書きますが、「掬ぶ」と書いて「むすぶ」とも読みます。作者の意図は、氷を「解く」に対応して、「結ぶ」「掬ぶ」という言葉を選んでいますね。まあ言葉の技巧はともかく、立春には春風が吹き、それが氷を解かすと理解しているのです。
②は、立春の日のまた暗いうちから吹く風が、どういうわけか氷を解かしているだろうか、という意味です。①②に共通する「らむ」「らん」は現在の推量を表す助動詞で、目の前で氷が解けつつあるのを見ているわけではありません。「解かしているだろうか」と観念的に推量しているのです。つまり、春の立つ日には、春風が氷を解かす物だと、決めてかかっているのです。
このような共通理解にはその根拠があります。前漢の時代の『礼記』という書物の「月令」(がつりょう)は、各月の年中行事や天文、暦について論じているのですが、その中に「東風解凍 蟄蟲始振 魚上冰 獺祭魚 鴻鴈來」(東風凍を解き 蟄虫(ちつちゆう)始めて振(うご)き 魚冰(うをこほり)に上り 獺(だつ)魚を祭り 鴻雁来たる。)と記されています。これは七十二候の最初の四つを順に並べたものなのですが、そのような知識が早くから日本に伝えられ、日本でも、春立つ日には春風(東風)が氷を解かすということになってしまったのです。
二十四節気は中国伝来のものがそのまま日本でも使われていますが、七十二候の名称については、江戸時代に渋川春海らの天文学者により、日本の気候に合わせて改訂されました。現在日本の暦に載せられている七十二候は、これを元に1874年(明治7年)の「略本暦」に載せられた「本朝七十二候」のことで、中国のものとは少し異なっています。それでも現代人の感覚からすれば、季節のずれを感じてしまうものも多く、旧暦が批判される理由の一つになっています。ただ七十二候の最初は、中国では「東風解凍」ですが、これは「本朝七十二候」でも同じです。
実際に立春に氷が解けるかどうか、春風が吹くかどうかと観察して批判することは、あまりに合理的すぎますね。暦というものは、あくまでも季節の移り変わりの物差しのようなもので、その通りになるはずのものではありません。そもそも日本全国に当てはまる気候の物差しなど、あるはずがないのですから。
次いでのことですが、春風を「東風」と表記しますが、これは文字通り東の方角から吹いてくる風ではありません。春は東から来るというのは、古代中国から伝えられた四神思想によるもので、「東風」は「春風」のことです。皇太子様を「東宮」と書いて「とうぐう」と音読みしますが、訓読みでは「はるのみや」と読みます。菅原道真の「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花あるじなしとて春を忘るな」(拾遺集 雑春 1006)の「東風」をそのまま「東風か吹いてきたら」と訳しているのをよく見かけますが、それは間違いという程のことはありませんが、少なくとも実際の方角としての「東」ではありません。
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