下田は、著書『女子教育』(1904年)において、「(月経という)絶えざる申し分の間に、時々健康の間隔を持つ」にすぎない女性は、男性と同等に学問をしたり、職業についたりすることは不可能だと述べている。つまり、月経を根拠に性別役割分業を説いたのだ。
日清、日露と対外戦争が続き、徴兵検査をクリアできる強健な男子の確保が急がれた当時、女子教育の目標は"健全な母体"の育成に置かれた。1899(明治32)に公布された高等女学校令も、良妻賢母主義に基づいた女子教育を制度化したものだった。
下田は、ロンブローゾをはじめとする西洋人学者たちが唱えた生物学的決定論を引用しながら、"健全な母体"の育成に力を注いだのである。そしてその際、最も利用できたのが、女性特有の生理現象である月経だった。
下田は、「嘘」についてはこう述べている。
下田は、女性が嘘をつくことをとがめているのではない。「婦人が男子のように露骨であることは、婦人の愛嬌を殺ぎ女性をなくする所以であるからよろしくない」という理由で、むしろ推奨していた。
いずれにしても、「女は嘘つき」説は女子教育の権威のお墨付きだったのだ。