今朝見た『錦帯橋』は、「世界の神秘的な橋ランキング」で一位に輝いているのにも関わらず、今回、台湾に来るまでは、その存在を知らなかった。

というか、『九份(キュウフン)』以外の台湾の観光スポットを僕らはあまり知らない。
ここにも何か理由があるに違いない、とW氏(Wikipedia)に訊ねてみると、
なんと台湾は、ユネスコの加盟資格がない(国連に国として認められていない)ので、「世界遺産」として登録されている観光スポットが一つもないのだという。
なるほど。
九份(キュウフン)なんて世界遺産でいいじゃん、と思っていたのだが、そういう理由があったのね。

だから僕らは、台湾の絶景スポットを知らないわけだ。
しかし、知らないだけで、存在しないわけではなさそうだ。
というのも、
小籠包を食べていた時に、隣の席に座っていた年収の低そうなジジイが、
「おい、そこのハンサムよ。見るからに旅行で来た感じだが、台湾のオーロラを見たかね?」
と奇妙な言葉を口にしたのだ。
私がハンサムであることは紛れもない事実なのだが、南の島・台湾でオーロラが見れるハズがない。
オーロラは、グリーンランドとか、あっちの北の方のゲロほど寒い場所でしか見ることができない自然現象だ。
相手にするのもバカバカしいと思って、「台湾でオーロラが見れるハズがないでしょう」と、あしらったら、
「奇跡を見る者は、最後まで奇跡を信じた者じゃ。
ハンサム君、キミはどうする?」
と言って、年収の低そうなジジイは店を飛び出していった。食い逃げだった。
ジジイのテーブルの上には『馬祖にゆけ』という置き手紙が残してあり、僕は、その紙を握りしめてタクシーに乗った。
台北松山空港から、小さな飛行機で50分、『馬祖』に来た。
馬祖行きの飛行機は一日7便ほど飛んでいるので、そこまでアクセスは悪くない。

『馬祖』は台湾本土から一番離れた場所(中国大陸沿岸)にある離島で、
過去、中国との領土争いが熾烈に繰り広げられた「国境を守る島」であった。
たしかに、島のいたるところに、当時の様子を伺うことができる景色がある。


1949年から、なんと45年間にわたり、
馬祖に住む18歳~45歳までの住民は、男女関係なくすべて「民防隊」という組織(日本でいう自衛隊?)に加入することを台湾政府から命じられたという。
おかげで民間人には情報が遮断され、台湾本土の人々にとっても、謎のベールに包まれ、独自の進化をとげた島で、
とにもかくにも、台湾本土と景色がまるで違う。


建物だけを見れば、ヨーロッパの田舎の城下町のような趣もある。
それにしても、本当にこの島でオーロラを見ることができるのだろうか?
くしくも今日はエイプリルフールだ。
もしかしたら、くだらない嘘をつかれたのかもしれない。
ただ、僕は、あの老人が去り際に残した言葉がずっと胸に引っ掛っていた。
老人が何と言ったか忘れたが、確実に何かボソボソと言っていたのだ。
我慢たまらず、
「この島で、オーロラって見れるんですか?」
と道行く人に訊いてみたところ、
「ああ。『青の涙』のことだね。今日は天気が良いし、見れるかもしれないね。夜、海岸に行ってごらんなさい。それにしても、あなた、ハンサムね」
と言わたので、僕は海岸に向かい、
凄まじくハンサムに産んでくれた両親に感謝した。
馬祖の人達が『青の涙』と呼ぶオーロラが、今夜見れるというのだ。
ここまで来たからには見逃すまい、と僕は砂浜で仰向けになって、ずっと空を見ていた。
陽が落ちて、あたりはすっかり暗くなったが、オーロラが出てくる気配はまるでない。
何の動きも見せない夜空を眺めながら、「やっぱり騙されたのかもしれないなぁ…」と、少しウトウトした頃、足元がボンヤリと青く光っていることに気がついた。
慌てて飛び起きて、海岸を見渡し、
言葉を失った。
海が、砂浜が、青く光っているのだ。
波が青い光を揺らしているのだ。
一ヶ所ではなく、かなり広範囲にわたって伸びている、帯状の青い光は、まるでカーテンのようにユラユラと揺れていた。

それは、まぎれもなくオーロラだった。
南の島のオーロラは青く、ザザーッと音をたてて、いつまでもいつまでも揺れていた。

これは『藍眼涙』と呼ばれる現象で、毎年4月~9月に馬祖の海辺で見られるらしい。
発光の理由は、夜光虫や渦鞭毛藻(うずべんもうそう)だという研究者もいれば、貝虫(かいむし)だという人もいて、まだ正式に解明されていないらしい。
僕は奇跡を見た。
奇跡を見ようと行動したからだ。
『青の涙』という奇跡は、気温などの条件が整わないと見ることができないらしい。
その一番最初の条件が
「奇跡を見るために行動を起こす」
ということだ。
奇跡の始まりはいつだってここだ。
奇跡は迎えに行ってやらないといけないのだ。
なんだか無償に梶原と話したくなって、電話帳を開いたら、最近イイ感じの女の子の名前が飛び込んできたので、
僕はイイ感じの女の子に電話をしたのであった。
というか、『九份(キュウフン)』以外の台湾の観光スポットを僕らはあまり知らない。
ここにも何か理由があるに違いない、とW氏(Wikipedia)に訊ねてみると、
なんと台湾は、ユネスコの加盟資格がない(国連に国として認められていない)ので、「世界遺産」として登録されている観光スポットが一つもないのだという。
なるほど。
九份(キュウフン)なんて世界遺産でいいじゃん、と思っていたのだが、そういう理由があったのね。
だから僕らは、台湾の絶景スポットを知らないわけだ。
しかし、知らないだけで、存在しないわけではなさそうだ。
というのも、
小籠包を食べていた時に、隣の席に座っていた年収の低そうなジジイが、
「おい、そこのハンサムよ。見るからに旅行で来た感じだが、台湾のオーロラを見たかね?」
と奇妙な言葉を口にしたのだ。
私がハンサムであることは紛れもない事実なのだが、南の島・台湾でオーロラが見れるハズがない。
オーロラは、グリーンランドとか、あっちの北の方のゲロほど寒い場所でしか見ることができない自然現象だ。
相手にするのもバカバカしいと思って、「台湾でオーロラが見れるハズがないでしょう」と、あしらったら、
「奇跡を見る者は、最後まで奇跡を信じた者じゃ。
ハンサム君、キミはどうする?」
と言って、年収の低そうなジジイは店を飛び出していった。食い逃げだった。
ジジイのテーブルの上には『馬祖にゆけ』という置き手紙が残してあり、僕は、その紙を握りしめてタクシーに乗った。
台北松山空港から、小さな飛行機で50分、『馬祖』に来た。
馬祖行きの飛行機は一日7便ほど飛んでいるので、そこまでアクセスは悪くない。
『馬祖』は台湾本土から一番離れた場所(中国大陸沿岸)にある離島で、
過去、中国との領土争いが熾烈に繰り広げられた「国境を守る島」であった。
たしかに、島のいたるところに、当時の様子を伺うことができる景色がある。
1949年から、なんと45年間にわたり、
馬祖に住む18歳~45歳までの住民は、男女関係なくすべて「民防隊」という組織(日本でいう自衛隊?)に加入することを台湾政府から命じられたという。
おかげで民間人には情報が遮断され、台湾本土の人々にとっても、謎のベールに包まれ、独自の進化をとげた島で、
とにもかくにも、台湾本土と景色がまるで違う。
建物だけを見れば、ヨーロッパの田舎の城下町のような趣もある。
それにしても、本当にこの島でオーロラを見ることができるのだろうか?
くしくも今日はエイプリルフールだ。
もしかしたら、くだらない嘘をつかれたのかもしれない。
ただ、僕は、あの老人が去り際に残した言葉がずっと胸に引っ掛っていた。
老人が何と言ったか忘れたが、確実に何かボソボソと言っていたのだ。
我慢たまらず、
「この島で、オーロラって見れるんですか?」
と道行く人に訊いてみたところ、
「ああ。『青の涙』のことだね。今日は天気が良いし、見れるかもしれないね。夜、海岸に行ってごらんなさい。それにしても、あなた、ハンサムね」
と言わたので、僕は海岸に向かい、
凄まじくハンサムに産んでくれた両親に感謝した。
馬祖の人達が『青の涙』と呼ぶオーロラが、今夜見れるというのだ。
ここまで来たからには見逃すまい、と僕は砂浜で仰向けになって、ずっと空を見ていた。
陽が落ちて、あたりはすっかり暗くなったが、オーロラが出てくる気配はまるでない。
何の動きも見せない夜空を眺めながら、「やっぱり騙されたのかもしれないなぁ…」と、少しウトウトした頃、足元がボンヤリと青く光っていることに気がついた。
慌てて飛び起きて、海岸を見渡し、
言葉を失った。
海が、砂浜が、青く光っているのだ。
波が青い光を揺らしているのだ。
一ヶ所ではなく、かなり広範囲にわたって伸びている、帯状の青い光は、まるでカーテンのようにユラユラと揺れていた。
それは、まぎれもなくオーロラだった。
南の島のオーロラは青く、ザザーッと音をたてて、いつまでもいつまでも揺れていた。
これは『藍眼涙』と呼ばれる現象で、毎年4月~9月に馬祖の海辺で見られるらしい。
発光の理由は、夜光虫や渦鞭毛藻(うずべんもうそう)だという研究者もいれば、貝虫(かいむし)だという人もいて、まだ正式に解明されていないらしい。
僕は奇跡を見た。
奇跡を見ようと行動したからだ。
『青の涙』という奇跡は、気温などの条件が整わないと見ることができないらしい。
その一番最初の条件が
「奇跡を見るために行動を起こす」
ということだ。
奇跡の始まりはいつだってここだ。
奇跡は迎えに行ってやらないといけないのだ。
なんだか無償に梶原と話したくなって、電話帳を開いたら、最近イイ感じの女の子の名前が飛び込んできたので、
僕はイイ感じの女の子に電話をしたのであった。