王貞治さんはなぜ生涯巨人だったのに突然ダイエーソフトバンクへと転身したのですか?

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王氏は1980年に現役を引退し、1981~1983年に藤田元司監督の下で助監督を務めた後、1984~1988年に巨人監督を務めました。藤田監督からペナント優勝を果たしたチームを引き継いだもの、3年間優勝から遠ざかったことで王批判が起こり、87年にようやくペナント優勝を果たしますが、西武との日本シリーズに敗れ、88年は中日に優勝をさらわれてシーズン終盤に解任されました。 王氏は巨人監督を解任された、巨人を追われたことに不快感を持っていたそうですが、再び巨人監督へ復帰して日本一を果たす思いも持っていたそうです。 1993年に長嶋茂雄氏が巨人監督へ復帰したことで、王氏は長嶋氏の長期政権になるだろうからもう自分が巨人監督へ復帰することはないと悟り、そのような折にホークス監督のオファーが来て受諾したそうです。

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プロ野球界のためです。 当時巨人には長嶋監督が復帰していましたので、ON対決が待望されていました。 それに応えた形でしょう。 それと、巨人のことでいえば、長嶋監督が就任したことで、 当分、王監督に再登板が回ってくる確率が低くなりました。 そこで、ダイエーの話に乗ったと思います。

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みんながみんな、読売グループが好きだと思ったら大間違い。 それが選手であっても、ね。 だから松井を読売グループで囲うためには国民栄誉賞が必要だったんです。

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巨人では要求されるものが余りにも大きく重く、王自身がやりたいことができなかった。 巨人の監督を辞任したときに、根元さんから「貴方の好きなようにやってくれ」とホークスの監督を依頼された。 もう巨人の監督やコーチの要請を受けるつもりがなかった王にとっては、何も迷い無く承諾した。 と、いう経緯です。

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1988年に監督解任されたからです。 そのリベンジをするためダイエー(その頃はまだソフトバンクじゃありません) に行ったのです。 vipkarawwwwwwwさんの回答はデタラメですね。 ナベちゃんは当時、球団経営にタッチしてません。

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