[4a-8] サムライは見た
下宿している歯車屋の二階の、やや小さめのベッドに戻って来ても、二つの理由でウィルフレッドは眠れなかった。
理由の半分はもちろん、憧れの騎士とサシで酌み交わし(残念ながら酒ではなくジュースだったが)、いかなる歌語りや幻像戯曲にも勝る刺激的な戦いの記憶を当人の口から聞くことができたからだ。
雲の上をスキップするような浮かれた気分のせいで、目が冴えて眠るどころではない。
しかしその一方でウィルフレッドは、冷たい石を飲み込んだような気持ちを抱えてもいた。
ケーニス帝国の役人と話し終えて出て来たキャサリンの、心ここにあらずという様子。そしてハラキリの準備を整えたサムライのように一直線な視線……
あの役人が何をするつもりなのか、キャサリンが何を求めているのか、それはウィルフレッドには分からない。
ただ一つウィルフレッドに分かるのは……今更ながら思い至ったことだが、あの役人はキャサリンを勧誘しに来たのだということ。つまりキャサリンは、その誘いに乗るのであれば、このサクタムブルクを離れて遠く大陸の反対側にあるケーニス帝国へ行ってしまうのだということ。
遠く離れた地で、巨人の庭園みたいな王宮の奥深くに籠もり、あの役人と同じ官服を着て(具体的な姿を想像したらそれも魅力的かも知れないと少し思った)、ウィルフレッドには理解もつかぬ研究に励むのだろう。
バーティルは、必要な事なのだと言った。
そしてキャサリンが決断するのならば、ウィルフレッドにそれを止める資格は無い。
そうと分かってはいるのに、飲み込めないウィルフレッドが居る。
ウィルフレッドは夜が白々と明け始めるまで、天井を走る蒸気パイプを睨むように見ていた。
* * *
いかに冒険者たちの仕事が昼夜を問わぬと言えど、早朝の冒険者ギルドは職員も冒険者も少なく長閑だ。
朝日の差す廊下に三人の受付嬢がいた。
彼女らは人目が無いことを確認すると、何食わぬ様子で死角をカバーし合うように周囲を見回し、うち一人が壁に作り付けになっている真鍮色のポストの鍵を開ける。
受付時間外に報告書などの各種書類を提出するための場所だ。
取り出した書類を、彼女は手早く改める。
束になった中から数枚、何らかの法則に従って取り出すと、それを、感触を愉しむようにぐしゃりと握りつぶし、ブレザー制服のポケットに突っ込んで。
「あっ!?」
カシャリ、と特徴的な音がして、三人は弾かれたように振り返った。
廊下に置かれたソファの影にかがんでいたウィルフレッドの方へ。
ウィルフレッドの手にした真鍮色の箱が蒸気を噴いた。
ウィルフレッドはサムライであるが、修行の中で多少のニンジャ訓練も積んでいる。
いくら彼女らが警戒しようと所詮は非戦闘員の素人。ウィルフレッドのシノビ能力は彼女らの知覚を上回った。
「これが何か分かるな? 高かったんだぞ、くそっ」
ウィルフレッドが構えている四角い物体は『
眼前の光景を絵として写し取る機械だ。それも、携行可能なよう小型化が図られた高級品。
安い買い物ではなかったが、冒険者としての調査任務にも役立つだろうと自分に言い訳をして買った。
本音は、まさにこういう事態に遭遇したとき、証拠を保全することができないかと考えて。
まさかこんなすぐに役に立つとは思わなかった。
なんとなく、どうしようもない気持ちを抱えたままぶらりとギルド本部まで来て、
そうしたら先日の不届きな管理官どもが何やら怪しい動きをしていたので、よもやと思い様子を探っていた。
――そう言えば出したはずの報告書が出てねえって言われたことあったっけ。しかも処理期限ギリギリのやつに限って! こういうことかよ、
抜き出した書類はおそらく、キャサリンが担当するものだ。
人食いの魔物に追い詰められたかのように。
もしくは完全包囲された手配犯のように。
三人の女は後ずさる態勢で凍結する。
「その、これは……」
「いい加減にしとけよ。それもキャサリンの不手際にする気か。
どうしてこんな事をするんだ」
足が床に張り付いたかのように三人の管理官は、身動きできぬまま挙動不審に狼狽えていた。
だが、やがて一人が静かに鼻で笑う。
「ふふ……あははは……」
何もかもを観念した様子で。
この三人の中で最も地位が上らしい、三十路過ぎくらいの赤毛の女が、降参の印とでも言うように静かに軽く両手を挙げた。
「……フォルスターという管理官を知っているかしら?」
「知らねえ。それとこれと何の関係がある」
「エヴァ・フォルスター。連邦のギルドで10人目の管理官試験満点合格者よ。当時は最年少満点合格者でもあった。
去年まで私たちの同僚だったの。満点合格の偉業はもう昔のことだけど、若干の人格的問題を別にすれば、触れ込みに違わぬ優秀な管理官だったわ」
「彼女は、自分の勲章だった記録を大幅に塗り替えたキャサリンが気に食わなかった。それで悪し様にしていた……
「お前らも巻き込んだのか」
商家の丁稚だろうが、ドージョーの門下生だろうが、閉じたコミュニティに新人が入ってきた場合、大抵は先輩たちから手荒な洗礼を受ける。
試練を乗り越えた者だけが仲間として迎えられる……なんて言い方をされたりもするが、要は『部外者』は『部外者』でなくなるまでイジメを受けるというそれだけのことだ。
オフィスの女帝が取り巻きを率い、小生意気な肩書きを引っ提げてやってきた新人をいびり倒す。
クソッタレな話だが、それは実にありがちなこと。
「ところがアークライトは何をされても涼しい顔で受け流したわ。
業を煮やしたフォルスターはある時、危険なネームドモンスターの出現情報をアークライトだけに伝えなかった。管理している冒険者が死ねば、管理官の評価はどうなるか分かるわよね?」
赤毛の管理官は、若干引いた様子で卑屈に苦笑する。
やり過ぎだと思いながらも止めなかった、彼女の立場を示すように。
あってはならぬ事だ。ウィルフレッドは顔をしかめざるを得ない。
「アークライトが事態に気付いたのは意外に早かった。
兄とその友人を護衛に、自ら危険地帯に飛び込んで冒険者を連れ戻し、そして……」
管理官は、笑みを浮かべる。
追い詰められた者に特有の、破れかぶれの笑みを。
「私たちがエヴァ・フォルスターの姿を見ることは二度と無かった」
「は……?」
「
「……話を聞く限り、そりゃ自業自得じゃねえのか?
職場イジメなんてクソッタレだ。しかもそのために無関係な冒険者の命を危険に晒すだなんて」
要するに、嫉妬に狂って管理官の使命に背いた愚か者が、組織として正しく処理されただけ。
……ウィルフレッドの感覚としてはそうなのだが、赤毛の管理官は首を振る。
「本来の手続きが全て省略されて二日で決着が付いたのよ。
査問会さえ開かれず、エヴァ・フォルスターは抗弁の機会も与えられず追い出された。
反面、キャサリン・アークライトは全くのお咎め無し。
致命的な連絡不行き届きなのだから、責任者である彼女は形式的にでも査問の対象になるはずなのに」
「ギルド上層部は皆、あの子のお友だちだもの」
「貴族院にも顔見知りの議員がいるって」
「私たちの味方は、脳筋で疑うことを知らない係長だけ……」
ウィルフレッドは思いがけないほどの衝撃を受けていた。
『ひっでえな。どうにかなんないのかよ』
『やりようはあります。
ただ、黙って後始末をしておく方が安く済むので……
エスカレートするようなら、それはそれで手を打ちますよ』
あれは、強がりでも何でもなく、キャサリンにとってただ事実を述べた言葉に過ぎなかった。
あのバーティル・ラーゲルベックが期待して、要約すれば彼女をケーニス帝国に送り込むこと自体がケーニスとジレシュハタールを繋ぐとまで言ったほどだ。
そんなキャサリンが……たとえ伯爵令嬢の地位を今や失っていたとしても……只者であるはずがない。
自分が守らなければ、とまでウィルフレッドは思った。
果たしてキャサリンはそれほどに、か弱かったのだろうか。
ウィルフレッドなど彼女には必要無かったのだろうか、と。
キャサリンの視点に立って考えれば……
エヴァ・フォルスターのような危険人物と一緒に仕事をするわけにはいかない。自分のためにも、自分の担当する冒険者のためにも。
それはとても単純で合理的な思考だった。
そしてキャサリンは、排除を終えた次の瞬間にはもう、今夜仕事帰りに図書館で読む資料のことを考えていたに違いない。ウィルフレッドはそう分かってしまった。
「才能もある。人脈もある。仕事の虫で能力もある。彼女が休んでいるところなんて見た事無い。
まるであの子はゴーレムだわ。ゴーレム兵団の大型ゴーレム。
私はあまりにちっぽけで、為す術が無くて、目の前の存在がその気になれば……
ううん、その気が無くても進行方向に立っていたら、ただ歩くだけで撥ね飛ばされて潰されるんじゃないかって」
「キャサリンは未だに……毎朝明るい声で挨拶してくるの。全部知ってるはずなのに」
「私たちはあの子が嫌いなんじゃない……ただ、怖いのよ。
あんな子とずっと一緒に居て、恐れる以外に何ができるというの」
まるで自分たちも被害者であるかのように、彼女らは重々しく真情を吐露した。
確かに話を聞く限りでは、フォルスター女史とやらに逆らえずイジメに加担し、首謀者が返り討ちにされても後に退けなくなっていたわけで、砂一粒分くらいは同情の余地があるのかも知れないが。
そしてウィルフレッドも確かに、キャサリンを恐ろしいと思った瞬間がある。
分かってしまう。
しかしウィルフレッドはその気持ちを否定した。
「それが、こんな陰険な虐めをしてもいい理由になるとは思えねーな。
本当に怖いと思ってんなら放っとけよ」
「踏み潰されたくないのなら、それができないようにすればいい。
知ってる? ゴーレムの進軍を阻むために穴を掘り巡らす戦術があるのよ」
キャサリンが
『気に入らない者を取り除いた』という結果が残れば、それは彼女に付きまとう根も葉もない悪い噂に裏付けを与えてしまう。
たとえ、雲の上に山ほど味方がいたとしても、日常の領域で悪者にされるのは辛いはず。仕事にも実害が出るだろう。
だから彼女らは徹底してキャサリンの評判を落とすやり方を貫いた。もし雲の上から介入があったとき、キャサリンが悪者にされるように。
『排除できるがしたくない』……
そんな絶妙な均衡の上で、キャサリンへのイジメは続いていたのだ。
首謀者が消えた今、イジメはやがておそらくフェードアウトする。キャサリンに悪評の枷を嵌めたら、同僚たちは口を拭い、均衡状態はより冷たく静的なものとなる。
「知るかよ。
……キャサリンは人だ。冷たい真鍮の人形なんかじゃない。平気な顔してたって、あんなことされたら傷つくだろ」
暖簾にツッパリをするかのように、やりきれない消化不良の気分だった。
臆病で卑屈で小狡い、消極的な悪意。
悪いのは虐める側だ。しかし、どうすれば彼女らに罪を思い知らせることができるのかウィルフレッドには分からない。
やりきれぬ気持ちのままウィルフレッドは、望まざる
「お前らの作戦には穴がある。
もしキャサリンが管理官を辞めるとしたら、もう遠慮する必要が無くなるってことだ」
「辞める? ……管理官を? そんなはずは」
「ある国から、キャサリンに誘いが掛かってる。王宮お抱えになりませんかってな」
管理官たちの顔色が面白いほど一瞬で悪化した。
冒険者そのものは胡乱なならず者の集まりのように言われることもあるが(そしてそれは間違っているとまでは言えないが)、
まさか管理官の仕事を投げ出して他所へ行くなんて考えもしなかったのだろう。
やり込めてやった、と無邪気に溜飲を下げることはできなかった。
こんな結末は、悪意が罰されるだけで、何も終わっていない終わりだという気がした。
上手く言い表せないけれど、果たしてキャサリンにとってはそれでいいのだろうかと。
「一度だけ見逃してやる。これのこと忘れんなよ、性悪ども。
キャサリンにちゃんと謝って許してもらえ。簡単だろ?」
色籠をひらりとトスしてポーチにしまい、奥歯を噛みしめてウィルフレッドは立ち去った。
なお、蒸気の熱とかで、駆動中の『真鍮の人形』は割と温かいと思われる。
サムライ語彙は、こっちでも多少知られてるような用語とか特殊な固有名詞みたいな、わかりやすく和風(?)なものはカタカナ。
マニアックでサムライ(?)だからこそ分かるような言葉は漢字表記+カタカナルビとしてます。
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