[4a-7] 騎士団長はバーに居る
怖気を覚えるほどの圧力を感じて、ウィルフレッドは総毛立つ。
どこかで覚えがある感覚だった。いつぞや、本気の師匠と手合わせをしたときだっただろうか(なおウィルフレッドは五秒でボコボコにされた)。
――これは、闘気……?
キャサリンから目が離せない。
ほんの一瞬でも目を逸らしたら、その隙にバッサリと斬られそうに思って。
それが馬鹿馬鹿しい考えだと理性では理解しつつも、ウィルフレッドは酷く緊張していた。
「私に、どのような御用ですか?」
キャサリンは冬黎に問う。
口調は穏やかだが、何か一つでも不確かなことを言えば承知しないと言外に臭わせるような鋭さがあった。
「貴女さえよろしければ、我らが帝国にお力添え願いたい」
「あなたたちが何を為そうとしているのか次第です」
「なるほど、手厳しい」
冬黎は朗らかに苦笑する。
表面的には静かな会話なのに、傍で聞いていたウィルフレッドは胃に穴が空きそうだった。
「これまでのことはラーゲルベック卿より概ね伺っております。
その上で私はお願いに参ったのですよ。お話だけでも聞いてはくださいませんか」
「……無為にお時間を頂いてしまうかも知れませんが、よろしいのでしょうか」
キャサリンの言葉は、冬黎を気遣いつつもその行為の無謀さを咎め、しかし頭から否定はせず話を聞く姿勢を示したものだった。全てはそちらの出方次第だと。
剣戟の幻聴すら聞こえる気がする。
「済まんな、急にこんなん連れて来て」
バーティルは軽い調子でキャサリンに詫びた。
それを受け流すかのようにキャサリンは首を振る。
「いえ……
『私のためになるかも知れない』と思ったからこんなことをしたのですよね? あなたはそういう方です。
私はあなたを信頼しています。事前にご相談が無かったことはどうかと思いますが」
「いやー、だって帝国関係者つーたら逃げるでしょー。
それで騙し討ちにしたのは申し訳ないけど、埋め合わせはまた後日、必ず」
「貸し一つですよ、ラーゲルベック卿」
「ああ、確かに借りた。
そんで、話くらいは聞いてやってもいいってことで大丈夫か?」
キャサリンは沈黙した。それは肯定だった。
その目に炎が燃えていた。
戦場に素っ裸で放り出されたような心地でウィルフレッドは立ち尽くしていたが、そんなウィルフレッドの肩を、バーティルの機腕ががっしり抱え込んだ。
「うわ!?」
「どうやら向こうは時間が掛かりそうだ。となれば俺はそれまで暇なんだが……
俺の暇つぶしに付き合わないかい、ウィルフレッド君」
古馴染みのように気安く誘うバーティル。
それはウィルフレッドにとって望外の幸運ではあったが、ウィルフレッドはまだ状況に頭が追いついていない。
「ゴールデンギアホテルのジュースなんて飲んだこと無いだろ? 俺も無ぇ。
払いは俺持ちでいい。どうせ経費なんでね」
「は、はい! お供しまっす!」
「つーわけだ。こっちは二人でよろしくやってるから、何かあったらシェリーに言伝を頼んでくれ」
『後でまた』というつもりでキャサリンと会釈のようなアイコンタクトをして、ウィルフレッドはバーティルに引きずられていった。
* * *
一階にあるバーは宿泊客でなくても入れる場所だった。
床も壁も黒光りする奇妙な石で構成された空間は照明器らしい照明器が見当たらず、その代わり如何なる魔法的装置によるものか、ダイヤモンドダストのような光が立ち上り幻想的に辺りを照らしていた。
バーの中央にある石の箱庭はカレサンスイめいた思想なのか、艶やかな砂利で水の流れが表現され、空中に浮かんだ三つの黄金歯車が互いに噛み合って規則正しく時を刻んでいる。
カウンターに立つバーテンは手つきも立ち姿も洗練されて一流の雰囲気を醸し出す。彼はお上品なボトル(ラベルにはホテルのロゴが焼き付けられている)から二杯のオレンジジュースを注いで、バーティルとウィルフレッドに供した。
このバーでは酒類のみならずノンアルコールのドリンクも、超一流の品を超一流の価格で揃えているようだ。
「なんでここに居るのか分かんねえって顔してるな」
ウィルフレッドが雰囲気に圧倒されていると、バーティルは自分のグラスをウィルフレッドの前に置かれたグラスにこつんとぶつける。良い音がした。
「えっ。……まあ、はい、そうです。
こんなところであなたに会えるなんて思いませんでしたし、お話しする機会があるとも思ってませんでしたし、まさかこんな……」
「まあまず落ち着け、一杯飲んで」
勧められるままウィルフレッドはジュースを一口飲んだ。
それはキンと冷たく、甘酸っぱさと若干の心地よい渋みがある。
確かに高級ホテルで供されるに相応しい飲み物なのかも知れないが、一体全体いくらなのか想像も付かない。なにしろ、メニューに値段が書かれていないのだから。
この状況で平然としているのはなかなか難しい。が、飲み物を口にすると頭に糖分が回ったのかウィルフレッドは若干落ち着いて、怒濤のようにここまで流されてきた自分の状況をようやく客観視できた。
「何が起こってるんですか?」
「その質問に簡潔に答えることは難しいが、強いて言うなら俺が陰謀を働いてる」
色々な意味を込めたウィルフレッドの質問に対して、バーティルは色々な意味を込めたであろう答えを返した。
「俺が考えてるのは今でもシエル=テイラの民のことさ。
西アユルサだけじゃない、
ルネちゃんが戻ってくるってのは、俺とキャサリンの一致した予想でね。
そいつは誰も得しねえ最悪で最後の戦いになるってのが、俺の今んとこの見通しなんだ。シエル=テイラの民にとっても、ルネちゃんにとってもな。敵も味方も大勢死んで素寒貧になって残るのは焼け野原だけだろう。だからどうにか全員にとって多少マシな結果にしてえ。
ところが俺たちゃできることが少ねえ。俺は西アユルサのことで手一杯だし、キャサリンも今は一ギルド職員に過ぎない」
ウィルフレッドはほんの少し、バーティルの言葉に引っかかりを覚えた。
ルネ。
記憶を手繰る一瞬。
それは"怨獄の薔薇姫"の名前だった。
「"怨獄の薔薇姫"をどうやって止めるか。
俺としては……適当にキリが付いたところで良い感じに冷や水を浴びせて、頭を冷やしてもらうのが一番かなって思うのさ。そしたら、後はルネちゃんの問題だ。
だが、今も着々と軍隊を作り上げてるルネちゃんに『もうこの辺にしとこう』って思ってもらうのは並大抵じゃねえ」
「それで……そのために、帝国の人を?」
「最初の一手だよ。無茶振りもいいとこだが、キャサリンには連邦と帝国を結んでもらわにゃならん。それと、彼女には味方を増やしてほしいからね。
冬黎は優秀な部下を欲してる。キャサリンとは、まあ方針の擦り合わせが必要なところも若干あろうが、俺としちゃキャサリンがこの話を飲むなら色んな事が良い方に動く気がしてね」
たとえば害獣避けのため畑に罠を置く話みたいに、本当に何でもないことのようにバーティルは言った。
しかし列強のうち二カ国が手を結んで強大なネームドモンスターと対峙するなんて、とんでもないスケールの話だ。
それをバーティルは画策し、描き、キャサリンはその鍵となる。
「すごい……」
「何が?」
「すごいとしか言えないですよ。
そんな風に世界を動かすようなことをして……まず、やり方を思いつくのがすごいっつーか……」
「いやいや褒めるのはまだ早いさ。上手く行くかは俺にも分かんないから」
ウィルフレッドは唖然とし、ますます畏敬の念を深めるよりなかったが、バーティルは飄々と笑っていた。
評判に寄ればバーティルは武術に熟達しており、将としての実力も抜きん出ているそうだが、戦場を離れた時でも彼は尚戦い、そして並々ならぬ戦果を上げているのだと思わされるに充分だった。
「俺が知る限り、あなたはいつだって人生を捧げるような勢いで誰かのために戦ってる……」
「そうかも知れないね」
「どうしてそこまでできるんですか?」
「言ったろ? 俺が考えてるのはシエル=テイラの民のこと。
俺はシエル=テイラが好きなんだ。国とは人だ、そこに生きてる人々こそが国なんだ。
本音は全員救いてえ。それが無理なら一人でも多く守りてえ」
へらりと笑ってバーティルは言う。
単純なれども言葉は強く、悲壮ではなく自然体で、だからこそきっと、信念に揺るぎなく。
「お家取り潰しになった元伯爵令嬢も、忌み子として王宮を追われた元王女も、その例外じゃない。
もちろん君もだ。
良かったら君が今どうやって生きてるのか俺に聞かせてくれないかな。
その代わりに俺がしてやれるのは、せいぜい
蒸気タンクみたいなデザインのグラスを傾け、『気障』と表現するには深すぎる笑みをバーティルは浮かべた。
ウィルフレッドは危うくときめいてしまうところだった。