元国務大臣竹本直一先生の勉強会後、真冬の西成ホームレス支援へ
師走の土曜朝一番の行政書士法人ひとみ綜合法務事務所へのお電話は、昨夜真冬の西成の路上で寝ていらしたホームレス男性の方からでした。
「三木先生ですか?自分でも本当に行政書士事務所の近くの大阪松原市のアパートに入って生活保護を受けられるのですか?」
ああ、連絡を下さってよかったと、胸をなでおろしました。この方との出会いの昨日の出来事に遡ります。
週末前の慌ただしい12月18日金曜日は、17時半概ねの役所閉庁時間ギリギリまで仕事をし、残務は他のスタッフにお願いして私行政書士の三木ひとみはホテル日航大阪に急ぎ向かいました。
行政書士法人ひとみ綜合法務事務所が所属する強制加入団体である大阪府行政書士会南大阪支部には、前国務大臣・現衆議院議員の竹本直一先生も所属されていらっしゃいます。
令和元年大阪府行政書士会賀詞交歓会
令和2年大阪府行政書士会賀詞交歓会
賀詞交歓会や忘年会などで何度かご一緒させて頂き、貴重なお話を伺い、お名刺交換もさせて頂いていました。当初、東京で開催の竹本直一先生の忘年会にお声がけ頂いていましたが、特にコロナ禍の今年は東京までの移動は控えたく辞退申し上げたところ、大阪の勉強会にお誘い頂いたのです。
ホテル日航大阪の広い会場に変更され、入り口で手指の除菌も行い、十分なコロナ感染対策が講じられていました。
勉強会の演題は、「日米関係の最前線~米国の進む道と今後の日米関係について~」<
米大統領選挙はかつてない旋風を巻き起こしただけに、アメリカ国籍で選挙権を持つ講師(所属政党なし)のロバート・D・エルドリッチ氏による大変興味深い内容でした。メディアに印象操作をされないよう、日本の首相は早い時期に主体性を持って国のリーダーとして何をしようとしているのか、どう物事を考え、どんな哲学を持っているのか、国民に明瞭にわかるよう自分の言葉で説明すべきだという意見には、深く共感しました。(顕著な失敗例として、かつての民主党代表・内閣総理大臣の鳩山由紀夫氏を挙げていました。)
その後の竹本直一先生のお話では、国政の最前線で今年何が起こり、今後どうなっていくのか、よどみない論調にいつの間にか引き込まれていました。国務大臣就任中は、感染防止に向け多額の予算を投じた治療薬・ワクチンの開発や接触確認アプリの開発など、コロナとの戦いに全力投球されてきたご苦労が伺えました。
副作用が0ではないワクチンを全国民に接種というのは現実的ではなく、またイタリアでは100人感染すると10人死亡というのがざっくりした数値であるところ、日本ではノーベル賞受賞歴のある山中伸弥教授もファクターxと呼び名を付けたほど致死率が非常に少ないことから、ロックダウン(都市封鎖)には至らなかったこと。
Go To トラベル施策は現在批判が強いものの、感染者が少ない地方の旅館などを訪れると、この事業によって救われたという声が多く聞かれ、経済と感染対策という相反する政策の舵取りがいかに難しいかも伝わってきました。
歴史が示すように、コロナもいずれこれまでの多くの感染症同様、終息するでしょう。そのとき、超高齢化社会かつ密接した生活環境にも関わらず日本の死者数の少なさは、世界から再評価を受けるという展望もまた、希望をもたらしてくれるように思いました。緑豊かで水と太陽と空気がきれいな南河内を、便利な街にしてもらいたい、具体的には大阪市内からの車アクセスの利便性の向上について来賓の松原市の経営者様が指摘されていて、やはり松原市に本店を置く行政書士法人として深く共感すると同時に、その後の竹本先生の力強いご回答を嬉しく思いました。
お土産に、令和3年国会議員手帳を頂きました。国民の休日や国会のしくみの説明がわかりやすくコンパクトにまとまっていて、大変使いやすい便利な仕様に、流石永田町と唸らされました。
20時に勉強会が終了すると同時に、華やかな御堂筋クリスマスイルミネーションが彩る心斎橋から、大阪のディープな街・西成へ急ぎ向かいました。
この日は、西成のホームレスの方々に寝袋やホッカイロを配るボランティアにお声がけ頂いていました。
「ええっ三角公園の方なんて行きたくないですよ・・・。あの辺は、怖いんですから。」
タクシーの運転手さんは、すっかり及び腰でした。
「大丈夫ですよ、何かあったら私は行政書士ですから、すぐに警察に連絡して事情を話しますから。」
巷で言う当たり屋、慰謝料狙いであえて車にぶつかってくるような事態も以前はあったそうです。
ただ、ボランティア団体の方々に話をしたところ、今の西成は高齢化して、そんな元気な人はいないと。たしかに、真冬の夜の西成では、ひっそりと静かに眠るホームレスの方々しか見かけませんでした。
タクシーを降りてすぐに撮った写真、奥に見える人達が私の友人で行政書士登録予定の山田六郎さんはじめ、西成のホームレス支援をされているボランティアの方々。
こうした光景が、三角公園周辺は其処此処に見られます。
私は初めて参加しましたが(ずっとお声がけは頂いていたのに)、お写真手前の石黒様(大阪の企業の社長様です)は、もう19年間にわたり毎週ホームレスの方々に無償でおにぎりや寝袋、ホッカイロなどを配り、お声がけするボランティア活動を続けていらっしゃいます。
私は飴とホッカイロをお渡しする係でした。
移動する車(ボランティアの方の車)のトランクには、沢山の寝袋が入っていました。おにぎりのお米も、全て人の完全なる善意で成り立っているボランティア活動だということがよくわかり、考えさせられました。
西成の自販機は、1本100円で買えた記憶のある昭和生まれの私でも見たことのない金額でした。ボランティアの方が、熱いホットコーヒーを買って下さり、1時間後にまた別のボランティアの方が熱いレモンティーを買って下さいました。人様のご厚意に甘んじてばかりいてはいけませんね。
とにかく寒くて寒くて、路上で寝ようとしている方に「がんばってください」とお声がけする自己矛盾に苦しみました(がんばってどうにかなる寒さではない、朝までどうやって過ごすのだろうと思うと胸が痛みました)。
写真だと分かりにくいですが、かつては華やいだであろう商店街も、今はシャッター街。日本全国にこうした空き店舗ばかりの商店街は多数あると思いますが、堺筋線の恵美須町駅(なんばからも徒歩圏内)から出てすぐという好立地、通天閣本通商店街というディープな街並みを彷彿とさせ観光客が沢山訪れそうな場所でも、コロナ禍により来日外国人数が激減したため、撤退を余儀なくされた店舗も少なくないようです。
翌朝に行政書士事務所にお電話を頂いたホームレスの方と出会ったのは、地下鉄御堂筋線動物園駅前から飛田新地へ向かう飛田本通り商店街の中ほどにある、山王市場通商店街のアーケード内でした。
道幅が狭く、銭湯あり、昭和の遺構のような下町のシャッターが閉まった店舗の軒先で、段ボールを敷いて寝ていた男性の方。ボランティアの方々の一番後ろで私が通った頃には、男性は
「もう、立ち止まらないでいいから、何もいらないから!」
と、手で追い払うような仕草をされていました。
でも、本当に寒そうでしたから、せめてホッカイロだけでもと手渡したときに目が合いました。
大丈夫ですか、大丈夫大丈夫、というおざなりのやり取りがありました。他のボランティアの方もいらっしゃるので心強く、一緒に少々しつこく聞いてみたところ、家はあるからと当初は仰っていたものの、実際はもう10年以上帰っていない他県の実家のことで、年越しをする寝床も食料も何もない状態の方だとわかりました。目は生き生きとされていて、気の良いおっちゃんという言葉がぴったりの方。
「役所には行ったけど、生活保護は受けられないと言われたよ。」
おそらく、家があるという最初の言葉尻を捉えて役所の方も不動産や資産、扶養親族がいる方だと判断したのかもしれません。
ボランティアの方は、この行政書士の先生は沢山生活保護申請をサポートしているから任せたらいいと強く勧められていましたが、まるで押し売りのようになってもいけないと危惧して、名刺だけお渡しして帰りました。
その後も、女性のホームレスの方や、段ボールで器用にカマクラのようなものを作って数人でかたまって寝ていた方などにお声がけして、名刺をそっと置いてきました。
こちらから何かを押し付けるようなことはしたくないので、できれば行政書士法人ひとみ綜合法務事務所のホームページを見てご自身で判断して頂きたいと思い、
「スマホなどで、インターネットは使える環境ですか?」
と、段ボールの中の男性とやり取りしたところ、その方も、周りのボランティアの方も一斉に噴き出してしまわれました。
「ネットなんて、あるわけないじゃない!」と・・・。
行政書士法人ひとみ綜合法務事務所や、お金もなく行き場もない方をアパートに初期費用免除、家賃も生活保護受給決定後の後払い(生活扶助費まで徴収するような貧困ビジネス業者とは異なり、家主さんに支払うべき正当な住宅扶助費のみ)で入居受け入れして下さる税理士の先生宅などで、数日食べるものも食べられていなかった方々と食卓をご一緒して、少し元気になってもらってから福祉事務所にご一緒することもあります。
コロナによる経済の影響は、社会的に弱い立場にいる人達の暮らしを直撃しています。飲食店勤務の方で収入が途絶え家賃を支払えず住まいを失った方、退職に伴い社員寮や社宅を出なければいけなくなった方、コロナ前までは普通に社会生活を送っていた方からの生活保護相談がここ一年減ることはありませんでした。
行政がホームレス状態の方に住居として紹介する施設は、自立支援センターなどですが、その殆どは集団生活。LGBTの方や、うつ病、対人恐怖症など、様々な理由で他人との相部屋生活は短期間でも無理だという方は少なくありません。大阪の大型施設は私も足を運んだことがあるので衛生的に問題があるとは思いませんでしたが、他県では「刑務所よりヒドイ」と口々に仰る施設から、逃げるように出てきた方々からの相談も受けてきました。
プライベートが確保された個室で寝泊まりして、生活保護申請をすることができるということを知らずに寒空の下で路上生活を余儀なくされている方がやはりいるのだということが、今回のホームレス支援のボランティア活動体験を通してわかりました。
社会には、他者からは見えにくい生きづらさを抱えた人たちがいて、そういう方はご自分が傷ついてきた分、純粋で優しい方が多い印象を受けます。行政書士として、コロナ禍においてできることは、まだまだ沢山あると実感しました。
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