開店してから間もない〝蛍火〟は相変わらず盛況だった。ひとり酒に絡むのは陽気な気質が多い常連で、それらを嫌う輩はここには訪れない。例外があるとすれば、嫌われ者として広く知られているパルスィだけだ。
問題さえ起こさなければ来る者は拒まずが蛍火のモットーだから、テーブル席を独占していても文句はないし、そういった状況にしているのは誰もが彼女に関わらないからだった。
目が合い視線を逸らされて表情が変わることも、席を立つこともなかった。それほど彼女にとって都合のいい店なのだろう。少なくなった焼酎が飲み下されてから、妬ましいとひとりごちた。
喧噪に溶けるばかりの独りごとは、近づいてくる知った顔を見つけて止まった。
眉をひそめてしまうのは、茶褐色の瞳が金髪の陰で笑ったからだろうか。
相席してもいいかと言うヤマメは、返答を待たずして席にかけた。
呆れたように背もたれを軋ませるパルスィは、ぐい呑みの中身をあけた。焼酎を頼む溌剌とした声は、持ち前の明るさに幼さを残した顔と相俟ってか人気は高い。
いい地酒を仕入れたんだよ、ヤマメちゃん。
ついでと通された串に息をつくパルスィは、相変わらずねとこぼした。先ほどまであった陰湿な気色はない。細められた緑眼は生来の艶やかさと愛嬌を取り戻していた。
「そっちも、久々に見たと思ったら相変わらずそうで、安心したよ」
お邪魔だったかな、と自分のぐい呑みを口につけた彼女に、別にと微笑みが返される。気心が通じ合う仲といっていいほどには、深い関係だった。
頼んでいたつくねが通されて、先に手を伸ばしたのはヤマメ。今日みたいな相席や誘われて訪れたときにでも、パルスィが手を伸ばすのは決まって彼女のあとだ。互いにひとくち分だけ味わってから、どちらからともなく話しだす。
近況にはじまり、あれからどうだった、こうだった、そうなんだ。愚痴に引っ張られてきたであろう感情がしかめっ面を作っても、両者とも気にならないのだろう。時間はそれほど経っていない。宵の口であるにも関わらず少し前までは白かったはずのパルスィの頬は、すでに上気しはじめていた。
酔いやすいところ、変わってない。ヤマメが笑う。鬼にある程度までは付き合える彼女自体が種族的に見て強いだけだと返すのは、こうして向かい合い、または肩を並べて飲むときに、思い出したようにはじめられるやりとりのひとつだった。
更けだしていく銘々の夜は、席に着いていた顔や性別を緩やかに変えていくものの、喧噪はやまなかった。会話の合間に、それこそ一升の半分以上は向かい合う存在が胃に収めているというのに、パルスィの夜は明けかけている様子だった。
察したのか、出よっかと立ち上がるヤマメはふたり分の勘定を済ませた。差し出された手を取ったその足は、すっかりと出来上がっていた。
外は地底独特の生ぬるい風が吹いていた。髪を巻き上げるほどの勢いが一瞬通り抜ける。風を浴びて酔いが醒めたのか、眠たげに下がっていた瞼は溝を走らせて、大人びた印象を持たせていた艶やかさが、幼さを宿すようだった。
囁きに近い〝可愛い〟が尖り気味な耳に入ったのだろう、微かに見開いた目元を伏せ、気恥ずかしそうに左側の髪を後ろへ流した。
いまみたいな状況は過去になんども経験しているはずであるが、深めては離れるを繰り返してきた関係は薄い唇から継がれる久々だよねのとおりで、彼女に対しての免疫が薄れた頃合いなのだろう。生娘のそれに近い反応は、ヤマメから悪戯な笑みを誘った。
ねえ、と頬に触れてくる右手に肩を跳ねさせて、か細い駄目が眼前の瞳に向けられた。しかし彼女の気性から依るものなのか、言葉だけの拒みは「いいじゃない」のひとことに途切れさせられてしまい、続かない。
強引なところを承知しているのか、抱き寄せられてからの浅い口づけをされても、然したる抵抗はしなかった。
「気持ちイイの、嫌い?」
わずかながらに頬を染めての問いかけに、瞼をとろけさせて、小さくかぶりを振ってから、むっとした表情を作った。
「ずるい」
再び重ねられた唇は深く繋がるものだった。
酔いどれたちの姿も気にせず、街道の道端で舌を絡め合いながら、吐き出された店の境界へと体を滑り込ませていく。
同性だろうが気の合う同士の夜は、ふたりのようになることも少なくはなかった。だから軒を連ねる隙間に入る入らないは実際のところあまり関係がなく、踏み入った方向の先にある小路では、雰囲気に流されてか元々そういう関係かどちらかであろう一組が、同じく唇を啄み合っている最中だ。唾液を交換する音も、酒気混じりの喘ぎも、妻側に流れ込んでそう深くもない場所から街道の通りへ漏れたところで、気にする輩はいない。背中にまわしあっていた腕を先に動かしたのはヤマメで、丈の短いスカートの裾から伸びる肌に、細い指先が絡まった。
触れられた箇所と懸け離れている肩が跳ねて、柔らかさと肌触りを楽しむような手つきが、細く肉づきのいい太腿を上下に滑る。装飾された赤い紐が、汗の浮きはじめる白い肌を背後に、暗がりのなかで際立っていた。
艶めかしい手の動きにむず痒さを覚えているみたいに、壁に預けている体を身じろぎさせていた。太腿を撫でていた右手が上に滑らされて、一度持ち上がったスカートは、皺を残したまま壁と体のあいだに挟まった。そうして露わになった柔らかそうな臀部の肉厚が、差し込んでくる街道の薄明かりに照らされて、いやらしい陰影が作り出されていく。
唇の結合を解き、髪の香りを求めるかのようにかんばせがずらされてから「気持ちイイ?」と囁きかけた口元が、耳に歯を立てた。
跳ねる体に、欲しい、どこがいいと息みたいな声を流し込む様は、わずかな刺激で可愛らしく喘ぐ反応を楽しんでいるのだとわかるものだった。
尻の柔らかさを堪能した手が次に向かったのは胸元で、そこにきてようやくパルスィは、背中にやっていた腕を密着する体に滑り込ませて、拒んだ。
「ここじゃ、嫌よ」
くすりと緩む唇が小さな弧を描き、境界の先から望める屋根を指差して、そこでシよっかと顔を寄せた。言葉も頷きもない沈黙は、やはり了解なのだろう、若干の乱れを残したまま小路へと抜けていくふたりは、睦処と隠すつもりもない看板が掲げられている宿に入った。
暖簾をくぐってすぐにある壁は、上部に声が通る一文字の隙間と、中央よりやや下のところに代金を落とすための穴がある。満室であれば左側にある戸に札がかけられるため、空きのあるないは一瞥のうちに済んでいた。一泊借りるよと声が投げられ、代金を落とし、数秒遅れてから、戸の向こうで鍵が開けられる音がする。腰へまわされた腕に促されるまま、パルスィは、彼女の肩に頭を預けて歩いた。躾られた鬼火が部屋までの道筋を照らす仄暗い廊下で、おぼつかない足取りを見せるのは酒のせいか、口づけの余韻が尾を引いているからなのか、自身よりも少しだけ上背がある体に寄りかかる表情はどこか切なげだった。 足下の薄明かりがふすまの前で止まる。引き開けた先にある低い上がりかまちへ腰かけた直後に、唇が奪われた。
お互いに抑えがきかないとばかりに抱き合って、舌を求めながら、靴を擦り合わせるようにして脱ぎ捨てた。敷かれた布団までの遠くない距離を、服を脱がし合いつつ縮めていく。襟巻きを取り払われた首筋に唇が触れて、艶めかしく顎を突き上げ、喘いだ。
帯を解かれて肩から外されていく上着が畳に落ち、黒い肌着から伸びる二の腕と腋が露わになって、動きやすくなったであろう腕が、向かい合う胸元にいった。黄色い釦を外していって、次に肩紐が外されていき、体の線を隠していた土色のワンピースが下げられていく。そうしてさらされた肢体は、胸元の薄さとは裏腹な、肉づきのいい滑らかな曲線があった。
体の作りが全体的に大人なのはパルスィだが、上体の細さとの差が際立つほどに膨らんでいる臀部の丸みや太腿の形は、ヤマメが持つ、童顔気味な顔も相まった不釣り合いな色っぽさだった。
好色な彼女の顔を知る者にとっては、幼さと女の艶やかさの差が堪らなく情欲を煽るのだと、寝所にて口にするほどだ。しかしパルスィにそのような気色が見られないのは、ヤマメとの情事に耽る彼女に主導権がまるでないことから依るものだろうと、傍からの想像は難くない。
長袖の着衣と同色の下着一枚になったヤマメは、己より白い肌を包む肌着に手をかけて、鎖骨近くにまで捲り上げる。解放された膨らみの柔らかさが波を打ち、薄桃色の頂は尖っていた。
指先で淡い輪の周りを撫でるが、一向に触れる様子はなく、寧ろ遠ざかっていく。腋元まできた手先が、乳房の重さを掬い上げるように滑り込み、質を確かめるみたいに揺らした。やがて満足がいったのか笑みをこぼし、膝を曲げて落ちていく顔は下半身、股ぐらの正面に止まると、見下ろしている表情をちらと見て、スカートのなかに頭をもぐり込ませた。
行灯の薄明かりすらない部屋に、震えた息が伸びる。暗闇のなかでも恥部をまさぐる舌先は的確に弱いところを捉えているのか、下着越しに愛撫されている体は断続的に跳ねて、薄緑色の下着に包まれている陰裂部分は、徐々に唾液で濡らされていく。上下する動きに合わせて押された下着は食い込まされる形になり、小さな膨らみの下に淫らな縦皺がくっきりと浮かんでいた。
快感に熟れた花が咲き開く様を嬉しく思ったのか、唾液で肌に密着して強調されている突起へと伸びた舌は、そっと円運動を開始した。震え、後ろへ逃げようとした臀部に左腕がまわされて、肉感的な厚みを鷲掴みにした。盛り上げる布地の上から頭を押さえられても、下半身への熱情的な責めは止まらない。右手の人差し指が薄布にかけられ、ヤマメ側から見て左へとずらされる。現れた陰唇はすでに開ききっていて、膣口に張った淫水の膜が、体内に溜め込んでいるであろう蜜と熱をとどめている状態だった。
すっと添わされた親指の腹が触れて、付着したぬめりは母子球を辿るように伝い、糸となってちぎれた。手に残った粘つきが鼠蹊部に擦りつけられ、陰核に置いたまま静止していた舌が引っ込められると、唇が、濡れた内太腿に吸いついた。
悲鳴が上がり、体が前のめりになる。脚はさらに内股となるも、頭を挟む力は弱々しいものなのだろう、なんども啄まれては時折に舐め上げ、次第に脚はその役割を放棄するように腑抜けていくようだった。
太腿を可愛がっていた舌先が股ぐらへと戻り、膣口に浅く潜ったあと、陰唇を包むほどに唇が開く。分泌され続ける蜜を啜る音が盛大に鳴って、上体が、大きく折れ曲がった。
「や、それ、だめ」
涙混じりの喘ぎに行為が止まったのは一瞬で、汚らしい咀嚼音じみた水音は激しさを増していく。色っぽい声を鼻先からくぐもらせ、濡れた口元が舌で拭われると、微笑の吐息が漏らされた。
潜り込ませていた顔を出し、上向く先を望む双眸は、妖艶に細められていた。口脇から伝ったぬめりを顎に残すその様は、見ている者がいれば淫靡のひとことに尽きるものだろう。
いやらしく横に広がる唇が、気持ちいいかと投げかける。潤む瞳は意地悪と言いたげに見つめ返すばかりだった。
「嫌ならやめるよ」
か細い、やだ、が降り注ぐ。聞こえないと返す口は、して欲しいなら言ってと継ぎ、スカートをめくり上げた。包皮から顔を出した敏感なところに舌が伸ばされて、体温だけを感じさせる状態のまま、返答を待っていた。
様態だけを眺めるならば、お預けを食らっている立場は逆転して映り、情欲をそそられる光景のはずだろう。しかし飼い主とその犬としか見えない体勢であるにも関わらず、こと夜の睦み合いに至っては、彼女たちの関係は初めからいままで一度たりとも入れ替わったことがない。
変わるのは、返答に要する時間のみだ。弱々しい懇願じみた〝シて〟が、静寂のなかに溶けた。満足げに茶褐色の瞳が細められて、視線はそのままに、蜜を啜るはしたない音が再び鳴った。
愛撫の刺激に震えるばかりでいる仕草は乙女らしく、嬌声をあげまいとしているのが見て取れるものだった。羞恥心にまみれている表情は赤く染まり、背景の暗さに溶け込む緑眼は涙を溜め込んで、見上げている両目に薄くさせた眼差しを注ぎ続けている。
やがて限界が訪れたのだろう、力なく折れていく膝頭は果たして敷布に沈んだ。受け止めるように背中に滑っていた両腕のひとつ、右腕は、口淫でじとじとになった股ぐらへと流れていき、女らしくない深爪された中指が、膣内に埋められた。
付け根まで到達したところで開始される動作は、やはり手慣れた感じだ。粘着音が鳴り響く膣とは別に、恥部の上方とその後方には指が添えられて、器用な力加減が発揮されていた。
親指の腹で陰核を撫で、菊の花弁を押し広げる薬指が、中指と同様の動きを浅い箇所でするのだ。口淫のときと同等かそれ以上の快感なのだろう、抑え気味だったとわかる声色の漏れ方は、声帯が痙攣しているのではと疑いたくなるほどに、でたらめな喘ぎを発していた。
右手の動きはそのままに、愛液まみれの唇は眼前の乳房へと吸いつく。内側に巻かれた唇のなかへ淡い色合いの乳輪がなんども飲み込まれ、唾液混じりの吸引は終わりに弾けた。束縛と解放を繰り返される頂は、尖らせていた先端をさらに硬くした様子だった。しこる先端を掬い上げるように伸びた舌先が、左右に、上下に振り動かされて、寄りかかっていた体は弓なりにしなっていき、逃げ場を求めるようにぎこちなく捻っていくも、腰にまわされている左腕がそれを許さなかった。
「や、やだこれ、だめ、これだめ……」
顎を上向け、左手の小指を口に入れ、恍惚と瞼を下げていく様は、彼女の側面を口々に忌避して深入りしたがらない者が見れば、嫌う部分のあとに惜しんで継がれる〝イイ女〟が勝り、たちまちに仮面を繕って言い寄るはずだ。
薄闇に浮かぶ輪郭は、同性同士が作り出す倒錯的な淫らさがあった。明かりに照らされれば凄艶な影を壁に伸ばすであろう密着するふたりは、かたや尻をつけ、かたや膝立ちであった状態を崩し、敷き布団の皺へと倒れ込んでいく。重力に従い平たく広がっていく胸は、抵抗してかこらえられないがためか内側へと閉じる二の腕に寄せられて山を成した。必然的に双丘にうずまった頭を撫でる右手が、後頭部で結われている黒い髪留めをほどき、綺麗に形作られていたお団子がばらける。白魚のような手は深めの金髪に添われていたが、休むことを許されない愛撫の刺激にしなる背中に合わせて、毛髪へと沈んでいく。体の驚きが増幅されたみたいに、指先が乱暴に髪を梳いた。
多淫な彼女と違っていつも整えているわけでもない爪が金色の海を流れきり、たどり着いた背にぐっと食い込んでも、右手と唇のいやらしさは止まらない。
頂へと伸ばされた舌先は、その硬さを堪能しているのか、はたまた感度を確かめているのか、絡みつく動きに緩急をつけながら、淡い乳首を転がし続ける。唇がしこりとなったそれを乳輪ごと包み込み、肌にまみれている唾液は吸いつかれるたびに増していった。
責め立てられる乳房は、なかなか解放されない。余っている左胸の先端は切なく尖っている。肩を抱いていた左手が下がり、唇は寂しがる胸へと移って、下方からやがて頂点に辿り着いた。先ほどまで可愛がられていた乳首は、つんと主張する硬さを指先に弄ばれていた。震えを抑えている様子で時折に跳ね上げていた声は、いよいよをもってこらえきれなくなったのか、悲鳴めいた懇願を吐いた。強弱をつけているとわかる指と口元の動きには、容赦は感じられない。
喘ぐ体が、ひときわ大きく反り返った。
「イ、クッ……!」
凜とした作りの顔とは裏腹な、可愛げのある声を張り上げたあとに、低い唸りを発した。止まらぬ愛撫に全身を震わせながら、浅く深くと呼吸を繰り返す唇は惚けたみたいに弛緩していた。
余韻に浸る表情は雌のそれだった。下半身の敏感なところでなく、胸で果ててしまった彼女を見下ろしている視線には、支配感に似た気色が宿されている。交差させた腕が裾を掴み、汗の湿りで脱ぎ難そうに身をよじらせながら、ゆっくりと上着を取り払う。
可愛らしく揺れる乳房の頂点は、パルスィのそこと同様に痛そうなほど尖っていた。四つん這いになった体をそのまま被せて、主張するしこり同士が触れる距離を保ち、いまだ呼吸も整わない様子の彼女に落とされる笑みは、欲情や無邪気さといった感情が綯い交ぜにされたような色合いだ。
上体がくっと沈み、重ね合わせていた乳首が双丘に埋まって、息を乱し続けている喉から短い嬌声が漏らされる。平時よりも敏感になっているであろう体の感じやすいところが、自身の肉厚に沈められては解放され、幼さが目立つ体つきとは対照的な赤い蕾に、執拗に転がされた。
受け身でしかないパルスィと交わるときに彼女がする、気持ちの昂ぶらせ方だった。大人しくする肉体を使った自慰紛いの行為が続けられるうちに、息遣いは次第に乱れはじめていく。
やがて強気な瞳が法悦ととろけだした頃に、乳房を触れさせるだけだった肌の距離はなくされた。薄い唇から伸ばされた舌が紅潮する頬を這い、汗が舐め取られた場所に唾液を残していく。
耳元まで迫った唇が、今度は一緒にと囁きかけた。
密着させていた上体を引き起こしたヤマメは、背景に溶ける黒い下着に指をかけ、横にずらした。陰核はすでに露出して、刺激を欲しているのが見て取れるほどに膨らんでいる。
曲げられていたパルスィの白い脚は、拒みたいのか内側へと寄った。松葉崩しの形を取ったヤマメは、互いの陰部を合わせると、脚を掴んだまま自身の背中も敷布へと落とした。淫らな粘着音が響くと同時に、ふたりの唇からは嬌声がこぼれた。
「うぁ、パルスィの股、ぐずぐずで熱い」
肩に担ぎ乗せている足首を掴みながら、余った右手をふくらはぎへと流して胸に抱き寄せると、暗闇に映える白肌に舌を這わせて、腰を動かした。
体の使い方も奏でる音も、慣れたものだった。
それは陰部を繋げ合っている彼女のことも同様だったかもしれない。日々のなかで晴らせない分の感情は、そういった日が続いた折りに筆を執る日記に記されている。まるで、糸に繋がれた人形だと。
自分らしくあれなかったと記した思いが、いまも胸にあったとしても、出ていくのは熱い吐息と蜜みたいな甘さだ。右脚に唇を落とされ、絡み合う下半身のあいだでいやらしさが鳴るたびに、体は、震えて跳ねる。脚を抱えていた手に力が込められて、膝が曲がった。鼻息がかかる距離につま先を持ってきたヤマメは、指の隙間に舌をねじ込ませ、驚きのあとに拒絶を見せる足の親指を口内に含んだ。作りも使い方も違うもう一方の〝唇〟が粘り気の強い音を出し合い、布団の皺に染みを増やしていく。
噴き出しては伝う汗と、絶えずあふれる愛液を受け止める敷布が冷めることはなかった。広がっては乾く前に、熱くなり過ぎているであろう体温混じりのそれらが、すぐに落ちていくから。
先に達していたパルスィの声はか細いものであったが、徐々に感情を昂ぶらせてきた様子のヤマメは、下がりだしている目尻の法悦具合とは裏腹な、強気な輝きを瞳に宿していた。
「あぁ、気持ちいいっ、気持ちいいよパルスィ」
つま先の隙間を丹念に犯す赤い舌の動きは、童顔に潜めている女の表情が作り出すあでっぽさと混ざって、酷くいやらしい。痴情に染まった顔つきでこぼす、幼さを感じさせる喘ぎが、淫らさが、覗くことの叶わない感情の高まりを、頬に浮かび上がらせていた。
嬌声を上げまいと口元を手で覆い、かぶりを振ってみせる緑眼のなかに湛えられる涙が、愛撫を越えた責めにこぼれていく。
足への口淫をやめ、荒い息と川を走らせるよだれもそのままに、上体を起こしたヤマメは、恍惚な視線を股ぐらの下で乱れている体に落とした。唾液を拭いながら浮かべる微笑は凄艶に尽き、息をつく声は雌のそれだ。
敷布に身を預けたままのパルスィを、彼女は、腕を掴んで引き起こさせる。歌膝にした状態で密着するのはお互いの陰核だ。抱き寄せている脚はそのまま肩にかけ、快感の芽を咲かせるための摩擦が開始された。
湿った敷布が摩擦する音と、濡れた肌同士が立てる音が、ふたりの雌から嬌声を誘う。
「ひぃあぁ、イッたばかり、なのに、また、きちゃう」
声にするのもつらそうな喘ぎとは対照的に、腰を振りながら吐き出されるヤマメの感情は、帯びている熱っぽさが徐々に高まっていく様子だった。
短く呼気を乱すだけだった唇が、唾を飲み込む仕草を見せたあと、荒く喘いだ。
「イク、イクよパルスィ、お腹の奥から凄いのがくるよ」
絶頂の叫びを上げたのは、ほぼ同時だった。一瞬強く寄った眉根は、下半身から突き抜けたであろう絶頂に弛緩して、恍惚だけが残った。少し遅れて達した様子のパルスィは、二度目というのもあるのだろう、薄くとろけさせた瞼からは汗か涙かもわからない雫がこぼれ、だらしなく開口させている端からも唾液を走らせていた。
反り返り気味の体を支える力が尽きたのか、担いでいた脚を落としてふらりと倒れ込む上体は、胸を上下させる肌の海に沈んだ。
しとどに濡らした髪を肌に張りつけ、身を重ね合うふたつの陰は情欲的な光景だ。息が落ち着きだしてから後戯を求めたのはヤマメで、汗だくの肌に口づけの痕を残しはじめた。
瞳の潤いに火照りの余韻が感じられる彼女とは裏腹に、部屋の隅へと流れる緑眼は、どこか冷めていた。
曲げられた左手の薬指を親指が押さえ、力が込められる。首筋を吸引される音に紛れて鳴った破裂音が、闇に溶けた。
2
紙に走らせている筆を止めさせたのは雨だった。
天気なんてものが存在しない地底で硝子窓を取りつけているところは、特権地位の流通を持っている地霊殿くらいだ。
政策の根を伸ばす一環か、ただの関わりたがりなのか、守矢の二柱が旧地獄街道周辺に施した〝天の雫システム〟と銘打たれた仕掛けは、一部を除いた地底の住人たちに好評だった。
橋姫のあだ名に反して住居を河原の端に持つ彼女は少数派のひとりだ。溜息をつきながら立ち上がり、突き出し戸を閉めた。月に二度ほど降る雨は少量で、旧都のなかを走る川が氾濫することはない。買い換えたばかりの座布団に戻って再び綴りだす内容は、ただの愚痴か、嫉みだ。嫉妬そのものの体を歩かせていれば、それは、およそ開く必要もないのだろう。書かれる比率を前者が占めていているのと、後者を書く頭につけられる〝ついで〟を見れば想像に難くない。
再び日記をつけはじめたのは、壊して、長らくそのままだった関係を再開してからだ。次はどれだけ続くやらと締めた頁に日付はない。ため息をかき消すように戸が叩かれて、名前を呼ばれる。ヤマメだ。 驚いていた表情は、途端に寂しげなものへと変わっていく。二回目のノックが響くと同時に、戸口へ向かった。
「どうしたの、急に」
差している和傘の下から笑みを向ける彼女は、
「出かけない」
旧都のほうへ指を指して、お祭りと続けた。硬い地盤で覆われた地底に絶えない仄明かりはいつもよりも増えていて、霞む景色の向こうで朧気に揺れていた。
行こうよと歯を覗かせる彼女に付き合うのも、いつものことなのだろう、灰色の羽織は壁にかけても部屋着を雑に脱ぎ捨てるのは、待たせまいと意識してか、着替える動きはどこか落ち着かない。襟巻きに飲まれていた後ろ髪を払い、戸を開けた。平側に立っていた彼女から寄り添う形で傘のなかに包まれて、飛沫が跳ねる冷たい河原を歩いた。ふたりの会話はヤマメの言葉にパルスィが相槌を打つだけで、拾うことはほどんどなかった。土手から見上げる往来の眺めは、色とりどりの和傘で満たされている。
はじめに足を向けた屋台は、どぶろくを徳利で売っているところだ。次に串ものを買って、そっちはパルスィが提げた。立ち飲み屋の多い通りを抜けて広場に出れば、人型とそうでないいびつな妖怪が列を成して、垣を作っていた。その中心で神楽を舞う妖怪は人気の舞方だ。屋根のないやぐらの上で舞う動きは激しく、優雅で、雨に打たれることなど気にかけていないのだろう、水気を吸って色の深くなった袖が、重たそうに揺れていた。
広場の隅に置かれた長椅子は埋まっていて、ふたりは軒のある店の壁にもたれかけた。せせりを食べてから流し込むどぶろくは直飲みだ。ヤマメのあとに飲む仕草は少し躊躇いがちで、それを横目で眺めていたからだろうか、次に徳利に口をつけた彼女は、いたずらな感情が乗った口調で、パルスィの味がすると口角を持ち上げた。
あどけない口調に頬を赤らめる姿が、余程面白いのだろう。口移しで飲ませ合おっかと耳元で囁いた。
「やめてよ、そういうの」
「みんなあっちに夢中だよ、傘で隠せば、見えやしないって」
してよと寄せられた顔に、徳利を押しつけた。
「演舞のほう見てよ」
肩を竦めたヤマメは、やぐらを見上げた。長い時間雨を吸い続けた袖はもう、しなやかさが失われていた。着苦しそうと呟いたあとに、脱がないかなと継がれて、不機嫌に瞼が下げられた。
流れてきた視線に気づいているのか、そのほうが盛り上がりそうじゃないと同意を投げかけた。
「人気者の裸なんてここにいる連中からしたら生唾ものさ、きっとおっ勃ててシコりはじめるよ。それで気分良くした姫がさ、観客のなかから選んだ奴とあそこでヤりはじめるの。そうしたら周りも釣られて、仲のいい同士や良さげな相手捕まえてさ、乱交するの」
そのうちにやぐらに乗り込む輩が増えて、数人相手に姫は舞うんだよ、野郎どもの上でさ。
いたずらな感情を宿したような瞳が、ついと横に滑らせられた。傾けられた頭がこつりとあたって、嫌がるように距離が置かれるも、濡れるほうが嫌なのか、傘の外には出て行かなかった。
「でもそんな狂った空間のなかでも宝石の輝きは誰だって気づくし、きっと羨ましがるだろうね。私たちが汗まみれの肌を絡ませ合ってるのなんて見たら、連中の股間から出るどぶろくの矛先がこっちに向けられるに違いない、くっはは」
眉根を酷く寄せて、そういう汚い表現使うの好きじゃないと、パルスィは言う。向けられた不快感を意に介さないで、彼女は、でも私は独占欲が強いんだと笑った。
「欲しがりなだけなくせに」
それはお互い様と返しながら腰に腕をまわしてくるヤマメは、どぶろくを口に含んで、唇を奪った。肩を跳ねさせても、見える反応はそれだけだった。
抵抗はない。突き飛ばすことも顔を逸らすこともせず、流し込まれることをただ受け入れて、口内に収まりきらなかったのか、反射的に唇を閉じたからか、口角から濁る川を走らせている。
飲み下すのを確認されてから解放されると、羞恥と怒りが入り交じっているとわかる目をヤマメに向け、瞳に涙を溜めていた。
そこそこに長いふたりの間柄だ、慣れているのだろう。涙混じりの睨みを、上目をうように彼女は眺めた。酒を顎に伝わせる様を素敵と微笑みかけた顔つきは、見ている者がいればあでっぽいと感じるかもしれない。
次の舞に移ったところで傘が差された。からになった徳利や串ごみは回収屋に渡して、河原に降りた。川の流れは少しだけ勢いが増していた。
紺色の傘のなかに会話はない。遠いね、もっと近くに住めばいいのにと、独りごとがぽつぽつと出るだけだった。掘っ建て小屋に着いて、ようやく喋った言葉がじゃあねで、楽しかったもありがとうもない別れ方だ。それが気に入らないのか、あるいは元々そのつもりだったのだろう、閉まりゆく戸に足を挟んで、ヤマメは体をねじ込ませた。
「ちょっと、やめて」
「このまま帰すなんて、あんまりじゃない」
なにかを発しようと開きかけていた唇は、重ねられた柔らかさに塞がれた。抱き寄せようとする力と、拒もうとする力に揺れるふたりの体は、不器用な社交ダンスよりも硬い動きだ。
戸も閉めぬまま、濡れた靴底の跡が部屋を汚していく。敷きっぱなしにされていた布団の前まで押し進められた体を捻るパルスィは、長い口づけから逃れて、嫌と拒んだ。
襟巻きから露出させた肌に唇が落ちて、上擦っていた声が、悲鳴にも似た小さな喘ぎへと変わる。尖る耳が下がり、眉が八の字に歪んだ。襟巻きを解いた左手が下へ流れて、スカートの裏に隠れる肉厚を掴んだ。抵抗するだけの力がなくなったのか、体は、床に崩れていく。
自身の靴を脱ぎ、パルスィの靴も脱がしていくヤマメの手が、放り出されるだけとなった腕を操って、肩から外した羽織を脱がしていく。いつかの夜と同じように肌着を鎖骨辺りまでめくり上げられていく様は、もはや諦観していた。
ワンピースと上着を脱ぎ捨てた体は、白い肌着が透けるほどにじっとりと汗をかいていた。肌に密着する布地は乳房の形も、頂点のしこり具合までも浮かばせて、胸元の中心に走るわずかな横皺が、半端にわかってしまう体の線を強調していた。「あは」と注がれる笑みと声は、情欲を駆り立ててくる熱っぽさがある。それは日記に綴られた言葉を借りなくても、彼女の魅力を知る者の多くが感じて口にする印象だ。
被さってくる体を受け止め、求められることに応えるよう腕をまわすこの状況は、彼女自身が嫌い、書き綴っていた、流されているということになるのだろう。現に、愛撫を受けている表情は法悦や恍惚にはほど遠く、瞳には悔しさに似た感情が宿っている。
舌を覗かせている唇が、硬く張る乳首を襲った。刺激に体を打ち震わせ、歪んでいく強気だった目は、時間が経つにつれて弱くなっていった。
窄む唇の隙間から、唾液で濡れる乳房をしゃぶりつく品のなさが漏れる。乳倫をいびつに伸ばすほど吸い込む音と、限界まで口に含まれた肌が解放されて響く濁った破裂音が、短く、長く、連続して鳴った。それと同時に、あるいは少し遅れて喘ぎ声が続き、下半身へと流れていく右手が触れた下着越しの恥部からも、いやらしさが加わっていく。
重なって大きくなる情事特有の演奏に参加していないのは、戸口から届いてくる雨音だけだった。愛撫に身をよじるパルスィの目が、外の仄暗さを見つめている。玄関に灯るカンテラの薄明かりの先に、見つめ返してくる瞳はない。
快感に身を竦め、覆いかぶさられる体をしならせても、頻りに外へ目を遣るのは、完全に閉じた空間でなければ進み過ぎた行為を楽しめない堅苦しさが彼女にあるからだとわかる。ヤマメは彼女の柔らかさのなかで溺れることに夢中なのか、外にも、羞恥を感じる素振りにも気づかない。
下着のなかに潜り込ませた右手の蠢きは、薄い布地越しでもわかるほどにその淫猥な動かし方を透けさせていた。粘り気のある音をこもらせている膣は、こぼされた言葉どおりにもう、ぐずぐずだろう。
重ねていた上体を引き起こすと、まさぐっていた右手に付着した愛液のにおいを嗅ぎ、舐めた。法悦を浮かべ、脱ぎ捨てていたワンピースの衣嚢を漁ると、彼女は悪計に綻ばせる子供みたいな顔つきで、竿部分に幾つもの波が立つ張り型を取り出してみせた。
木製で出来ているとわかる芯の部分を覆う表面は、透けている中身にざらつきが認められる、外界由来の材質だ。眼前に持っていったそれで頬を叩き、不安げなパルスィに微笑みかける。
「前に使ったのより柔らかいから、安心して」
これで感じさせてあげる、そう囁いて、体を横向きにして逃れようとする脚を掴み、開かせて、下着をずり下ろした。
咄嗟に腕をやり止めようとするのは、無意識のことだろうか。パルスィが見せた小さな抵抗は過激過ぎる彼女の趣向を助長させたのか、太腿でとどまっていた下着の白さは、力任せに引きちぎられた。
「強姦してるみたい」
明るい調子のまま最高と舌を舐めずったヤマメは、閉じようとする脚のあいだに体をねじ込ませた。嫌と身じくる抵抗は膣口に当てがわれた張り型によって止まり、ゆっくりと沈められていく血の通わぬ異物感が、しかし喘ぎ声を誘った。
「んん、ああっ」
半分ほど埋没させたところで張り型を握る手が引かれて、粘着質な音を立てながら、竿に彫られたおうとつのあいだで幾つもの糸が伸びた。挿入されたことで抗う力がなくなったのか、亀頭の部分で膣口を掻きまわす行為に示す反応は、弱い震えだけだ。
下着に爪を立て、陰裂が走る箇所を破き、張り型の根元とそことを、指先から出した糸で繋げた。引き抜いた張り型を上下に擦り、汗と愛液で濡れる茂みを軽く打つと、膣口に添えた切っ先をぐっと沈める。なんの抵抗もなく飲み込まれるほどに、膣はむっとするような熱とぬめりであふれていた。男であれば掴みたいと感じるであろう蜂腰が、艶めかしく動きはじめた。
太さを咥え込む隙間から小さな泡が立つ。深々と打ちつけた腰を引く際に、おうとつの返しが愛液をかき出していく。
膣口の拡張され具合から、張り型を飲み込む膣に隙間はないだろう。膣内を犯されている彼女の表情が、心情を物語っていた。
疑似的に生やしたモノを埋めていく腰使いは、深く結合するものでなく、胎内をかきまわしながら抉るような動きだった。正常位で太腿を掴んでいた右手が腰元に移り、スカートの留め具を外して、ファスナーを下げて緩んだところから、汗を浮かべた肌が覗けた。へそよりも少し下の部分に置かれた手が、ぐっと腹に沈んだ。
「すっご、パルスィのなかを突いてるのが、わかる」
興奮した様子で速力を増す彼女だが、内外から与えられるふたつの圧力は強すぎるのだろう、痛み以外の感情が見られない喘ぎを、薄い唇は吐き続けている。
力強く腰を打ちつけるたびに飛沫が跳ね、ふたりの恥部周りを濡らしているのが汗なのか愛液なのかは、すでに判断がつかないほど汚れていた。透明だった愛液は白濁に変わり、泡を吐く陰唇は外側にめくり上がっている。
激しくなっていく行為は止まらない。下腹に食い込ませていた手を退け、挿入の衝撃に揺れる上体へと流れていく両腕は、胸を越え、汗の溜まる鎖骨を指先で撫でた。そうして滑らせていく手が華奢な首筋にかかり、天を突いていた無防備な顎の下で、躊躇いも見せず、力が込められた。
「ぐうぅ、えぐぁ」
詰まらせた息が、声が、潰れていく。
頬を染め恍惚と笑うヤマメは、絞めることをやめない。
「苦しいよね、私もこの前されて苦しかったよ、でも、解放された瞬間に凄いのが押し寄せてくるの、パルスィも、味わって、ねぇ、ねぇ!」
食い込んでいく指の周囲に皺が寄る。気道は酷く圧迫されていることだろう、狭められた隙間から漏れてきた声がちぎれていった。
汗ばむ肌に広がっていた淡い朱色は、別物の赤に染まりはじめ、その深さを濃くしていった。噛み締める歯を覗かせては大きく開かせることを繰り返す口の動きは、空気を欲してか苦痛からなのかはわからないし、あるいは両方だろう、よだれは頬の両側に伝い、溜め込んだ涙が同様に流れても、握力が緩むことはなかった。白目を剥きかけている彼女に注ぐ眼差しは普段より情熱的というだけで、狂気の類は孕んでいない。狂った光景に映る原因があるとすれば、絞め続ける両腕に立てられた爪が肉を抉り、血を滲ませていても、痛みの声も上げずに腰を打ちつける様だろう。瞳が充血しだした頃には、呻きすらない掠れた呼気だけが微かに漏れるばかりとなっていた。
顔色だけを見れば死にかけているのに、揺れる乳房の頂点は、快感を求めるみたいに硬く尖っている。声や表情から読み取れない限界を表すように、陰核も露出していた。甘ったるさを含んでいる声が響く。
「気持ちいい? 気持ちいいよね、苦しいのに感じちゃうんだよね、イっていいよ、イかせてあげる」
矢継ぎ早に語り終えて、両手に力が込められた。ひときわ大きな呻きを吐き出した喉は、完全に塞がったのだろう、呼吸やそれに乗る声は聞こえてこない。伸びてきた舌が唇からはみ出したときだ、絞めつけていた力が解かれた。
解放された喉が空気を吸い込んだ直後に、パルスィの背は弓なりにしなった。
「はあっ、はひぁ、ふひぇえああ、ひはっ、えぅ」
喉が生理的動作とは別の震えを起こしていた。ぎこちない呼吸はやがて咳に変わり、赤から紫へと深くなりだしていた目元は、少しずつ落ち着きを取り戻しはじめていた。
腰を引きながら気持ちよかったと聞くヤマメは、気持ちいいよねとひとり結論をつけて、恍惚な笑みで張り型の先を撫でている。
とろけた瞳とは対照的な暗い緑眼は、朧気な様子で揺れ、視線を天井に泳がせている。絶頂に達したと判断できる材料は体の震えくらいで、なおも表面に浮かんでくるのは混濁の歪みだけだ。恥部に接着していた張り型を外して鼻先へと運ぶ彼女は、膣と愛液まみれのそれを深く嗅いでから、飲酒後みたいに顔を惚けさせた。
口角に添わせた竿の太さへ舌が伸び、ぬめる表面を撫でて、妖艶に目を細める。
「パルスィのおまんこ汁おいしい」
くすりと歪ませた口元から張り型を離すと、新たに分泌させた糸をまた根元につけて、いまだ朦朧としているパルスィに声もかけないまま、体液に濡れた茂みをかき分けた先の肌へと固定した。
一瞬びくりと反応を見せる彼女だが、下着をずらしながら跨る位置に移動するヤマメの姿は、視界に入っていないのだろう、絞殺の一歩手前までいった状態からの回復には至っていない様子だった。
膝立ちになっている体が、ゆっくりと沈みはじめる。
「ん、深い……」
根元まで咥え込んだ陰唇は張り型の太さに大口を開けて裂け、恥毛のない幼い見た目が淫らさを強調するようだった。
馬乗りになって見事な蜂腰を前後させ、粘着音のあとに続いた甘い吐息は、段々と熱を帯びて、昂ぶりを見せはじめる。雨も、それを飲み込んで勢いを増す川の流れも、乱れる際に奏でられるいやらしさはかき消せない。騎乗する体が激しく動くたびにあがる嬌声に、開け放たれた戸口のことを気にかける気配は相変わらず見られない。
酸素がまだ足りていないのか絶頂の余韻か、疲れ果てたように閉じかけている瞳を見下ろす視線は、ひとり愉悦に浸っている。姿勢を前のめりにして、両手が胸元にくると、息をするだけだった人形のていが一瞬苦しそうな呻きを上げた。「あは」と喜色に細められた目は、加虐心に駆り立てられた者と同じ輝きだ。円を描いていた慣れた腰使いは再び前後運動に変わり、速力を増していった。
「ああ、パルスィのいやらしい汁でいっぱいのこれ、温かい、パルスィのちんちん気持ちいいっ」
放り出されている手を拾い上げ、指を絡めて強く握った。反応の返されないまま続ける行為は自慰に近いものだとしても、快感に狂い続ける彼女の動きは止まらない。
接着された張り型のふちに露出した陰核が擦れはじめだし、力なく伸びているだけだった脚がわずかに震えて内側へと寄った。己の下で小さな呻きを漏らす彼女の表情はすでに目に入らないのだろう、なんども名を呼ぶ声はやがて叫びへと変わっていった。
興奮が最高潮に上り詰めたらしい。腕を交差させて肌着の裾を掴み、汗まみれの着衣が脱ぎ捨てられる。
露わになった乳房の頂は、痛そうなほどに張っていた。前のめりの姿勢が起こされる。床に寝かせるだけだった膝を起こし、脚を思い切り広げたヤマメは、張り型の亀頭部分が露出するくらいまで腰を上げると、再び深く沈めた。前後に動いていたときとは違った音が結合部から響き、あでっぽい嬌声を吐くと同時に動いた手が、寂しさを主張する自身の胸へと流れていく。
頂を撫で、転がし、潰しては揉みしだいて喘ぐ姿を、緑眼は静かに見つめている。気持ちいいを連呼するヤマメは次第に呂律も回らなくなっていき、顎によだれを伝わせた。
快感の激しさに燃えていた瞳が、切なさを浮かべだし、
「あ、あぁ、イク、イクイク熱いの来る、うああっ」
深々と飲み込んだ終わりに達したのだろう、広げていた脚を閉じて跨った体が、竦みながら小刻みに震えを起こしていた。
上体を支える力が失われつつあるのか、徐々に傾いていく体は、果たしてパルスィの肌に脱力して、背中を上下に揺らした。崩れてきたヤマメの背に、そっと腕がまわされる。
幸せそうな横顔を頬に擦りつけながら、甘えた声色で名を呼んでくる存在に、落ち着きを取り戻した様子の唇は、なにも答えない。
戸口から流れ込んでくる雨と、少し荒くなった川の音に紛れさすように、静かに、薬指が鳴らされた。
*
汗を吸った敷布から冷たさが抜けた頃には、雨はやんでいた。開けっ放しでいる突き出し戸の横に明かりはなかった。寝ぼけ気味に瞼を下げたまま、燭台の傍らから燐寸を取る。
新しく挿した蝋燭を灯らせてから背後に送る流し目の先で、静かに肩が揺れていた。
机の下に重ねていた日記を取った。筆を執り、彼女はまた感情を書き殴った。ひとりになりたい、なれない、時間が、ない。
関わりたがりとぼかされた存在との一日を綴る端々で、彼女の本質が挟まれる。速くなる手の動きは荒むように墨の流れを乱して、白紙を汚していった。
頁を二枚ほど潰して気が済んだのか、毛先の広がった筆を机上に転がした。元々覚醒しかけていたのだろう、眠たげにおはようと投げかけながら起きて、瞼を擦る彼女に振り返った顔には、先ほどまで日記に落としていた気色はない。笑みを返しながら、そっと日記を閉じた。
「また秘密の日記?」
聞いてみただけなのか、興味がないのか、それ以上踏み込んでは来なかった。跳ねた外髪を払い指に絡ませて遊ぶヤマメは、脱ぎ捨てたままの肌着を取り、顔をしかめさせ、隣に落ちていた上着を拾う。 腕を通してから一度梳いた後ろ髪は団子にせず、持ち上げて結った。ワンピースを着付けだした姿に肌着と下着だけの格好が気になった様子で、パルスィは瞳を伏せた。
首に腕をまわし、背中に抱きついてきたヤマメが、髪のなかに鼻先をうずめる。
「やめてよ、汗臭いのに」
「なんで、いいにおいなのに、パルスィの汗」
くっつけていた体を少しだけ離して、鎖骨を撫でた指先が喉に滑ると、肩がわずかに竦んだ。赤い痕を確かめるように触り、耳元で「ねえ」と囁く。
「痛かった?」
「うん」
「苦しかった?」
「うん」
「気持ち、よかった?」
間をあけてから、うんと頷いた。背後からは覗けられない表情に仄暗さが宿って、居心地が悪そうに身を揺らした。まわされていた腕に伸びた左手を、彼女の手が掴む。
肌触りを楽しむみたいに動かされていた指先が、薬指を持ち上げた。
「前に渡したアレ、つけてくれてる?」
指先の束縛を解き、一緒にいるときは必要ないでしょと話す口調は、情事のあとにしては冷めたものだった。つけていたほうが変な虫が寄りつかないと漏らされた言葉に、瞳を横に流しながら、指を鳴らした。気持ちいいからするという輩だらけのなかで身につける装飾品の一部は、絶対的な所有物の証だった。
「パルスィを狙ってる奴、結構多いんだからね」
離れ際に頬に口づけて、ヤマメは「またね」と言って出ていった。
「顔と体だけでしょうに」
戸口に当てられていた不機嫌そうな目つきが、机の下に置かれた箱に移って、あとを追った手が、蓋を開けた。彼女から送られた指輪だ。瞳と同じ色の宝石が眩しいそれは、癖で鳴らし続けていた薬指用だった。
すっと通してみる動きは、少し太くなってしまった関節で止まった。右手側はすんなりと通ったが、すぐに外してしまってから、腕を大きく振り被る。
放り投げた先の花瓶が倒れ、落ちた。
「こんなので満たされるくらいなら、誰も妖怪なんてやってないわ」
床に散らばる盛大な音も怒気混じりの呟きも、聞く者はいない。天井を仰ぐ脇で、花瓶があった棚に残された水溜まりが、静かに、ふちから滴り続けた。
3
日記の空白が埋まらない日々は続いて、二ヶ月を過ぎようとしていた。旧都に出向いたときや橋の上で嫉みを向けているときに、なんどか駆けていくヤマメの姿があった。パルスィに気づかず軒並みの陰に消えていく横顔は、時折に、ふたりきりのときには見せない硬さが出ていた。
彼女との関わりが深い者ほどそういった部分は目にしていないはずで、余裕のない様子に声をかける輩は、大抵が談笑止まりの奴だ。
遠目から、またはすれ違い様に気づかれなかった際にも、パルスィの目は後ろ姿を見送って、視界から消えかけた頃合いに、ぽそりと口をついていた。
物陰から視線を刺し続けることに満足できなくなってか、運悪く彼女の本質に捕まった輩は少ないが、日毎情事を重ねていたふたりの関係は傍目から見ている者がいれば、冷めはじめていると感じるかもしれない。
寄りを戻す前に近い生活が繰り返されていた毎日は、居酒屋帰りに河原のそばで座り込んで、水切りをやりはじめた日に終わった。
投げかけた腕が止められて、振り向いた先にあるヤマメの顔に、彼女は驚いていた。
「どうしたの」
訝しげな眼差しを向ける瞳は昼間に一度、旧都でその姿を見かけていた。妙に張り詰めていた顔は、持ち前の溌剌さを失って、目に力がなかった。
ふっと浮かべられた微笑みはどこか切なげで、ゆっくりと屈み込む彼女は背中から腕をまわし、尖った耳元に「シよ」と囁きかけた。
「やめてよ、気分じゃ、ないの」
「私も今日は引く気分になれないの、欲しい」
ちょうだいと言った唇が口角に触れて、肩が跳ね、次に体が抵抗を見せた。口づけを求めて迫る体を押し退けようとする手は掴まれ、一度たりとも拒めた試しがないパルスィは、やはり唇を奪われて、抱きつかれた勢いのままに、小石のおうとつが広がる河原の絨毯に背中を打った。したたかな衝撃だったのだろう、重なった口の隙間から呻きが漏れたが、頭はヤマメの手が包み込んでいて、酒で赤らんだ顔が苦痛に染まることはなかった。
嫌がる体が水のほうへ逃げ、とどめようとする手が衣服をはだけさせていく。羽織りを掴んだままの手から一瞬の自由を得た上体が、川に浸かった。
すぐに起き上がって後退りするパルスィを、伸びてきた腕が、覆い被さる体が、拒絶を許さなかった。
再び重ねられた唇の隙間に舌が覗け、ひとつしかなかった動きは、やがて現れたもうひとつの舌と絡み合いはじめた。諦めたのか、流されただけなのか、口づけを深めていくうちに嫌がっていたはずの目尻は下がりだして、拘束から解放された彼女は、促されるまま、流れを裂くように飛び出している岩へ両手をついた。
川は、膝より少し上が浸かるくらいだ。突き出されている臀部を、川底に膝をつけた状態で、茶褐色の瞳が濡れて皺の寄る曲線を見上げている。
薄い唇が太腿の内側を食んだ。
短い悲鳴は、水が奏でる速さに溶けた。鷲掴みにした指先が食い込む肌に、舌が触れて、恥部を包み込む白さへと目指していく。当てられた尖る先端が前後に動き、張りついて浮かび上がっていた形に線を走らせた。
身を竦め、小さく震えを起こす彼女は感じているのだろう、薄い生地の奥で蠢きはじめた陰唇が、押し上げられた部分を咥え込んでいた。
食い込みを執拗に責められるパルスィは、羞恥にまみれた顔を振り向けて、重くなったスカートを盛り上げている存在に待ってと投げたが、恥部を粘着かせてくる愛撫は止まらない。繰り返し声を震わせながら、いびつに膨らんだスカートに手を被せた。
「さっき、飲んだから、漏れちゃう」
舌の動きが止まったのは一瞬だけだった。布地を被っている頭は離れず、生まれて間もない子供が母乳を求めるみたいに、下着越しの唇を柔らかく食んだ。
「出していいよ、全部飲むから」
発熱を起こしたみたいに、尖った耳の先にまで、かあっと赤が広がった。
「嫌よそんなの、汚い」
「汚れてもいいじゃない、恥ずかしいとか嫌な感情なんて、川が濯いでくれる」
言い終わりに止まっていた愛撫が再開されて、緑色の瞳はさらに潤み、宿らせた羞恥を深くした。いや、ダメと小刻みに震えさせている肩の先で、彼女は眉根を硬く寄せ、目を瞑る。
水の流れに触れていない太腿の奥で、抑えることができなくなったのだろう、下着から染み出てきた尿が肌に枝を走らせた。決壊させまいとしているのが、伝ってくる勢いから見て取れるそれを、ヤマメの舌が、唇が、まるで樹液でも味わうみたいに拾っていく。スカートのなかから聞こえてくるのは、尿を啜る音と、それを飲み込んだあとに続く、微かな息継ぎだけだった。
眉の緊張が解けて薄く開いた目は横に滑り、わずかに弛緩する様子が、排尿の終わりを告げていた。流れずにとどまっていた薄黄色の水滴を余さず味わったヤマメは、肌の透けた下着を横にずらし、肉の裂け目に隠れた菊穴周りの厚みを、親指で外側へ逃がした。
露わになり皺の筋が伸びるそこを二三度嗅いでから、彼女はそっと舌先を触れさせた。
うつむいて引かせていた顎を突き上げて、「ひっ」と肩を竦ませた。
拒絶の言葉を吐きたかったのだろう、振り向いて臀部の膨らみに視線をぶつけるも、先に漏れた嬌声のあとに続く声はなかった。言いかけるように開いた口が、硬く結ばれたから。
尖らせた舌が舐め回し、押し広げるようにほじくるたびに、窄んでいるそこは震えを起こして、収縮した。
耐えられなくなったのか、動きの緩急に擽ったさを覚えたのか、岩に預けていた手がスカートの膨らみへ被せられ、団子にされず少し下のほうで結われていた髪が揺れた。隠されていた襟足の痕など知る由もないだろう。菊のなかへ進入してきた舌の刺激にひときわ大きな声をあげ、震えながら、涙をこぼした。
*
焚き火に当てていた服が乾いたのは、居酒屋に屯っていたほどんどの妖怪たちが朝を迎えた、旧都を淡く照らす鬼火や提灯の灯りが失せてからだった。
黒い布を肩にかけたまま下着一枚で過ごした目は、時折に火花を弾けさせながら揺れる火へ注ぎ続けられている。感情の灯らない目の下は少しだけ腫れていた。
つと立ち上がり着替えだした彼女は、掘っ建て小屋の脇に立てかけていた斧を持ち、戸口の前に立つと、腕を大きく振り上げて、思い切り打ち下ろした。
殴りつけるみたいに数回切り刻んだ戸を蹴り破り、怒りを宿らせた目つきで部屋に入る様は、まるで仇討ちに燃える者の形相だった。振りかざした斧が床を穿ち、書机を折り、壁に食い込み、深々と裂けた跡が、増えていく。体を横に捻らせて、解放する勢いのままに衣装箪笥を薙払った。
横から、縦から、斜めから、鉄の重さを振りまわす腕は止まらない、なんども、なんども、壊れるまで、続けられた。
中身ごと粉砕した衣装箪笥の次は、書机の下から転がってきていた木箱だ。散乱する日記や贈られた指輪のことなど目に入らないのだろう、打ち下ろす刃が瞳と同色の宝石を砕いても、彼女の暴走は止まらなかった。
暴れ狂っていた体はやがて疲れ果てたのか、肩で息をする頃には斧を床へ放り投げていた。室内に走る無数の傷跡は、熊が残した爪跡と言っていいほどに酷かった。乱れ髪の顔が戸口を振り返る。河原のほとりにはまだ、燃え尽きずに背を縮めた火種がゆらゆらと身をくねらせて、油を吸った焚き木の炭を弾けさせていた。
足下で皺くちゃになっていたぼろきれを拾い上げ、焚き火のそばへと歩いていく。新しい薪にぼろきれを巻きつけて、火を移したそれを、戸口の向こう側めがけて放り投げた。
最初に引火したのは日記の切れ端だった。紙から布へと渡った火が炎に変わるのに時間はかからなかった。勢いを増す炎は瞬く間に床一面に広がって、あふれだした揺らめく赤と橙混じりの灯りは、黒煙の息吹を吐きながら掘っ建て小屋を包み込んだ。
燃えさかる激しさに照らされる河原は、離れている旧都からでも認められるだろう。火花を散らしながら徐々に炭へと変わりゆく掘っ建て小屋は、間近で見上げる彼女の顔や服に煤を飛ばした。
炎の一部となった住まいを睨んでいるだけの行為は、赤い煌めきが少しずつしぼみ、炭の塊になるまで続けられた。
唸り声みたいに響く地底の風が、焼け崩れずに形を残していた真っ黒な戸口の枠組みを倒した。再び仄暗さに包まれる河原は静かだった。嫌われ者同士が身を寄せる土地柄だから不干渉は当たり前で、数度目となるこの火事をいちいち気に留める輩などいやしないだろう。膝を抱えたまま、焼け跡をぼうっと眺めているところに、人影が、駆けてくる。
ヤマメだった。走っていたにもかかわらず、彼女はさして慌ててもいない様子で、普段と変わりない明るい声を惚けている横顔に投げかけた。動かないままだったパルスィが、やおら振り向いた。
「なに、火祭りなら、もう終わったわよ」
「風に当たろうと外出たら、焦げ臭いんだもの」
驚いちゃったと笑う姿から視線を外した顔を、体を曲げて覗き込むようにする彼女は、怒ってる、と聞いた。
「ただの発作よ」
納得したのか気にしてもいなかったのか、どちらともつかない口調でそっかと屈めていた体を戻し、後ろ手をやめて伸びをした。
「ねえ」と声を投げかけるヤマメが、手を差し出した。
「なに」
「祭り行こうよ」
二百回目の地獄祭だと告げられたパルスィは、少し間をあけてから、自身の装いに目を落とした。
「でも、服汚れちゃったし」
「仕立屋に行こうよ、パルスィなら、なに着ても似合うよ」
膝にあった手を引かれるまま起こされた体は、抱き寄せようとした腕から逃れ、背を向けた。
「昨日みたいな乱暴はしないよ」
向き直らない後ろ姿に待ってるのひとことをかけて、河原の玉砂利を鳴らす軽い足取りが、遠退いていく。足音が聞こえなくなって振り返った頃には、彼女は望む旧都にかかる薄闇の背景に溶けてしまっていた。
息をつき、帯を解いた彼女は、脱いだ上着を水に浸けた。汚れた部分が目立たなくなるまで、手揉みで洗い続けた。
水気も切らないまま地底の空を飛んで、赴いたのは灼熱地獄跡の隣地だ。〝人肌〟にとっては熱すぎる温泉が点在しているここの上空は、暖かかった。地霊殿の奥から吹き出てくる熱風が時折に流れてくれば、暖かいは、一瞬にして暑いに変わる。襟元を掴んでいる上着をただ広げているだけで、乾くのにそう時間はかからなかった。
眠りに就いたはずの旧都の軒並みは灯りを取り戻し、太鼓の音が祭りのはじまりを告げていた。誘った本人はもうどこかの屋台に顔を出しているだろう、羽織った上着の帯を裏返してから締め直し、襟巻きも、同様に裏返した。靴下は身丈を縮めた。
旧都に降り立って向かったのは蛍火だ。奥の席を覗いてみればヤマメの姿があった。気がついた様子で目の合った彼女が歩いてきて、腰に手をまわしてくる。
「外で飲もう」
促されて横を歩く顔に先ほどまでの暗さはなかった。酒を徳利ごと買い、街道の流れのなかを進みながら他愛もない会話は弾んで、飲み歩くうちに頬は染まった。
深まりだす祭りの音頭を抜けたふたりのように、路地裏の一角や軒同士の隙間は抜け出した者で埋まって、吐き出した艶や肌が濡れる熱を喧噪のなかに紛れさせている。拒む仕草を見せる唇は果たして奪われてしまい、祭囃子の陰で鳴る音色に加わった。舌を絡め合う頬は互いに染まっていたが、視線を横に滑らせている緑眼の奥は、どこか冷めていた。
目を閉じているヤマメは気づかない。口内で求め合う動きが激しさを増した頃だった。舌を引っ込めたパルスィが、体のあいだに割った腕で彼女を押し退けた。
「パルスィ?」
首を傾げながら向けられる眼差しは、余韻を帯びたままで、一抹の不安すら見られなかった。引き寄せようとしたのだろう、肩を掴んでいた手に力が込められた瞬間だ、上り詰めてきた手の甲がそっと腕を押し退けた。
「もう、終わりにしましょう」
そういう周期だと、冷める時間が来てしまったのだと、静かに、告げた。伏せたままの目をしばらく見つめ続けていた瞳は、息をつきながら閉じて、再び開くときには普段の愛らしさを宿し、微笑みを浮かべた。
わかったと頭を撫でて、名残惜しそうに一度振り向いてから、華奢な後ろ姿は道を交差する流れに消えていった。通りすがり様に境界を覗き見る好色たちの目の多さと、認められた直後に顔をしかめてくる空き待ちの存在があってか、佇んでいる時間は長くなかった。そっちの空気であふれている道に出たくなかったのか、ヤマメと同じように、祭りに浮かれながら行き交う波のなかへ溶けた。
河原のほうへと進んでいた足は筆屋の前で止まり、向きを変えて、暖簾をくぐった。暇そうに煙管をふかしている店主に、ただで手にできる安物の一式を包んでもらう。店から出た。
頬を打った雫に仰がせた先から雨が降りはじめ、周りは一様に傘を広げた。灼熱地獄の生ぬるい風が届かない場所に溜まった露は、集められた貯蔵タンクのなかで冷やされていて、洞窟らしくない乾いた空気がとどまるばかりの地底の底を濡らしていく。書き物を包んでいる布が濡れぬように抱え、足早に歩いていたパルスィは、つと歩みを止めた。視線の先にあった一団のなかで、鬼の傍らに添うヤマメが、笑っている。
届いてくる声から梯子酒に付き合わされているのだとわかる彼女の笑みは、深い間柄には見せない、愛想笑いを浮かべていた。
切なげだった目は一拍の間を置いてからきつくなり、ぼそりと口をついた。睨みつける視界にヤマメの手元は映らないだろう。右手の薬指にはめられた指輪も、ふたりの関係も、彼女は気づけない。
暖簾の向こう側に飲み込まれるのを見送って、再び歩きだす足は遅かった。今夜は、橋の下で過ごすのだろう。
これまで幾度となく繰り返してきたように。そしてまた、その次も。
河原に続く緩やかな傾斜の陰に隠れてしまう後ろ姿を見る者はいない。
降りしきる雨の音に紛れた妬み嫉みを拾うのは、雨に濡れて重たくなった風だけだった。
冷たさばかりがただ、旧都の足下を吹き抜けていく。
扇情的で実用的な作品の数々をありがとうございました!