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休校10日目。
メールで部活ノートいただきました。

生徒の言葉の力に勇気をもらいました。




先生、お久しぶりです。こんばんは。

わざわざインターネットを使ってエゴサーチをしている自分が悪いのですが、匿名の立場で誹謗中傷の投稿をしている大人たちが憎くてしょうがないです。

その大人たちの投稿を見ているとなんだか恐ろしくなってきた為、見るのをやめてしまいました。

4月くらいからずっと考えていたのですが、「正しく恐れる」とはどういう事なのでしょうか。さっぱり分かりません。

誹謗中傷している人達は、何をする時も分厚い分厚い不織布のマスクをつけ外出も厳しく制限し、15分に1度手を洗い、消毒をしていたんですかね。?

どのような立場で誹謗中傷の投稿をしているのかは分かりませんが、無責任にそのようなことを書くのは間違っていると思います。

優先順位。判断。

責任は個人にある中で、判断をするのは個人に任されている。

その判断を個人できちんと下している人に、(コロナになったならない関係なしに)誹謗中傷をするのは如何なものかと思います。自己責任なのに何故第三者が、、。?

SNSは本当に、恐ろしいですね。

わたしは小学生の時、「大人になると優しくなる」と思っていました。ですが親に、「大人でも優しくない人はいるよ。」と言われましたが、信じられませんでした。

「大人は大人だから、そんな人はいない。」とあの時の私はそう信じていました。

歳をとるにつれてその親の言葉が身に染みてきてしまっています。

自分はそのような大人にはなりたくない、ですが、「Twitterをやっていないから機会が無くて、なっていないだけなのではないか」と考えると怖くてたまりません。

高校生も大人も、SNSではあまり変わりがありませんし、どの立場の人間かすら分かりません。それほどSNSは恐ろしいものです。私たちの部活でSNSが禁止されていて良かったと初めて思いました。この歳、これだけの人生経験で、使うのはまだ早いのではないかと思います。

水無田気流さんのお話は、日本語がとても難しくて途中、幾つか知らない言葉がありましたが話したい内容は伝わりました。

歪な正義感。とても納得しました。

高橋先生が仰った内容と殆ど同じことで、吹劇を通してこの事を伝えたいと強く思いました。

コロナに感染してしまった人は加害者でも容疑者でもなく「被害者」だということを国民一人一人が理解するだけで何か変わるのではないでしょうか。








私が想定していた中で1番、最悪な事態でした。

でもそんなこと絶対に起こらないと、心のどこかで思っていました。1人でも感染者が出れば、1人だけで終わるはずがない、考えればわかることです。休校の放送を聞いた時は、頭を強く殴られたかのような衝撃でした。また、自粛の時の孤独な毎日を送るのか。教室では、我慢できた涙も、廊下を出てみんなの顔を見ると、溢れてきました。

「あと少しなのに、なんで?」頭の中はこの言葉ばかりで、とても感情的になっていて、考えても仕方ないのに、もう受け入れるしかないのに、自分でもびっくりするくらい泣きました。前回の休校を明けて、部活をやれることが、学校に行けることが、どれだけ幸せか、わかった後でそれを奪われる喪失感は、前回を遥かに上回りますね。

全国大会への出場を勝ち取った時、この逆境を乗り越えたヒーローのように周囲から賞賛され、新型コロナウイルスの陽性者がいたとわかると、手の平を返したように、周囲は「この期に及んで部活をやっているからこうなるんだ」といい、市船を罵ります。

誰が1番初めに感染しただとか、誰にも分からないのに。世の中って本当に不思議です。世の中には沢山の考え方の人がいて、私がその人たちのことを間違っていると思っても、私の方が間違っていることもきっとあります。どれが本音なのか、本当なのか、わからないような人の感情や情報に振り回されるのは、とても怖いです。

今まで私たちを守ってくれていた先生方を、責める大人がいますね。でも私たちは、そんな先生方のおかげで、この社会情勢の中でも、沢山の経験ができました。スプリングコンサートや大阪城でのマーチングやYOSAKOIができたこと。普段の練習も、すごくすごく楽しかったです。様々な大人の方々の協力や配慮のおかげで、私の高校3年生は思い出でいっぱいです。本当に感謝しています。だから、もう責めないでほしいです。誰も何も悪くないし、責められるようなことは何もしていません。私たちが部活動に一生懸命になれたのは、心が腐らずにまた前を向いて打ち込むことができたのは、その活動を許して下さった、チャンスを下さった先生方のおかげです。

沢山のものの見方がある中で、このような見方ができるのは、私が生徒だからであって、何も責任を問われないからなのでしょうか。とても、無責任な見方なのかもしれません。ですが、今の私の気持ちの中に、誰かを責める気持ちや過去を後悔する気持ちは1mmもありません。ただただ、自分の恵まれた環境に感謝しかありません。本当にありがとうございます。

1日でも早くみんなに会える日を楽しみにしています!

高橋先生、友里恵先生、綾先生もお身体には気をつけてください。

諦めません!💪🏻🔥





休校になってすぐ感じたことです。

誹謗中傷 同調圧力

私たちが練習していたあの曲の現実。

自分達に対するそれは、こんなに痛いことなんだ、怖いことなんだ、と思いました。

自分が同じ立場になったら、どう思うんだろう、何でそういうことを考えないで感情的に書き込みが出来るのだろうと不思議で、また恐ろしくてたまりません。

誹謗中傷 同調圧力を聴くと震え上がります。あの曲の重みが一気に増すのを感じます。

そして、"その正しさは気分が良いか 正しさの勝利が気分良いんじゃないのか"というNobody Is Rightの歌詞。誹謗中傷が本当にそれのように思えてなりません。見ていると泣きそうです。

そんな中でも、心配してくれる親族や他校の友達、大人である大人のあたたかい言葉が目に入り、それもまた泣きそうです。

同じ言葉なのに、涙なのに、どうしてこんなに温度が、心持ちが変わるんだろう。

全部あたたかかったらいいのに、と思います。

市船吹部は辛いことも嫌なことも嬉しいことも楽しいことも、全部あたたかさがあるのだなと思います。その存在があるから、こうして離れていても頑張ろうと思えます。再開した先に希望を見出せます。1人じゃ弱っちい自分に負けず顔晴ります!

誹謗中傷 同調圧力もNobody Is Rightのあの歌詞も演奏・歌唱できることが運命のように思えます。何を思ってどんなことを伝えよう。どうしたら伝わるかな。大事にします。






私は、市船の皆を尊敬しています。吹部に限らず、たくさんの部活が、それぞれの目標に向かって頑張っているのが分かるからです。こんなに多くの生徒が一生懸命に部活をしているところってないんじゃないかと思うくらい、誰もがそれぞれの活動に誇りを持って頑張っています。

私は、あんまり運動部の人と話す訳ではないですが。それでも、大会がある度に、一勝したと聞く度に、心から応援して、心から良かったと思えるような、そんな人達ばかりです。それは、その人達が頑張ってきたと知っているから。同じクラスにいるだけで伝わってきます。努力している人だからこその人の良さ、おおらかさがある気がします。女子も男子も。

私は、市船のそんな所が好きです。どの部活も頑張っている人ばかりということを、皆が分かっていて、お互いに応援できるところが。

バスケ部のウィンターカップ出場が決まった時も、クラスでは「おめでとう!」の声が溢れていました。「ありがとう」とはにかんでいたクラスメイトの様子が、今になって頭から離れません。

当たり前は奪われてしまうこともあるのだと知っていたけれど。今の状況は、彼ら、自分たちの手で掴み取った夢を離さなければならない彼らにとってはどれだけ酷いものだろうかと考えてしまいます。

本当に、酷い。市船で陽性者が出たというそれだけで、世間がこちらへ向ける目が、声がこんなにも変わるのかと愕然としました。今この日本にいるのなら、誰だってコロナに罹っていてもおかしくないことくらい、皆分かっているじゃないですか。言っている人だって調べたら陽性かもしれない、のに、表面化したものに対してやれ対策が足りなかったんだ、意識がないからだなどと批判する。今この時期にマスクを外すなんて非常識なことをしているから(自業自得)だという文も目にしました。激しい運動の後でマスクを付けるのが難しいことくらい、私でも分かります。それだって上から守るよう言われた規定に従っていたことなのに。実際に「中」に居ないと分からないことばかりなのに、よく見えもしない外側から自分勝手に言うのはやめて欲しいと心底思いました。

けれど、そう思った時に、果たして私は自分勝手な思い込みで批判をしたことがないと言いきれるか?とも考えました。分かりません。もしかしたら、コロナのことに限らず根拠の無いことを鵜呑みにして、無責任に発言したことが今まであったかもしれません。それぞれの事情や、思いがあることを忘れてはいけないんだと実感しました。それを忘れた時、私たちはコロナ感染者というだけで責める、悪と決めつける人々と同じになるのだということ、心に刻みます。

teamsで送られてくる先生方からの言葉。「生徒の皆さんが悪いところはひとつもない」「感染した人も気落ちしないように」という言葉に、泣きそうになりました。先生方も悪いところなんてないのに。毎日毎日学校が早く再開出来るように動いてくれている先生方に感謝の気持ちでいっぱいです。

高橋先生も、本当にありがとうございます。先生の先見の明のおかげで、私たちは目標を失わずにいられています。休校になってしまった時の、先生の「私は諦めない」「底力を見せろ緑ジャ!」という言葉にどれほど勇気づけられたか分かりません。本当にありがとうございます。

批判する人もいれば、応援してくれる人もいる。今のこの世の中について、寛容について、もっともっと沢山考えていきます。





ニュース見てもテレビみても何見てもコロナコロナコロナコロナコロナコロナコロナコロナコロナコロナコロナコロナコロナコロナコロナコロナ……

そんなにコロナ好きならコロナと結婚しろ!!ってマスコミ様に言ってやりたいくらいです。

僕は学校でコロナ出て家に帰った時、祖母に「ちょっと、あんま部屋から出てこないでくれる」と言われました。言われた時は一生出てこないでやろうかと思いましたけど実際祖母は本当にコロナが怖いらしくて冷静に考えればコロナ出た学校の1人でもしかしたら自分も感染してるかもしれないしと思いました。母に事情話してもらって祖母は理解してくれたのでよかったです。笑

毎日文字通り一日中家にいると体おかしくなりますよね、、

僕は夜寝るのが大変になりました

散歩したり楽器吹いたりしても全然疲れないので寝れるわけありません、明らかに普段の学校生活より運動量が減るわけですから。

「今日こそは9時に寝よう」と思っても布団に入ったら眠れなくて天井とにらめっこ、気づいたら11時すぎ。全然眠れません、そうなるとスマホいじっちゃうんですよ。いつか「ねむい」なんて気持ちなくなりそうですね。

授業中「ねむいな〜」って思えるくらいが体にとっては健康的なのかと思いました。

市船に限らずどこかの学校でコロナが出ると見えないところで匿名の大人が誹謗中傷してるんだろうなって思うと馬鹿みたいですよね。笑

特に市船は部活で感染者でたので「部活は廃止しろ」とか「学校は勉強するところだろ」とか「部活ばっかやってるからだ」とか言われてそうですね。

そういった方に学生時代に、帰宅部で朝早く学校いって自習して放課後どこも寄り道せずに真っ直ぐ塾か家に行って勉強していたのですか、と聴いてみたいですね。

"人の嫌がることを言っちゃいけない"なんて小学生でもわかります。大人がわざわざ匿名で誹謗中傷なんて本当に馬鹿馬鹿しいです。笑




こんにちは

こうして今、休校で学校に行けないと456月を思い出します。新しい学校での生活が楽しみで、早く学校が始まってほしいと願っていました。しかし、休校中は友達と会うこともできず、1日中スマホを触っていました。人と会えないことが、こんなにも寂しくて辛いものだと思っていませんでした。

初めての高校生活が始まり市船での毎日が本当に楽しくてキラキラしていて、今まで当たり前に過ごしていた学校生活はとても幸せなんだと感じました。

休校前の緑ジャは毎日遅くまで仕事をして大変にも関わらず、私たち赤ジャに一切疲れを見せずに笑顔で接してくれました。そんな緑ジャを見ていると、私も頑張ろう!私に出来ることをして緑ジャを支えよう!と思いました!

素敵な先輩方です。

今の休校は前とは違い一緒に頑張ってくれる仲間がいます。自分ひとりでは、筋トレも歌練も途中でやめていたと思います。しかし、電話越しで仲間が一緒に頑張ってくていて、休校が始まってから毎日途中でやめることなく、筋トレも歌練も楽器の練習も取り組んでいます。

コロナでこれからの予定がはっきりと分かりませんが、私に出来ること(ステイホーム、部活関係の練習、勉強)を取り組みたいと思います。






コロナを経験する前までは、

『最悪の場合』が来ることなんてないと思っていました。

コロナがなければと思うことがありすぎて、、コロナのせいで全部ぐちゃぐちゃです

私の中の経験も人間関係も。いつも通りなら崩れないような事ばかりです。

コロナがなければこんな思いすることなかったでしょう。

そうではないとわかっていても私たちがやってきた事が否定されているような気がしてしまいます。

すごくつらいです。

私の中で乗り越えられたと思っていたのですが、1回目の休校の時よりも、今がとても辛いです。

やりたいことはあるのですが、何にもやる気が出なくて、そんな自分が嫌でたまらなくて、楽器練習も勉強も、運動しても楽しくないし、気分転換にネットやテレビを見てもコロナのことばっかり、大人の意見の言い合いを観せつけられて馬鹿みたいだし、悲しくなります。

前の休校みたいにみんなと話せば心が軽くなると思って電話してみても、その時は楽しいけれど、それが終わった瞬間、また何にもしたくないし、なんだかすごく虚しくて悲しくなります。

どうしてこうなってしまうのか、どうしたら良いのかわかりません。

部活が再開したら気が晴れるのでしょうか。

1回目の休校終わり、

がんばろう!!全部なくなってしまった訳ではないし、残された時間を一生懸命にがんばろうと自分の中である程度心の区切りがついていました。どうしてあんなに前向きになれたのかわかりませんが、区切りがついた自分の心に余裕があったから、やっていけました。

残された時間は1ヶ月、あと1ヶ月部活ができる!

と思うのと同時に時間がないのに再開できない不安とやっていいんだろうかという気持ちがあります。

私たちは運動部の大会とは違って定期演奏会をずらしてもらう事ができます。贅沢です。

頑張りたい!と思います。

それがどれだけ幸せか分かっています。

頑張っている皆んなや先生に失礼だとも思います。  

それなのにこんな気持ちになってしまう

自分がとても嫌です。

引退間際なのに、今まで頑張ってきた事をこんな事で潰したくないのに、まだ何もできていないのに、、どうすれば心が頭についてくるのか。

辛くて自分が嫌になるのに、

どうしたら変われるのかわかりません。

部活をしたくないとかできないとか頑張れないということじゃないんです。

部活をやりたいし、みんなにも会いたいし、

満足のいく演奏、演出だってしたい

気持ちよく引退していきたいし。

そのためにこの自粛の時間をがんばろう!

という考えです。

でも全然気持ちが追いつかなくて、

どうしたらこの気持ちが解決するのかわかりません。

誰のせいでもないので、しょうがない、こうなる運命だったんだと思うしかありません。

もちろんコロナのおかげでできた思い、経験、人間関係もあります。

この1年間を否定されたり、自分の中で押し殺したり。コロナのおかげで得た物を大切にしていかなければ私の大切な1年間を自分で潰してしまうような気がします。

この1年間、自分に誇りを持てるような年にできたでしょうか。わかりません。






こんにちは。

最近テレビを見ればコロナの事ばかりで、大の大人たちがくだらない持論ばかりをぶつけて結果も出ないような言い合いをしているのを見て、そんなこと話し合うくらいならもう少し高校生にも目を向けてくれないかなと思います。コロナが出ただけで(危機管理能力が低いだけかもしれないですが)もう私たちは菌呼ばわりです。この社会、生きていくのに苦しいし楽しくないなと思ってしまいました。事実上コロナにかかる=誰かにうつされたという事になりますが、私はそう思いたくないです。誰も悪くないはずです。この状態で誰かを責めるなんてそんなことしたくないですし、できません。早く部活がやりたいです。ですが、今のこの状況は世間的には粗探しばっかりだと思います。また少し部活をやっただけでコロナが出るんじゃないかとか密だとか言われるのでしょう。

もっと高校生に目を向けてくれてもいいのに。これが私の今の気持ちです。感染者が出て改めて世間の状況が分かった気がします。他の学校の子達にも同じ思いをさせたくないです。なのに自分にはできることがない。何かを言っても屁理屈をねじ曲げていかにも正論かのように言われ言葉の圧力に押し潰されます。どうしたらいいのでしょうか。このままじゃ学校に行くのも部活に行くのも世間の目が気になってしまって楽しめない気がします。そんなこと気にする必要無いのは分かっています。なのに嫌でも耳に、目に入ってきます。とても息苦しいです。

先生、私たち緑ジャの為に1/301/31のホールを取って下さり本当にありがとうございます。最後まで諦めないで頑張ります。その気持ち、前よりも強くなった気がします。なにより、例年通りなら2色で活動するはずの時間を奪ってしまう事になるのでそれを頭に入れながら、今は何をするべきなのか本気で向き合えているかどうか考えながらやりたいと思っています。そのためにもこの休みの期間中に練習などをしっかりして有効活用します。私は負けません。自分にも世間にも。




この一週間、ずっと家にいました。

家にいるとこんなにも時が経つのが遅いのか実感できました。

何かを誰かと一緒に一心不乱にやることってこんなに大事なんだ。時間が過ぎるのが早いんだ。と改めて気付かされました。

どのニュース番組をみても、今日も市立船橋高校では何人もの感染者がでてと言っていました。だからなんだ。何も悪いことしていないのに。こんなにもコロナになった人が悪いみたいな言い方をして何が楽しんだと。

でも、その時先生が送ってくださった野村慶太郎さんの記事を見ました。

きみたちは何も悪くないと。

この世の中が悪いと。感染した人が悪い思っている日本人がおかしいと。

君たちならこのコロナファシズムを終わらせ新たに始められると。

記事を読んだだけでこんなにも前に向く事ができるなんて思ってもいなかったです。

今回の吹劇。寛容について、沢山考えさせられ、自分なりの寛容をみつけ沢山練習してきました。樽屋先生が作ってくださった曲を聞いて弾いて、沢山考えさせられました。この想いを描くには友理たち緑ジャの先輩方が必要なことも。

今思っていることを文字にするのが勿体ないぐらいです。早くみんなに会って練習したい。また我武者羅に。時間なんか忘れて。早く会いたい。だからこそ、今できることを全力でやるしかないのです。

このくだらない時代を今すぐにでも終わらせたいです。

先生、今年の吹劇こそ色んな方々に見てもらいたいです。

それぐらいの覚悟。部員は出来ているのではないでしょうか。初めて吹劇に挑んだ赤じゃも、また吹劇の大切さを知っている青じゃも緑じゃの先輩方も。

凄くまとまりのない文章になってしまいましたが、私は学校が始まり部活動が始まったら、それぐらいの覚悟を持ち、寛容についてとことん考え活動したいと思っています。

早く学校が始まることを願って今日も明日も明後日も頑張ります。




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音楽の授業中の出来事から休校になり、もう1週間が経ちました。市船生や毎日対応に追われている先生方が何より心配でなりません。毎日teamsで送られてくる担任の先生の言葉。相当大変なんだろうなと、何ができる事なら手伝いたい。そうつくづく思います。在校生にできる最大限の手伝い、健康観察を時間以内に提出する事と家にいる事、連絡を常に確認する事など、私にできることを最大限に行い、学校再開が早まることの出来るように学校に協力したいです。テストもいつあるか分かりませんが、今回のテストの目標はクラス9位以内です!定期テスト、定期演奏会に向かってひたすら家出できる事を見つけます。

先生から送られてきた水無田気流さんの授業を聞いて、

「被害者が加害者になる。」

この言葉は私の中でもとても響きました。

コロナで言えば感染してしまった事に対して、決して悪いことではないのに「陽性」の2文字が付けば今の社会は悪者扱いの如く感染してしまった人を批判します。

今、市船そして男子バスケ部が加害者扱いされてるのが許せないです。

あともう一つ印象に残りました。

「不寛容な人ほど正義感がある。」

No body is Right の中にも、「その正しさは気分が良いか、正しさの勝利が気分いいんじゃないのか」とあります。きっと歪んだ正義感を持つ人多いのかも知れません。それが水無気田さんが例に出していた自粛警察を生んでしまった原因なのかも知れないと考えました。

No body is Right の「正しさと正しさが相容れないのは一体なぜなんだ」に考えさせられました。なぜでしょうか。寛容は難しいです。

この休業期間、寛容について日々考えさせられます。特に水無気田さんのお話は心に刺さりました。寛容は今だからこそ特に考えなければならない課題ですね。

報道機関やSNSの利便性が持つデメリットが、人々の不寛容さを強調し、無駄な正義感を生み出した事で、沢山の人がそして大好きな市船が苦しめられています。なぜだか分かりませんがとても悔しいです。

私自身まだまだ勉強不足です。もっと寛容について深く考えます。













1月31日(日)

習志野文化ホールにおける

第37回 定期演奏会


かれらのまさに魂の叫びを聴きにいらしてください。


昼の部 12:00開場  12:30開演

夜の部 17:00開場  17:30開演



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日程は変更になりましたが、連絡先はこちらです。

是非、お越しください。


千葉県習志野市

最寄駅 JR津田沼駅 目の前です!


習志野文化ホールです!!!