2020.07.17
エンジニアとしては比較的早い段階で、ラウドネスを意識したワークフローをミックス、マスタリング業務に取り入れられた古賀健一氏。そこに至るまでにはDavid Shimamoto氏による著書の影響が少なからずあったそうです。
”配信時代の音楽制作〜ミックス、マスタリングの傾向と対策”の記事後編として、 今回は古賀氏のリクエストによりDavid氏をお招きし、お二人に対談いただきました。
MI
まずはお二人の現在の活動について教えてください
古賀 健一 氏(以下 古賀)
僕は青葉台スタジオに9年間、所属していました。その後独立し、去年会社を設立しました。レコーディング・エンジニアではありますが、バンドのサウンドプロデュース、マスタリング、ライブレコーディングも行っています。もともとジャンルが多岐にわたっていましたが、最近はゲーム、映画、サラウンドにも携わることが増え、以前よりもラウドネスの話題が避けて通れなくなってきました。
David Shimamoto 氏(以下 David)
現在はボーカル編集を専門に行うスタジオを運営しています。それと並行して、音楽制作に関する本やブログを趣味で書いています。業務はメジャーのお仕事が中心ですので、かろうじて業界の片隅に籍を置いているものと自負していますが、今日は「リスナー」、あるいは週末エンジニアのポジションで参加させていただければと思います。
MI
お二人が出会われたきっかけは?
古賀
ラウドネスのことで悩んでいた頃、エンジニアの小森雅仁さんにDavidさんの本「とーくばっく~デジタル・スタジオの話」を教えてもらいました。手にして読んではみたのですが、わからないところもあったのでDavidさんのワークショップに参加したのが最初でした。
David
初めてお会いしたのはそのときでしたね。その節はご参加いただきありがとうございまし た。
MI
ラウドネス・ノーマライゼーションを意識するようになったのはいつ頃ですか?
古賀
2016年頃だったと思います。ラウドネス・ノーマライゼーションというよりは、過度のコンプレッションによる弊害への気付きだったといえるかもしれません。きっかけは、アニメ主題歌のミックスを担当させていただいたことでした。TV越しに聴いたタイトル曲の音が極端に小さく感じたのです。
David
MAさんによる手動ラウドネス・ノーマライゼーションが入ったわけですね。 私の方は10年ほど前にBob Katz氏の著書「Mastering Audio」の第2版を手にしたのがきっかけでした。当時はラウドネス・ノーマライゼーションという言葉はありませんでしたが、この本が提示する「再生音量はリスナーが決めるもの」という視点は、ラウドネス・ノーマライゼーションに最適化した音作りに通じるものがありました。
古賀
業界が意識しだしたのは、YouTubeがラウドネス・ノーマライゼーションを導入した後に、「アップロードした音源の音量差が気になる」という話が出始めた頃からです。
David
YouTubeが最初にラウドネス・ノーマライゼーションを導入したのは2015年初頭だったと思いますが、それを受けてレーベルやエンジニアの間でなにかしら対応しようという動きはなかったのでしょうか?
古賀
ゴメンナサイ! 僕の知る限りではそういう動きもありませんでした。
MI
ラウドネス・ノーマライゼーションの意義とメリットについて簡単にご説明いただけますか?
David
音楽の流通媒体として長年主流であったCDには、収録時の信号レベルに関する規定がなく、このため作品ごとの体感音量に大きな差がありました。アルバム単位で作品が鑑賞されていた時代はそれでもよかったのですが、ストリーミング配信が主流になり、年代もジャンルも異なる楽曲がシャッフルモードやプレイリスト形式で再生されるようになると、楽曲間の音量差によりなにかと不便が生じるようになりました。このため音楽配信サービスや動画サイトの多くは、作品ごとの音量をある程度、自動的に揃える仕組みを導入しました。これがラウドネス・ノーマライゼーション(ラウドネス正規化)です。
古賀
日本国内のテレビ放送でも2012年からラウンドネス・ノーマライゼーションが運用されていますよね。
David
そうですね、欧米の業界団体が発祥ではありますが、テレビ放送が導入したラウドネス計測のアルゴリズムが有効であったため、配信サービス各社にとって同じアルゴリズムを導入するハードルが下がったというのはあると思います。
リスナー側のメリットとしては、視聴時にコンテンツ間の音量差に飛び上がったりするストレスがなくなることが第一に挙げられます。よくラウドネス・ノーマライゼーションにより音が変わると誤解されがちですが、実際には各楽曲の冒頭でボリュームを変える操作をリスナーの代わりに行うものであり、作品の表現自体への影響はありません。
古賀
シャッフル再生時の音量のバラつきについては、リスナーの友人からも何度か相談を受けました。そのときにiTunesの「サウンドチェック(音量の自動調整機能)」について教えたら喜ばれましたので、長らく需要はあったのだと思います。
制作側のメリットとしては、聴感上の音量を稼ぐためだけのコンプレッションやリミッティングをせずに済み、ダイナミクスを活かしたミキシングができるようになったのが大きいです。
もうひとつエンジニアとして感じているメリットとしては、mp3やAACに変換したときに、トゥルーピーク*のレベルオーバーにより生じる余計な歪みを回避しやすくなりました。最近はこれも重要であるように感じています。
MI
クライアントやアーティストの反応は?
古賀
ラウドネス・ノーマライゼーションが広まった結果、ダイナミクスを活かした方向性をクライアントに提案しやすくなった面はあると思います。特にYouTubeやCMといった映像コンテンツ用の音源を作る場合、「ミックスマスターは音圧を入れてマスタリングをしないとショボい」という先入観をお持ちの方には説明がしやすくなりました。ミックスの音が十分に良ければ、その音源をそのままYouTubeに使えるわけですので、制作コストの面でも喜ばれます。
ただし、映像以外の媒体ではまだ少し障壁が残ります。 アーティストに対しても、説明した上で聴き比べていただくとダイナミクスを活かした方が好印象なようです。それでもやはり、ラウドネス・ノーマライゼーションが必ず有効に なることが前提でなければ、多数決の結果「前作のレベルに合わせて高くしておきましょう」ということになりがちですね。 個人的には、LINE MUSICがラウドネス・ノーマライゼーションを採用していないことの影響が大きいように思います。
逆に、これまでもレベルを突っ込むことをよく思っていなかったアーティストは最近の流れを歓迎しています。
MI
ラウドネス・ノーマライゼーションを意識しはじめて、作業のワークフローなどは、具体的にどのように変わりましたか?
古賀
演奏の録音方法からミックス中のメータの使い方まで、すべてが変わりましたね。
まず、Pro Toolsの「クラシックメータ」を使わなくなりました。国内のスタジオでは慣習的にこの設定のところが多いと思うのですが、これだとピークメータの中央付近が-10dBFSと高いため、どうしてもこの辺りかそれ以上のレベルを入れたくなります。そうするとミックス中にヘッドマージンがなくなります。
このPro Toolsのメータは、現在「サンプルピーク」設定に変え、録音時のレベルも低くなりました。同時に、VUメータの設定も0VU=-18dBFSにしました。これは日本の音楽スタジオの多くが採用している0VU=-16dBFSよりもヘッドルームに余裕のある設定です。
あと、ファイル名の付け方が変わりました(笑) 以前よりミックスマスターのレベルが低くなっていますが、それが意図的であることが受け取られる方に伝わるよう、ファイル名にラウドネス値を含むようになりました。
※ミックスマスターのファイル収録時レベルについては前回の古賀氏インタビューを参照
そういえば、RMSメータを見なくなりました。
David
RMSメータとVUって、慣れの問題はともかく基本的には同じものじゃないですか?
古賀
VUメータは0VUに相当する規準のデジタル・レベルを使用者が設定できますが、外のスタジオはそれぞれ基準レベルが決まっていて、スタジオの業務内容によってもばらばらです。しかし、デジタルRMSは絶対的なレベルなので、立ち合いマスタリングで訪れたスタジオのマスタリングエンジニアと話をする際に共通のモノサシとして使えます。以前はそういった必要性もあり、自分がマスタリングをする際もRMSメータを多用していました。
David
マスタリングにも立ち会われるのがデフォルトでいらっしゃる古賀さんならではのニーズですね(笑)
古賀
ミックスの意図を直接伝えたいですし、作品には最後まで責任をもつことを信条としていますので。マスタリングには100%立ち会うようにしています。
David
100%ですか!?
古賀
例外的に、知らない間にマスタリングが終わっている場合はあります(笑)
David
私の方はラウドネス・ノーマライゼーションを意識して作業スタイルが変わったということはあまりないですね。Katz本に出会った10年ほど前からK-Systemのメータを使用していますので…これはヘッドルームを意識しない制作スタイルを促す目的でPro ToolsやStudio One、Ozoneにもかなり以前から搭載されてはいましたが、ほとんど認知されていません。
MI
ラウドネス・ノーマライゼーションに対応するにあたり、制作スタイルの変更に時間はかかりましたか?
古賀
ざっと2年ほどですね。
はじめはミックスのやり方を変えて、それがうまくいったので、これに合わせるように録りの段階でのレベルの決め方を変えました。いまはラウドネスメーターを見ずにVUメータだけで作業しても、だいたい-14LUFS程度に仕上がるようになりました。
一番苦労したのは、VUメータの振れ方への対応だったと思います。 これはラウドネス・ノーマライゼーションと直接は関係ないかもしれませんが… 僕は実は10年以上前から、ミックスに低音をもっと入れたいと悩んでいました。しかし自分が望む量の低音を入れると、従来の国産コンテンツの帯域バランスや音圧と違ってしまい、マスタリングしづらいということがありました。
ラウドネス・ノーマライゼーションが行われる前提である場合、ヘッドルームに余裕が生じるので100Hz以下の音作りの自由度が大きく増します。そうして低域が増えると今度はVUメータの振れ方も変わります。この違いに対応するためには、大袈裟かもしれませんが、これまで15年ほど学んできた経験や感覚を、全て捨てさることから始めました。
MI
ミックス&マスタリングに使用するツールについてお聞かせください
古賀
ラウドネスメータ―は複数使っています。TC Electronics LM2nとClarity M、Nugen Audio Mastercheck Proなどですね。これらはどれかがメインというわけでもなく、それぞれ少しずつ動きが違うので、なんとなく平均を見るようにしています。
完成したミックスマスターは、最終的にiZotope RX 7に読み込んで、ラウドネスだけでなくトゥルーピークやDCオフセットも確認します。
David
RX 7は便利ですよね。元々は素材のリストアのためのツールだと思うのですが、サンプルレート変換も柔軟に設定できますし、汎用のファイルエディタとしてもけっこう優秀です。最近、AESのエンジニアを中心に「高レートの単一ファイルをマスターとし、他の媒体には単純なダウンコンバートで対応する」スタイルが推奨されつつある印象を受けますが、これを実践する際には手元にあると便利だと思います。
私の方は特に自分の中での定番ツールというのはないのですが、そういった変換であるとか、最終段のリミッティングだけ行う作業環境としてのRX 7は重宝しています。
余談ですが、この「単一マスター使いまわし」スタイルを実践する場合は、あらゆるファイルが配信用に圧縮される可能性を考慮して、トゥルーピークベースで1.0dBはヘッドルームを設けることが標準になりつつありますね。
古賀
iZotope Ozoneのマスタリングアシスタント(AIによる自動マスタリング機能)も、バージョン9以降はストリーミング向けの設定でヘッドルームが1dBになるよう変更されましたね。
David
そうですね。0dBFS未満であってもレベルの高い信号成分は、エンコード、デコードを通じて歪む傾向があります。これはたとえラウドネス・ノーマライズされる音源であってもそうです。Spotifyが入稿ガイドラインで、ヘッドルームは1dB、あるいは-14LUFSを越える場合は2dBは設けることを推奨しているのは、このためです。
コーデックで思い出しましたが、そういえば古賀さんはコーデックチェッカ―もお使いでしたっけ?
古賀
Nugen Audio Mastercheck Pro内蔵の機能と、SONNOX Pro-Codecはよく使います。
David
それは、やはりマスタリングもご自身でされる場合ですか?
古賀
そうですね、マスタリングを自分ですることもあるので…あと、どのコーデックに掛かってもバランスが崩れない高域のEQバランスがあると考えていて、その微調整のために2製品を併用しています。
MI
最後に、これからラウドネス・ノーマライゼーションを意識した音楽制作をされる皆様にアドバイスをお願いします。
古賀
中低域を上手にさばくことが重要だと考えています。特に200Hzから下の土台をきちんと作ることで音が厚くなります。ここが薄くならないよう、楽器の基音を把握してキチンと帯域を整理することが重要です。
David
たまによくある、「大サビだからとベースがハイポジションに行った結果、土台が崩れる」現象が、今後ますます顕著になるわけですね。
古賀
そうですね。そういったアレンジの素材が届いたら、オクターバーやサブシンセを投入するエンジニアは僕以外にも多いと思います(笑)
David
私の方はミックスの実務経験があまりないのでエラソーな話はできませんが、手動ラウドネス・ノーマライズをした楽曲を聴き比べる作業を10年近く続けて見つけた、秀でた作品に共通する点はあります。それは帯域ごとのダイナミクスに必然性があることです。たとえばベース&キックを強調したいがためにそれらばかりがメータをブンブン振らせて、その一方でボーカルがオーバーコンプ気味といった不均衡があると他より弱く感じます。ただ、これはラウドネス・ノーマライゼーションの有無に関係なく、昔から録音がよいとされるタイトルに共通することでもあります。Bob Katz氏が長年勧めているように「一定の体感音量で聴いたときの体験をよりよくするための処理だけを重ねる」ことが、結果的に近道なのではないかと思います。
古賀
それだけ語れたらもう少しエラソーでもいいと思いますよ(笑) いつも刺激をありがとうございます。
David
いえいえ、今後もいろいろ教えてください!