信じると裏切られる
俺は子供の頃、クラスのお調子者であった。
大声を出して馬鹿な事をするとみんなが注目する。
注目されるのが好きだった――
それに、好きだった女の子が笑ってくれる。嬉しかった。
ある日、俺は、幼馴染の
静ちゃんは膝小僧を擦りむいて血を出して泣き出してしまった。
俺は動揺して何度も静ちゃんの名前を連呼した。
俺は周囲の空気が険しくなるのを感じる。
『なんですぐに謝んないんだよ!』
『最悪っ……、今突き飛ばしたの見たよ!』
『俺が静ちゃん仇取ってやりゅ!』
俺は「ごめん、ごめん……」って何度も謝っていたはずだ。とっさに絆創膏がカバンに入っているのを思い出して、取りに行こうとしたら――
『てめえ逃げんなよ! 謝れよ!』
『そうよ、静ちゃんに謝りなさい!』
『……静ちゃん、保健室行こ?』
激しい敵意に襲われる。違うって叫びたかった。絆創膏を取りに戻っただけだ。それに、俺達はじゃれ合っていただけだ。なんでこんな騒ぎになっちゃったんだ?
今ならわかる。過剰な正義感が人を燃やし尽くす。
『あいつ静ちゃんの事ぶった』
『俺、あいつにノート破られた』
『私、ブスって言われた』
『石投げられた』
確かに調子に乗っていたけど、そんな事はしていない。俺が否定しても誰も信じてくれない。――そういう立ち位置に変化してしまった。
やがて、俺の噂は学校中に広まった。
静ちゃんを泣かした俺は、クラスだけではなく、学校中の悪役になってしまった。
俺を見物したくて他のクラスから生徒がやってくる。指を差して俺を笑う。
静ちゃんの視線も冷たい。もしかしたら彼女も暴力を振るわれたかと思っていたのかも知れない。もう――嫌われてしまったんだろう。俺の初恋は終わった。
そして、俺は女の子を泣かしたひどい嘘つき暴力男と呼ばれた。
心がおかしくなりそうだった。
誰も俺の事を信じてくれない。信じる気が無い。
静ちゃんは何も言ってくれない。
噂は本物として認識される。
影響は学校だけではなかった。
うちは再婚した家庭であった。厳しい性格の親にひどく怒られた。女子を傷つけるなんて絶対してはいけない――
そんなわかりきった事を訥々と説教をする。
反論なんて出来なかった。言いたいことを心の中で抑え込んだ。
だって、どうせ信じてくれない。頭っから俺の事を信用していなかった。
お父さんもお義母さんも義妹が可愛くて大切にしていた。それは別に構わない。
俺は「お兄ちゃんだから我慢しなさい」といつも言われていた――
学年は一緒なのに、数カ月俺が早く生まれただけなのに……。
学校ではその反動で調子に乗っていたんだろうな。
妹は俺が学校で起こした事件を両親に告げた。それも誇張した内容そのままで――
この時から、家が安らげる場所では無くなった。
――信じてもらえないなら勘違いされる行動をしなければいい。喋らなければいい。
こうして俺の基礎が形成された。
だが、俺はまだ弱かった、と思い知らされた。
おとなしく過ごしていた中学時代。
ずっと一人で過ごしていた。クラスに一人ぼっちは一人か二人いる。そんなに目立つ存在じゃない。
図書室で本を読むのが日課だった。
いつも同じ席に座っていると、自分の居場所ができる感じで嬉しかった。
図書室には、クラスメイトの女子生徒がいつもいた。メガネが似合う
話しかけるつもりはなかったけど、彼女が席を立つ時、スマホを机に忘れていた。
俺は葛藤した。また、勘違いされても困る。でも……。
この時、俺はずっと誰とも喋っていなかった。強がっていても心は寂しかったんだろう。
俺はスマホを手に持って斉藤さんを追いかけた。
結果として、『あ、ありがとうございます……、助かりました』と、斉藤さんは安堵の表情を浮かべていた。俺も安堵の笑みを浮かべる。
そこから斉藤さんとは、ちょくちょく喋るようになった。
すごく嬉しかった覚えがある。やっと友達が出来た。仲間が出来たと思った。気が緩んでいた。昔の事を忘れていた。
俺の心が弱かった。人の悪意を忘れていた。平穏な毎日に溺れてしまった。
もう思い出したくもない出来事。
人を信じると痛い目にあう。
ある日、俺は――斉藤さんに襲いかかろうとした犯罪者、という噂が流れた。
いつもこうだ。人を信じて仲良くなると、自分の心が壊れそうな出来事が起きてしまう。
静ちゃんや斉藤さん、義妹の
心が壊れそうな出来事があっても、人を信じてみようとする自分が嫌だった。
強くなろうとしても弱い自分が嫌だった。
そんな事を繰り返しているうちに、いつしか俺は――何も感じなくなった。
***************
「ま、真、い、行ってらっしゃい。新しいクラス、馴染むといいね――」
「はい、行ってきます」
高校生になった俺は家族の異物と認識されていた。だから、俺は余計な負担をかけないように真面目な学生を演じていた。
「あ、お兄ちゃん待ってよ! 遥も一緒に行くって! へへ、同じ高校に入学できたね!」
「申し訳ありません。用事があるので先に行きます」
「あ……、う、うん……」
子供の頃の事なんて誰も気にしない。忘れている。――当事者以外は。
高校入学が決定してから、義妹がちょくちょく俺にちょっかいをかけてくる。
両親も何故か俺に気を使い始めた。
もう俺は間違わない。二度と人を信じない。
心に壁を作れば平穏に過ごせる。
高校一年になった俺は誰とも関わらない陰キャと呼ばれる人間になった。
***************
入学してしばらくは平穏な日々を過ごしていた。
陰キャとして平穏な暮らしをしていた。
「ま、真君……、わ、私あなたの事が……好きなの。つ、付き合って下さい!」
こうやって頻繁に起こる嘘告白も無難に流せば問題ない。
「申し訳ありません。家の事情で誰とも付き合えません」
中学の頃は、のぼせ上がって喜んで――痛い目を見た。
もう絶対に間違わない。
人がいないところに呼ばれるのは嫌だった。だから、俺は担任の先生にお願いをして、トラブルが起こっても対応してもらうために、隠れて見てもらっていた。
喜んで告白を受けて、数日付き合ったとしても苦しい思いをするのは俺だ。
小さな傷は大きくなる。二度と調子に乗らない。
女子生徒は半泣きで走って逃げてしまった。
「ふぅ……、なんとかやり過ごした。先生、ありがとうございます。お手数おかけしました」
物陰に隠れていた先生がため息を吐きながら出てきた。
「全く、お前はなんで人を信用しない? そんなんじゃ友達できないぞ」
「ええ、いりませんので。本当にありがとうございました。失礼します――」
「おい、ちょっと待て! 人の話を最後まで――」
先生の事は別に信用しているわけではない。だが、他にお願いできる人がいない。これは間違いをなくすためだ。目撃者がいれば傷は浅い。
俺は先生に深々とお辞儀をして、昇降口へと向かった。
嘘告白だけじゃない。
この学校には幼馴染であった宮崎静や斉藤みゆ、それに義妹がいる。
二度と関わりたくない。
そう思ってた矢先であった。ちょうどローファーに履き替えたところであった。
懐かしい声が聞こえる。
「おーい、まっこと! 久しぶり、ねえ、一緒に帰ろうよ!! へへ、たまにはいいでしょ!」
素知らぬ顔で話しかけてくる宮崎静が疎ましかった。
中学卒業の時までは話しかけられなかったはずだ。
それなのに何故――今――話しかけてくる?
宮崎は昔の事なんて気にしてない風に喋り続ける。
俺は気にせず帰宅しようと思った。
宮崎は俺の後を付いてきた。
生徒が少なくなった住宅街。宮崎と俺の家は近かった。
ここは俺の家の前だ。早く家に入りたい。
「ていうか、あんた暗くなったよね? 友達いないんじゃ仕方ないか……、な、ならさ、わ、私が友達になってあげてもいいよ?」
帰ろうとしない宮崎が言い放った。
俺は心臓が止まりそうになる。
頭では理解している。これは認識の違い。
俺が見ていた学校生活と宮崎が見ていた学校生活は別物であった。
「なんか色々あったけどさ、気にしない方がいいって! あ、あの時は暴力受けたかと思ってたし……、真の色んな悪い噂あったけど、信じてないよ! へへ、だって私は真の事信じてるからさ!」
しんじてる。まるで呪いの言葉だ。
なんで今?
昔の俺だったら、ここで叫んでいただろう。――あの時なんで助けてくれなかった! 誤解を解いてくれなかったんだ! と。
今の俺は理解している。あれは全て俺が悪い。だから人のせいにしない。出来ない。
「ほら、無口になってないでさ、昔みたいに馬鹿言いなさいって。ふふ、懐かしいね……」
全く言葉に悪意が無い。だが、俺は知っている。悪意はちょっとした事から発展するものだ。思わず呟いてしまった。
「なんで――今更」
「うん? ああ、ずっと喋らなかったから怒ってるの? あははっ、だって……き、緊張して喋れなかったよ……違うクラスだしさ。て、ていうか、あの時はごめんね……。わ、私……怖くて……。でも、高校になって変わろうと思ったんだ! 勇気を出して……真と……」
宮崎静は真剣な目で俺を見た。
「わ、私ね……真の事……昔から――ずっと、す、す、好きだったんだ」
そうか……。これもあれか――
忘れた頃に傷を広げようとしているのか。
もう心は痛くならない。
「……すみません。嘘告白はやめて下さい。もう俺に関わらないで下さい」
「う、嘘って……冗談やめてよ…、だって、真、私の事好きだったじゃん……。ねえ、変な事言わないでよ……、ずっとずっと想っていて――」
「すみません、俺が悪かったです。だからもうやめて下さい」
「な、何言ってるのよ? わ、私は真を信じて――」
信じて?
心は冷え切っていた。何も感情が浮かばない。
ただ一言言い放った。
「――本当にすいません。――今更信じていると言われてももう手遅れです」
「え……、ま、真……? ま、まって――わ、わた――」
俺は心を閉じるように、家のドアを閉めた。