なにがなんだかわからない。だけどとにかく、城へ入るお許しが出た。
父はあっさり機嫌を直し、意気揚々と庭園を進む。前を行く侍女にまた居丈高に話しかけていた。
「やれやれ、ドタバタしたが一安心だな。なに、私もそれほど怒ってはいない。
「マリー様、ドレスは汚れておりませんか? こちらで新しいものをご用意いたしますね」
「えっ、いえ。大丈夫です……土埃は叩けば取れました。着替えも一応持ってきてますし……」
「私は男爵、使用人が少々の失態をみせたところで大騒ぎするようでは真の貴族とはいえんからな。以前うちの侍女にも花瓶の水をぶっかけられたが、二年間の減給だけで済ませたものだ。さすがに組み伏せられたのは初めてだが」
「申し遅れました、私はミオと申します。一介の侍女ではありますが、幼いころよりこの公爵家にお仕えし、現在この伯爵城では侍従頭をつとめています。キュロス様のお世話と、身辺警護も請け負っております」
「警護? すごい。それでミオ様はあんなにお強いのですね」
「ミオと呼び捨てになさってください。言葉もお楽なように」
「ミオか、案外可愛い名前ではないか、はっはっは」
「あの……えっと。そうしないと、ミオは、ご主人様から叱られる?」
わたしが聞くと、ミオはフッと口元を緩ませた。あっこの人、笑うんだ……。
「そんなことはありませんよ。ただそうしたほうが、マリー様が心地よく過ごせるかと思っただけです」
「そ、そうですか。あの……だったら、敬語混じりのほうがむしろ落ち着きます、そうしてもいいでしょうか」
「ではそのように。――あなたは優しい方ですね。それに、聡明でいらっしゃる……」
「アナスタジアはもっと可愛かったがね!」
時々、父がうるさい。けどもミオは全く相手にしないので、わたしも気を遣わずに無視し続けた。
ミオってなんだか不思議。ほとんど無表情だし口調も堅いのに、優しい空気が伝わってくる。
ふっくらとした、柔らかそうな頬のせいだろうか? それともつぶらな瞳のせいだろうか。
わたしはじっとミオを見つめて、ふと、既視感を覚えた。
「あらっ? わたし、なんだかミオと会ったことがあるような……」
「ああ。覚えておられなくて当然です。あの時は真っ暗闇でしたからね」
そういって、微笑む。既視感は確信に変わった。
この人は、そう、あの夜――あの人の隣で――。
長い長い回廊を抜けて、やっとたどり着いた、グラナド伯爵城の中央ホール。
扉を開けてすぐ、男の怒号がつんざいた。
「ふざけるな、追い返せっ!」
びくっ――わたしは硬直した。
彼は、門番に向かって怒鳴り散らしていた。
褐色の肌を紅潮させ、黒い髪が逆立つほど激昂している。
「あ、あの、しかしキュロス様、ミオ様が、あの、必ずお会いしたほうがいいと」
「何がだ! 要らんと言ったら要らん。マリーだと? 一目だけ見たが何の魅力もない娘だ。まったく俺の好みじゃない!」
「で、でも、あの……あの、たしかに地味でモッサリとしてましたが、その、優しそうな方で――」
「俺が
「キ、キュロス様ぁ……」
侍従頭と城主の板挟みになって、門番さんは困り果てていた。可哀想に。ごめんなさい。わたしのせいだ。
伯爵は頭を抱え、うつむいた。
「アナスタジア……なぜ死んだ。こんなことになるくらいなら、あの夜にあのまま連れ去っていれば良かった……!」
……今度は苦悶している……。
「大丈夫です、マリー様。さあ中へどうぞ」
ミオに促されても、足がすくんで動かない。さすがの父も、この空気の中に飛び込む度胸はないようだった。仕方なくミオだけが中へ入り、主に声をかけた。
侍女に耳打ちされ、眉をしかめる伯爵。「は!?」と聞き返す声が聞こえる。
そして初めてこちらに視線をやった。
ぽかん――その表情に音をつけるならば、そんな音か。
口が半分開いている。……? どんな感情なのか読み取れない……けど、とりあえず、慟哭は収まったようだ。
わたしはドレスの裾を持ち上げ、淑女の礼をしてみせた。
「あの……どうも。お邪魔、しております、伯爵さま……。
マリーと申します。今日はその――……お会いできて、光栄です……」
事前に用意してあった、初めまして、の挨拶は使えなかった。
キュロス・グラナド伯爵。ミオのことを思い出したとき、わたしはその主人のことも気づいていた。
あの夜――十八歳の誕生日パーティーで、庭園でお話したあの方だったのだ。
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