わたしは、姉に
名前はキュロス・グラナド伯爵。わたしよりも六つ年上の二十四歳だとは聞いている。
情報はそれだけだ。あちらもわたしに興味なんかないだろう。わたしはあくまで、姉の代わりだから。
姉、アナスタジアは美しかった。うちは貧しい男爵家だけど、アナスタジアをぜひ嫁にと貴族や富豪が列をなした。
そんな姉の嫁ぎ先に決まったのがグラナド伯爵だ。姉もまた顔も知らない相手だったけど、貴族の娘は、親が決めた結婚を拒めない。姉はしおらしく父の用意した馬車に乗り――道中で、事故死した。
その知らせを聞いてすぐ、父はわたしにドレスを着せた。
アナスタジアのためにあつらえた、婚姻用のヴェールとともに。
「無理よ! わたしがお姉様の代わりだなんて!」
わたしは絶叫した。でも両親は聞く耳を持たなかった。
「心配するなマリー、わかっている、おまえが可愛くないことなんて」
「そうよ、アナスタジアは特別な子。マリーが伯爵に愛されるわけがないのは、ちゃんとパパもママも知ってるわ」
両親の口調は、いつもと何も変わらなかった。
「……だ、だったらどうして?」
「結納として財宝を受け取っている。この婚約をただ破棄したのでは、財宝を返さなくてはいけないだろう」
「か、返せばいいではありませんか。頂いたドレスに袖も通していないはず……」
「すべて売った」
開いた口が塞がらない。
文字通り、ぽかんと口を開けて絶句してしまった。
父は苛つき、意味もなく床を踏みにじっている。
「……買い戻すとなると、売れたぶんより金が要る。このシャデラン家にはもうそんな金はないんだ」
「と、とりあえず借金をして、地道にお返ししていきましょう?」
「借りるあてもない。すでに借金まみれで、信用がないからな」
再び、わたしの口がぽかんと開いた。
そんなわたしの反応に、さすがの父も堪えたらしい。額ににじんだ汗を拭い、大きく嘆息する。
「とにかく伯爵の城へ向かうぞ。伯爵は今、アナスタジアを失ってご傷心だ。まずはそこに付け入るんだ。たとえ一夜の慰みでも、縁が出来ればこっちのものだ」
「一夜の、慰み――」
それって、嫁入りなんかじゃなく……わたしに娼婦になれということでは……。
「そんな顔をするなマリー。束の間でも良い暮らしができるはずだ。旅行気分で行ってこればいい」
「そうよ、どうせあなたは誰にも嫁げやしないのだし。一生に一度の機会だわ」
「……そんな……そんな、わたしは――」
「なんだまだ文句があるのか? シャデラン家の存続がかかっているんだぞ!」
「うちが潰れたらおまえのせいよっ!?」
怒鳴られ、わたしは身をすくませた。
納得なんてしてなかった。反論の言葉はいくつも思いついた。
けど、喉が震えて声が出ない。
わたしは拳を握り、ただじっと、地面を見つめて口をつぐんでいた。
そして今日、わたしはグラナド伯爵のもとに嫁に行く。いや、身売りに出されるというべきだ。
鉄の馬車で荒野をゆく。およそ四日間の道中、すぐ横にはお父様が座っていた。まるでわたしを見張るように。
もう逃げることは出来ない。
――どうしてこんなことになったんだろう。
ドレスが胸をしめつけ、息苦しい。アナスタジアのお古のドレスは全くわたしに合っていない。座っているだけで頭がぼんやりしてくる。
グラナド家がある王都まで、まだずいぶん時間がある。馬車の天井を見上げながら、古い記憶を思い起こしていた。
……二か月前。わたしの十八歳の誕生日……。
彼が姉を見初めたという、あの夜の出来事が、走馬灯のように巡っていった。
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