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12月16日朝日新聞デジタル朝刊記事一覧へ(朝5時更新)

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本の学校から

「男らしさ」に違和感

写真:太田啓子『これからの男の子たちへ』/大月書店 拡大太田啓子『これからの男の子たちへ』/大月書店

写真:グレイソン・ペリー『男らしさの終焉』/小磯洋光訳、フィルムアート社 拡大グレイソン・ペリー『男らしさの終焉』/小磯洋光訳、フィルムアート社

写真: 拡大

 書店にいれば耳にしない日はない、『鬼滅の刃』。まだアニメしか見ていないが、私もブームに乗っかった一人だ。鬼になった妹を救うために奮闘する主人公・炭治郎を、「良い子だなあ、無理せずガンバレ!」と若干の保護者目線で応援している。

 ただ、彼のせりふで一点だけ気になったことがあって、それは長男というキーワード。戦闘中に傷の痛みを耐えているシーンで、「俺は長男だから我慢できた」というモノローグが出てきたのだ。

 緊張感のあるシーンの中で出てきたユニークな迷言としてネットでは愛されているようだが、私は少し違和感があった。大正という時代設定もあるのだろうが、主人公を「長男」あるいは「男」であることを理由に、我慢をさせてもいいのかな?と思ったのだ。

 そんな重箱の隅をつつくようなことをと思われそうで今まで言えなかったけれど先日、『これからの男の子たちへ』(大月書店)を読んで、著者・太田啓子さんも同じことを思っていたと書かれていてホッとした。

 太田さんはセクシュアルハラスメントや性暴力被害の事件にも数多く関わってきた弁護士。自身でも男の子を育てながら、「社会から性差別をなくすには、男の子の育て方こそ大切なのでは」という意識を持っているという。

 先程の『鬼滅の刃』も含め、子どもたちが日常の中でジェンダーバイアスに触れる機会があるときは、「お母さんはこう思う」ときちんと説明し、男らしさを押し付けることはしないそうだ。

 そこに込められた願いは二つ。「男らしさ」の呪いから自由に生きてほしいということと、性差別や性暴力を許さない人になってほしいということ。後者について私は過去の「本の学校から」でたくさん書かせていただいたので、今回は前者に注目したい。

 グレイソン・ペリー『男らしさの終焉』(小磯洋光訳、フィルムアート社)では、社会心理学者がまとめた男性性を構成する四要素が紹介されている。(1)意気地なしはダメ(2)大物感(3)動じない強さ(4)ぶちのめせ。弱音を吐かず、社会的に成功し、強く攻撃的であることが伝統的な「男らしさ」であるという説明だ。

 これらの価値観がインストールされた結果、競争の勝ち負けでしか自分を肯定できない▽女性に対して「上」にいることにこだわりすぎて対等な関係性を築けない▽自分の弱さを否定して心身を壊してしまう、といった弊害が出てくるのではないか。そしてそれらは、自分が弁護士の仕事で関わってきた事案の背景にあったのではないか、と太田さんは言う。

 私の身近な「これからの男の子」たちは、親戚の子。5歳年下の次男と仲が良く、サッカー部員として部活に打ち込みつつ、『鬼滅の刃』にはまっている小学生の長男。まだアニメしか知らない私と、ネタバレに気遣いながら『鬼滅の刃』談議に花を咲かせてくれるような、思いやりのある子。聞けば弟に対しても、年長者として気遣ったり、遠慮したりする場面があるらしい。

 でも、「さすがお兄ちゃんだね」「男の子だね」なんてよくある言葉は、かけないようにしようと心に誓う。その子自身の優しさや強さを、お兄ちゃんらしさ、男の子らしさという枠に当てはめたくないからだ。私がしてあげられるのは、そういうところからなのかなと思う。

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