概要

~位置~

 福島県の北西部に位置し、役場は北緯37度39分21秒、東経139度56分16秒にある。東方は猪苗代町、西方は喜多方市に隣接し、北方は山形県米沢市、南方は喜多方市、磐梯町及び猪苗代町の一部に連なっている。

 村の中心を国道459号、主要地方道米沢・猪苗代線、会津若松・裏磐梯線が通っており、最寄りの都市喜多方市・会津若松市を中心として国道49号・121号があり、平成元年の国道115号土湯トンネルの開通により県都福島市まで1時間半で到着、更には磐越自動車道の開通により首都圏まで約3時間で到着できる。

 

  北塩原村役場 東端 西端 南端 北端
緯度 37度39分21秒 37度45分11秒 37度38分47秒 37度36分09秒 37度46分46秒
経度 139度56分16秒 140度10分21秒 139度54分35秒 140度00分12秒 140度03分05秒

 

~産業~

 産業としては北山・大塩地区は米作を主とした農業が中心であり、大塩裏磐梯温泉に旅館が2軒あるほか、小規模の工場が散見される程度である。一方桧原地区は高冷地農業のほか民宿経営を中心に観光関連産業が伸びている。

 裏磐梯地区は自然環境に恵まれ、風光明媚であり、県内を代表する観光地となっており、観光産業一色の観を呈している。

 

~村民憲章~

 1.自ら学び、魅力ある村をつくりましょう。

 2.文化を育て、豊かな村を作りましょう。

 3.心のふれあいを大切にし、明るい村をつくりましょう。

 4.豊かな自然を愛し、美しい村をつくりましょう。

 5.健康で心身を鍛え、活力ある村をつくりましょう。

  (昭和60年12月23日制定)

 

~磐梯山憲章~

 1.磐梯山の自然、歴史、文化を学び、よく知ろう。

 2.磐梯山の恵に感謝し、活かし、人との共生を図ろう。

 3.磐梯山の自然環境を守り、適正な利用に務めよう。

 4.磐梯山に畏敬の念と誇りを持ち、後世に継承しよう。

 5.磐梯山のために、一人一人が自ら考え行動しよう。

  (平成22年9月21日制定)

 

~人口~

 村の国勢調査人口は昭和35年には5,351人であったが、その後年々減少し、平成2年には3,812人となり、平成7年には3,859人となったが平成12年には3,644人となった。

 平成2年から平成7年までは増加傾向にあったが、平成8年以降、平成12年までは一転して減少している。

 

~地勢~

 村域は総面積234.08平方キロメートル、東西22.5km、南北19.3kmに渡っており、その約80%は山間部で、農用地はわずか2.5%である。地形的には、標高200~300mの北山地区、400~500mの大塩地区、800~1,000mの桧原・裏磐梯地区に分かれ、南東には磐梯山(1,816m)、東は西吾妻山(2,035m)と西大巓が連なっている。

 また、高曽根山に源を発する大塩川が大塩・北山地区を縦走し、流域には村内随一の農地を形成している。

 桧原・裏磐梯地区においては、明治21年の磐梯山噴火により吾妻川・大川入川・小野川・中津川などが堰止められ、周囲47.0km、面積10.47平方キロメートルの桧原湖、周囲12.0km、面積1.70平方キロメートルの小野川湖、周囲24.0km、面積3.70平方キロメートルの秋元湖のほか、曽原湖、五色沼などの湖沼群を生み、磐梯山とあわせ美しい自然景観をつくりあげ、昭和25年国立公園に指定され県内随一の観光地となっている。

 

~あゆみ~

 北塩原村は明治22年に施行された町村制以来、北山村、大塩村、桧原村が設置。以来、3カ村は役場事務組合として事務処理が行われ昭和29年3月30日の合併促進法により北山村、大塩村、桧原村を廃止し、翌31日に北塩原村が誕生した。

 15世紀末ごろから、旧米沢街道の宿場町として桧原地区を中心に発展。問屋や住家などが軒を連ね、江戸時代には秋田、庄内、米沢地方の産物を江戸に運ぶ要所となる。歴史上に頻繁に登場するのは、16世紀の戦国時代から。

 当時、会津藩・葦名氏の基礎固めと北方の米沢方面を治めていた伊達氏の南下を阻む目的などから、会津藩が村内の要所に城を築いた。以来、近隣諸藩の盛哀に伴って歴史に登場、今でもそのころの名所・旧跡が各地にある。

 

~気候~

 気候は北日本型の積雪寒冷地地帯であり、積雪量は平均2m程度である。西部北山地区では盆地気候、東部桧原・裏磐梯地区は夏涼しく冬雪深い山地特有の気候となっている。