‐ネトウヨ攻撃ばかり目が行って大事なことを忘れる日本のリベラル‐ | 歴史学を学ぶ大切さを伝えるブログ

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ASIAN KUNG-FU GENERATIONの後藤正文が記事の改変に激怒(livedoorNEWSより)

http://news.livedoor.com/article/detail/10260672/

 

※当該リテラ記事

 

『アジカン後藤が「どうやって早く安倍政権を終わらせるかを考えている」と…桑田圭祐とは違う本気度』

 

http://lite-ra.com/2015/06/post-1199.html

 

ライブドアニュース記事によると、

 

20日、4人組バンド・ASIAN KUNG-FU GENERATIONのボーカル・後藤正文がTwitter上で、自身のインタビュー記事の恣意的な改変に怒りをあらわにした。

 

事の発端は、ニュースサイト「リテラ」が18日に掲載した記事にあるようだ。

 

「アジカン後藤が『どうやって早く安倍政権を終わらせるかを考えている』と…桑田圭祐とは違う本気度」と題した記事では、雑誌「ローリングストーン」が後藤に行ったインタビューから、後藤の「最悪のタイミングで、最悪の人が総理大臣になっていると思います」などの言葉を引用しつつ、安倍政権を強く批判している。

 

この記事は22日の時点で、ツイートが1100件以上、フェイスブックの「いいね!」が5000件以上にも達しており、注目を集めていた。

 

ところが、この記事について、後藤は「ローリングストーン誌でのインタビューの端端が切り取られて、恣意的な記事として再編集されて拡散しています」と驚くべき指摘をしたのだ。

 

確かにインタビュー中、後藤は安倍政権への批判をしているが、該当部分はインタビューの一部分に過ぎない。現に、混沌とした状況について、後藤は「端的に政治家だけを責めていればいい問題ではない気もする」「変わらなきゃいけないのは、市民とか国民とか言われている我々ひとりひとりだって言うのは間違いないと思う」とも語っている。

 

そして、後藤は「一人ひとりの意識を高めること」「ちゃんと自分の考えを発信して、社会活動や市民活動に参加すること」が重要だと指摘し、ひとりの生活者として次世代に渡せるものを「人間らしい生活」と考えているようだ。

 

その上で、後藤はリテラの編集について「レビュー数を稼ぐための釣り餌にされているんだと思うんですが、本当に酷い」「リテラは無茶苦茶すぎる」と綴り、望まぬ記事改変に怒りをあらわにした。

 

【AKFGゴッチの一連のツイート】

https://twitter.com/gotch_akg

 

という具合で、友人や自分もアジカンの曲は大好きで、シングル/アルバム合わせた全曲CDと、ゴッチのソロ曲もipodに入れて聴くほどで、彼やバンドの作曲する詩や曲、その下地の一つになったナンバーガールの存在など、語ればキリがありませんが、ここで問題になっていることを簡単に説明すると、すでに冒頭でまとめてありますが、コメント欄すらない、異論を一切シャットアウトして、外部からの批判を封じた「本と雑誌の知を再発見」と謳う『リテラ』というサイトは、ゴッチのRS誌でのインタビュー発言を、ネトウヨ攻撃のための材料に、恣意的に改変したことが問題の始まりです。

 

twitterでゴッチがご指摘しているように、「レビュー数を稼ぐための釣り餌」、ひいてはネトウヨ攻撃のためには守るべきルールすら無視するリテラのやり方が透けて見える始末で、非常に胸糞悪いというか、当時私はこのサイトに好意的な立場だったので、知らずに「ゴッチもそう思っているんだな」と、これは完全に「騙されていた」わけであって、このサイトの悪質さが徐々に浮彫りになってきた感じです。

 

しかしながら、リテラの影響力というものは到底無視できる範疇ではなく、今の日本のリベラルの砦のひとつとして機能している現実があります。

 

http://lite-ra.com/2015/06/post-1199.html

 

見てのとおり、Facebookやtwitterを筆頭に「大量拡散」されていて、日本のリベラルにとって、このサイトの言うことを支持しているのが現実です。当該サイトは、トランプ氏を差別主義者だと決めつけ、さらにはロシアや中国、北朝鮮を一方的に「独裁国」として貶め、アメリカのリベラルの闇(アンティファ)や、国内しばき隊の蛮行については一切スルーするという、極めて偏向的内容であり、「知」を大切にするならば、どうして実態調査をせずに、自分たちの価値観だけで決めつけるのか。また会社組織で動いているにも関わらず、とりわけ海外の見聞においては、個人でご活躍される有志の足元にも及ばないレベルを露呈しております。

 

そして今回の騒動です。

 

時系列に見ると、このニュースは3年近く前のものです。そして今の段階においても、訂正や謝罪は一切なく、これではゴッチも呆れるのも納得です。アーティストである氏のツイートを無視するのなら、私の批判など届くハズもありません。そんな傲慢を引きずった「リベラルサイト」が、ネトウヨとの戦いに明け暮れ、いい加減な記事を書いて、まともに責任すら取らぬ態度には、白鵬関に対するヤジの件でソース記事にしていた自分が恥ずかしいくらいです。

 

彼らの頭の中には、「ネトウヨ憎し」「朝中露憎し」「トランプ憎し」で埋め尽くされていて、その中で政権批判をしても、正当性がないというか、ネトウヨと戦うために自分たち自身が「ネトサヨ」化したようなサイトしか思えなくなりました。

 

ちなみに、この中で提示した「ネトサヨ」というのは、アジアのリベラルとは一切連帯しない、日本内部だけにとどまった運動をする、アメリカのリベラルに片想いを持ち、自らの都合の悪い事実からは逃避して、ルール無視の行動を繰り返す愚か者たちの意味です。

 

 

<参考資料>

 

・livedorr NEWS『ASIAN KUNG-FU GENERATIONの後藤正文が記事の改変に激怒』記事

 

http://news.livedoor.com/article/detail/10260672/

 

・アジカン後藤が「どうやって早く安倍政権を終わらせるかを考えている」と…桑田圭祐とは違う本気度

 

http://lite-ra.com/2015/06/post-1199.html

 

・AKFGゴッチのtwitter

 

https://twitter.com/gotch_akg

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‐『独島・竹島問題』その1(そもそも「領土問題」ではない)‐

テーマ:歴史問題

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‐李承晩ライン・漁業問題(独島‐竹島問題の考察)その3‐

https://ameblo.jp/epikutetosu/entry-12358539629.html

 

ここで少し補足を加えると、当時の韓国では李ラインは「魚族と水産資源を保護する生命線であるから、一寸たりとも縮小することはできない」(民族党スポークスマン)との意見が圧倒的に強いとしました。

 

そして言論界でも「日本から漁業資金が入ってきて韓国の漁業が近代化した時には、もう魚は日本の漁船にとりつくされているのではないか」(64年2月17日付け『読売新聞』より)と警告する向きもありました。

 

現実に韓国周辺の海域(当時)で、魚が減っていることは事実であり、それは日本の和田水産庁漁政部長が「すべての責任が日本漁船の乱獲にあるというのも言い過ぎだが、韓国の漁業人口の増加にともない、沿岸の魚は取りつくされてしまった。カモメも飛ばないほどにネ」(64年3月8日付け『毎日新聞』より)としています。

 

 

そして、いよいよ内容は「領土問題」へと移ります。

 

この問題になると、どうしても人々は感情的になり、日本語ネット上では様々な言説が飛び交い、とりわけ韓国に対する憎しみを吐露する書き込みに溢れているのが、今も先に続く我が国の現状です。

 

少なくとも、私はこの問題を取り扱うにおいて、60年代の日本リベラル人士たちはどのように認識いたのか、当時の記録や事実を、淡々と紐解く作業に終始しようと思います。

 

『竹島問題』。日本では主にそうよばれていますが、韓国ではこの島を『独島』と呼び、半世紀以上に渡って自国の主権下として治めてきました。

 

そもそもこの問題を取り扱うにおいて、当時の日韓会談の交渉過程で「李承晩ライン」の問題と合わせて国民の大きい関心を呼んだのは事実です。歴代政府は「竹島は日本固有の領土であり、韓国に不法に占領されている」とことごとに宣伝し、「竹島問題の解決ぬきに日韓会談の妥結はない」とまで主張し続けてきました。

 

しかるに、日韓交渉が早期妥結を目指して急展開し始めた昭和37年秋ごろから、「竹島問題」に対する日韓双方の態度に大きな変化が現れました。公式的には日韓双方ともそれまでと同様「竹島は固有の領土である」と声明し合っているものの、事実上は日韓会談の「懸案事項」から外されました。

 

そして、大野伴睦の『竹島日韓共有論』金鍾泌の「紛争のたねである竹島など爆破してしまったがいい」という『竹島爆破論』さえ飛び出すに至りました。

 

そして昭和39年3月19日大平外相は衆院本会議でおこなった『日韓交渉中間報告』では「竹島問題に関しては、政府は国交正常化の際には、少なくともこの問題解決のための明確な目途を立てておく必要があるという考え方に立って交渉している」と、それまでの「国際司法裁判所への提訴」という態度さえも放棄しました。

 

このような態度の変化は一体何を意味するのでしょうか。

 

そして『竹島問題』の本質とはどういうものでしょうか。

 

結論を言えば『竹島問題』は、領土問題ではなく、戦後におけるアメリカの日韓および極東地域における支配と結びついて、米・日・韓の支配者がそれぞれの立場でこれを利用してきた「政治問題」であると、後における説明や、次回は問題の争点となった「独島・竹島」に関する歴史をお話していこうと思います。

 

 

<参考資料>

 

・『アジア・アフリカ講座 日本と朝鮮』第三巻 勁草書房