10 いざゆかん
方針が決まったからには即移動だ。
私とライナスはグランシア王国に向かって移動を始めた。
追われる身なので人目につかないよう街道をそれ、ライナスが消耗しない程度に転移して距離を稼ぐ。
「ごめん。疲れたらすぐに言ってね。私じゃライナスを癒せないんだから」
魔王討伐に赴く旅の途中ですら、こんな無茶な移動の仕方はしなかった。そもそも人数が五人もいたので、転移は使えなかったのだ。
こうして世話になりっぱなしでいると、ひどく罪悪感が湧く。
他の仲間なら傷を癒すこともできたけれど、聖なる力では逆にライナスの力を奪ってしまうだけだ。
それにライナスは何事も顔に出さないので、より注意しておく必要がある。
一度戦闘中に誤って私の力が彼に当たってしまったことがあり、その場では平気そうにしていたものの、結局その後三日ほど昏睡状態に陥ってしまったのだ。今思い出しても背筋が冷える。四日目の朝にライナスが目覚めなかったら、きっと私は自分で自分のことが許せなかっただろう。
「分かっている。お前こそ不調があればすぐに言え。聖女とはいえ人間は脆い」
ライナスばかり心配していたら、自分の心配をしろと言われてしまった。
「そりゃ、ライナスに比べたら人間は大抵弱いよ。ライナスが異常なんだよ」
なにせ彼は魔族だ。物理攻撃や魔法攻撃には滅法強い。聖なる力以外の弱点がこれといって見当たらない。
「いや、お前はまず間違いなく他の人間より弱いぞ。初めの頃はよく腹を壊して一人で青い顔をしていただろう。他の奴らは平気そうだったのに」
「そ、それはこっちの食べ物になれなかったからで……!」
恥ずかしい過去を指摘され、顔が熱くなった。
魔法の世界に浄水場などあるはずがなく、水は当然生水だった。なので初めの頃は体が慣れず、よく体調を崩していた。原因が水だと気づいたのは、随分後になってからだけれど。水は必ず沸騰させてから飲むようにしてからは、だいぶ症状も改善した。
聖女なんて聞こえはいいけど、ようはサバイバル生活だったのだ。
我ながら、よく魔王を討伐できたよなあと思う。途中で野垂れ死ぬ可能性だって十分にあった。相手が魔族なら聖なる力で対応できるけれど、夜盗や山賊なんかが襲ってくる場合もある。昔から逃げ足だけは速かったので、それに救われたのも一度や二度じゃない。
仲間ができてからは、旅がだいぶ楽になった。この世界の常識も、彼らに教わった。
不意に、別れた仲間たちに会いたくて堪らなくなった。
冒険者のターニャは、私たちが二人でクレファンディウス王国に戻ると決まった時、最後まで難色を示していた。
旅の間、常々私たちは世間知らずだから、絶対に二人だけでは行動しないように言われていた。
まだ別れてそれほど時間は経っていないというのに、まるで姉のような細々としたお小言の数々が、もう一度聞きたくて堪らない。
「会いたいな……」
思わずそう呟くと、隣を歩いていたライナスの空気が尖ったのが分かった。
「そんなにアレクシスのやつに会いたいのか?」
さっきからどうも、ライナスは私がアレクに会いに行くのが気に入らないらしい。
一緒に旅をしている時から隙あらば反目し合っていた二人なので、こんな反応になるのも仕方ないのかもしれないが。
「アレクにって言うか、みんなにね。今はターニャのことを思い出してた。ターニャは最後まで私たち二人で旅するのは危ないって心配してたでしょ? 二人とも世間知らずだからって」
私が笑いながら言うと、ライナスの鋭い空気が少し和らいだのが分かった。
「ああ。まあそう言われていたのは俺たちだけじゃないがな」
確かに彼の言う通り、潜入や危機察知に長けたターニャはいつもパーティが余計な荒事に巻き込まれないよう神経を尖らせていた。
私たちを筆頭に一国の王子であるアレクなど民間の常識に疎い人間が多かったため、彼女には多大な迷惑をかけた自覚がある。
それを思い出し、私は乾いた笑いを浮かべた。
「ははー。ほんと、ターニャには足を向けて寝られないよ」
「ん? それはどういう意味だ?」
「ああ、私が住んでた国の慣用句ってやつかな。恩がある相手に足を向けて寝るのは失礼だから、離れててもそっちの方向には足を向けて寝ないって意味」
「なんだそれは。それじゃあ恩人があちこちにいる場合はどうするんだ? 立って寝るのか?」
「ふは! さすがに立って寝るのは無理だよ。そんな厳密には守らなくてもいいと思うけど……。日本にいた頃はそんなにあちこちに恩人がいたわけじゃないから分からないや」
思わず吹き出してしまい、取り繕うようにそう言うとライナスはまだ納得がいかないような顔でこちらを見ていた。
多分こんな風に笑っていられるのは、ライナスのおかげだ。
一人だったらきっと、日本に帰れないという事実の前に押しつぶされていたことだろう。
けれど彼の存在によって、私は随分と救われていた。
「ターニャはグランシアに行くと言っていたから、運が良ければ会えるかな?」
「不可能ではないだろう。なんなら冒険者ギルドに捜索依頼を出せばいい」
「そうだね」
報奨金はもらえなかったが、多少の蓄えならある。私も一応冒険者ギルドに所属していて、魔王討伐のついでに魔族の討伐依頼もこなしていた。なので結構な蓄えがあるのだ。勿論持ち歩いていると色々と危険なので、お金は冒険者ギルドに預けてある。
クレファンディウス国内でお金を下ろすのは危険なので、お金を下ろすのはグランシア王国に入ってからになりそうだ。
それにしてもこの国の王様は、どうして私のことをそこまで嫌うのだろう。日本に帰せないのなら最初からそう言ってほしかった。そんなニンジンをぶら下げなくても、魔族に怯える人々の苦境を見れば結局私は魔王討伐に力を貸しただろう。
別にお金が目的という訳でもない。追手などかけないで、せめて放っておいてほしいというのは贅沢な悩みなのだろうか。
「ねえ、ライナス」
「なんだ?」
「アレクに何があったか話しても、大丈夫だと思う?」
「というと?」
「だってさ、アレク怒らないかな? クレファンディウスの王様に、詐欺師の疑いをかけられましたなんていったらさ」
グランシア王国の王子であるアレクシス・フォン・グランシアは、正義感が強く仲間想いだ。それはとてもいいことなのだけれど、ちょっと頭に血が上りやすく旅の間にも何度か困ったことになったことがある。
「ならグランシアに行くのをやめるか?」
ちょっと嬉しそうに、ライナスが言う。
なんでこの話の流れで嬉しそうにするのか、意味が分からない。
「いや、やめないけど。ちょっと心配になっただけ。できれば先にターニャに会って、どうするか相談したいなあ。私たちの中で一番の常識人だし」
保護を求めるなら間違いなくアレクに救いを求めるべきだが、そのアレクが何をしでかすか分からないとなるとターニャに相談してからの方がいいような気もする。
もしアレクが暴走して、グランシア王国とクレファンデイゥス王国が戦争なんてことになったら大変だ。せっかく魔王を倒して平和になったのに、人間同士の殺し合いになってしまっては目も当てられない。
「じゃあ王都の前に冒険者ギルドだな。そろそろ次の転移いけるぞ」
「わかった。お願い」
どうやら再び転移が使えるまでに回復したらしい。
私は羞恥心を殺してライナスに抱え上げてもらい、そのままグランシア国内にまで一気に跳んだ。 こうしていないと転移できないというライナスの要請があってのことなのだが、横抱き――いわゆるお姫様抱っこをされるのはいつになっても慣れないと思うのだった。