09 方針決め
さて、旅の方針が決まったからには、やるべきことは一つ。まずは行先の選定だ。
私たちは今、忌まわしいクレファンディウス王国のはずれにいる。追われる身でもあるので、とにかくこの国を出たい。
クレファンディウス王国と国境を接している国はいくつかあるが、ここから一番近いのはグランシア王国だ。何よりこの国は、頼りになる仲間がいる国でもある。
「じゃあ、当面の目標はグランシア王国の王都に行くことね」
指針がきまってテンションが上がっている私とは対照的に、ライナスはいつもの無表情を通り越してどこか不機嫌そうだ。
「どうしたの? 勝手に行先を決めたから怒ってるの?」
「怒ってない。アズサはどこへでも好きな場所に行けばいい。俺はそれについていくだけだ」
そう言いつつも、ライナスは不機嫌そうなままだ。
「そんな顔するのやめてよ。仲間なんだから何か行きたくない理由があるなら先に言ってほしい。行先は別にグランシア王国じゃなくてもいいんだし」
そう言うと、ライナスの表情が目に見えて変わった――気がする。他人から見たらきっとほとんど変わってないと評するに違いないのだけれど。
「本当か?」
そんなライナスの問いに、私は何の衒いもなく頷いた。
「うん。だって運命の相手がどこにいるかなんて分からないもん。グランシア王国でだめなら他の国も回るつもりだし、別に最初はどこだっていいんだよ。あー……でも一応追われる身だから、最初は安心できる仲間がいる国がいいかなって思っただけで」
なんだか言い訳をしているみたいだ。本当のことなのに。
そんなことをぼんやり考えていると、ライナスは小さな声でぼそりと呟いた。
「なんだ、俺はてっきりアレクシスのやつと……」
「ん? アレクがどうかしたの?」
アレクシスというのは、これから向かうグランシア王国にいる仲間の名前だ。その名もアレクシス・フォン・グランシア。未来のグランシア王国を背負って立つ、王子様でもある。
彼は最後までクレファンディウスには戻らない方がいいと言ってくれていたのだけれど、どうしても日本に帰りたかった私はその反対を押し切ってこの国にやってきた。
今思えば、アレクにはこうなることが分かっていたのかもしれない。
なにせ王子様だし、彼は私の知らないあのクソムカつくおっさんの情報を耳にしていたのかもしれない。
そんなことを考えつつライナスの様子を窺っていると、少しとげとげしていた空気が目に見えて丸くなった。
「別に異論はない。距離から考えてもグランシアに向かうのが妥当だろう」
「そう? じゃあ意見が変わったらすぐ言ってね? 私だって別に、ライナスを無理に付き合わせたいわけじゃないんだから。そりゃ、頼ってばっかりでこんなこと言える立場じゃないって分かってるけど、最悪私一人でも……」
「絶っ対に! 一緒に行く!」
私と一緒に行動しても得になることなんて何もないはずなのに、魔族の思考回路というのは相変わらず謎だ。
ともあれやけに乗り気になったライナスと一緒に、私はグランシア王国へと向かった。
***
――きっかけは些細な好奇心だった。
そうライナスは回想する。
彼は魔素から生まれ出でた魔族であり、中でも有数の力を持つ高位な存在だった。
魔族と人は相容れない存在だ。人よりも長い人生を生き、人の道徳とはおおよそかけ離れた嗜好を持つ者ども。人を惑わせその苦しみを糧とし、時にその魂までをも食らう。
ライナスがその異世界人に近づいたのは、魔族を亡ぼすことのできる人間という者に興味があったからだ。
そもそもライナスは、魔族の中でも一線を画する存在だった。決して他と群れることがなく、魔王に命じられた人の国への侵攻も他の魔族とは違い楽しみを抱けずにいた。
それでも処罰されずにいたのは偏に、ライナスの圧倒的な力によるものだ。その力は魔王にすら比肩しうると言われ、下位の魔族たちは恐れて近づくことすらなかった。
ライナスは思ったのだ。己を殺す力を持つ異世界人になら、もしかしたら興味を抱けるかもしれないと。
そしてその予想は、思わぬ形で現実のものとなった。
珍しい黒髪に、黒い目を持つ年端もいかぬ少女。
ライナスが初めて会った時、少女はその目に壮絶な決意を宿していた。
自分を呼び出した人間たちに騙され裏切られそれでも、母国に帰るために約束を果たそうと絶望的な戦いに身を投じていた。
そしてライナスが驚かされたのは、そんな状況の中でも彼女が、決して絶望してはいなかったことだ。
顔はやせ細り研ぎ澄まされていたが、その目は光を失ってはいなかった。体中傷だらけになりながらも、決して逃げだそうとはしないのだった。
面白い――生まれて初めて、そう思った。
魔族は人の弱みを熟知している。いくらでも絶望に叩き落すことが出来る。そしてこの娘は、今からそいつらに挑もうとしているのだと思うとぞくぞくした。
だから彼女が堕ちるその瞬間を、その目で見たくなった。
彼が魔王と敵対して聖女に与したのは、そんな理由だ。
だが戦いの中でも、彼女は決して諦めることをしなかった。傷つき疲れ果て涙を流しても、魔王を倒す旅をやめるとは最後まで言わなかった。
そして旅は、聖女の勝利で幕を閉じた。
ライナスを裏切り者と呼ぶ者も当然いる。だが魔王亡き今、魔族の中で敵う者のいなくなったライナスを敵に回すような馬鹿な魔族はいないのである。
そしてライナスは、旅の終わりと同時に己の変容を自覚した。
異世界に帰りたいと渇望する少女を、いつからか帰したくないと思うようになってしまったのだ。
好奇心から近づいた人間は、ライナスにとって毒も同じだった。気が付いたら目で追っている。離れられなくなっている。彼女のこととなると歯止めが利かない。
――渇望していた帰途への道が閉ざされても、少女の目が絶望に染まることはついぞなかった。
『恋がしたい』などと言い旅を続けることになった彼女から、ライナスは未だに離れられずにいる。