04 信じた私が馬鹿だった
おっさん王が、さも不思議そうに問い返してくる。
「私が元いた世界の事です。魔王を倒したら帰してくださるといいましたよね?」
いい加減何度同じことを言わせるんだとうんざりし始めていたら、王は少し考えた後わざとらしくとぼけるような顔をした。
「はて。そんな約束したかのう。大臣、覚えはあるか?」
すると名指しされた大臣とやらが、音もなく進み出てくる。
「いえ、王がそのような発言をしたとは記録に残されておりません。聖女の勘違いかと思われます」
「ちょっと!」
突然出てきた男のあまりの言い草に、私は思わず立ち上がった。
「魔王を倒さないと帰してくれないって言うから頑張ってきたのに、今更すっとぼける気!?」
もう我慢は限界に来ていた。
必死にかぶっていた猫が飛び起きて逃げていく。
今すぐ聖なる力を突きつけて日本に帰せと脅したくなったが、聖なる力は残念ながら魔族にしか効果がないのだ。
もし私に仲間たちほどの剣術や魔術があったら、私は間違いなく武力行使をしてでも日本に帰ろうとしただろう。
「王の御前で無礼であるぞ!」
立ち上がった私に、非難の声や視線が集中する。
だが、そんなものはこわくなかった。血に飢えた魔族に囲まれた時のことを思えば、この状況などただただ苛立たしいだけだ。
私が王を睨みつけていると、彼はそんなものどこ吹く風でにやりといやらしい笑みを浮かべた。
「例の者を呼べ」
どうやら、私との謁見に際し誰かを呼び寄せていたようである。
召喚に関った魔術師でも呼んでいるのだろうかと思い待っていると、謁見の間に驚くべき人物が入ってきた。
それはこの国を出る時にお金を持ち逃げしたはずの、騎士とは名ばかりの低俗な貴族であった。
「なっ!」
私は驚き、王と騎士の顔を交互に見た。
そしてそのどちらにも、ついでに大臣の顔にまで、私を馬鹿にするような人を食った笑みが浮かべられている。
「さて、我が国の騎士よ。直答を許す。この聖女を名乗る不届き者の罪状を述べよ」
「はあ!?」
さすがにこれには、思いっきり素で驚きの声が出た。
だって王の言葉を信じて大人しく魔王討伐に出かけた私に、一体どんな罪があるというのか。罪というならば騎士と名乗りながら途中で逃げ出した男の方が、よほど不届きだろうと言い返してやりたくなる。
「は! ご報告いたします我が君。そこな娘は聖女を騙り、いやしくも王から金貨三十枚をせしめた極悪人であります。その上自分は魔王を倒したと吹聴し、無理難題を押し付けさらなる褒美を得ようとしていると思われます。僭越ながら、このような非国民は厳罰に処すべきかと思われます」
(はあ!? 金を持ち逃げしたのはそっちだし、そもそも支度金だって金貨五枚がいいとこなのに三十枚とか! こいつらは一体どこまで私をこけにすれば気が済むの?)
あまりのことに私が怒りに震えていると、成り行きを見守っていた姫が驚いたように口に手を当てて声を上げた。
「なんて恐ろしい! 勇者様も騙されているのですわ。その偽聖女に!」
まるで舞台の上にでも立っているかのように、姫は情感たっぷりに私を批難しそしてライナスに流し目を送った。そして彼が無反応なのを肯定とでも受け取ったのか、椅子から立ち上がりやけに大きな胸を強調しつつライナスに駆け寄る。
その様子を王たちは、止めるでもなく黙って見守っていた。おそらくは私の味方を削ぐことができれば好都合とでも思っているのだろう。
ちらりとライナスに視線を送れば、彼は二の腕に谷間を押し付けられながら、不思議そうな顔をしていた。
「アズサ、日本帰らないのか?」
「いや、今それどころじゃないでしょうどう考えても」
日本に帰るどころか、冤罪で今にも拘束されそうである。その証拠に、例の泥棒騎士と同じ格好をした騎士たちが、いつの間にか槍や剣を手にじりじりとこちらを包囲し始めている。
最初からこれが目的だったのかと、私は頭を抱えたくなった。
この二年間でいろいろなことを経験しちょっとのことでは驚かない図太さを身につけたが、それでもさすがに騙されたという事実や日本に帰れないという現実を前に、途方に暮れる。
「どうするんだ? 帰るのか?」
ライナスは姫君のラブコールなど意に介さず、無表情で聞いてくる。
いや、どちらかといえば少し悲しそうにすら見えた。ここまで姫を徹底的に無視できるのは、流石魔族と言えるのかもしれない。
「帰れないよっ! ああ、もういい私が馬鹿だった!」
迫りくる騎士たちを威嚇するつもりで、私は大声で叫んだ。
包囲網の後ろにいる王もまた、少し驚いたようだ。
「撤収しよう。ライナス頼める?」
尋ねると、ライナスは少しだけ嬉しそうに頷く。
「了解した」
そうして差し出された手を取ると同時に、私たちの目の前から騎士たちや王、それに姫が掻き消えた。
ざわざわという騒がしさは雑踏のそれだ。手をつないだ私とライナスは、次の瞬間建物と建物の間にあるごく狭いスペースに立っていた。
「ここは?」
「まだ王都の中だ。とりあえず目立たなそうな場所に跳んでみた」
これはライナスの特殊能力で、一定の距離を瞬時に移動できるというものだ。今までに何度も助けられた能力だが、今ほどありがたいと思ったことはない。
だが、私の胸は城からの脱出に成功した喜びよりも、日本に帰れないという悲しみの方が大きかった。
最初から少しおかしいと思っていたとはいえ、自分を召喚した人たちがちっとも信頼に値しない屑だったと認識したことで改めて徒労感が溢れ出てくる。
しばらく黙ってその場に立ち尽くしていると、ライナスが心配そうに顔を覗き込んできた。
よく知らない人ならば怒っていると勘違いしかねない、無表情のままではあるのだけれど。
「アズサ、悲しいのか?」
そういえば、ライナスと手をつないだままだった。イケメンと手を繋いで顔を覗き込まれているというのは、なかなかに妙な状況だ。
慌てて手を離そうとしたら、それをどう思ったのかライナスの手により一層力がこもった。
単純な力勝負で勝てるわけがない。私はライナスの少し冷たい手の感触を感じながら、自分の中に荒れ狂う感情をやり過ごすべく唇をかんだ。
「やめろ」
手をつないでいるのとは別の手で、彼が私の頬に触れる。
きっと彼にそんな顔をさせるぐらい、今の私はひどい顔をしているのだろう。
「いつか帰れるってそれだけが心の支えだったけど、その糸が切れちゃった」
日本へとつながる、か細い希望の糸。
ずっとそれだけを頼りに、この二年間を生きていたというのに。
希望が絶たれた今、自分が立っている足元すら危うく感じられる。
日本に帰れないのならば、なんのために私はこの手を汚し大勢の魔族を屠ったというのか。
「あんなやつらの言うこと信じてたなんて、ほんと馬鹿だよね」
笑い飛ばしてやろうと思うのに、どうしても言葉が震えた。
ライナスの手が伸びてくる。彼は私を抱きしめると、悔しさと悲しみで震える私を黙って泣かせてくれた。