02 私は青春を取り返す
街は魔王討伐の報に沸き立っていた。
怯えて暮らしていた人々の顔に笑顔が戻り、子供は楽しそうに石畳の上を駆け回る。
二年にも及ぶ旅を終えて旅塵に塗れていた私は、それでも自分の成し遂げた功績によって人々を笑顔にできたのだと、束の間の達成感に酔っていた。
私を召喚しやがったこのクレファンディスウス王国の王やその周辺には正直憎しみしかないが、それでも王都に暮らす人々に罪はない。
私は晴れ上がった空と人々の笑顔を見ながら、万感の思いを込めて城への道を歩いた。
「随分騒がしい街だな」
私と同じように周囲を見回しながら、唯一の同行者である男が低い声で呟いた。
他の仲間たちは皆自分の国に帰ったのだが、この男だけはどうしてもついてくると言ってきかなかったのだ。
見上げるような身長は早めに成長が止まった私より頭二つ分ほど大きく、雑踏からも頭一つとびぬけている。
黒い革鎧と剣で武装した姿は一見細身にみえるが、体幹にブレはなく背筋がぴんと伸びている。
なにより。先ほどからすれ違う女性たちがちらちらとこちらを気にしているのは、その物騒な格好を見とがめたからではない。
ライナスと名乗るこの男は、顔がとんでもなくいいのである。
様々な色彩を持つ者が暮らすこの世界でも珍しい銀髪に、更に珍しい金の目。
騒ぎを嫌い珍しい黒髪黒目をフードで隠している私と違って、彼はその顔や髪をちっとも隠そうとしない。おかげでこの秋波の集中攻撃というわけだ。
ちなみに日本人の中でも小柄な私は女性たちの視界にも映らないのか、こんなイケメンの傍にいても嫉妬されることは滅多にない。
女性は髪を伸ばすことが美徳とされるこの世界で、どうせ手入れなどできないからと短く髪を切っていることもその理由だろう。その証拠に、初対面の相手はまず間違いなく一度は私を男と間違うのである。旅をするにはそちらの方が好都合なので、あえてそうしている面もあるのだが。
だが、日本にさえ帰れればそんな日々ともおさらばだ。
清潔な住環境。優しい両親。きちんと法整備された安全なサンクチュアリ。
こちらの世界に来て初めて、私は日本がどれだけ便利で平和かということを思い知った。
それに和食も食べたい。こちらにも似たような食べ物がないわけではないが、味噌や醤油など日本由来の調味料が存在しないのである。なので味付けは全て洋風。その上砂糖や香辛料も、とても普段使いできる値段ではない。
一歩足を進めるごとに、堪えていた日本への郷愁が高まっていく。
思わずスキップしそうになっていると、私の上機嫌と反比例するようにライナスの機嫌が降下していくのが分かった。
「元の世界に帰れるのがそんなに嬉しいのか?」
そう言うライナスは苦渋を隠そうともしない。
「そりゃー嬉しいに決まってるでしょ! ある日突然こんな世界に放り出されて、魔王を倒せとか無茶振りされたんだから」
「む。だが、未練はないのか? 仲間達との別れもあれほど惜しんでいただろう。異世界へ帰ったら二度と会えぬのだぞ」
そう言われては、確かに少し寂しい気持ちもある。
だが他の仲間達は、私の事情を分かって快く送り出してくれた。
私がどれほど故郷に帰ることを渇望しているか、ライナス以外の仲間はちゃんと分かっていてくれていたのである。
私はこの期に及んでもまだ引き留めようとするライナスを振り返り、大きなため息をついた。
「あのねえ、そりゃみんなと二度と会えないのは寂しいよ。でもそれを言うなら、こっちに残ったら育ててくれた両親に二度と会えなくなっちゃうんだよ?」
「では、その両親とやらの方が大事ということか?」
私は再びため息をつかねばならなかった。
そもそもこのライナスという男は、常識が通じない。それは日本の常識が通じないという意味ではなく、人間としての根本的な常識が通じないのである。
なぜかといえば、それは彼が人間でないからだ。
ライナスは、旅の途中で出会った魔族である。どうやら魔王軍も一枚岩ではなかったようで、魔王討伐に協力すると言ってついてきた。
人間離れした美貌もそれゆえと言える。ただ、魔王を倒した後もどうしてここまで付いてきたのかは本当に分からないのだが。
「とにかく、私は縁もゆかりもない世界のために貴重な十代最後の二年間を無駄にしたんだから、さっさと日本に帰って青春を取り戻すの! 恋とか恋とか恋とか!」
魔王を倒すための殺伐とした日々の中では、恋愛にかまけている暇すらなかった。せめて成人する前に、日本に帰って彼氏の一つも作りたいところである。
日本にいた頃はそれほど恋愛に憧れていたわけではなかったのだが、こちらに来て今までとはあまりにもかけ離れた日々を送る内、恋に一喜一憂する学園漫画がどうしようもなく尊いものに思えるようになった。
私だって一喜一憂するなら、明日死ぬかも知れないなんてシビアな悩みよりかわいらしい恋の悩みの方がいいに決まってる。
そういうわけで王城に着いた頃には、私の頭の中は『日本、両親、恋愛』の三文字しかなくなっていたのである。