大相撲セキララ回顧録 第二十八章 恐怖の瞬間湯沸器大相撲セキララ回顧録 第三十章 毎日肝試し状態

2012年01月05日

大相撲セキララ回顧録 第二十九章 お屠蘇の味

相撲取りでも正月を迎える。(←当たり前)
しかし、相撲界の正月も、世間一般の正月とはちょっと違う。
大晦日の夜、元旦は稽古休みとあって、兄弟子連中はほとんど出掛け、私達下っ端は紅白を見ながらみんなリラックスしていた。布団に横になってウトウトしていた私であったが、年明けの瞬間、吉永が異常にはしゃぎ、たたき起こされてしまった。やはり、日頃ストレスが溜まっているだけに、この時ぐらいははしゃぎたいのだろう。
すっかり目が覚めてしまった私は寝るに寝られなくなり、やることもなく、一人でボーッとしていた。すると工藤が、
「おい、狂士郎、お参りにでも行かないか?」
と言い始めた。
「おう、行くか」
私は二つ返事で答えた。どうせ眠れなくなったのだし、絶好のヒマつぶしだと思い、工藤と出掛けることにした。行き先は明治神宮である。着物に着替え、タクシーを拾い、電車に乗り換え原宿に向かった。
原宿に着くや、人だらけである。しかもさすがに若者ばかりだ。そして例の如く、行き交う人々の好奇の視線に晒されるのだった。私は「おう、行くか」の言葉を少しだけ後悔し始めてた。部屋で寝てりゃよかった・・・。しかし、厚顔無恥の工藤は平然としている。

さてさて、本当に後悔するのはこれからであった。

とりあえず明治神宮に着いた我々であったが、これまた目を疑うような人ごみである。境内に入ったが、全く前に進まないのだ。人に押され、着物も乱れてくるし、下駄で歩くのもかなりつらい。前に進むことも出来なければ、後ろにさがることも出来ない。人ごみに翻弄される力士というのもかなり情けない物がある。
やっと本殿にたどりついたと思いきや、ここでも人ごみにもみくちゃにされ、お賽銭を投げただけで手を合わすことさえ出来なかった。しかも、後ろの参拝客が投げたお賽銭が私の横っ面を直撃したのだった。これではご利益も何もあった物ではない。あの時の痛さは今でも蘇ることがある。
楽しいはずのお参りも、一転してブルーな出来事となってしまった。工藤も同じ気持ちであったろう。そして工藤はこんな状況を打破するべく、とんでもない提案をしてきた。

「狂士郎、女の子をナンパしよう」

おいおい、本気かよ・・・。
私は早く部屋に帰って寝たい気持ちであったが、このまま帰るのももったいないという気持ちも半分だった。しかし、私は女の子をナンパするなどとてもできない性格なので悩んだが、後者の気持ちが少しだけ上向いたので、工藤に任せることにした。
「よし、あの二人組に声を掛けてみよう」
早くも工藤は獲物・・・いや、目標を決めたようだった。見た目は二人とも可愛い系、一人は帽子をかぶっていて、もう一人は背がスラッとしていて、スタイルがいい。年齢的には私達と同じぐらいであったろうか?
「狂士郎はここで待っててくれ」
工藤は「俺に任せろ!」という感じで、ターゲットの二人組に向かって行った。私は約20メートル先から工藤のナンパぶりを見守っていた。どのような会話がされていたのかは聞こえなかったが、工藤の表情と女の子二人組の様子から見て、結構苦戦しているようだった。
女の子二人組は、まさか相撲取りにナンパされようとは思っていなかったであろう。対応に苦慮している様子が分かる。だが、普通の一般人のように、相撲取りを見て驚いたような目ではなかった。
「おっ!脈ありか!?」
ほどなく工藤が私の所に戻って来た。女の子二人組が付いて来なかったので、どうやら玉砕したらしい。
「いやあ、背の高い子の方はよかったんだが、帽子をかぶってる方の子が警戒しちゃってさあ・・・。」
工藤はバツが悪そうに、色々言い訳していた。あたかも、女の子二人組のノリが悪かったと言いたげに。

しかし、結局断られた最大の原因は、工藤のヘビーな風貌にあると私はにらんだ。

当時は男前(と言われていた)だった私が行ってたらもっと違う結果になっていたかも知れないが、工藤の顔を見たから硬直していたに違いない。
そんな工藤も数年前結婚し、一児の父だと言う。うーむ、工藤にまで先を越されてしまうとは・・・。

仕方なく部屋に帰ることにした我々だったが、空腹であることに気付き、食事をするべくファミレスに入った。しかし、ここでもかなりの混雑で、席につくのに一時間ぐらいかかった。深夜と言えど、年越しの日は人がたくさん出る。我々は長居は無用と、980円の薄っぺらなステーキを食べて、店を後にし、部屋に帰った。部屋に帰った時は夜が白み始めていたが、まだ兄弟子連中はほとんど不在。私と工藤はふとんに潜り込み、短い睡眠を取った。

そして元旦の朝。
稽古休みだけに、ゆっくり寝ていられるのかと思いきや、やはり正月には恒例行事があるようで、結構早くから起こされた。ほとんど寝ていない。兄弟子連中もいつの間にか帰ってきている。
年明け、一番最初にやることは、親方に新年の挨拶をすることだと言う。しかし、それがまた私としては不快な儀式であったのだ。
私達は着物に着替え、三段目以上の兄弟子連中は羽織、関取衆は紋付袴。英之助さんもスーツで決めている。やはり正月は正装である。着替えを済ませ、部屋の玄関の前に集合した。
そして、関取衆から順番に、一人ずつ部屋の三階の親方宅に上がっていく。どうやら、一人ずつ新年の挨拶をするらしいのだ。

ちょっと待て!新年の挨拶をするのはいいが、一人ずつとはどう言うことだ?親方宅では一体どのような儀式が行なわれているのか?一体どう振舞えばいいのか?

そして私の順番が来た。
親方宅に入ると、座敷には親方夫婦と娘三人が勢ぞろいしている。もちろん親方一家も正装だ。座敷のテーブルには、お屠蘇とお年玉らしき袋が置かれている。テーブルを挟んで、向かい側に親方一家が並んで座っている。こっち側が一人で親方一家と向き合わなくてはならない形だ。どう振舞えばいいのかは大体察しは付いた。敷かれていた座布団に座り、
「あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」
と深々と頭を下げた。すると、親方に
「ホレッ!」
と盃を手渡され、おかみさんにお屠蘇を注いでもらった。どうやらこれを飲まなくてはならないらしい。しかしだ。
テーブルの向こう側には、親方一家総勢五人が並んで座って私を凝視している。非常に飲みにくい状況である。しかし、飲まないワケにはいかない。私は何とも言えない気持ちを押し殺し、微妙に震える手でお屠蘇を飲んだ。一つ間違えれば、お屠蘇が鼻から吹き出てしまいそうな状況である。
「ズズズズズズズズ・・・・・・・。」
お屠蘇をすする音だけが静まり返った座敷内に響き渡るのであった。
そして、おかみさんに
「頑張ってね」
と、お年玉を手渡され、私は座敷を出て行った。

力士全員が親方一家への挨拶終え、力士一同が集合し、新年の記念撮影が行なわれた。全員整列し、まさにシャッターが切られようとする瞬間、最後に親方一家への挨拶を終えた英之助さんが階段を急いで下りてきて、
「おーい!待ってくれ!」
と叫んだが、時すでに遅く、英之助さん抜きでシャッターが切られたのであった。後日出来上がった写真を見ると、集合している力士一同のななめ上あたりに、階段から下りてくる英之助さんの体が半分だけ写っていたのであった。

そして、食事が始まるのだが、お雑煮が一杯ずつ、あとはかまぼこ、玉子焼きと、大きな鯛の塩焼きを一口ずつ回し食いをするだけのシンプルな物であった。だが、用意と片付けはやはり忙しい。
しかし、稽古は休み。あとは出掛ける者、寝る者、泥酔する者と、正月の過ごし方は様々であった。私は夜のダメージもあり、「寝る者」であった。テレビで爆笑ヒットパレードを見ながら、いつの間にか寝付いていた。

さて、新たな一年が始まり、初場所、デビュー一周年の大阪場所と続いていく。
私にとって、これまで以上の屈辱の一年が始まろうとしていた。

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