キッズ・ゲルニカの奈良でのワークショップは、歴史都市奈良の文化財がユネスコの世界遺産に登録されるのを契機に、市民団体(エコ&ピースなら実行委員会)の主催による「エコ&ピースなら」というイベントの中で、ピースイベント分野のメインイベントとして行われた。 ユネスコの世界遺産プロジェクトは、一般的には、世界的な文化財保護と自然保護の運動として知られているが、ほんとうは平和と環境をテーマにしたグローバルプロジェクトである。ユネスコの前文には、恒久的な平和のためには、人々の心の中に平和の砦を築かなければならない、ということが書かれている。世界遺産は、民族文化のシンボル的な文化財を人類共有の世界遺産として登録することにより、互いに違いを認めあい、さらには、一見異なっているように見える互いの文化に普遍的な価値のあることを発見し、民族紛争を克服し、平和を築くという目的を持っている。
ワークショップの初日はキッズ・ゲルニカについての説明と、これら世界遺産に登録される文化財や原始林について知ることから始めた。 まず東大寺では大仏殿に入って大仏様を見た後、東大寺の僧(狹川宗玄長老)の話を聞いた。ここでのポイントは、東大寺の大仏殿は、日本人だけの技術で建設されたのではなく、唐(今の中国)や百済(今の韓国)の人々の協力で建設されたことを知ったことである。そして、大仏像が出来たときには、インドやベトナムからも僧が来て祝賀のイベントが行われたことも知った。 次に若草山の麓を通り、巨樹や古木を見ながら春日大社に着いた。春日大社では、神官(中東弘権宮司)の話を聞いた。ここでのポイントは、神社は自然を守っているということである。神社で一番大切にしているのは、建物ではなくて、森と水だということを知った。最後に鹿がたくさんいる飛火野という野原から、原始林を見た。
この日のイメージを素材に、第2日は、下絵の製作に取りかかった。 私たちは、絵を描くときに条件を付けた。それは、絵に文字を書かないことである。文字に頼らず、絵だけで表現しよう、ということにした。 音楽が言葉がなくても何かが伝わるように、絵も言葉がなくても何かが伝わるはずなのだ。それに、文字ではかえって言葉の壁を作ってしまうかも知れない。もう一つの条件は、どのような絵になるかが決まるまで他の地域の絵を見せないということである。 また、できるだけ本物を見た実感をもとに描こうということも途中から採用したことであった。分からなくなれば外に出て見に行くことにしたのである。
子供たちは、巨大なキャンバスのあちこちに自分の領地を確保して、思い思いの絵を描き出した。この時点では、大仏様は6つもあった。 その光景は、最近の子供たちが置かれている環境をそのまま反映しているようだった。いったん休憩して、その絵をみんなで見た。絵について子供たちに意見を求めた。誰もが描きたいものはだいたいよく似ていた。大仏様、若草山、鹿、原始林である。これを幹にして枝や葉を付けて行くようにして、ようやく下絵がまとまった。けれども自分の意見が採用されなかった二人が頑張る。ついに泣きだした。 みんなが意見を出し合って出来た下絵案は、みんながそれぞれ最初に描きたかった絵とは違う。全員すこしずつ我慢しているのである。この子の描きたかったのは大仏殿で下絵案では採用されなかったものが色を塗る段階で復活し彼は大仏殿の責任者となり、その後すっかり元気になった。 私たちは技術的なことに関しては指導したが結局絵の構成も彩色や配色も子供たち自身で決めた。その道のりは決してなごやかなものばかりではなかった。子供たちはしょっちゅう小競り合いをし小さな喧嘩もあったのである。しかしいつの間にか仲直りをしていた。私たちはそうした仲裁には危険なことがないかぎりはいらないことに決めていた。 最終日が近づくにつれて、数人の子供たちの中に完成させようとする責任感や連帯の意識が生まれ、彼らは、自分が表現したいように表現できるまで予定の時間をオーヴァーして、暗くなるまで頑張った。 絵の周囲には戦争災害や自然災害を受けている海外の子供たちの写真を置いた。絵を描いている目的や動機を明確にし、常に確認できるようにするためである。
こうして、美術教育に携わっていないNGOの活動家たちの手によって行われた奈良のキッズ・ゲルニカは、1999年11月8日に完成披露を行うことになった。壁画は大仏殿の前を出発し会場までの道のりを子供たちの手で運ばれた。 会場では絵が舞台のバトンに結び付けられ、イマジンの曲とともにせりあがり、子供たちも一緒に、平和をテーマとしたコンサートが出来上がったばかりの絵の前で行われたのである。 キッズ・ゲルニカは、芸術を通じて、子供(未来の大人たち)に希望を託す恒久的な平和構築のためのグローバル希望プロジェクトというこころみである。 平凡なことだが、子供たちに夢や勇気を与えようと思うなら、私たち大人が夢を持って行動する以外にないことを、私たちは確認した。 (染川明義 記)
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