中国政府が消していく「遺族の記憶」、戻った日常の裏で強まる弾圧と監視 新型コロナから1年の武漢で何が起きているのか

2020年12月8日 05時50分
 中国の武漢市当局が新型コロナウイルスの初感染者を認定した昨年12月8日から1年になる。1100万を超える武漢市民が日常を取り戻す中、感染拡大当初の悲劇は「コロナと闘った英雄たち」の物語に書き換えられていた。政府の情報公開の遅れを批判する遺族は監視され、事実を語ることすら許されない。(湖北省武漢市で、白山泉)

武漢市で11月末、感染拡大当初に全国から応援に駆けつけた医療従事者らをたたえる展示会。防護服には当時のサインも=白山泉撮影

 「人類が感染と闘った歴史に英雄の壮挙が刻まれた」。武漢で11月中旬に開かれていた「コロナ撲滅展」の会場に掲げられた説明文。全国から応援に駆けつけた医療従事者や、2カ月半の都市封鎖(ロックダウン)に耐えた市民が称賛され、共産党の習近平しゅうきんぺい総書記の指揮の下、人民が団結し打ち勝ったと伝えている。大勢の市民や党員の団体が展示に目を凝らしていた。

◆進む物語の書き換え 悲劇は「英雄たちの物語」に

 「景気は良くなった。市民全員がPCR検査を受けているし、武漢は世界で1番安全な街だよ」。屋台を出す劉波りゅうはさん(25)は揚州チャーハンを作りながら白い歯をのぞかせた。
 彼の後ろに見える建物は武漢市中心医院。感染拡大の兆しを内部告発した結果、当局から「デマを流した」として処分された李文亮りぶんりょう医師=当時(34)=が働いていた病院だ。自ら感染して犠牲になった直後はネット上に「英雄が去った」と書き込まれ、追悼活動も開かれた。だが、ある市民は「今は全ての活動が禁じられている」と打ち明ける。
 李さんが警鐘を鳴らした事実は展示会場の「英雄の歴史」には書かれていない。説明文の冒頭は1月7日。習近平氏が感染対策を指示したと記される。
 「美化された記録だ」。父=当時(66)=を新型コロナで失った遺族の女性は、今も悪夢にうなされる。父は「人から人への感染」が公表される直前に感染。「政府幹部や医師は感染拡大を知っていた。市民に早く知らせてくれていれば、父は死なずにすんだ」と憤る。彼女が望むのは亡くなった人々の名前を記した祈念碑を建て「もう二度と同じ過ちが起きないよう警告する」ことだという。

◆政府の責任追及を封じ込め 遺族「悪夢の中で生きている」 

 一部の遺族は、地元政府の情報隠蔽いんぺいについて裁判所に損害賠償や責任の追及を求める訴えを起こそうとしているが、受理されないばかりか、遺族を支援する弁護士への圧力も強まる。
 米国在住の中国人弁護士は電話取材に「メールも監視されており、相談を受けた直後に警察から遺族に電話が入る。多くの人は当局による威嚇で相談することすらできない」と話す。
 初めて集団感染が起きた市中心部の卸売市場は完全に封鎖されたままだが、市民はコロナ前の生活を取り戻したように見える。その一方で、遺族への弾圧は続く。「私たちは悪夢の中で生きているみたいです」。遺族の女性はこう話し、うっすらと涙を浮かべた。

武漢の感染拡大 2019年12月30日、警戒を呼びかける李文亮医師のSNSへの投稿が拡散。20年1月1日に海鮮卸売市場を閉鎖し、同23日から都市封鎖を始めた。武漢市当局は2月、初の発症者が確認されたのは19年12月8日だったと発表。市内の感染者は5万354人、死者は3869人に上る。

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