マヨの本音

日本の古代史から現代まで、歴史を学びながら現代を読み解く。起こった出来事は偶然なのか、それとも仕組まれたものなのか?

広島原爆の本当の目的は?

2020年12月06日 07時18分27秒 | S氏の告発
間違いがあり、少々修正しました。

さて、もうじき誕生日なんですよ。69歳になります。自分ではまだまだ現役連中に瞬発力でも思考力でも何ら劣ることはないと思っていますが、実は記憶力に関してはそろそろ認知の対策が必要じゃないかと悩んでいます。6種類ぐらいのイラストと、4桁の数字を眺め、その後にいくつかの計算をさせられる。その計算をしたあとに「最初のイラストに何が描かれていましたか?」とか、「4桁の数字は覚えていますか?」と言われ答えられるのか、「うーん、やばいじゃん」。
計算問題も、例えば「73-7」なら簡単だが、「ななじゅうさんひくなな」と書かれているとやや難易度が上がる。うーん、75歳の免許更新まで時間はたっぷりある、うん、訓練しておこう。

まゆみさんから何度かコメントをいただき、感謝してます。そして驚きました。まゆみさん家にこのブログを紹介されたとたんアクセス数がいきなり1000件増えました。相変わらずまゆみさんの影響力はすごいんだと感心しました。
まあ、現在このブログの平均アクセス数は400ぐらいで、特に増やそうとは思っていないし、多くなると悪質な嫌がらせが来るのでこっそりやってゆきます。奇兵隊さんの名前も懐かしいな…そういえば龍さん元気かな‥‥?

本題に入りましょう。
1944年(昭和19年)に千葉県印旛郡公津村台方(現・成田市台方)の麻賀多神社の末社である天日津久神社を参拝する。その直後、同神社の社務所で大本系の関連啓示となる『日月神示』(別名:『ひふみ神示』、『一二三神示』)を自動書記する。
この年、岡本天命は「最後の仕上げ」を宣言したのです。

ブレトン・ウッズ協定(ブレトン・ウッズきょうてい、英語: Bretton Woods Agreements)とは、第二次世界大戦後半の1944年7月、アメリカ合衆国のニューハンプシャー州ブレトン・ウッズで開かれた連合国通貨金融会議(45ヵ国参加)で締結され、1945年に発効した国際金融機構についての協定である国際通貨基金協定と国際復興開発銀行協定の総称。

1944年7月のブレトン・ウッズ会議で、国際通貨基金と共に設立が決定された国際復興開発銀行は、翌1945年に実際に設立され、1946年6月から業務を開始した。

1945年8月 広島に人類初めての原子爆弾が投下される。

終戦の一年前、ドル基軸通貨に統一するためのブレトンウッズ協定が集結されるが、敵対する米国・欧州の国に混ざり日本もこの協定に参加している、って言うか逆に米・英とともに日本もその中心に入っている、変でしょ、戦争継続中だったんですよ。

この謎についてはこのブログでは何度も述べているが、要は寺内元帥の率いる中野学校の特殊部隊がインドネシアのオランダ領事館を急襲し、そこに保管されている大量の金塊を押収、ヨーロッパの王族を拉致しヘッセン側と人質引き渡しの取引をしたのです。
この金塊はアジア各国へ送られ、各国の軍部に保管させたのです。この金塊がドル基軸の裏付けになるのであり、いかに大量であったかがうかがい知れるというものです。
さて、今回はその話ではなく、なぜ広島で原爆が起爆されたのか・・・・の話になります。
要は、ブレトンウッズでドル基軸体制になることは分かっていて、その時点でドイツの敗戦は決まっていた。が、日本は敗戦国としてはそれほど存在感はなくこのままでは支援の中心がヨーロッパに行ってしまう。で、次の第三次世界大戦を見据え、岡本天命さんが登場する。そして大内家のおひざ元で日本製原爆を日本人(某乳酸菌会社の創業者にも名を連ねる北朝側の人物)が起爆スイッチを押した。これで日本は被爆国になり、ボロボロになっている発展途上国となる。つまり、開発銀行の援助の対象となり簿外資金の投入が決まる。アジア開発銀行ができたということですね。
もちろん以前述べたように、この起爆装置は日本独自の技術、乳酸菌と花火の技術が使われており、この起爆で世界でウラン起爆装置の権益が確定した瞬間でもあった。現在でもウラン型の原爆にはすべて日本製の起爆装置がセットで販売されるという。
世界開発銀行は現在世界銀行となり、そこで発行される世界銀行債という債券が支配者たちの資金の移動、交易の決済に使われているという。まあ、この債券を調べましたが、私たちにはわかることは少ないですね、プロの使う道具は我々庶民には縁がなさそうです。

さて、この話のおまけですが、寺内元帥の父親、寺内正毅は戸山学校出身です。S氏にそのあたりを確認したところ、「戸山学校は徳川尾張藩の敷地内に作られた学校で、そっちの派閥の教育がされたわけで、本来は中野学校(寺内寿一)の実行部隊だったのですよ。つまり、中野が戸山を裏切り北軍と共同歩調を取ったということ。だけど陸軍の次の大将、畑は元の体制に戻したわけだ。」
要は、寺内正毅の時代、彼が外相時代にヨーロッパに渡りプロイセンでビスマルクやサボイヤなどと語り合い、世界の動きや簿外資金の使い方などを学び広い視野、つまり世界は誰が動かしているのかなどの知識を得たのではないかと推察します。
実は中野学校というのはF機関(藤原機関という意味)で、陰陽師のスパイ組織だった。こちらも表と裏がある。五字切りが表で一つ足して六文字でダビデ紋、九字切りに一つ足すと十字、つまりキリスト教・・・みたいな。
いずれにしても〇〇宮のなかで東インド会社の系統に属するはずが、そこの重要拠点を襲撃したんだから〇〇宮もびっくりしたことでしょうよ。
皆は気が付いていないと思いますが、日本の現在があるのは実にこの寺内正毅と寿一、そしてビスマルクのおかげであると言わざるを得ません。いつか彼のお墓へ線香でもあげに行かなければと思っています。
残念なことに、寺内を現在の資料で調べてもろくな評価はされていません。歴史というのはそういうもので、真実は真実を知るものがひそかに「口伝」で伝えられるものなのです。
まゆみさんがトランプに関する記事をたくさんアップしています。しかし現状では大手マスコミの流すニュースに埋もれ、何が本当なのか全く判断がつかない。このトランプ騒動はいつまで続くのか、今のところ全く分かりません。S氏に聞いても「今のところお伝えする情報は入っていない。」とのこと、つまり現在進行中の案件なのだ。もう少し楽しませていただきましょう。

追加

キッシンジャーの情報が少しありますので追加しておきます。ナチスがユダヤ人を収容所へ送る前に、イスラエルに移住するなら優先的に逃がしてやるという話で、キッシンジャーとシュール・アイゼンバーグはドイツを逃れ上海へ入ります。上海は当時なんでもありの無法地帯。そこで二人は東インド会社のスパイとなった。要は東インド会社の兵器セールスマンになったということ。
つまり、セールスとして親会社は「コロナ後に金融危機を起こし、ドル基軸体制をひっくり返す」ことができないと、本気で戦争を引き起こしたいと言っていますと伝言したということでしょう。

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またもや時短営業へ・・・

2020年11月26日 18時29分15秒 | S氏の告発
またもや時短営業の要請がでてしまった。わがうどん屋とカフェには全く関係のない時短営業要請だが、影響は強烈にやってくるだろう。大企業はテレワークを増やすだろうし、自宅勤務に切り替える会社も増えるだろう。昼食のための外出を禁止している企業も多いし・・・どちらにしても景気にはマイナスである。何とかならないものか・・・。

さて、PCR検査のサイクル数というのをご存じだろうか。このサイクル数を増やすと陽性患者をいくらでも増やすことができるという話なのだ。
PCR検査(新型コロナの場合はRT-PCR検査)とは、検体に含まれている極めて微量なウイルスの遺伝子を、2本から4本へ、4本から8本へと複製させるサイクルをくり返すことで、検出可能な数にまで増幅させて、陽性判定を行うものだ。
細かい話は専門的だし難しいので省略しますが、要は増幅しないと発見できないぐらいウイルスは小さく少ないからなのだろう。しかし、増幅しすぎると本来は陰性の場合でも陽性になってしまうことがありうるようなのだ。
https://diamond.jp/articles/-/250443
「PCR検査ではサイクル数を増やすごとに、より少ないウイルスでも陽性になる。
 理論的には、10サイクルだと、ウイルスが1000万個以上ないと陽性にならないが、20サイクルにすれば10万個以上で陽性になる。30サイクルでは1000個以上で陽性になり、40サイクルになると、わずか10個以上でも陽性になるのだ。
 新型コロナの場合、感染して発熱などの症状が出るには少なくとも10万個程度のウイルスが必要だから、感染しているかどうかの判定は20~25サイクルで検査するのが適切だと大橋氏は言う。
 ところが、日本の国立感染症研究所のマニュアルが示す「リアルタイムPCR」は45サイクルであり、国内メーカーの3つの検査キットでは40~45サイクルとなっている。
 これらを使ったPCR検査では、ウイルスが10個程度存在すれば陽性となるわけだ。
 問題はそれだけではない。
 PCR検査では遺伝子配列の類似性で判定するので、ここまでサイクル数を増やすと、新型コロナの遺伝子配列に部分的に類似した、病原性のない常在ウイルスが存在していても陽性になる可能性がある。
 常在ウイルスは多くの人の体内に存在しているウイルスで、こうした共生ウイルスがいくつもの臓器に多数、存在していることが近年の研究で明らかになっている。」
詳しくはサイトを読んでいただくとして、いつまでこんな馬鹿らしい騒ぎに付き合わなければならないのだろう。

さて、先日苦労した丸薬についてS氏に聞いてみた。
「こないだ作った丸薬ですが、とても効果が出るとは思えないのですが・・・」
S氏「そうだね、スピードカッターですりつぶしてしまったら何の効果も期待できないね。」
「えー?すりつぶしちゃダメなんですか?」
S氏「圧力なべで長い時間かけ、水分がなくなってきたら水を足し、さらに煮込み、二三日煮込むとどろりとしたエキスが得られるんだよ。それを丸めて飲むと体中の化学物質が排出される。これは気持ち悪いほどだ。逆に効きすぎるって言うか・・・やはり薬と言ったほうがいいかな。」
「そんな・・・・二三日も煮込むなんて・・・僕にはできませんよ・・・。」
S氏「そうだよね、まだ先のプロジェクトだから・・・・まだいいよ。」
残念ながら、最初から僕にはとても無理なようでした。

そうそう、突然動画を紹介し、驚かれた読者も多いと思います。驚かせてすいません。天孫さんが今どのような活動をしているかを知っていただきたいために載せました。
言うまでもなく某宗教とは世界救世教ですが、現在ここは三つに分かれ大変な状況のようです。その分裂の原因となっているのが天孫の父親だと言われているわけです。しかし真実は、三井某が父の名前をかたりうそをついていたという話で・・・・天孫の父親XXというのはよく考えると明治天皇の息子さんだよね・・・この人は伊勢神宮で育ち、ある時突然神が宿り単一キリスト教会の教祖になった方です。で、さすがに息子さんですので国策の中枢部にいたわけです。何をやっていたかはNGですので書けませんが、大本教を動かすようなこともやっていたのだという。で、この救世教を立ち上げるときに岡田茂吉の相談に乗り、ずいぶんと気もあったようです。
問題は三井某が四代目、陽一夫妻を前に「XX氏から授かった天命を授けよう・・・」みたいな言葉を二人が頭を下げ拝聴している姿が盗撮され「教主はキリスト教に改宗するつもりだ」と吹聴されたと天孫はいう。まあ、三井某が仕組んだわなだったわけで、当時すでにXXはなくなっており、三井某がキリスト教の教祖でも何でもないのだから、これは陰謀だった。
まあ、この動画を拡散し、本来の岡田茂吉の意思を再確認して欲しいというのが天孫さんの希望なのです。
メソポタミア・ヴァレーに宗教色はご法度ですので今回の動画とヴァレーとは関係はありません。しかし、本来の岡田茂吉が目指した自然農法の考え方は偶然にしてもヴァレーの目指すものと似通っています。
まず、彼らのいう浄霊ですが、要は「手かざし」で、これは普通に考えると気功ですね。気功は実際は松果体の発するエネルギーなのです。人間の第六感を非科学的というのは勝手ですし、手かざしをまやかしと思うのも勝手ですが、実はすでに科学がそれを測定する時代に来ています。要はどのようにトレーニングし自在にコントロールするかがメソポタミアヴァレーのプロジェクトの一つに入っています。また採食ですが、ケトンを始め発酵食品などを使い予防医学を駆使し、糖尿やガンを克服しようというのも大きなプロジェクトです。つまり、茂吉さんの考え方は正しいし、今でも十分に通用するものだと言えます。
現実に手かざしを治療と称し何度も警察に捕まってしまったため、結局宗教にしてしまったというのが本当ではなかったのか?
とも思ってしまいます。そうなると・・・MMSを「シバ神の聖水」と称した僕と同じ考え方かも・・・・。
結局は「薬害」の問題です。まあ、話が長すぎますね。薬害は次の機会にしましょう。
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この世の闇に光を当てていく(NEW!)

2020年11月24日 16時41分56秒 | S氏の告発
この世の闇に光を当てていく


読みにくかった箇所を修正しアップしました。

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闇に光を当てていく

2020年11月23日 16時24分16秒 | S氏の告発
闇に光を当てていく

画像を新しく入れ替えています。しばらくお待ちください。

具体的には申し上げれませんが、現在さる宗教団体を正しい方向へ導くための行動を起こしています。

この画像をブログで紹介してもよいとのことですのでお知らせします。
具体的なことは進行中の案件でもありしばらくは控えさせていただきます。

肝心の水戸大内家に関するブログ記事ですが「うん、うまくまとめている」とほめていただきました。なんとか合格ラインに届いていたようです。要は、北朝、南朝のどちらに属するか全く判断できない派閥は逆に言えば、両者を操る派閥の可能性がある、それは天神系、つまり〇〇宮だということになる。大内家はまさにそこだということですね。

では、また。
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明治維新の考察ー3

2020年11月21日 19時05分18秒 | 世界の支配者
もう何週間調べているのだろうか・・・・何を?
「長州と水戸の関係」をです。まったく関係のないように見える二つの藩がまるで連携を取っているように同時に同じような方向へ動いたのはどうしてなのか?
ヒントはいただいていた。「水戸学」と「虎銭」、そして川崎定徳この三つである。
先日がんちゃんから牛久藩に山口氏がいることを指摘されていた。しかし、牛久と水戸は近いけれど関連は見いだせない。
やはり水戸学から探すしかないようだ。
距離的にも遠いこの二藩が、藩士レベルとはいえ、「成破の盟約」(万延元年)をむすび、水戸天狗党が滅びるまで(元治元年)、密かに協力して活動してきたことは歴史が証明するところです。
ネットには情報が溢れている、しかし長年歴史を学んできた経験からすると、最低限事実は事実として認めるにしても、その背景にある真実はまず書かれることはないということです。例えば大内家は歴史上滅びたことになっているにもかかわらず、現実には毛利家を支配していたとS氏は語っています。しかし、そんなことどこにも書いてないじゃないですか。
今回、水戸家が大内氏に支配されていた証明はなんとしても自分で見つけ出さねばならない。
水戸学を調べている中で大内正敬という人物が見いだされた。そこから遡ると常陸源氏が登場する。「佐竹氏は常陸(現在の茨城県あたり)の守護・戦国大名で、「新羅三郎義光」の流れをくむ氏族とされています。常陸国司であった義光の孫にあたる「源昌義」が、久慈郡佐竹郷に土着したことから地名を氏族の公称としたのが始まりです。」
wikiで佐竹氏を調べると「佐竹氏(さたけし)は、日本の氏族のひとつ。日本の武家。本姓は源氏。家系は清和源氏の一家系 河内源氏の流れをくみ、常陸源氏の嫡流。武田氏に代表される甲斐源氏と同族である。」
大内氏は本姓多々良氏で百済王の流れであり新羅三郎では困るんだけど、百済も新羅も源氏になっているのかもしれない。清和源氏、河内源氏、佐々木源氏などいくつも源氏は存在する、日本に攻め込んで日本に土着した武士団がひとまとめに源氏を名乗った可能性がある。いまのところ真実は私たちにはまだわからない。

さて、水戸藩大内氏でwikiを調べると、ちゃんとあるじゃありませんか。
「水戸藩郷士 大内氏  本姓 清和源氏義光流 種別 武家 地下人 出身地 常陸国 著名な人物 大内清衛門

主家の秋田転封に随行せず、常陸国に在国した大内氏については、水戸藩により郷士に取り立てられた。大内勘右衛門は田中中村に50石を与えられたという。この郷士登用には水戸藩の新藩主となった水戸徳川家が旧領主 佐竹氏一門の西丸氏や長山氏などとともに配下に組み入れることで撫民政策を取る狙いがあったという。 また、水戸藩領内からは江戸時代中期から後期にかけて活躍した大内清衛門が出る。清衛門は諱を利貞といい代々、那珂郡前浜村に隅、後に湊村に移り、回船・海産物問屋を営み、北海道貿易で巨利を得るという。兄の大内五郎衛門彰信の養子となり、献金により郷士となるという。格式代官列、350石を給され、勘定奉行、格式小納戸役、湊殻会所仕法懸に昇るという。 また、江戸時代後期に水戸藩の百姓から藩士となった者として、大内正敬が出る。正敬は代々百姓であった久慈郡留村の大内重政の子として生まれたが、小宮山楓軒に師事して、郡方勤となり、弘道館句読師を経て彰考館に入り、歩士格・弘道館訓導、北郡勤め、南郡勤めなど歴任し、小宮山の手代として民政に尽力したという。wiki以上

ここで上の赤文字にある廻船・海産物という言葉で思い出したのは水戸藩勘定方であった川崎八右衛門です。
wikiから
「嘉永2年(1849年)数え年16歳で、家業の回漕問屋を継ぎ、初代八右衛門を襲名。翌年、現在の水戸市成沢町の私塾「日新塾」(加倉井砂山開設)に入門し、砂山の次女である香蘭と結婚。幕末には財政逼迫に苦しむ水戸藩の鋳銭事業に着手。」

つまり、この川崎八右衛門と大内清衛門は同じ人物ではないのか?まあ、ちょっと飛躍した可能性はあるが、川崎と大内は同じような経歴で偶然にしてはできすぎじゃないのか。
川崎氏をこれ以上調べることはできない。どこにも書かれていないからだ。つまり不都合な真実なのだろう。

そういえば、もう一つ課題を忘れていた。榎本武揚という不思議な人物である。後に北海道で蝦夷共和国を建国しようとしたのだが、S氏によれば水戸(大内家から?)から出ているのだという。で、大内清衛門を調べる過程で「大内清右衛門という名で、徳川斉昭の密命で蝦夷地から千島・樺太を調査し、海を渡って沿海州も調査した。その後の経過は、はっきりしないが「蛮社の獄」に連座し、命を落とした。」という話が出てきた。
なぜ榎本にこだわるかと言うと、日本製原爆の起爆スイッチを押した人物は彼の縁者である。まあ、榎本に関してはまた別の機会に書くつもりだが、今回の清右衛門と蝦夷地とのかかわりは偶然とは思えない。
要は、清右衛門は役職であり、該当する人間は複数いたのかもしれない。


まあ、これで大内家と水戸藩のつながりを調べることは終了します。
そうそう、虎銭ですが、鋳銭の技術も必要ですが、なによりも裏付けとなる資金がなければ信用されません。大内家は石見銀山を支配しており、当時世界の銀の産出量の三分の一と言われるほどであったわけで、どこの藩でも可能だったわけではないのです。
川崎氏=大内氏という仮説が成り立つ理由はそこにあります。

さて明治維新を調べるとまだまだ伝えなければならないことがたくさんあることが分かってきます。
つまり、水戸家も大内家も明治維新の主役級ではありますがまだまだ主役ではありません。岩倉具視にはまだ触れていません。
でわまた。

追記 まゆみさんからコメントをいただきました。ありがとうございます。僕がブログを始めてまもなく知り合った方です。最初のブログは「マヨのぼやき」だったかな・・・2007年ですからもうひと昔前ですね。
当時は何もわからないまま、思ったことを思いつくまま書いていたので今読むのは怖いですね。(絶対に読みません)
一番最初は鬼塚英昭さんの応援ブログから始まり、鬼塚さんとけんかして「シバちゃんのため息」に移ります。そしてそのころサムライさんと知り合い影響を受けます。そしてまた彼とケンカして「マヨの本音」に移ります。そしてS氏と知り合い大変なことになりました。従来の常識をひっくり返されました。しかし残念ながらさることで破門されブログは休止しました。そして今年の夏に再開しました。メソポタミア・ヴァレーの紹介ブログとしての再開です。私の役割は正式には何も決まっていませんが勝手に食育と歴史シュミレーションだと考えています。今回の明治維新のシリーズはその準備の一環ですが、私としての訓練でもあります。要は、歴史書に書かれていない真実を明らかにすることです。簡単に終わるつもりだったのですがやはりとても大変です。日本も世界の一部であることを意識しないと意味がなくなります。だから時間を縦軸に、世界を横軸に見て考察しなければなりません。
まだまだ思う通り行きませんがもう少し我慢してお付き合いください。

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