DVされて離婚したら、生まれたばかりの娘を児童相談所に連れて行かれた話

DV旦那との結婚~娘と一緒に暮らせるまでの記録。ヘビーな話をライトに書いていきます。一番最初の記事を読むと諸々わかりやすいです。

私が元旦那から一銭ももらわず離婚したわけ

こんにちは。

菜々です。

 

冷房で最近喉が枯れがちです。

ゲームしてて「ギャー!!!!!」とか言いまくってるせいもあるかも。

 

 

 

てなわけで、前回、子どもを育てる決意ができたところまで書きました。

今日はそこから、周りがそれに対してどう反応したかを書いていきます。

 

なお、ここから先はかなりヘビーな話が続きます。

 

いやこれまでもヘビーだったろと言われればそれまでですけども。

なんというか、にっちもさっちもいかない事情が続いていきます。

 

ここまで読んでくださった方で「大変だったね」と何人かからお声をいただきまして、それは大変ありがたいのですが、一番つらかったのはむしろここからでした。

このブログタイトルの後半に当たるところですね。

 

 

というわけで、今回はその序章です。

 

まず、母の反応。

前々回あたりの記事で書いたように、母は元々私が育てるのに対し反対していました。

 

普通なら母って「サポートするから責任持って育てなさい」と言いそうなものですが(え、ですよね?世の中の普通のお母さんって。たぶん……)、うちの母に関しては基本ずっと反対でした。

 

その理由は、

「私にひどいことをした男(元旦那)の血が入っていることは事実変わらないこと」

「これから自分の好きなことをしたり、再婚したりするハードルが上がること」

「母もまだ働いているのでできるサポートには限りがあるし、金銭面の支援もできないということ」

「迷う気持ちがあるくらいならやめておいた方がいいこと」

「このままいくと十分な教育を受けさせてあげられない可能性があること」

だそうです。

 

まあ言ってることは至極もっともだと思います。

 

元旦那の子であることは変わりないし、連れ子がいるとなれば再婚のハードルはもちろん上がる。

実家に帰らないので、本当に一人で育てなければいけない。

 

このあたりは、言い方こそきついですが、母なりに私の幸せを考えてくれたのだろうと思います。

 

最後の教育の部分に関しても、私が金銭的な問題で大学に行けなかったので、母なりに気にしてくれていたんじゃないでしょうか。

私自身はまったく気にしていないんですけどね。

 

 

まあ、そのような事情があり、母としては、育てない方がいいという意見で一貫していました。

 

この時、いろいろ母とはやりとりがありましたが、また別記事にてまとめて書かせていただこうと思います。

 

 

 

次に、児童相談所

 

児童相談所はもとより、入院中にゆっくり考えて決めろと言っていたので、育てたいと言った時も「そうですか」というような対応でした。

 

ただ、そう言って初めて聞かされたのが、「でもどちらにせよ一緒には退院できない」ということです。

退院できないというか、一緒の家に帰れないってことですが。

 

ここの理由について、当時はあやふやにしか答えてもらえませんでした。

 

のちほど知るところによると、大きく分けて基本的には、

・ペットが多いため、家が清潔な状態であるか不明

・私が精神疾患があるため、その症状の度合いによってはサポートが必要である

の二つでした。

 

この二つのせいで、今後多大なる苦労をするわけですが、それもまた別記事にて書かせていただきます。

 

 

今回書くのは、そう、元旦那です。

なんといっても私、離婚の条件に、「養子に出すこと」と入れてしまっている。

 

(詳しくは以下の記事をごらんください。)
maxpowergirl.hatenablog.com

 

 

やっぱり気が変わったという話を向こうの弁護士に伝えるわけです。

 

まあここから、かなり揉めました。

 

 

まず元旦那は、そのことに憤慨したらしく、であれば親権を取り戻すための裁判をするだとか、約束を反故にしたのだし慰謝料を払えというようなことを主張してきました。

 

 

いや、もちろん当初の離婚協議書の約束を守らなかったのは私が悪いんですけど、気持ちとしては、「こいつすげーな」って思ってました。

 

だって、妊娠中の妻を殴って数ヶ月放置っていう、子どもに対する愛情なんて微塵もないであろうのに、今更親権を主張するだとか。

 

あと、養育費も慰謝料もいらないから一人で育てると言ってる仮にも元妻に対して堂々と「じゃ金よこせ」って言えるとことか。

 

明らかにただの私に対するあてつけですよね。

本当に子どもが可愛くて育てたいわけないですし。

 

というか、ここに関してものちほど発覚したんですが、元旦那、目飛び出るようなことを主張していたらしいです。

 

いわく、

「あの女がまともに育てられるわけない。そのうち『やっぱいらない』とか言い出して俺んちに押しつけてくるに決まってる。それが俺の再婚のタイミングだったりしたら最悪。なら最初から引き取った方がマシ」

だそうです。

 

 

 

 

 

えっ????

 

 

 

ツッコミどころ多すぎてびっくりしちゃいました。

一つずつ片付けていきましょう。

 

まず、私が育てられないと決めつけてくるのにも腹立ちますが(お前が言うな感強い)、そうなった時なんで元旦那宅に押しつけると決めつけてるのか。

 

「義母と元旦那に育てられたら私の子があまりにかわいそうだから養子に出す」という選択肢を考えていたくらいなんだから、死んでも元旦那になど親権は渡しません。

万が一育てられないとなったとしても、当初の予定どおり里子に出すだけです。

 

 

あと、あの、あんまり言うとただの誹謗中傷になるので控えますが、この人、なんで再婚できる気でいるんですか?

 

いや、できるできないの話ではないです。

べつにしたって全然いいんですよ。

 

問題はそこじゃなくて、DVモラハラで自分の妻と子を置き去りにして、なおかつ前科もあって現在無職で実家暮らしの離婚直後バツイチっていう今の状況で、なんで「再婚」ってワードがすっと出るんだろう。

 

いつもネガティブ鬱で当たり散らしてたくせに、なんでそこだけめっちゃポジティブなの?????

 

 

あと最後。ココです。

 

「マシ」なんて考えで親権を取ろうとすんな。

アホか。

 

どうせお前じゃなくて義母だろ育てるのは。

お前は煙草吸いながらゲームするだけだろ。

 

 

 

もうなんつーか、ただの私への嫌がらせですよね。

 

 

まあ、でも、約束を破ったことは確かなので、離婚協議書にあるとおり「養子に出したことを確認後、慰謝料を支払う」は遂行されないため、慰謝料はもう要らないと言ったんです。

 

ぶっちゃけ、一年ちょっとの結婚で、怪我の程度も後遺症が残るほどとかではなかったので、値段も少額です。

 

DVとかって、どんだけつらくても、怪我の程度とか結婚の期間で慰謝料決まるんですよね。そこがたいしたことないと金額もそこそこ。

 

ちなみにうちは50万で手を打ってました。

なのでもうそんな金いらないから、嫌がらせで親権裁判とかやめてくれって話をしたわけです。

 

 

あと、養育費。

ここに関しても、養子に出す気でいたので支払い義務はなしとしていたので、請求する権利が私になかったです。

 

んー、いや、正確に言えばあるんですけど、この時の状況で養育費よこせなんて言ったら親権裁判起こされるのが目に見えていたので。

 

あと、養育費、相手の収入によって換算されるので、当時無職だった元旦那から取れる確率は低かったんですよね。

 

一応、働けるのに働いてないという場合「潜在的稼働能力」があるかどうかということで取れたりはするんですが……。

 

それで計算しても、取れて月に2~3万ってとこでしょうかね。

その上、それを律儀に毎月払う保証はどこにもないし。取り立てるために連絡したりしたくないし。

 

とか諸々踏まえ、「慰謝料も養育費もいらない。その代わりほっといてくれ」という主張をしたわけです。

 

 

これを踏まえて、元旦那がどう主張し、最終的にどう決着したか。

次回、そこについて書ききっていこうと思います。

 

 

本日はここまでです。

読んでくださりありがとうございました。

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私なんかが子どもを育てたいのはエゴイズム?

 

こんにちは。

菜々です。

 

前回、だいぶヘビーな私の心中の話をしました。

今日はその続きです。

 

 

続きなんですが、おさらいというか改めての話ですが。

産前産後、私は自分が子どもを育てたいと思うのは自分のエゴイズムだと思っていました。

 

お金の面でもそうだし、つらいからといって妊婦健診に行けなかったりと子どもを常に100%で思えなかった私に、育てる権利なんかない。

 

 

特に、妊婦健診に行かなかった頃、母や看護師さんから言われた「あなただってつらいかもしれないけど、赤ちゃんのことは心配じゃないの?」っていう言葉。

 

もちろんそのとおりです。

私にどんな事情があれ、子どもをむげに扱ってはいけない。

重々承知だし、今でこそ反省しています。

 

でも精神が限界だった当時の私は、「じゃあ誰が私の心配をしてくれるの?」と思ってしまったんです。

 

もちろん私のことも心配してくれていたのはわかってます。

でも、「今はあなたより赤ちゃんでしょ」という旨の言葉に、逐一傷ついてしまっていたんです。

 

私だって出産控えて離婚っていう、こんなにもつらい状況なのに、赤ん坊がいるというだけで私のことは二の次。

 

ひどい言い方をしますが、当時の私はそんな気持ちでした。

だから余計に、心から子どもを慈しむ気持ちになれなかった。

 

 

医療の人や、福祉の人が、赤ん坊を第一に考えてっていうのは当然です。

仕事ですし、そのとおりだから。

 

でもできるならば、「子どもも大事だけど、まずはあなたのことを考えようか」って誰かに一言でも言ってほしかった。

 

子どものほうが大事なんてことは、こっちだって頭ではもちろんわかってます。

 

それを他人に「わかってるならちゃんとやりなさい!」って言われると、つらくなるだけなんです。

宿題やれって言われるとやりたくなくなる理論。

 

なので、もし周りに私と同じような状況(なかなかいないとは思いますが)、もしくは鬱など精神的に疲れている人がいれば、言葉だけでもその人を第一に考えてあげてほしい。

 

頑張らなきゃいけないとか、自分のことだけ考えてちゃいけないとか、全部頭ではわかっているので。

だから余計に自己嫌悪しちゃうし、そこに他人からまで言われたらパンクします。

 

 

とかいう鬱病の性質を自らをもって知っていたので、そういう意味で、当時鬱だった元旦那にあれこれ言うのは負担だろうなぁとかなるべく寄り添っていたつもりでした。

 

まあでも、それとDVとは別問題でしたね……。

 

あと、いくらつらくて他人に多くを求めてしまったとしても、つらいのを誰か他人のせいにはべつにしない。

 

悪いとすれば元旦那だけで、看護師さんや母を恨んだり嫌ったりなんてしませんでした。

だって、言ってること自体は正しいから。

 

優しくしてほしい、気遣ってほしいならちゃんと自分の口で「ああしてほしい、こうしてほしい」って言うべきなんですよね。

 

私はこの頃看護師さんにそれを伝えられなかったから、単に説明不足だった自分の落ち度と思ってます。

 

 

 

ちょっと話が逸れましたが、ともかく、事情はあれど子どもを一番に思えなかった私は、「育てたい」なんて思うことそのものが罪だと感じるようにさえなっていました。

 

それがどうやって、きちんと育てる覚悟を決めるになったか。

もちろん友人のアドバイスや、入院中たくさん話を聞いてくれた助産師さんや保健師さんの力もあります。

 

でも一番私の心に響いたのは、当時かかっていた精神科の先生の言葉でした。

 

 

実は私の入院していたところは総合病院でして、産科も精神科も同じ病院内で通っていました。

 

なので精神科の先生が、産科入院中何度か様子を見に来てくださっていたんです。

 

精神科の先生に関しては、離婚前の結婚中からかかっていたので、本当に私の結婚・妊娠・離婚をタイムリーに見ていてくれています

というのもあり、精神科の先生に対する信頼は厚かったんです。

 

その先生に、どうすればいいか迷っているという話を泣きながらしたところ、このように言ってくれました。

 

以下、会話調にて失礼します。

 

 

 

私「お金のことを考えた時、今は生活保護だから大丈夫だけど、子どもが大きくなって小学校、中学校ってなった時部活に入れてあげられなかったり、十分に欲しいものを買ってあげられないかもしれない。先のことを考えると怖い

 

先生「10年先も今と同じ状況でいる方が難しいよ。その時には福祉の制度も変わってるかもしれない。もしかしたら菜々さんは再婚してるかもしれない。だからそんな先のことを今悩む必要なんてない

 

私「でも、そんな苦労も養子に出せばおそらくないのに、それでも育てたいだなんて思うことは私のエゴイズムでしかない気がする。子どもの幸せを考えてないんじゃないか」

 

先生「そうかもね。でも、子どもに対してエゴを出せるのって母親だけだよ。いいんだよ、エゴで育てたって。100%の愛情で育てられるほうが珍しいんだから」

 

 

 

 

たぶんこの時言われたことを、この先子育てしていく中で、私は一生忘れないと思います。

 

子どもに対してエゴを出せるのは母親だけ。

 

 

乱暴な言い方でしたが(私はこの先生のこういうさっぱりした物言いが好きですが)、「確かにそうかも」と思えたし、ストンと私の胸に落ちてきました。

 

母乳で育てるとかミルクで育てるとか、どんな服を着せるかとか、保育園にするのか幼稚園にするのかとか、しっかりとした自我が芽生えるまでのあいだ、母親は独断で子どもの進む道を決めます。

(もちろんお父さんの場合もあるでしょうが、便宜上ここでは母親ということで……。)

 

それをすべて「エゴかもしれない」と思って決めずにいたら、それこそ親失格なんですよね。

 

 

そうか、私が親なんだから、子どものことは私が決めていいのか。

 

そんなふうにすっと納得できた私は、ようやく、今私がこの子と一緒にいたいから育てようと決められました。

 

苦労かけるかもしれないし、ほんとにただのエゴイズムかもしれないけど、それでもよかった。

再婚できるもできないも、ちゃんと稼げるようになるのかもわからないけど、この子と一緒に生きていけて、死ななければそれでいいや、と。

 

 

先生の言葉を受けて、ようやくそう決められた私でしたが、だからといって周囲の人は「はいそうですか」とはなりませんでした。

 

ここからまた、苦悩の日々が続いていきます。

 

 

とりあえず本日は私が育てることを決意できたところまで。

次回以降、それに対する周りの反応や動きを書いていきます。

 

 

読んでくださりありがとうございました。

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我が子を捨てて、人生をやり直すかどうか

こんにちは。

菜々です。

 

二日連続お休みしちゃってすいません。

いろいろバタバタしてて更新の隙がなかったです……。

 

 

さて、前回ついに出産を終えました。

そこから私がどう思い、何をしたかを今回書いていこうかと思います。

 

 

早速ですが、正直に言うと、産んだあとの我が子の面倒を見る気は当初ありませんでした。

これに関しては、面倒を見たくないというわけではなく、前回書いたとおりそれにより愛着が湧くのがつらかったからです。

 

養子に出す、というより、子どもの幸せだけを考えるなら「養子に出さなければいけない」になっていたんですよね。当時の私の頭では。

 

胎動を感じたり、検診で元気に育っていると聞かされると、もちろん「このあとの成長も見ていたいな」と思いましたが、そう思うことこそが私のエゴイズムだと思っていました。

 

職もお金もないし、生まれた時から父や祖父もいないし、実家に帰れるわけでもないしで、こんな状態の私が育てたいだなんて思っちゃいけない、と思っていました。

 

 

なので、最初は、「生まれたらすぐ里親さんのところに引き取ってもらいたい」とまで相談していました。

 

実際、これはできるはできるんですが、この形で里子に出すには民間の団体にお願いしなければなりません。

児童相談所ではないんですね。

 

民間の団体であれば、あくまで個人同士の契約の仲介という形なので、生まれてすぐ病院に里親さんが引き取りに来ることも可能ではあります。

(もちろん、生まれた時の状況や団体によっても違うとは思いますが。)

 

当初、私はこの民間団体に相談していたのですが、私の子が生まれる時期に該当する里親さんがいないということで、児童相談所を介したわけです。

 

児童相談所は、お役所仕事ですから、生まれてすぐ「はいどうぞ」と引き渡すわけではなく、一度児童相談所が引き取ってそこから里親さんを選別していく形になります。

 

これもまた、すぐに里親さんに渡せるわけではなく、乳児院に引き取られた子の元に里親さんは何ヶ月か通い、そこから引き取りとなります。

 

 

なので、生まれたあと私が一番に助産師さんに確認されたのは、「赤ちゃんと一緒に病室で過ごす?」ということでした。

 

私の出産した病院は、基本母子同室でした。

ただ、看護師さんとかはもちろんもう事情を知っているので、希望しないのであれば新生児室かなにかでこっちが面倒見るよと言ってくれたんです。

 

私はその時、まだ育てる覚悟こそ決まっていませんでしたが、わりと即答で「一緒に過ごします」と答えました。

 

 

この時、たぶんこの事情のせいで私は希望していないにかかわらず個室を与えてもらっていたので、子どもとゆっくり二人で過ごすことができました。

 

まあ実際、入院中にも保健師さんや児童相談所など訪問が多かったということもありますが。

当時はまだコロナではなかったですが、インフルエンザは感染拡大中だったので、訪問が多い患者を大部屋に置いとけなかったんでしょう。

 

 

この間、母にももちろんずっと相談していましたし、ありとあらゆる友達にもLINEで相談していました。

 

他人の意見で決める必要はないとわかっていますが、参考までに、私を知る人たちがどういう意見をくれるのか聞いてみたかったんです。

 

正直言うとこの時、母も友人も、私のことを一番に思うからこそ、「養子に出した方がいい」と言ってくれることが多かったです。

 

 

このことは、決して恨んでおらず、むしろとても嬉しかったです。

 

そんなことしちゃダメだよ!とか、せっかくだし育てなよ!とか、そんな無責任な他人の意見ではありません。

 

私がこれからの人生を生きるのに、そして私の子がのびのび生きていくのに、私のこれまでの生活や性格を知った上で、「今はつらいだろうけど、そうする方が人生やり直しって気持ちになれると思うよ」と言ってくれているわけです。

 

子に罪はないしそんなこと無関係に育てるのはもちろんできますが、「なんと言ってもやっぱりあんなにひどいことをしてきた元旦那の子だから、いずれ間接的にその子を恨んだりしないか心配」という意見も頷けはしました。

 

ただし、「でも最終的には菜々が決めることだからね。どっちを選んだとしても、応援はするよ」と友人はみんな言ってくれました。本当にいい友人たちを持ったな、と思い、病室で散々泣いていました。

 

 

この意見を聞いて、もちろんそのとおりだな、と思ってはいました。

 

やり直しというのは、また新しい恋人や旦那さんを見つけて、その人と幸せに子どもを産むこととかを指しているのだと思います。

 

もちろんそのような幸せもあるし、相談した友人の中には、実際そうした子もいました

(その子は養子に出したのではなく、親権を元夫に取られてしまったという話でしたが……五年ほど鬱病でいましたが、今は再婚し子どももいます。)

 

 

 

でもここのところを私もさんざん考えていたのですが、どうしても私にはこの「やり直し」をできる気がしませんでした。

 

心から納得しているのであれば、養子に出してやり直しということもできたと思います。

 

実際、過去私は一度大型犬を飼ったのですが、どうにも自分の生活でその子を満足に運動させたりしてあげられず、このままではお互い不幸と思い里子に出したことがあります。

 

この時もちろん寂しい気持ちもありましたが、納得の上だったので、その子が里親さんのところで幸せにやっていてくれるならいい、とすっきりした気持ちになれました。

 

 

でも、今回のことに関しては、何度頭の中でシミュレーションしても、そんなふうにすっきりはできませんでした。

 

むしろ誰に責められなくても自分で自分のことを「我が子を捨てた女」と思ってしまい、そんな女に再婚したりまた子どもを産む権利なんてないと思い込んでしまうのです。

 

決してこのような選択をした他の方を責めるわけではありません。

「もし菜々がその選択をしても、誰も責めないよ」って看護師さんや友人、母が言ってくれたことも重々理解しています。

 

でも他でもない私自身が、そう思ってしまう。

 

もし次の旦那さんとの子どもを産んだ時、絶対に頭の中で「一人目は捨てたのに二人目は育てるんだ、都合いいね」って自分が自分に思ってしまう。

 

 

この時、もし養子に出すのであれば、仮に再婚しても子なしでいいとすら思い込んでいました。

 

またその人と離婚となった時、また捨てるとか捨てないとか悩む可能性があるくらいなら、私なんて一生子どもを産む権利がないと感じていたので。

 

ただ、やっぱり子どもに負担はかけちゃうだろうし、今後何十年と一人で面倒を見ていくことへの自信はない。

「苦労させるだろうけど育てたい」なんてことは、ただの私のエゴだと思うから。

 

 

このあたりの二律背反で、入院中私はずっと悩んでいました。

 

ここからどう育てたいと思えたのか、そこについてですが、今日は少し長くなってしまったのでまた次回書いていこうと思います。

 

 

ということで、今回は、産後私の中での自問自答でした。

 

繰り返しますが、上記で書いたことは私が勝手に私に思ってしまうことであり、親権を手放した方たちを非難する内容では一切ございません

そのような方に出会って、私が上記のように思うこともありません。

あくまで私が私に思ってしまうことです。

 

 

 

本日も読んでくださりありがとうございました。

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我が子を産んだ日

こんにちは。

菜々です。

 

さて、前回ついに離婚届を出したところまで書きました。

ついに出産編です。

 

 

出産についてですが、その前にまず私は懺悔をしなければいけません。

 

前回、養子に出すことを決めたと書きましたが、それを決めて以来、私はまともに妊婦健診に行かなくなっていました。

これに関しては言い訳のしようもないです。子どもに対して、本当に申し訳ない。

 

なぜかというと、養子に出すと決めた瞬間、我が子が育っていくのを見るのがつらくなってしまったんです。

 

健康に産んであげたいと思う反面、どれだけ気を遣って慈しんでももうこの子は私の子ではなくなってしまうんだ、と思うと、検診で育っていく経過を聞かされるのがつらかった。

 

もちろんお医者さんに罪はないんですが、事情を知らない医師から「元気に育ってますよ。もうすぐ会えますね、楽しみですね」って声をかけられることがつらかった。

 

胎動を感じるのもつらかったし、アプリでつけていた成長記録もつけるのをやめてしまった。

なるべくもう子どものことを考えたくなかった。つらくなるから。

 

 

こんな調子だった私は、「これ以上病院に通うのがもうつらいのであれば、もう正産期ではあるし、誘発分娩をしたらどうか」と看護師さんから提案してもらいました。

 

いわゆる、自然な陣痛を待たず、陣痛促進剤などで陣痛を起こし、予定した日に産もうとするものです。

 

通うのがつらかったのもありますが、実家に帰ったとはいえ昼間は母は働いていて誰もいない環境にいた私は、一人で陣痛が起きた時を恐れていたので、この話を受けました。

 

 

というような理由があり、離婚届を出したその日、その足で自ら病院に向かったのです。

 

 

私は上記のような事情ありきでしたが、それはそれとして、わりと誘発分娩自体はいいものでした。

 

旦那さんや頼れる人がお仕事をしていたりして、いざ陣痛が来た時一人でタクシーを呼んだりすることを考えると、自ら入院して出産日をある程度決められる誘発分娩は、危機管理という面でいいなと思いました。

 

子どもの誕生日を決めるため、「○月○日に産みたい!」と思う人とかも使うみたいですね。

(もちろん正産期であることが前提です)

 

 

 

ただし、これ、人工的に陣痛を起こすわけなので、子宮口とかはもちろん開いていません。

なので、前日の夜からバルーンなど子宮口を人工的に広げるものを入れることとなります。

 

これがまあ、めっちゃ痛い

いやその後の陣痛に比べたら大したことないですが、冷や汗出て呻かずにはいられないくらいには痛い。

 

そりゃそうですよね。

固く閉ざしてるところに、物理で無理やり物をねじ込んでるんですから。

 

しかもこれ、一晩中入れっぱなしで、徐々に水分を吸って膨らんでいく代物です。

なので夜の間、ずっとギリギリと何かが拡張していく痛みと下腹部痛がします。

 

離婚届を出したその日の晩、子宮口を拡張しているの、我ながらスピーディすぎるな……って思ってました。

 

 

そうして下腹部痛に耐えつつ、翌日です。

その日は朝から陣痛促進剤を点滴することになっていました。

 

 

促進剤を点滴しても、その日一日陣痛が微弱なままで翌日以降になる人もいるし、ひどいと数日~一週間近く毎日点滴をする人もいるみたいです。

 

 

ただ、結果から言うと、私はその日に産めたどころか促進剤点滴から6時間での出産という、爆速出産でした。

 

 

陣痛促進剤を使う間、意識を失い緊急帝王切開などになってしまうと、本人以外に確認をしなければいけないので、必ず身内に付き添ってもらうよう言われます。

 

なので母に付き添ってもらっていたのですが、母は仕事のある身。

何日も付き添ってもらうのは難しいと承知でした。

 

……と思って、気合い入れたら、その日産めました。

 

ふざけてるようですがマジです。

なんなら点滴から6時間、陣痛が来てからは3時間という初産にしてはめちゃくちゃな早さでした。

 

 

もちろん陣痛はつらいんですが、出産ブログではないのでそのへんの詳細な感想は割愛します。

 

 

妊婦健診にすら最後は行けなかった私が、いざ我が子が生まれた時、何を思ったか。

 

 

 

 

「私の子だ」と思いました。

 

 

 

 

本当の意味で、その時初めて、おなかにいた我が子を「自分の子だ」と思えました。

 

生まれてきた女の子は、元旦那に裏切られた夢の残滓でも、これから私に苦労をかけるであろうものでもなく、ただただ、これまで正真正銘私がおなかで育てた、私の子でした。

 

 

 

この時の感想としては、「こんなつらいこと(出産)、二度とやりたくない」もあったんです。

 

ちなみに今は再婚もしたいし、その人との子どもも欲しいです。

あのとき「何人も子どもを産んでる人は正気ではない……こんなつらいのに……」とか思ってすいませんでした。

あの達成感、何にも代えがたいですね。

 

まあ、でもつらいのは確かで、陣痛中は妊娠したことを後悔通り過ぎて「こんなに苦しいならこの世を生きていたくなかった……」レベルでした。

 

 

そんなつらいことを乗り越えて、ようやく生まれてきた我が子。

 

看護師さんが取り上げた子を私の胸の上に乗せてくれて、それが「私の子であること」と「生きていること」をはっきりと実感しました。

 

 

その時私に芽生えたのは、「こんなつらい思いをたくさんしてやっと産んだこの子を、なんで人にあげなきゃならないんだろう」という気持ちでした。

 

 

 

 

その時、最後、慈しみきって産んであげられなかったことや、胎動があるたびつらくなってはいっそ疎ましく思っていた自分を激しく責めました。

 

この時まだ自分で育てる決心こそついていませんでしたが、実体をはっきりと目にして、自分はこんな小さい命になんてことを思っていたんだろうと後悔したのです。

 

 

私は出産が終わり、分娩室に入ってきた母に(母には前室で待っていてもらっていました)、ここではじめて「まだわからないけど、私やっぱり育てたいかもしれない」と口にしました。

 

母はこの時、第一声には、「やめなさい、今更そんなこと言うの」と言いました。

 

なんで?と訊くと、「もういろんな人に養子に出すって言ったんでしょう」と言われたので、「引っ込みがつかないからなんて理由で気持ちを押し殺したくはないよ」と答えました。

 

実際、これは今もそのとおりだと思っています。

 

もちろんいろんな人に迷惑をかけたと思いますし、「結局心変わりするんじゃん」って思われているのも自覚してます。

 

でもそんなことで見栄を張ったり、今更撤回できないなんて遠慮をして、自分の人生を決める必要はないと思います。

 

誰になんて批判をされようと、私は自分が間違ってないと思えばそのまま突き進みます。

特に今回、気持ちを押し殺して後悔したので。

 

 

母は依然反対の姿勢でしたが、出産し我が子の顔を見たことで、ようやく私の中で母としての自覚が生まれました。

 

 

これにて妊娠~出産編終了です。

ここからは出産後、どう展開していったのか、また次回以降書いていきたいと思います。

 

 

 

読んでくださりありがとうございました。

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児童相談所に、養子に出したいと話した日

こんにちは。

菜々です。

 

前回、別居中ついに離婚を決意したことを書きました。

今回は、そこから実際に離婚するまでを書いていきたいと思います。

 

 

まず、離婚を決めた私は、自らで弁護士さんを雇おうとしました。

ですがここで一悶着あり、実際には私は弁護士さんにお願いせず離婚する運びとなりました。

 

ここの一悶着について説明したいところではありますが、私の生い立ちとかに関わってきてかなり主旨からずれちゃうので、ここでは省かせてもらいます……。

 

すごく簡単に言うと、もうとっくに離婚していてなんなら破産している私の父が出しゃばってきたためです。

実の父が離婚の邪魔をしてくるという謎状況ですが、私の人生そういうことがよくよく起こるんですよね。

 

 

まあともかく、なんにしても元旦那サイドはいつかの記事で書いていたように私を不貞で訴えるなどと言っていたので、向こうが弁護士をつけることは確定していました。

 

なので、直接話さないならべつにいいかという気持ちで、私は弁護士なしで離婚することにしました。

 

ここで弁護士をつけていたら話は違ったのかなと思うこともありますが、そんなに変わらなかったような気もします。

 

なぜなら、弁護士を雇おうが、どうしたいかは自分が決めることなので。

弁護士さんは法的な知識のところを補填してくれるだけです。

自分に代わって、悩みをすべて解決してくれるわけではありません。

 

 

 

じゃあ、なぜここから私が娘を取られるに至ったか。

 

これは簡単です。

バッシングされる覚悟もとっくにできてます。

 

 

私が、自分の子を養子に出そうと思っていたからです。

 

 

 

これがすべての原因です。

 

なので、自分の子を児童相談所に連れて行かれたことについて、元旦那のせいだとか、児童相談所のせいと言うつもりはまったくありません。

 

 

 

妊娠八ヶ月にして元旦那にほぼ一方的といっていい別居と離婚を突きつけられた私は、まず一番に、「え、じゃあ子どもは?」と思いました。

 

この時の気持ちを包み隠さず正直にお話します。

 

 

私の周りにもちろんシングルマザーの友人はいますし、なんなら未婚で産むことを決意した子もいます。

そういう子たちにたくさん相談もしたし話も聞きましたが、基本的には、「子どもがいてくれるだけで幸せだよ!」という答えでした。

 

でもこの時、まだ生まれた我が子の顔を見ていない私は、そう思えなかった。

 

どちらかといえば、今後本当にずっと養育費を払ってくれる保証もなく、子どもがいればやはりこれからの生活が制限されるということを考え、「なんで向こうの都合で離婚するのに、子どもは当たり前に私に押しつけられるんだろう」と思ってしまったのです。

 

自分の子を邪魔だとか思ったことはありませんし、もちろん子どもにはなんの罪もないです。

私はこの時別居や離婚ですでにかなり参っていたんだとも思います。

 

 

これまで妊娠中はすごく慈しんでいた自信はあったし、生まれたらどこに行こうとかこんなふうに過ごしたいだとかいろいろ夢もありました。

 

でもそれはあくまで、元旦那と三人の「両親揃って子育て」という夢に近かったのです。

 

これに関しては、私が母子家庭だということが関係するかもしれません。

母を恨むつもりはないし、前述したとおり私の父は控えめに言ってヤバい人なので、離婚してほしくなかったとかそんなことは思いませんが、両親がいる家庭に人一倍憧れはあったんだと思います。

 

もともと結婚願望や出産願望が強かったのも、そのような家族揃っての幸福を実現したかったからかもしれません。

 

 

なので、いわばその夢を元旦那によってぶち壊された私は、一番にそれをもう叶えられなくなったショックの方が大きくて、一人でも育てようという気概はその頃どうしても湧きませんでした。

 

というか、あれだけひどいことをされてもずっと離婚したくないと言っていたのは、この夢への執着に近かったんですけどね。

元旦那に対しての好きとか嫌いとかはもうどうでもよくなってはいました。

 

 

言い訳をさせていただくと、この頃もちろんまだ生活保護は続いていて私は復職するようなところもない状態でしたので、金銭的な不安ももちろんありました。

 

先ほど言ったシングルマザーの友人たちは、みな実家で暮らしています。

なのである程度、衣食住の心配はなく過ごしているようでした。

 

ですが、私の実家は団地です。

犬や猫を連れては実家に戻ることはできません。(出産前は、緊急事態ということで短期間だけ特別に許してもらってました)

 

実家に戻るなら犬や猫をすべて手放さなければなりません。

ここについて、母や児童相談所の人に「犬猫と子ども、どっちが大事なんだ」というようなことを言われましたが、正直言います、この頃は犬猫の方が大事でした。

 

もちろんおなかの我が子を大事にしたいという気持ちはありましたが、これまで何年も一緒に暮らしていて、この離婚などつらい時もずっと寄り添ってくれていた子たちを捨てるなんてしたくありませんでした。

 

というか、正直比べるものではないでしょう。

なんで自分の子を産んで育てるのに、自分の子同然の犬猫は代わりに手放せという話になるのか。

それがただ、私にお金や頼れる実家がないことが原因であることが悔しくて、毎日泣いていました。

 

 

また、仮に犬猫を手放したところで、母にももう母の暮らしがあります。

母はまだ正社員で働いていますし、再婚こそしていませんが彼氏もいるので、実家と彼氏の家とを半々で暮らしています。

 

 

これは同居しても変わらないので、日中は仕事に行くし、自分のパートナーに会いに週末などは出掛けます。

24時間つきっきりで育児を手伝ってもらう話にはなりません。

 

であれば、団地であまりプライバシーもない実家に帰り、友人なども気軽に呼べない状況よりかは、一人で育てる方をとります。

(母が嫌いということではないです。今更実家に戻って、襖しか間仕切りのない部屋で母と暮らすのは難しいということです。)

 

 

ただ、実家に帰らないで一人で育てるのであれば、極論、これから数年はもう夜に友達とお酒を飲んだり気軽にどこかに行くというのはできないと思わなければいけない。

 

ここに関して、出産前、どうしても自信がなかったんです。

 

実家や元旦那のサポートは基本ないと考え、これから本当に一人だけで育てていく。

 

これを自信持って、「大丈夫、頑張る!」と言える気力は、何度も言いますが、長年の夢が壊れたばかりでもあるあの頃の私にはどうしてもありませんでした。

 

 

 

少し余談になってしまいますが、私が今回すべて正直にブログに書こうと決めたのには、理由があります。

 

もちろんこのような自分の汚い感情や思いを隠し、なんとなくでブログを書いて完全な被害者のような顔をすることもできました。

 

でもそれをしなかったのは、どこかでもし私と同じような状況で悩んでいる人がいた時、このブログを少しでも救いにしてもらいたいから。

 

私はこの時本当にすごく悩んでいて、「養子 出す」「養子 後悔」などのワードでたくさん検索していました。

でも出てくるのは、どちらかといえば、養子をもらった側の人のブログとかなんですよね。いわゆる養親さん。

 

もちろんそのようなブログを見たい人もいるでしょうし、そういう記事を見て、養子に出しても幸せに暮らしていってくれるかなという後押しにもなりました。

 

でも私がその頃本当に見たかったのは、実際に養子に出した人や、もしくは養子に出そうか悩んだ人の話。

養子に出した人の話はそれでも少しは見つかりましたが、悩んでいるという人の話はほぼまったく見ませんでした。

 

まあそれもそうで、基本的には、自分の子を養子に出すのって母親失格って言われたり、計画なく離婚してるって言われたり、バッシング対象になりがちじゃないですか。

 

誰だってそんなバッシングは受けたくないから、密かに産んで密かに養子に出し、それをなるべく言わずに暮らしている方のが多いと思うんです。

 

そして、もちろんそれは全然悪いことじゃないです。

 

むしろ、子のためを思うからこそ養子に出そうと悩んだり、実際にそうしてる人がいるんだということを知ってほしい。

 

 

もちろん「もっと金銭的な余裕を持って子作りをすべき」とか、「そもそもそんな男と結婚するな」とか、言う人は言うと思うんですけど。

 

でも絶対に離婚しない保証があり、なおかつそれでも万が一離婚したら一人で十分に育てていける財力や精神力のある女の人って、世の中にいったいどれだけいるんでしょう。

 

そんな人しか子を作っちゃいけないというのなら、この世は崩壊すると思います。正直。

 

人生何が起きるかわからないから、望まない結果になってしまうこともあるし、予想もしなかった不幸に直面することもある。

だからいつか自分に、養子という選択肢が出てきてしまうことは、悪いことでは決してない。

それを伝えたかったんですよね。

 

自己保身のための弁護と言われればそれまでですし、私がそれを否定する気はありません。

でもいろんなことを悩み、子の幸せのためを思って選択した人を、なんとなくのイメージだけでバッシングしたりしない世の中であってほしいと思います。

 

 

少し話が逸れましたが、まあ、以上のような理由があり、養子に出したいという相談を私自ら児童相談所にしました

つまり児童相談所とは出産前からの付き合いということです。

 

もちろん、これでいいのかと毎日起きている間は本当にずっと悩んでいました。

 

でも、金銭的に不安なのは確かだし、養子に出せばまったく問題のない家庭で育てて貰えるだろうという気持ちで迷う気持ちを押し殺していました

 

母の意見も私の中では結構大きく、母はずっと養子に出すことを賛成していたのです。

私が一人で育てていくということへの不安もそうだし、自分が母子家庭で私を育てたので、そのような苦労を私にさせたくないという気持ちも持ってくれていたようです。

 

とはいえ、いくら金があっても元旦那や義両親に仮にも自分の子を渡したくなどなかったので、断腸の思いで養子に出すという選択をしたのです。

 

この頃、一日10時間も起きていないられなくて、毎日抗不安薬を飲んではひたすら眠る生活をしていました。

起きているのがつらいというような状況だったので、本当に精神が限界だったと思います。

 

 

このことを元旦那方の弁護士に伝え、最初は元旦那が引き取るだなんだと言っていましたが、そこは向こう方の弁護士が説得してくれたようです。

 

養子に出すにあたり、お互いにまだ親権があると面倒くさいので、出産前にもう協議離婚をしようということで話がまとまりました。

 

出産前に離婚をすると、状況などまったく無関係に、強制で母の親権となるんですよね。

逆に戸籍は強制的に父のところに入るんですが。

 

 

というようなもろもろの事情を踏まえ、簡単に言うと、「養子に出したことを確認後、慰謝料を支払う。養子に出すということなのでもちろん養育費の支払い義務はなし」という条件にて、出産前に離婚をしました。

 

この時私は子どもを養子に出す気でいたので、まったく問題ない条件だと思っていましたし、実際向こう方の弁護士は最大限私の気持ちにも寄り添った解決をしてくれたと思います。

 

ただ、これにサインをしてしまったせいで、今後私は地獄を見ることになりますが……。

 

 

まあ、ともかく、このようなことが書かれた離婚合意書を交わした上で、向こう方の弁護士と私が立ち会い、役所に離婚届を出した運びとなります。

なので我が家は特に調停や裁判は行っていません。

 

 

次回は出産について書こうと思うのですが、私の出産、驚くなかれ離婚の翌日の話です。

人に言うとほんとにびっくりされます。(そりゃそう)

 

 

というわけで、次回は出産編です。

ついでにその頃の私の気持ちとかも書いていけたらなーと思います。

本当はこの頃鬱全盛期でかなりひどかったのですが、そこはまあライトに……。

 

 

読んでくださりありがとうございました。

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私がついに離婚を決めた、元旦那の衝撃の一言

こんにちは。

菜々です。

 

最近ちょこちょこお休みしちゃっててすいません。

いろいろバタバタしてるのと暑さとかで死んでます。

 

 

というわけで、前回ついに別居を始めたことを書きました。

とはいっても、正直、喧嘩をしたあと毎回元旦那は実家に帰っていたので、一ヶ月くらい戻ってこなかったりとかはあったんですけどね。

 

別居というより、まあ、「とりあえず数日はお互い離れて頭を冷やして」ってことで警察により私たちは別々の家に帰りました。

そこで家の惨状を見てほとほと腹立つわけですが……。(前回記事参照)

 

 

それから数日、LINEとかで元旦那と連絡を取ったりはしていましたが、このまま結婚を続けていくという雰囲気は正直もうなかったです。

 

 

とはいえ、最初は週末に会う約束をしてみたり、一泊だけ我が家に帰ってきて過ごしたり、初心に戻ってやり直そうかと試行錯誤もしていました。

 

ですが私がこの時もう妊娠八ヶ月だったことや、だというのに元旦那が全面的な反省というよりは「子どもためにこそ別れた方がいい」としか言わないことなど、いろいろなことが重なっていました。

 

 

私はさすがに一人の家で出産に臨むのは不可能と思い、この時点で、実家に帰ることとしました。

それまではどれだけ喧嘩をしていようが、長期で実家に帰ることはしなかったんですけどね。して一泊とか、一週間くらいとか。

 

実家に帰ってからも、元旦那と話し合いは続けていましたが、正直この頃、もう話は平行線でした。

 

 

元旦那の言い分としては、「俺が悪いのは承知だけど、もうこれだけ繰り返してるんだから一緒にいてもしょうがない。子どものためにこそ別れるべき」でした。

 

私は、「生まれる前から父親がいない子どもの気持ちも考えてほしい。別れる別れる言う前に、どうしたら三人で暮らしていけるのか考えて努力をしてほしい」と言っていました。

そうするとまあ、「努力はもうしてる。それでもどうにもならない。だから俺らは相性が悪い」って言い返してきましたが。

それに、この時は偉そうに「別れたって養育費は払う、親の義務は果たす」とか言ってたんですけどね。結局ばっくれました。もういいけど。

 

 

この話がお互いずっと続いていたんですが、あるとき元旦那が、胃潰瘍で仕事を休職したんです。

 

 

 

お前が体壊すんかい。

 

 

 

自分で言うのもあれですけど、普通、ストレスで体壊すとしたらDVされた上出産間際で置いていかれてる私ですよね????

 

まあ確かにこの頃鬱の症状ひどくて精神科の薬は増えていましたが、とりあえずおなかの子どものため体だけは丈夫にしていました。

 

 

なのに、「え、そっちがなるの?」って。

 

 

 

ここまでブログを読んできてくれた方ならこのあとの元旦那の言動、もう予想つくんじゃないでしょうか。

 

そうです、元旦那お得意の、「秘技・他人のせい」です。

 

 

 

「別れたいって言ってるのに、お前が子どもを盾にして俺を責めるから、お前のせいで体を壊した」そうです。

 

 

 

 

そうですか……………………。

 

 

 

これ、マジで「俺はお前のせいで胃をやられた!」を盾に一、二ヶ月、離婚するしないの話をストップさせられました。

もう出産間際なのに、結局離婚するのかしないのか、子どもをどうするかの話し合い、一切なし。

 

電話も基本出ない。

出たら出たで、「お前は相手の体調とかを考えられないのか。そういうところにうんざりなんだ」って言われる。

 

 

 

 

は??????

出産間際の自分の妻と子どものことを一切考えてないのは、誰????????????????????

 

 

 

 

 

あのね。

マジでこれ謎なんですけど、なんで自分がしていないことを他人にはしてもらえると思ってるんですかね。

 

自分が他人を気遣ってなければ気遣われるはずがないし、自分が相手の都合や気持ちを考えられないなら、自分のことなんて誰も気にしてはくれないんですよ。

 

なんでそれがわからないのかな、モラハラするやつって。

アホだからかな……???

 

 

 

ぶっちゃけ、自分の子どもが生まれるか生まれないかの話なんだから、吐きながらでも話し合いはしろよ。

ていうか、そうなるような事件を起こしたのもそもそも自分だし。

 

 

あと、この話し合いの時、「親がいなくたって子は育つ。お前だって母子家庭だろ」って元旦那に言われたんですね。

 

うんうん、そのとおり。

べつに私は自分に父親がいないことを特別不幸と思ったことはありません。

 

片親だって立派に子は育つ。

元旦那の言うとおり、喧嘩ばかりする両親なら、いないほうがマシというのもわかる。

 

 

でもね。

 

 

 

それを、お前が言うな。

 

 

 

 

 

「片親でも立派に育つよ」って言っていいのは、片親で育った私。

 

「夫婦仲悪いまま続けていくくらいなら、別れた方がいい」って言っていいのも、被害者側である私。

 

 

 

DVモラハラで結婚を続けられない理由を作った加害者の元旦那。

両親揃ってて、なにかあればすぐ実家に帰って衣食住保証してもらえる元旦那。

 

 

お前が、それを言うべきじゃない。

 

 

お前に言う権利はないし、両親いるという経済力にぬくぬく甘えている真っ最中のお前が、どうこう言っていい話じゃない。

 

 

 

なんかほんと、元旦那って感覚バグってんなーと思います。

言ってることは一理あるし正論かもだけど、「それお前が言う?」みたいなこと、よく恥ずかしげもなく言えるなと。

 

世間体がどうとか、職業の貴賎がどうとか考える前に、自分の置かれてる状況よく考えろ????

 

 

 

 

 

とかまあ、今でこそこんな言えてますが、この頃子どものためにも離婚はなるべくしたくないと私は思ってました。

 

なので、具合が悪いから話したくないとか駄々を捏ねられれば「じゃまた来週連絡するから、体調整えてね」って言ってましたし、「今離婚とかそういう話したくない。関係ない話なら電話しててやってもいい(は?)」って言われれば、ポケモンの話とかしてました。

いや、ちょうどその頃ソード&シールド買ってたんで………………。

 

なんかもう、ほんと、イヤイヤ期の子ども相手にしてるようなものです。

大事な話に向き合えないし、何を言ってもイヤイヤ言うから、自分でやりたくなるまで待ってあげるっていう。

元旦那、三歳児説。

 

 

 

で、ここからいざ離婚になったのはなぜかって話なんですが。

 

しばらく放置されたあと、ちょっと具合がよくなったってことで、じゃあ久々に会って話をしようってことで約束をしていたんです。

ここまでで、別居してからもう二ヶ月弱経過してます。

 

その日外で話をしたあと、一緒に今日は家に帰ろうという話にもなっていたので、実家から家に朝戻り、夕飯なんかもちゃんと用意していたんです。

 

 

そしたら、当日の昼です。

待ち合わせ数時間前かな。

 

「今日の約束、またじゃダメ?」ってLINEが来た。

もうこんなん慣れっこなので、はーやれやれと思いながら、「体調悪くなったの?」って訊いたんです。

そしたらなんて言ったと思います?

 

 

 

「ママと舞台見に行く約束してたの忘れてた」

 

 

 

 

?????????????????????????????????????????????????????????????

 

 

 

 

あと一ヶ月ほどでお前の子どもが生まれるっていう時、お前が具合悪い具合悪い言うから二ヶ月も待って、ようやく設定した話し合いの日に、「ママとお出かけ」????????????????????????????????

 

 

 

 

 

マジでびっくりしました。

 

え、何?この子、3歳????って。

 

 

 

 

驚きすぎて電話したら、なんかぐちゃぐちゃ言い訳してたんですが、私が衝撃を受けた発言はこれでした。

 

 

「休みすぎてついに仕事クビになった。全部お前のせいだ。お前は俺から全部奪っていく。もううんざりだから会いたくない」

 

 

 

??????????????????????

 

 

 

 

 

頭の悪い文章ばっかり打ってすいません。

でもマジで言葉が出ないんですよね、これ。未だに。

 

 

勝手にキレて妊娠中の妻に手を上げて、実家に帰って戻ってこいって言っても聞かず勝手に暮らしてて、なのに勝手に胃を悪くして、勝手に仕事休んでクビになったのが、私のせい??????????

 

 

え、もう、どうした?ほんとに。

なんかつらいことでもあった????話聞くよ????????

 

 

おもしろいです。いっそ。

 

 

 

そして、この一言で、すべてがどうでもよくなりました。

 

結婚して一年と少し、元旦那の3歳みたいな言い訳とわがままに付き合っていましたし、別居してからも元旦那の駄々こねに付き合っていましたが、いよいよ「あ、ダメだこいつ」って気づけました。

 

私がどうとかじゃなくて、この人、自分の子どもがもう生まれるっていうことすらわからないんだなって。

 

現実に向き合いたくないを超越して、現実で何が起きてるのか把握できないんだなって。

 

すごーーーく平たく言うと。

 

「え……頭わる………………」って引いちゃったんですよね。

何が起きてるのかとか、優先順位とかわからないの、頭悪くないですか?

 

 

 

この電話を切った瞬間、「別れる。今までありがとうございました」ってLINEを入れ、ブロックしました。

(弁護士さんにもう頼む予定があったので、別れるのであればもう直接話すことはなかったので)

 

そして、これが元旦那との直接のやり取り、最後になりました。

 

 

 

別れる時はあっさりでした。

夢から覚めた感じでしたね。

 

 

 

これにて、元旦那編はほぼ終わりです。

ようやくブログの半分くらいまで来たなという感じです。

 

このあとは、ブログタイトルの後半である、ここから何があって娘と別々になってしまったのかなどを書いていきます。

元旦那との離婚条件とかが絡んでくるので、まだもう少し元旦那の話も続きますが。

 

 

次回は正式な離婚までのあれこれを書いていきます。

ここから先は、これまでとは比にならないヘビーさですのでご注意くださいね。

 

 

読んでくださりありがとうございました。

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妊娠八ヶ月、別居に至った喧嘩

こんにちは。

菜々です。

 

 

前回、妊娠中どんどんモラハラの加速していった元旦那について書きました。

今回はそこから別居に至るまでを書いていこうと思います。

 

 

妊娠後期に入ってくるにつれ、体の不調はもちろん増えていきました。

ですがそれと反比例するかのように、夫婦仲は再び悪化していきます。

 

妊婦が猫のトイレの世話をするのはなるべく避けるよう言われています。

それを元旦那にも伝えていました。

でも代わりにやってくれたのは、たったの数回のことです。

 

煙草もまったくやめられていないし、それどころか喧嘩のたび「お前のためにわざわざ外で煙草吸ってやってる」というようなことさえ言われました。

(私のためではなく「おなかにいる子どものため」と考えられない時点でおかしい)

 

 

 

DVやモラハラをするのは、自分に自信があって偉そうな人というイメージを持つ人も多いかと思います。

でも我が家のように、そうではない例もたくさんある。

 

ここについて、今日たまたま興味深い記事を見たのでそこより引用させていただきます。

 

 

抑うつ神経症の場合、本人の性格が病気の発病に関わっている事が多いものです。元々、甘えっ子で、依頼心が強く、自分に自信が無く、少しの事でクヨクヨ悩む、調子の良い時は頑張るけれど、大変になると投げ出し、周囲に責任を押しつけるといった傾向がみられます。

 

例えば、うつ病と比較して思考や行動の抑制が軽く、「自分は取り返しのつかない事をしてしまった」とか「不治の病にかかってしまった」などの妄想をいだく事はありません。自分を責めるよりも、かえって周囲の人や環境のせいにして、周囲を攻撃します。』

 

 

 

下記より引用させていただきました。

神経症抑うつについての記事です。

http://www.fujimoto.or.jp/home-medicine/phychiatry/p_4/p_2.php

 

 

いつかの記事で、元旦那も鬱気味だったと書きましたが、この説明文で腑に落ちました。

 

悪いことが起きた時、他人のせいにしたり攻撃したりすることで、繊細な自分の心を守ろうとする。

 

 

だから殴ったあとも、謝るどころか、「俺をこんなに怒らせるお前が悪い」と弁明をするわけです。

本気でそう思っているのではなく、そう思い込むことで自分を弁護しているんでしょう。

 

 

かばうわけではないですが、妊娠中の妻にお金のことをグチグチ言いたいわけでもなければ、子どもに煙草が悪影響だということを元旦那は理解していました。

 

ただ、頭では理解しているのに、それを心から「そりゃそうだよな」と思えない自分自身に対していつもいらだっているようでした。

 

自分が未熟だったり余裕がなかったりするから、他人の些細なことがいちいち気になってしまうし、そんな自分に自己嫌悪して、だからその矛先を他人に向ける。

そしてそんなことをする自分がもっと嫌になる、というループ。

 

気持ちはわからなくもない。

というか、結局私が元旦那と別れられなかったのは、こういう面を知っていたので、怒りよりも哀れみが勝っていたんでしょう。

それこそ母のような気持ちで、「大変そうだなぁ」と思い、ぶつけられる鬱憤も受け止めていました。

 

 

ですが、前回記事で書きましたが、だからといって犬や猫に当たることだけは許せなかった。

 

犬や猫は元旦那にそれなりに懐いていたし、本当になんの罪もないのに、自分の機嫌だけで動物にさえ当たり散らす無差別さ。

あと、結局は自分のやりたいことや煙草などを優先して、我が子の安全を考えられないこと。

 

妊娠中の今でさえこんなにストレスがあるのに、子育てが始まれば、どれほどの地獄が始まるのかを考えると恐ろしくなりました。

 

 

産前産後で別れる夫婦も多いと聞きます。

それは、これまで少し手の掛かる旦那さんの面倒を「やれやれ」と思いつつやっていた奥さんが、我慢ならずに別れてしまったりするんでしょう。

 

子育てだけで精一杯なのに、協力的どころか、子どもが泣くたび「うるさい」とか怒鳴ってくる旦那は、もうストレスなだけです。

 

我が家も、その未来が見えました。

 

 

 

なのでこの頃、喧嘩をすると、別居した方がいいんじゃないかという話は出ていたんです。

ただ毎回一応は仲直りをして、もう少し考えようということになっていました。

 

 

ですが、私が妊娠八ヶ月になろうという冬のはじまりのこと。

 

その日殴られたことで、私たちは別居を始めました。

 

 

とはいえ、妊娠してからもたまに叩かれたりはしていました。

さすがに妊娠前より程度は軽くなりましたが……(そういう問題でもない)。

それで何度も警察を呼んだりもしていました。

 

なにより腹が立つのが、妊娠前DVをした時は、警察に素直に「うっかり手を上げてしまった」ときちんと話していたんですね。

 

ただ、一度逮捕され、「もう次はないぞ」と言われた元旦那は、それ以来DVをしらばっくれるようになりました

 

 

 

これ法の抜け穴だと思うんですが、DVとかって、加害者がしらばっくれると、泣き寝入りになる確率が高いです。

 

証拠がないから。

 

 

録画や録音がない時、じゃあ何を以てして証拠にするかというと、怪我しかないんです。

妊娠前被害届を出した時は、かなり手ひどくやられていましたので、「傷害」として受理してもらえたんですね。

(ちなみに「暴行罪」と「傷害罪」の違いは、怪我を負わせたかどうかです。)

 

ただ妊娠してから程度は軽くなっていたので、やられてもまあ一発殴られるとか、そのくらいだったんです。

 

だから警察を呼んでも、「本人が否定していて、奥さんに怪我もないから立証ができない」と言われました。

 

何かある前にすぐ呼んでね、と言われるから呼んでいるのに、証拠がなきゃ泣き寝入りなわけです。

 

「被害届を出したければ、怪我をさせられるまで待つか、逆上されるであろうことを前提に録画を行うしかないってこと?」って憤慨しました。

ぜひみなさんは録音や録画を行うようにしてください……。

 

 

 

 

結論から言いますと、この別居に至った時の喧嘩も、元旦那がしらばっくれたため被害届は出せませんでした。

 

しかもなんなら、被害届を出す権利は誰にだってあるはずなのに、被害届を出すことすらさせてもらえませんでした。

それから正直、警察を信用していない節があります。

 

 

被害届を出されたら、警察はもちろん捜査をしなければなりません。

 

でも今回DVで、立証が難しいため、捜査をしても不起訴になる可能性が高い。

となると、どうせ不起訴になるであろう事件の捜査をしたくないため、警察は被害届の受理自体を断ってきます。

 

断ると言っても、体面上「出す権利はある」ので、何度も出したいと言いましたが、「どうせ不起訴になっちゃうよ」「たくさん時間もかかるよ」と懇々と説得され続けるんです。

こっちが「もういいです」というまで、ほんとに一時間以上も説得されます。

被害届の提出は断れないはずなのに、実質断られるんです。

 

 

 

ともかく、この日またも警察署でお互い取り調べを受け、元旦那はいつもどおり実家へ、私が元の家へ戻ることとなりました。

 

その前に元旦那が一度荷物を取りに家へ戻るというので、私が警察署で待ち、元旦那が出て行ったのを確認して警察官に家まで送ってもらいました。

 

そうして帰った私を待ち受けていたのは、メチャクチャになった部屋でした。

 

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汚いものをお見せしてすみません。惨状をお伝えしたかったので、あえて隠したり加工はしませんでした。

また、現在はもうこの家に住んでおりません。

 

 

 

 

 

荷物を取りに帰った時、なにやら恨み辛みのLINEが私のところに来ていたので、「いいから早く出てってよ」というようなことを言い返したら、それにキレて破壊したのだそうです。

 

夜、妊娠中の体を引きずってようやく警察署より帰ってきたら、この惨状。

しかも犬や猫もいるのに。

 

送ってくれた警察官も絶句していて、私は「こんなことをされても、訴えることはやめろと言うんですか?」と言いました。

 

警察官はばつが悪そうに「いや、まあ」だとか「もう離婚をした方がいいね」だとか言って、そそくさと帰っていきました。

 

 

犬や猫が硝子を踏んでは危ないので、いくら疲れてようが片付けないわけにはいかず、結局この部屋は私一人で掃除しました。

 

 

 

ここまでされているのに、被害届すら出せないことが悔しくてしかたありませんでした。

 

 

 

この時まだ別居をすることや離婚をすることは話していませんでしたが、ここから二ヶ月後、私たちは離婚をすることになります。

 

別居から離婚に至るまでを次回は書いていけたらと思います。

 

 

だいぶヘビーな話になってしまいましたが、読んでくださりありがとうございました。

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