筒井修さんが、2020年1月18日の朝、亡くなりました。
筒井さんは、2018年春にひどい腹痛で入院しましたが大腸がんのステージⅣとわかりました。そのときに余命を2年とされていました。しかし、筒井さんは、手術して退院するとすぐに闘争に復帰し、以前と変わらず、労組の活動だけでなく、福岡市民救援会や死刑廃止、排外主義にNO!、きんしゃい金曜!脱原発行動など様々な活動の場に出ていきました。以前よりスマートになった筒井さんは「前よりカッコよくなった」など言われて、はにかむように笑顔を返していました。しかし、実は肝臓などにも転移しており、抗がん剤治療などを受けながらの復帰でした。
12月19日に、福岡市東区松崎斎場で通夜を、翌日、同所で葬儀を行い、筒井さんを送りました。どちらも、宗教色のない形で、たくさんのお花で飾られた中に、筒井さんの写真。昔の写真のスライド、喪主の思い出、献花、弔事でした。両日とも150人くらいの参列者があり、たくさんのお花、弔電、「香典」が届けられました。斎場ロビーには、筒井さんや筒井さんの家族の写真、筒井さんの普段の持ち物などが飾られていました。たくさんの労働運動、市民運動の仲間、筒井さんの趣味だった合気道の友だち、弁護士・学者たち、関東や関西からも駆けつけてくれました。
筒井さんは、1976年に福岡地区合同労働組合を結成し、「一人の首切りも許さない」「一人でも入れる合同労組」を実践し、全国に闘う仲間を作り、市民運動とも共闘してきました。筒井さんは、福岡地区合同労働組合の代表執行委員であり、福岡市民救援会の共同代表です。ここに、わたし個人の追悼という形で、筒井さんの闘病と逝去の経過を報告させていただきます。
筒井さんは、2018年春にひどい腹痛で入院しましたが大腸がんのステージⅣとわかりました。そのときに余命を2年とされていました。しかし、筒井さんは、手術して退院するとすぐに闘争に復帰し、以前と変わらず、労組の活動だけでなく、福岡市民救援会や死刑廃止、排外主義にNO!、きんしゃい金曜!脱原発行動など様々な活動の場に出ていきました。以前よりスマートになった筒井さんは「前よりカッコよくなった」など言われて、はにかむように笑顔を返していました。しかし、実は肝臓などにも転移しており、抗がん剤治療などを受けながらの復帰でした。
そして、昨年、肩の痛みで検査すると肩の骨への転移が見つかりました。痛み止めを打ちながらの活動になりました。しかし、筒井さんは以前より増して、活動の幅を広げ、出掛けていくようになりました。見かねて、わたしは自宅療養をすすめたことがありました。しかし、筒井さんは、首を横にふります。そこで、わたしは聞きました。「もしかして、筒井さんは闘争の現場で死にたいとか、そんなカッコいいこと思ってるの?」すると、筒井さんは、困ったようなはにかむような笑顔で、小さく「うん」といいました。それで、わたしは、「そう、わかった。だったら、自分の好きにすればいいよ。筒井さんの人生なんだから」と言いました。
それでも筒井さんは、とても末期がんの患者とは思えないほどの食欲が続いていましたが、11月、12月と食欲がなくなり、ついには、ほとんど食べられない状態になりました。
わたしが、最後に筒井さんの顔を見たのは、2019年12月21日。死刑廃止・タンポポの会の通信発送の時に、筒井さんがお連れ合いと組合事務所に現れました。組合の書類作業に来られたようでした。 それから、間もなく12月24日に腹痛で入院し、年末年始は外泊で自宅に戻って家族と過ごせたそうです。しかし、筒井さんは次第に弱って、緩和ケア(ホスピス)に移る予定と聞きましたが、空きがなく、待って、1月17日午前に転院しましたが、翌12月18日朝に急変して亡くなったのです。転院して「余命1週間」と聞いていたので、「まだ1週間」あると思った翌日の訃報には大変衝撃を受けました。
12月19日に、福岡市東区松崎斎場で通夜を、翌日、同所で葬儀を行い、筒井さんを送りました。どちらも、宗教色のない形で、たくさんのお花で飾られた中に、筒井さんの写真。昔の写真のスライド、喪主の思い出、献花、弔事でした。両日とも150人くらいの参列者があり、たくさんのお花、弔電、「香典」が届けられました。斎場ロビーには、筒井さんや筒井さんの家族の写真、筒井さんの普段の持ち物などが飾られていました。たくさんの労働運動、市民運動の仲間、筒井さんの趣味だった合気道の友だち、弁護士・学者たち、関東や関西からも駆けつけてくれました。
弔事は、労働組合の争議で、長く筒井さんと共に闘ってきた仲間2人から、出会いと闘争、別れ、決意が語られました。胸も目頭も熱くなる弔事でした。わたしは筒井さんが煙と骨になるところまで付き合いました。わたしと筒井さんの出会いは、美浜原発での水蒸気漏れ事故で、わたしが九州電力に抗議してビルの前に座り込んだ時に、テントを持ってきてくれた時だったと思います。もう30年くらい前の話です。長い年月を、共に闘いの中で助け合う仲間として過ごせたこと、団交や労働委員会での交渉術を学べたことは、わたしにとって大きな財産です。筒井さんが、わたしたちに残していってくれたものがたくさんあります。わたしたちは、「最後まで闘い続ける」ことをやり通した筒井さんにをがっかりさせないような闘いを、これからも頑張っていかねばならないと思います。
みなさん、筒井修を愛して下さってありがとうございました。筒井修の身近な仲間として、友だちとして、お礼を申し上げます。
そして、訃報が届けられなかった方にお詫び申し上げます。行き届かず、ごめんなさい。
まえだヒソカ
通夜の画像です。
葬儀の時の画像です。