筒井修さん、さようなら 「代表 筒井修 逝去」

 

 合同労組・代表執行委員の筒井修さんが、1月18日に大腸ガンによって亡くなりました。2018年にガン宣告を受け、病と闘いながらも「争議」「反弾圧」「死刑廃止」「反差別」「反戦」「反天皇制」「脱原発」などのために、現場に立ち続けてこられました。筒井さんは、1974年に労働争議を開始したことを契機に、1976年に福岡地区合同労働組合を結成されましたが、当時は個人加盟労組は珍しく、他団体からは中傷・排除され、もちろん警察からも弾圧されました。福岡合同を監視するために福岡県警・警備課(公安)に新たな部署がつくられた事も公文書として残っています。労働運動だけでなく、福岡の市民運動をしっかりと支えてこられた部分も大きくあります。2011年からの脱原発運動の場では、これまでに見られない若い世代もたくさん路上に出て来ましたが、意外と筒井さんの顔を知らない人もいたようです。それは多くを語らず、どの現場でも道路使用許可申請や宣伝カーの運転、拡声器準備など、裏方に徹していたからでしょう。

 

 この姿は(饒舌に喋る大杉栄ではなく)堺利彦の姿と重なります。1910年に幸徳秋水をはじめ12名も死刑執行された大逆事件では、犠牲者家族を見舞うために、堺は(24時間態勢で官憲の尾行がつきながら)全国を巡り、14の遺族を慰問します。そんな誰もがやりたがらない地味な仕事を筒井さんは背負ってやって来られたのかもしれません。

 

 また、この運動界隈の活動家には、饒舌な人が多い傾向があるのに、筒井さんはいたって寡黙でした。しかし、端的に物事を進める言葉を持つ人でもありました。ある集会のデモ申請のために、警察署の車寄せに宣伝カーを横付けした時のこと。顔をしかめて出てきた警察官から「動かせ」と言われた時の返しは、たったの3文字。「よかと」。

 

 そんな挿話が多くあるように、合同事務所はたくさんの市民運動の団体が利用しています。そんな団体や現在進行中の労働争議ももちろんあるので、ある程度の時間をかけて段階的に合同労組事務所のゴールを考えています。そんな経緯で、今後は宣伝カーと会議室使用に利用料が発生することになりますが、ご協力ください。

 

 これは「しばらくの間は事務所を市民運動をつなぐ場所として使って欲しい」という筒井さんの「遺言」なのですから。   (いのうえしんぢ)


※上記事は、福岡合同労組ニュース2月号より。

 下画像は、葬儀会場でスライドなので使用したもの。

 

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