渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

お店いろいろ 〜バイク差別〜

2020年12月09日 | open

尾道のこの店、以前から気に入っている。
私の案内で仲間とバイク2台で行った。
店のパーキングに停めたら、「車のお客様
の邪魔になるから停めないでくれ」と店員
に言われた。
「二輪車も車ですよ。なぜ四輪を優先して
二輪を排除するのですか?」と尋ねたら、
別な店の方が出ていらして、どうぞこちら
にお停めください、と案内してくれた。
バイクはそのままそこに駐車して店内で
飲食した。
ここ、良い店。というか、普通の真っ当な
対応。

東広島のこのフレンチレストラン、バイク
仲間と2台で行った。
駐車場であるここに停めたら、店内から
店員が飛んできた。えらい剣幕だ。
「車の邪魔になるから、そこ停めんで。
あっちに停めてもらえます?」とのこと
だ。確認すると、坂道の遥か下の観光バス
の駐車場のさらに端っこに車の邪魔になら
ないように停めろ、と言う。
尾道と同じパターンで私は言ったが、店員
取りつく島もない。
店で飲食する気が一気に失せたが、友人が
誘った店のなので入って飲食した。
非常に感じの悪い店だった。


何が差別って、これがいわゆる「バイク
差別」なんだよ。
かつて、1980年代までは、人々はバイク
=悪、バイク=邪魔者、として扱ってい
た。今では想像もつかないだろうが。
女の子の親が「バイクに乗る人?うちの
子とは付き合わないでください」とか、
「オートバイに乗って家に来るなど、うち
の娘の嫁入りに関わる。オートバイなどで
うちに来てもらっては非常に迷惑」とか、
フツーに世の中の人たちは口に出して言っ
ていた。これは血縁者だろうと他人だろう
と、関係なく言っていた。
何も広島県だけでなく、東京でもそんな
もんだ。マスコミもそのようにバイクと
バイク乗りを扱っていた。
気をつけないといけないのは、それは
暴走族のせいではない、という事だ。
ここ見誤ると、差別の発生と差別を利用
する者たちの狡さを見抜けないだけでな
く、下手転ぶと差別を再生産する心根に
転落してしまう。差別される側が存在す
るから世の中に差別があるのではない。
暴走族がいたからバイク差別意識と差別
行政があったのではない。
これは、部落民がいたから部落差別が
あるのではないのと全く同じ構造にある。

ひどいのは、人々の心根がそのようなもの
であっただけでなく、制度として明らかな
差別行政が敷かれていたことだ。これも
バイクも部落差別も似た構造にあった。
部落差別も行政的な差別が行なわれていた
のが日本の歴史の事実だ。
バイクでは、1人乗りのバイクと29人乗り
の四輪車が同じ高速道路料金だった。
理由は、受益者負担、道路損傷具合に比
例、だった。
おかしいでしょうよ。
どうして一人乗りのバイクと29人乗りの
マイクロバスが同じ損耗を道路に与えるの
よ。
二輪車排除の差別行政の表れだった。
運輸省の役人は非公式ながらも、「二輪車
は高速道路を走ってほしくない」と発言
していたのがまかり通っていた時代であっ
たのだ。
その行政の不全は、私と私の仲間たちが
1万5000人のライダーを原告団として組織
して行政訴訟を起こして勝利し、世の中を
変えた。
現行高速道路料金体系は、その時の歴史的
な成果である。
日本のモーターリゼーション、二輪史に
おける大革命だった。
やがて、バイクに対する偏見と差別的措置
や人々の概念にも変化が現れて、徐々に
雪解けの時代となった。

しかし、数十年ぶりに、尾道と東広島で
「バイク差別」を体験した。
差別している本人たちは「なんが悪い
ん?」「はあ?」という程度の感覚だろ
う。部落差別や障がい者差別も差別者は
そのような意識だ。
尾道の場合は、別な方が対応してくれて
良い方向に進んだが、東広島ではてんで
話にならなかった。
あのバイク差別をした人は、たぶんずっと
そのままで行くのだろう。

まだまだ日本はあらゆる方面で差別社会
である、ということを日本人は自分の胸
に手をあてて、自分の在り方を捉え直す
必要がある。

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