ぺこぱ
ぺこぱは、松陰寺太勇、シュウペイ、松井勇太の3名から構成されるお笑いトリオである。
メンバー構成[編集]
表舞台に立つのは松陰寺とシュウペイであり、松井は「影のメンバー」である。ただし松陰寺と松井は身体を共有しているため、松陰寺として番組等に出演している最中でも突然"松井の人格"が発現する場合がある(例えば、バラエティー番組の雛壇で気を抜いた時、ドッキリや罰ゲーム等による身体的苦痛を受けた時など)。いや二重人格みたいに言うんじゃねえよ!って言うけど、その解釈、あながち間違いとも言い切れない。 一方のシュウペイは、原則として一つの人格を保ちながらも「モード」を切り替える機能を搭載。これまでに「モードH(俳優)」「モードC(コメンテーター)」など複数のモードの状態が確認されている。
さて、ぺこぱのファンからすれば「何でシュウペイ母がメンバーに含まれてないんだ」という疑問を抱くことだろう。確かにシュウペイ母がいなかったらぺこぱ以前にシュウペイは存在していない。しかしシュウペイ母もメンバーに含めてしまうとマスコミがシュウペイをマザコンと誤解してしまう恐れがあるため表向きにはメンバーとして含まれてない。
来歴[編集]
メンバーはみな生い立ちも育ちも違うが、消極的な動機で芸人になったという共通点がある。ここからは一人ずつ黒歴史を見ていこう。
シュウペイ[編集]
彼は元々サッカー選手志望であり、独自の空気椅子トレーニング法で腹式呼吸・大腿筋・腕力を強化していた。しかし彼の努力が報われることはなく。プロとしてフィールドを駆け巡る日など来なかった。厳しい現実に打ちひしがれた彼は落ち込んでしまい引きこもり同然の状況になった。事態を重く見た両親は彼を奮起させるべく無断で芸能オーディションに履歴書を送付し、部活動などが評価され辛うじて書類審査を合格した。そしてオーディション当日、シュウペイは自分の全てをぶつけるべく少年時代のトレーニング法を面接官たちの前で披露した。これが「シュウペイポーズ」が芸として認識された最初の瞬間であった。奇跡的にオーディションを通過したシュウペイは何とか事務所に入ることができ、右左が分からないながらも芸能人としてのキャリアを歩みだすこととなる。
松井勇太[編集]
松井少年が学校に楽しく通っていた時代は光GENJIに憧れてローラースケートをやる子供たちが大勢いた時代であった。松井少年がその魅力に取りつかれたのもすぐであった。初めて間もなく上達した松井少年は自分に自信を持つようになり、音楽が好きだという気持ちも相まってジャニーズ事務所に応募した。しかしそこで彼が目の当たりにしたのは「上には上がいる」という不変の真理であった。このままの自分で終わるわけにいかないと悟った松井少年は真逆の人格を追求するようになり、そうして松陰寺太勇が生まれたわけである。
松陰寺太勇[編集]
松井少年が真逆の発想で作り出した松陰寺太勇は、これまでの特技を捨てるのではなく、逆の意味で活用するという方針を編み出した。当時はローラースケートがカッコつけのために使われていのだが、松陰寺は「これからはローラースケートで笑いを取る時代が来ない、とも言い切れない」という賭けに出て別のオーディションを受けた。この英断が功を奏したのか、彼も逆転合格を果たし、シュウペイと同じ事務所に属すこととなった。
ぺこぱ結成[編集]
事務所がシュウペイと松陰寺太勇を採用したのは動機がある。というのも、この時期では同じ事務所のベッキーがやらかしたおかげで事務所の株は急落しており、挽回することが急務だったからである。早速ベッキーを超える逸材を世に送り出すため、事務所の上層部はシュウペイ・松井勇太・松陰寺太勇をトリオとしてプロデュースした。こうして個性豊かな人々が集まったのはいいが、できたばかりなので確固たる芸風が存在しない状態であった。三人は相談した結果、「社会の情勢に合わせた芸風だとみんなに受け入れられない、とも言い切れない」と判断し、しばらく様子を見ることとした。
さて、そのころの社会情勢はどうだっただろうか。人々は長く続いた安倍政権に閉塞感を感じ、これから始まる令和に不安を感じていた。この状況を踏まえ、ぺこぱはポジティブ路線を打ち出し、人気を博すようになったわけである。
副業[編集]
コンプライアンスが蔓延し、自粛警察が跋扈する芸能界ではいつ誰が自粛に追い込まれてもおかしくない状況が続いている。ぺこぱのメンバーたちもこのリスクを理解しており、有事に備えて副業を続けている。
- Uber Eats
- 松陰寺太勇は芸人として売れなかった頃から生活費を稼ぐため配達に勤しんでいる。配達と聞くとバイクとか自転車を想像するかもしれないが、松陰寺は環境や安全に配慮してローラースケートでの配達を行っている。この配達方式を始めた当時は「到着が遅れる」と批判されたが、「環境にやさしいのはいいことだ」という環境保護団体の声が勝ったため今も続けている。ローラースケート業界も松陰寺が配達を通じてローラースケートの利便性と安全性を宣伝してくれるのは大歓迎なので大喜びである。[1]そのうちCMのオファーが来ることだろう。
- 主夫
- かつて少年だった松井も今では結婚しており、自宅では副業として主夫をやっている。妻を怒らせないよう家事に専念するだけでなく、キレた妻が壁にあけた穴を修理する日曜大工もやっている。
- シュウペイポーズ産業
- 今でこそシュウペイポーズは芸として認知されているが、シュウペイ自身は体操法・健康法としてのシュウペイポーズを放棄したことなど一度もなく、現在でも「子供の体力低下を食い止められる」と信じて普及に取り組んでいる。学校に出張でシュウペイポーズを指導した実績もある他、コロナ禍でもZoomとかYouTubeを使ったシュウペイポーズ講習なども実施している。足つぼマットや加圧を用いてシュウペイポーズを進化させる取り組みにも余念がなく、シュウペイポーズ産業はとどまるところを知らない状況である。[2][3]
このようにメンバーはみな「好きなことを仕事(副業)にしている」のだが、一部のアンチからは「これじゃあ多目的トイレの普及に取り組んだ人と一緒だよ」という苦情が相次いでいる。しかし本人たちだけでなく事務所側も全く心配していない。というのも松井家の六法では「不倫は死刑」と明記されているため頼もしい抑止力があるからである。また「シュウペイポーズでモテた経験がない・全然モテない」という事実も安心材料になっている。こうして今日もみんな安心して仕事ができるわけである。