久藤学さん逝去の報告

 2013年の福岡市民救援会(以下、救援会)結成集会から事務局員であった久藤学さんが、亡くなりました。
 久藤さんが活発に発信していたSNSが、この一ヶ月ほど途絶えており、電話してもつながりませんでした。ご家族に連絡したところ、亡くなったと知らされました。7月7日、賃貸マンションの自室で倒れているのが発見され、前後の様子から、7月5日から6日頃、病気で亡くなったらしいとのことです。ご家族には、詳しい死因は聞けませんでした。葬儀など、すでにご家族ですまされていました。

 久藤学さんは、わたしたち救援会にとっては、「久藤さん」でしたが、インターネットの世界では、翻訳家・芦原省一として『ウォール街を占拠せよ』を出版し、SNSやブログで、社会の様々な問題について、意見を発信する人でした。とりあえず、インターネットで訃報を拡散したところ、民族、原発、戦争、障害者、LGBT、弾圧と多岐にわたる仲間たちから、たくさんのお悔やみが寄せられました。どの投稿も芦原さん(久藤さん)の急逝に驚き悲しむものばかりでした。「ヘイトに苦しみ人への芦原さんの暖かな言葉」への感謝が多かったです。

 久藤さんは、所属する労働組合や救援会で活動していましたが、その一番の視点は、「朝鮮半島にルーツを持つもの」として、マイノリティとしてのものでした。しかし、久藤さんは、「民族差別が当たり前に存在する国でのカミングアウトは非常にきつかった」と書いていました。わたしと久藤さんは、救援会、労働組合、精神障害者、LGBTQとLGBTXとしての繋がりで、複合マイノリティとして相談(愚痴)することもあったし、貴重な仲間の一人でした。

 久藤さんはここ数年、体調が良くなく、元からある喘息に加えて、睡眠時無呼吸発作もあると言っていましたが、フランス語やラテン語など、語学の勉強を広げたいとか、争議解決に向けた思いなども篤く語っていました。そして「救援連絡センターのように事務局員が賃金をもらえるようになるまで頑張る」とも語っていました。

 もっと早く、久藤さんに連絡していたらと何度も悔やみますが、救援会は谷和美さん、筒井修さん、そして久藤学さんと3人の仲間をここ数年で次々に見送ることになり、わたしたちのすべきことは、「3密」ではなく、もっとお互いの距離を縮め、頻繁に会うことなのじゃないかなと考えています。

 最後に。
 久藤さんは「Q」というペンネームで、6本の記事を救援会ブログに投稿しています。そのうちの3本は久藤さんの活動参加記録です。時間があればご覧ください。

 韓基大さん「JR大阪駅前弾圧」裁判傍聴記(2014年05月24日)
  http://blog.livedoor.jp/fukukyuen/archives/38272548.html
 10.18「ぶっとばせ弾圧!」デモ参加報告(2014年11月6日)
  http://blog.livedoor.jp/fukukyuen/archives/41138582.html
 10.17大阪駅前弾圧控訴審傍聴記(2015年10月11日)
  http://blog.livedoor.jp/fukukyuen/archives/45667913.html

 人は亡くなっても誰かが思い出してくれる間は、その人の中に留まり、叱咤激励し、癒やしを与えてくれます。久藤さんの死は、そういう死であったと思います。久藤さん、お疲れさまでした。

 2020年8月10日
福岡市民救援会
まえだヒソカ
20130324福岡市民救援会結成集会
20130324福岡市民救援会結成集会

20150319福岡市民救援会第3回総会
20150319福岡市民救援会第3回総会

久藤さんに寄せられたお悔やみツイート一部
お悔やみツイート