(台北中央社)戦時中、日本で戦闘機の製造に携わった台湾少年工の子孫らでつくる「台湾高座友の会」が5日、台北市内のホテルで日本側の高座会関係者と交流会を開いた。何敏豪会長は、台湾少年工は国のために忠誠を尽くし、仲間同士でも固い絆で結ばれていると述べ、この忠義の精神を2代目として受け継いでいくとあいさつ。次世代による台日交流を担っていく姿勢を示した。
第2次世界大戦末期、約8400人の台湾の若者が「台湾少年工」として日本に渡り、神奈川県にあった「高座海軍工廠」で働いた。戦後、台湾に戻ってからも日本側との交流を続け、戒厳令が解除された1987年に「台湾高座台日交流協会」を結成した。
メンバーの高齢化を受け、昨年3月、その子孫を中心とする「台湾高座友の会」が正式に発足。これまで育まれた台日間の絆を受け継いだ。交流会は恒例となっているが、新型コロナウイルスの世界的な流行のため、今年は日本側とテレビ会議形式での交流となった。
イベントには、大使に相当する謝長廷駐日代表と泉裕泰駐台代表も出席した。謝代表は新型コロナの影響で、台湾に戻るのは9カ月ぶりになったとあいさつ。交流会への出席は台湾に戻って最初の公の活動であることや、台湾の駐日大使と日本の駐台大使がイベントに同席しているのは珍しいことだと語り、高座会がいかに重要かを示していると力を込めた。
泉代表は日本に対する元少年工の貢献をたたえるとともに、日本のために懸命に働いたにもかかわらず、戦後、突如日本国籍を失ったことに言及。元少年工が日本のことを恨むどころか、台湾に戻ってからも日本を第2の故郷と思い、日本の若い世代を叱咤激励したとし、謝意を示した。
(荘麗玲)