文/小内誠一
不思議な雅子さま報道
いよいよ12月9日は雅子さま57歳のお誕生日だ。コロナ禍で先行きが見通せない今だからこそ、雅子さまの笑顔、力強い生き様は国民に勇気を与える。
思えば令和になり週刊誌の構図は全く逆転した。平成時代、美智子さまと紀子さまは「慈母」として大絶賛されていたことは記憶に新しい。一方で雅子さまは何をしても週刊誌からバッシングの対象になっていた。
今回は、その典型例を紹介したい。すなわち雅子さまと実家との関係だ。皇族としても人間である以上は、嫁いだ後も連絡を取り合ったり、時に食事をしたりすることは当然であるように思える。だが雅子さまがご実家(小和田家)と連絡を取り合うと、どうしてか「小和田家に皇室が乗っ取られる」とばかりに非難された。一方、紀子さまがご実家と連絡を取り合っても、なぜか称賛される。美智子さまに至っては、実際には実家と懇意にしていたにもかかわらず、なぜか今ではご実家とのお付き合いがなかったことに歴史修正されてしまったいる。
今回はこのダブルスタンダートならぬトリプルスタンダードを紹介したい。
ご実家と連絡を取り合うだけでバッシングされる雅子さま
まずは、雅子さまの事例を紹介したい。保坂正康(ノンフィクション作家)、御厨貴(東京大学教授)、高橋紘(静岡福祉大学教授)、斎藤環(精神科医)、原武史(明治学院大学教授)、松崎俊彌(「週刊女性」記者、皇室ジャーナリスト)という6人が集まって「引き裂かれる平成皇室」というテーマの下、雅子さまを叩きまくる「座談会」が、『文藝春秋』2008年4月号に掲載されている。
2008年といえば、雅子さまバッシングの最盛期だ。『週刊現代』2008年3月22日号には「小和田家は、「皇室の仕事ができないなら、娘を引き取ります』と言うべきでしょう。皇后になったらそれこそ過密なご公務が待っている。勤めが果たせないのなら引き取るのが筋です」という宮内庁関係者の声が紹介されている。また『WiLL』2008年5月号から9月号にわたって保守論客の重鎮・西尾幹二さんが「皇太子さまに敢えて御忠言申し上げます」というタイトルの下、皇太子ご夫妻(当時)に「傲慢の罪を犯しておられる」と言い放っていた。
今回紹介したい『文藝春秋』2008年4月号の座談会でも、まさにこの流れが引き継がれる。
松崎俊彌(「週刊女性」記者、皇室ジャーナリスト) そこに昨年暮れからの雅子妃の私的外出の報道が重なります。昨年十二月二十八日に、宮中でお餅つきがあったのに、そちらには出席しなかった皇太子と雅子妃が、その晩、ミシュラン東京版で三つ星を獲ったフランス料理屈「ロオジエ」で夜中まで食事をした、とか、元日の祝賀行事のほとんどを欠席した雅子妃が、小和田家と東宮御所でおせち料理を囲んだ、といった記事が週刊誌などで毎週のように報じられました。両陛下とのお祝い御膳が一月二日でしたから、それよりも小和田家を優先するのか、と非難する声も上がっていますね。
高橋紘(静岡福祉大学教授) 他家に嫁いでもなお、妻の実家がしょっちゅうかかわってくる、というのは、美智子妃のときには見られなかったことです。…(中略)…東宮家と天皇家との距離が広がるのと反比例するように、小和田家との距離が近くなっているのも気になります。
『文藝春秋』2008年4月号
美智子さまのご実家については後ほど取り上げるが、ご実家と直通電話をつながれ、それを諫めた侍従が左遷されるという事件が起きている。また秋篠宮家派で有名な岩井克己記者は次のように言い放つ。
岩井克己(朝日新聞編集委員、皇室ジャーナリスト) 天皇陛下の発言を聞くにつけ、愛子さまのことで気になるのは、雅子妃のご実家の小和田家との距離が近いことです。小和田さん夫妻はオランダ在住ですが、帰国時は東宮御所に来られますし、妹さんやそのお子さんは、愛子さまの遊び仲間でもあり、ディズニーランドにも一緒に行かれた。昨年のオランダ静養の折にも、女王のお城に小和田家が合流したり、皇太子ご夫妻がハーグの小和田邸を訪れたりしています。
両陛下はこうしたことを聞いて、同じ東京で車で十分ほどの距離にいる自分たちに、愛子さまが打ち解けない状況を、淋しく思われるのではないか。雅子妃の小和田家との距離は、これまでの美智子皇后と正田家、あるいは香淳皇后と久邇宮家にくらべても、かなり近い。
『文藝春秋』2008年4月号
岩井記者は「実家との距離が近いのは雅子さまだけで、美智子さまも香淳皇后(昭和天皇后)も実家と距離を置いていた!」と言いたいようであるが、これは間違いだ。事実、すぐに修正されてしまう。
福田和也(慶応大学教授) 香淳皇后の父、久邇宮邦彦王は東宮御所に頻繁に来すぎるとか、久邇宮家の別荘を建てるのに皇室に費用を求めたとかで、貞明皇后の怒りを買っている。昭和天皇の即位後すぐに、邦彦王が亡くなったので、問題にならなかっただけでしょう。
岩井克己 そういう面は確かにありますね。
『文藝春秋』2008年4月号
岩井記者は、知っていてあえて雅子さまを叩いたのだろうか? それとも知ったかぶりをして雅子さまを叩いたのであろうか? いずれにせよ雅子さまだけ叩かれるという構図を十分に感じ取ることができる。
紀子さまとご実家
このように実家との近しい関係が疑問視されていた雅子さま。だが紀子さまの場合は、ご実家との親しいお付き合いがあったとしても、なぜか美談としてプラス評価される。秋篠宮家と親しい高清水有子さんは次のように書く。
紀子さまとご実家とのお付き合いも、私たちが思っている以上に自由なようです。ご結婚後から、川嶋ご夫妻がときおり秋篠宮邸を訪れることがあります。
また、電話でのご連絡もおありだとうかがっております。私たちは、皇后さまがその昔、ご実家との交際も遠慮なさって皇室の中での孤独に耐えていらしたというイメージを強く持っているために、紀子さまの場合も……と思いがちなのですが、現実の皇室は一歩先に進んでいるのかもしれません。
高清水有子『紀子さまの育児日記』朝日出版社、1992
雅子さまと紀子さまとでダブルスタンダード(二重規範)があることは明確だろう。ご実家と連絡を取り合うことは何ら悪いことではない。紀子さまのご実家・川嶋家といえば、実父・辰彦さんがパチンコ業界などグレー組織と懇意にしていたり、実弟・舟さんが各種団体の顧問として寄付金集めの広告塔をしたりと、度々話題になる(週刊新潮 2019年6月6日号)。雅子さまのご実家にそのような「噂」すらたったことはない。
美智子さまとご実家
また美智子さまもご実家と何度もやり取りしていたことは有名な話だ。なんと直通電話がひかれていたという。
美智子妃と富美子(正田富美子、美智子さまのお母さま)は思うように電話もできなかったといわれたが、婚約発表の直後、正田家に引かれた東宮仮御所との直通電話が、御成婚後は富美子の部屋に移され、その後も使われていた。
「お部屋にお茶を運んでいくと、お母さまがよく電話されていました。美智子さまとお話しされているときはすぐわかるんです。にこにこされていますから」(正田家のお手伝い)
奥野修司『天皇の憂鬱』新潮社、2019
この直通電話は、独身時代の皇太子殿下(現、上皇陛下)と美智子さまが連絡を取りやすいようにと用意されたものだ。結婚後は、この回線は美智子さまとご実家が連絡を取る際に利用されたという。別にご実家と気兼ねなく連絡を取り合うことくらい許されると私は想う。
だが美智子さまとご実家との濃密な関係は、かなり問題視されていたようだ。上皇陛下のご学友・橋本明さんは、次のような古い思い出を語る。
東園基文 山田さんの諫言の元になったのは、正田富美子さんから東宮御所に手紙が来るたびに美智子妃がご返事を克明に書き送っておられた事実だ。
正田家といえども百年先にはどうなっているかわからない。東宮妃の立場でめったに返事をするものではない、山田さんは美智子妃にこう諫言した。明仁親王がご幼少のころ、貞明皇后に詳しい手紙を書いて出されたことがある。侍てど暮らせど返事がいただけない。お伺いを立ててみると、皇太后は孫とはいえ滅多に手紙を書くものではないとのことだった。
あれは例外的なものだった。従って山田さんの諫言は正しかったと思う。しかし結果は×(バツ)と出てしまった。山田さんは書陵部長に左遷された。
橋本明『美智子さまの恋文』新潮社、2007
それにしても手紙ひとつで揉めるとは時代を感じさせる事件である。そして注意した山田康彦侍従(1907-1967)を左遷させてしまうとは、美智子さまの苛烈なご性格は昔からのようだ。
このように、雅子さまだけ小和田家との関係を注意されるというのは正しくない。ご実家と連絡を取られても全く問題ないし、紀子さまも美智子さまもご実家とは懇意にされてきた。それが正しい家族の姿ではないだろうか。
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