SNSなどインターネット上での誹謗中傷は、ますます深刻な状況になっています。その中でも、顕著なのが「モノを言う女性」への嫌がらせ。女性を対象にした「オンライン暴力」ともいえる行為は、日本だけでなく世界的にも問題になっています。こうした嫌がらせが広がる背景には何があるのか、今後どうしていくべきなのか、この問題の当事者でもある、作家・活動家の雨宮処凛さん、弁護士の太田啓子さんのお二人の対談を通して考えていきたいと思います。→その1はこちら
「違法すれすれ」のものが大量に届く
──前回は、SNS上の嫌がらせに対して加害者を名誉毀損罪などに問うほか、損害賠償を請求するなど、法的責任を追及することが抑止力になる可能性について話をしました。
雨宮 一方で、ものすごく当人を貶めているんだけど、名誉棄損とかにはあたらないような、違法にならない書き方がどんどんSNS上で「進化」しているような気がします。
太田 そうなんです。それがSNS上の嫌がらせの特徴ですよね。私も結構ひどいコメントを書かれていますけど、違法だと言えるレベルは相当少ない。違法とされるには、名誉棄損や「受忍限度を超える人格権の侵害」などとして認められることが必要なのですが、強い口調の批判、罵倒、誤解に基づく嘲笑みたいなものでも、そう簡単には違法になりません。「受忍限度を超える」と評価されるのは相当悪質なレベルです。
実際には、本人にとってはすごく傷つくし嫌な内容ではあっても、法的には「ぎりぎり違法とまではいえない」というレベルのものがほとんど。違法ではない以上、法的措置はとれないですが、その法的措置はとれない「違法すれすれ」ものでも、「大量にくる」というのが被害者には堪えるんですよね。大量の「違法すれすれ」の嫌がらせが短期間に集中するというSNS上の嫌がらせの特徴に対応するには、法的にはなかなか妙案がないのが現状かと思います。
ただ、それが執拗に繰り返されることで違法になるということはあり得ると思います。リアルな世界でも、一回だけなら「違法とまではいえない嫌がらせ」といえるものでも、一人が1000回繰り返してやったら「執拗な嫌がらせ」と考慮されて違法と評価されることもあると思うんですね。リアルな場で一人が1000回も「ぎりぎり合法な嫌がらせ」をするのは結構大変なことですが、それに比べると、オンラインでなら一人で1000回やるのはかなり容易です。
ただ、難しいのは、「ぎりぎり合法な嫌がらせ」を1000人が1回ずつやってるような場合ですね。一人ひとりは一回だけ、違法とまでいえないことをやっているだけですから法的責任は問えませんが、被害者からみれば1000回ダメージを受けるわけですから、相当堪える。それなのに法的責任は誰にも問えない、という理不尽な感じです。
雨宮 本当にそうですね。
太田 今回の対談にあたって、私が受けた過去のSNS上のバッシングを振り返ってみたのですが、たとえば2015年12月に「おっぱい募金」(※)について批判したときは、「いくらなんでも心に余裕が無さすぎる」「クレーム大好きババア」といったリプがたくさん来ました。でも、この言葉だけでは違法とは言えません。
また、17年7月に「少年ジャンプ」の扉絵(「ゆらぎ荘の幽奈さん」)について批判したときも、ひどいリプがたくさんありました。この扉絵には裸に近い格好の女性たちが描かれていたのですが、裸に近いからダメだと批判したのではありません。服を脱がされていることを泣きそうな表情で嫌がっているように描かれていたので、女性が裸に近い姿を見られるのを嫌がっている様子を「エロい」という文脈で、子ども向け媒体で表現していることに対して批判したものでした。「エロを描くな」ではなく「性被害をエロとして描くな」と言っていたわけですが、「男子はエロに興味を持つなというのか、このPTAババアは」的に歪曲したうえで、やたらバッシングする人たちがいました。
嫌がらせのなかには、「シーライオニング」と言われる、一見丁寧なふりをしながら、理解する気もないのにしつこく質問を繰り返して相手を疲弊させる手法もあります。それから、私の名前で検索すると、ものすごくいっぱい「まとめサイト」が出てくるのですが、9割が悪意をもったまとめになっていて、これもすごく拡散効果があるんですよね。「アルファツイッタラー」(多数のフォロワーがいて影響力をもつツイッターユーザー)と言われる人が誰かへの批判を書くことがきっかけで、そのフォロワーが一斉に攻撃をしてくるような現象もあります。
※「おっぱい募金」:募金を行った一般参加者が、一列に並んで衣服をまくり上げたAV女優の乳房を素手で揉むという募金イベント。2015年は12月5・6日に開催された。主催者は「スカパーJSAT」で、当日の様子は「BSスカパー」や「スカパー! オンデマンド」で生放送された
雨宮 木村花さんへの書き込みも、この一言だけで訴えられるというものはほぼないと聞きました。
太田 おそらく、そうだと思います。それが難しいですね。でも、SNS上の嫌がらせって、エスカレートするとSNS上だけに留まらないこともあるんです。私も、法律相談専門のメールフォームに嫌がらせのメールがくることもありますし、職場に怪文書が届いたり、卑猥な言葉を一言叫んでガチャ切りするような嫌がらせの電話がかかってきたりすることもあります。
雨宮 ひどい。低レベルの嫌がらせですね。そんな時間があるなら、ほかのことをすればいいのに。
太田 しかも、性的な表現について問題視して批判したときだけ反応がいつもすごい。政権批判や憲法についてのツイートでは、こんな風にはならないんですよ(笑)。先日、福田康夫元総理についての朝日新聞記事を取り上げて安倍政権の批判をしたときは、「いいね」が2900くらいついて、ツイートアクティビティを見てもかなりの数にリーチしていましたが、それでもいわゆる「クソリプ」は全然来ませんでした。
「正義感」の根底に感じる女性蔑視
雨宮 私は、2年くらい前から、まだ作家としてデビューしていなかった20年以上前に自殺未遂者として受けたインタビューの発言を切り取って攻撃されるということが続いています(『20年以上前の言動を「徹底総括しろ」と言われたら』イミダス2020年2月5日)。その発言が、まるで最近言ったことかのように一人歩きして拡散され続けているんです。それによって「講演会を中止しろ」という抗議がくることもあって、SNS上だけではなくて実害もある。
私の場合は書籍からの「発掘」「切り取り」で、「発掘切り取り系」と呼んでいますが、今は誰もがSNSなどで発信している時代なので、過去の投稿はいつでも発掘できる状態にある。私が受けた被害って、今後一般的になっていくんじゃないかと思うんですよね。もちろん、これに対しては泣き寝入りするつもりはありませんが、匿名の一般人だけでなく、名前を知られている著名人でもSNS上でハラスメントと言えるような行為をしていることがありますよね。本人にとってマイナスになっていることもあるのに、なぜそれをするんだろうって、理解できない部分があります。
太田 そのお話、ちょっとうかがいましたが、ひどいと思いますよ。拡散してる人はよく考えてほしい。
私も、フォロワー数が何十万人もいて、ファンも多い著名な方から、何度も名指しされて、こちらからすれば的外れな批判を受けて困惑したことがあります。「ほかのことでは見識があり著名な人までが、なぜ」と思いますが、本人は「あの女性の発言は叩くべきものだ」という一種の正義感でやっていることもあるんだと思います。
また、本人に自覚があるのかはわかりませんが、執拗に「モノを言う女性」を攻撃する態度の根底に女性蔑視を感じることがあります。結局、自分のストレスや不安を女性蔑視で紛らわすような発想がなくならない限りは、どれだけ法律や手続きが整備されても、その網をかいくぐって同じことが起きてしまうのではないでしょうか。
雨宮 バッシングしている人が訴えられると、急に加害者が「自分は弱者だから」と言い出す傾向もあるじゃないですか。あれもすごく気持ち悪い。最近では、元フリーアナウンサーの高橋美清さんという方のインタビュー記事で、ひどい誹謗中傷をしていた加害者たちに会ったら、みんなが「自分は弱者だ」とアピールしたという話が出ていました。彼女は誹謗中傷を受けて出家までしている。弱者だからって許されることではないですよね。
太田 私もそのインタビュー記事を読みましたが、すごく印象に残っています。彼らも嘘をついているわけじゃないと思うのですが、自分の弱さや不安を「叩いていい理由」にしてしまっている。そして、「みんなが叩いているから叩いていい」と考えるんですよね。ある側面では、彼らも弱者であり何かの被害者であるのかもしれないけど、それは他人への攻撃の免罪符にはなりません。
雨宮 太田さんに聞きたかったのですが、SNS上でバッシングを受けて萎縮してしまうことはないんですか? 私は、自分で数年前に比べると明らかに萎縮していると感じます。それほどに、特にツイッターの世界はどんどん恐ろしいものになっているように感じます。10年前、5年前と比べてみるとよくわかります。5年前なら「いまこの本を読んでいます」とか、著者が知り合いでなくとも好きなものをツイッターで紹介していたけど、いまはそれすらもできない。「私なんかが言ったら迷惑をかけるんじゃないか」と怖くなってしまいました。
以前、新聞社からのインタビューを受けて、杉田水脈議員の「生産性」の発言と相模原事件について話したのですが、取材後、数日して記者の方から「杉田議員に関する話を載せても大丈夫ですか?」と聞かれたんです。その前に同様の発言をインタビューでされた人がいて、その記事を杉田議員が自身のツイートで取り上げたことでその人がバッシングを受けていました。ちょうどこの時期は、先ほど話した20年以上前の「発掘切り取り系」バッシングがひどいときだったので、10万以上のフォロワーがいる杉田議員にこんなことされたら私は死んでしまう、と思って杉田議員に関する発言を削ってしまいました。
SNS上の嫌がらせが現実の言論まで萎縮させて、変えさせてしまう。今もこのことについてずっともやもやしています。それはすごくヤバイことなんじゃないかと自分の経験として感じています。
太田 私がSNSにいろいろ書いているのは、素朴に、子ども達のために少しでも社会を良くしたいから。そのために気になることを書いているという感じです。攻撃されても萎縮する気持ちにはならない理由はいくつかあって、ひとつは弁護士だから本当に違法レベルになったら法的措置をとれるという思いがあります。それから、ネットの嫌がらせは本当に嫌なんだけど、それが目立って見えるだけで実際には少数なんだろうという気持ちもあります。ネット炎上や誹謗中傷に加担する人はユーザー全体のごくごくわずか、数パーセント程度に過ぎないという研究もあるようで、悪質な人はごく少数ではあるんですよね。
それに、バッシングが怖くて「いいね」やリツイートまではしたくないけれど、内心では私の発信に共感している人も割といるんじゃないかと思っているんです。実際、「おっぱい募金」への批判がツイッター上ですごく攻撃された時も、フェイスブック経由で知らない人から「すごくおかしいと思っていた。言葉にして発信してくれてありがとうございます」というメッセージが届いたり、「実は、こういうのを僕も問題だと前から思っていた。ほかにも、こんな問題もあると思う。誰かと話したかった」という連絡が来たりしたこともあったんです。
──攻撃する人ばかりがどうしても目立って見えるだけで、実際には、表には出てこないけれど賛同している人もいるということですよね。
太田 そうですね。そして、萎縮しない一番大きな理由は、「嫌がらせはあったけど、声を上げた意味もあったんじゃない?」と感じることが現にあったからです。
「おっぱい募金」でも、2014年、2015年とスカパー!が主催者的立場でかかわっていたのですが、2016年に問い合わせたところ「弊社による協賛、放送、WEB配信をしません」という返事がきました。そこには「太田様はじめ、みなさまから頂戴したご意見は真摯に受け止めております」という一文もありました。私は、スカパー!が、アダルトコンテンツではない普通の番組枠でこれを配信していたことに問題意識があったので、それをやめたのはよかったと思いました。
送り付け被害も記者会見をしたことで止まったし、ほかにも声を上げたことで変わったものがあります。なので、嫌がらせはもちろんイヤなんですけど、それよりも、子ども達のために少しでもましな社会を残したいというのが大きいですから、声を上げるというのをやめる理由はないのです。
雨宮 ちゃんと効果があるということですね。
太田 ツイッターは問題も多いけど、匿名でしかできない性被害の話も打ち明けやすい。ツイッターを通じてエンパワーし合って、声を上げられるようになっている部分もあると思います。1975年から96年まで活動していた、ウーマンリブ運動に共感した人たちがつくった「行動する女たちの会」というものがあったのですが、社会にあった性差別に声を上げて企業に意見を言うなどして現実の変化を獲得していたんですよね。
でも当時、「行動する女たちの会」も、週刊誌でひどく嫌な書き方をされるとか、冷ややかに見られ、嘲笑されるような攻撃はあったんですよ。「女は子宮で考える」だとか、「女のヒステリー」みたいな。でも、彼女たちが声を上げて社会に変化をもたらした今、振り返ると彼女たちを批判してた方の感覚こそおかしかったとわかるわけです。もっと古い話で言えば、女性参政権だって、それがなかった時に参政権を求めた人たちは危険思想扱いで、活動家が投獄されたことだってあった。性差別がある以上、それをなくそうという声が攻撃を浴びるという状況は今までずっとそうで、それでも声をあげて変えてきた人たちがいて今があるわけですね。
いまは、お互いに顔も本名も知らないけれど、ツイッターのフォロワー同士でリツイートし合って、性差別や性暴力に怒っている他の人の言葉に「こういうこと思っていたのは私だけじゃないんだ」「もやもやしてたけどこう言えばいいんだ」とお互い励まし合うようなつながりがあります。それが時にオンライン署名とか、性暴力に抗議する声など現実の社会を変える原動力にもなっています。
本当にゆるやかなつながりなんだけど、性差別への怒りや声を上げることでささやかだけど社会を変えられるという「行動する女たちの会」のような感覚は、ツイッター上でエンパワーしあいながら声を上げている人たちにも引き継がれていると思うんですよね。そういう部分があるから、ツイッターは使えるツールでもあるとも思っています。
誰かを叩かなくても自尊心を保てる環境を
──声を上げて可視化していくことは、やはり大事ですね。ただ、これまでのお話を聞くと、ルールを作るだけではSNS上の嫌がらせを完全に防ぐことは難しいのかなという感じもあります。
太田 ある程度はルール化も必要だし、効果もあるでしょうけど、どういうルールを作っても引っかからないものは出て来ると思います。やっぱり根本的な解決は、男女平等を徹底してミソジニーをなくすこと。そうやって女性蔑視的なコメントを書きたくなる人を減らすことしかないと思うんですよね。
「どうして彼らはこういうことを書きたくなるんだろう」とよく考えるのですが、どんな差別もそうであるように、加害をする人自身が弱さや不安を抱えているんだと思います。だから自分よりも「弱い」「下だ」という相手を勝手に決めて叩くことで、相対的に自分が浮上したような気がして安心する。そういう心理があるんじゃないでしょうか。そのときに、女性は下に見やすい「手ごろな」存在なのだと思います。
本質的には、誰かを叩かなくても自尊心を保てるような環境と力がすべての人にあるべきだと思います。それは今日明日で実現するのは無理なので、時間はかかるでしょうが教育を通じて次世代はそうできるようにしたいですよね。私自身、2人の男の子を育てていますが、性差別の強い社会のなかでジェンダー平等をどう子どもたちに教えていくのかを考えています。8月に出版した『これからの男の子のたちへ 「男らしさ」から自由になるレッスン』も、そういう思いから書いた本です。
雨宮 あの本、すごく面白かったです。私の身近にも「昔はツイッターにひどいことを書いていた」という人がいるのですが、「今思うと、そのときの状況にストレスがあり過ぎてやらずにいられなかった」と打ち明けてくれたんですね。格差社会の中で誰かを叩かないと自分がもたないような状態があるんだと思います。
家に帰ってお酒を飲みながらSNS上で誰かを叩く……「失われた30年」のうち、この20年はネットともにあって、SNS上の嫌がらせがお金を使わずに一瞬スカっとするようなストレス解消法になっている。それを覚えちゃうと抜けるのが難しいんじゃないかと思います。
日本は生活保護受給者へのバッシングもひどいですが、あれも相手を見下しています。「国の財源がないんだから」という正義感でやっているところも同じだと思う。女性を狙ってわざとぶつかっていくおじさんとか、子連れヘイトにも通じるものがあるのではないでしょうか。
太田 そうだと思います。タレントでエッセイストの小島慶子さんがいろいろな人と対談する『さよなら!ハラスメント』(晶文社)という本があるのですが、そのなかで精神保健福祉士・社会福祉士の斎藤章佳さんが「男尊女卑依存症」という言葉を使っているんですよね。SNS上で嫌がらせを繰り返す人たちの様子を見ていると、本当に依存症に近い感じを受けます。
日本経済が衰退していくなかで、ますます不安を抱えた個人は増えていくだろうと思います。「誰かを叩かないとやっていられない」みたいな依存に陥らないようにするには、やっぱりミソジニーをなくして、強い個人を育成するための教育が大事。あとは不安になるような社会の状況を改善していくしかない。すごく大きな話になっちゃいますけど、根本的な解決はそれしかないんだろうと感じています。
(構成/マガジン9)
あまみや・かりん 作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。格差・貧困問題、脱原発運動にも取り組む。07年に出版した『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版/ちくま文庫)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。近著に『ロスジェネのすべて』(あけび書房)、『相模原事件裁判傍聴記 「役に立ちたい」と「障害者ヘイト」のあいだ』(太田出版)。「反貧困ネットワーク」世話人、「週刊金曜日」編集委員、フリーター全般労働組合組合員。
おおた・けいこ 弁護士。2002年弁護士登録、離婚・相続等の家事事件、セクシュアルハラスメント・性被害、各種損害賠償請求等の民事事件を主に手掛ける。明日の自由を守る若手弁護士の会(あすわか)メンバーとして2013年より「憲法カフェ」を各地で開催。2014年より「怒れる女子会」呼びかけ人。2019年には『DAYS JAPAN』広河隆一元編集長のセクハラ・パワハラ事件に関する検証委員会の委員を務めた。著書に『これからの男の子たちへ』(大月書店)。