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氷の王妃

作者:素子

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02  見舞

 国王ランドルフは朝から執務に追われていた。午後は隣国の使者と会談した後に城下に足を伸ばす用事もあって、早い時間から書類と格闘している。疲れも見せずに内容を吟味し、必要なら宰相や補佐官からの助言などを取り入れつつ、ようやく最後の署名を終えた。


 眉間を指でもみほぐしながら、顔を上げるとちょうど間の悪いところに補佐官が新たな書類を持ってきたようだ。仕事を終えたと思った瞬間に持ってこられるほど腹立たしいものはない。

 ただ、その不機嫌を補佐官にぶつけるわけにもいかないので、ランドルフはその書類を受け取った。


「これは?」

「王妃様のご病状を侍医が報告したものです」


 真面目な顔になりランドルフは書類に目を落とした。詳細な報告書は何枚かあり、それをじっくり読んだ後でランドルフはぎし、と椅子に背を預けた。高い天井と精緻な装飾を見上げその目を閉じる。

 宰相がいぶかしげな声をかけた。


「陛下? 王妃様のご容態はいかがでしょうか」


 あの日以来王妃は寝台から離れることなく療養を続けている。食事も寝台で取っているらしく、側には国からつれて来た侍女が絶えず控えている状態だ。寝室に入れるのはごく限られた人物のみ。

 そんな一人である侍医の報告書を宰相に手渡しながら、ランドルフは告げる。


「まだ少量の出血が続いているらしい。微熱もあるそうだ」


 王妃が懐妊して――流産したことはまたたく間に城内に広がった。ランドルフがクリスティーナを迎えて数年、ようやくのことだけに人々は注目し関心をよせていた。側妃との間にも子はもうけてはおらず、順調にいけば第一子のはずだったのに。


「それは……さぞお辛いことでしょうな」

「どうだろうか。私が行った時はいつもの顔だったぞ」


 冷たい人形のような王妃の姿を思い出し皮肉な笑いが浮かぶ。

 北国特有の色の白さと色素の薄さで隙なく振舞われると、ひどく人間味が失せているように感じられる。靴を寝台に放り投げて責を問うた時にも、いつもと変わらずに氷河のような薄青い瞳で見つめ、抑揚の無い声で返答した。

 子供を亡くしたばかりとはとても思えない感情の起伏のなさだった。


「案外、私の子供など産む気もなかったのかもしれぬ」

「陛下、そのようなことは……」

「戯言だ」


 聞いている者が宰相しかいないから漏らせる本音でもあった。自分にすら亡くした子供へのいくばくかの感情はあるのに、当の本人に気配が感じられないことがランドルフの苛立ちを誘っていた。

 ただこの手のことは決して本音を漏らしてはならない。様々な思惑や憶測をのせてすぐに話は広がる。国王自らの発言となれば、『事故』が『故意』になりかねない。

 王妃本人はどう捉えるか知ったことではないが、仮にも一国の王女であり自分の王妃である。波風は立てる必要は無い。


「陛下、お見舞はなさらないのですか?」


 随分と年上の宰相が穏やかな顔で探りを入れてくる。この宰相にかかっては、自分などいつまで経っても頼りない若造のままだろうと思いながら、聞かれたことには答える。


「……花は贈っている」


 それで充分だろうと言外に匂わし、昼食を取るべく執務室を離れる。壮麗な廊下を歩き、階段に目をやる。真新しい絨毯が一分の隙もなく敷きつめられていた。

 あの時、階段に絨毯さえ敷いてあればその場でこけるくらいで済んでいたかもしれない。いや、あんな踵の高い靴を履いていたのなら結局は同じことだっただろうか。

 絨毯の赤の残像がちらつき、ランドルフの中にさざなみをたてる。


 午後の用件は比較的早く済んでランドルフは城へと戻った。夕食までは特別用事もない。空き時間をどうしようと少しばかり悩んだ後で、ふと思い立って王妃の部屋へと赴いた。扉を警護する近衛、控えの間に待機する侍医、壁際に控える侍女たちの前を過ぎて寝室へと立ち入る。

 部屋は薄暗かった。側付きの侍女、エルマがランドルフの訪れに立ち上がって礼をとり、場を譲る。

 クリスティーナは眠っていた。微熱が続いているとの報告どおりに、陶器のような白い頬に薄紅がさしていた。薄い色の金髪はゆるく編んで顔の左側に流してある。


 ランドルフは眠るクリスティーナの様子をじっと眺めた。


 この生き人形のような王妃が自分の元に来た日を思い出しながら。歴史はあっても小さな北国は当初完全に支配下に置く予定であった。

 思いがけず鉱物資源が豊富なことが判明し、その流通加工と原料の供給という相互利益が考慮され同盟に変更された。

 その証として、ランドルフとクリスティーナの婚姻がなされたのだ。

 どこもかしこも色素の薄いクリスティーナは、淡い色目のドレスに身を包み自国へとやってきた。その硝子のような瞳には何の感情もなく、儀礼的にさしだした手に重ねられた指先さえひどく冷たかった。

 人形のような――当初はほめ言葉だったはずの形容は、次第に冷たい印象からむしろ欠点の代名詞に変わっていった。


 ランドルフとて政略で迎えたからとはいえ、冷淡に扱うつもりはなかった。華奢な姿態は本当に硝子細工のようで、力を入れれば壊れそうな気がして接し方に戸惑ったのを覚えている。

 ただ何をしても、何を話しかけても礼儀は申し分ないが生き生きとした反応がない。贈り物に感謝の言葉は述べるが実感がこもっていないように感じられる。大して嬉しそうでないので、次第に贈る気も失せていく。

 話をすれば知識も教養もあるのだが、会話を弾ませようとする意図がない。

 少しずつ失望と諦めが大きくなり、なかなか子供にも恵まれなかったので側妃を迎えた。それすらも冷ややかに受け流された。


 おのおのの寝室の他に共用の寝室があるが、クリスティーナがそこに来るのは子供ができやすいとされる数日のみ。義務でいられても食指がうごくはずもなく、互いに背を向けて広い寝台の端と端で休む始末だ。

 つい側妃に温もりと慰めを求めてしまっていた。

 側妃の部屋から深夜赴いて、側妃の香水の香りをまとわせたまま寝台にすべりこんでも嫉妬するでもなく、硝子玉のような瞳がゆらぐこともない。

 義務感から寝室を共にしてようやくの懐妊であったのに最悪の形でぶち壊された。


「……う……」


 思いがけずクリスティーナが苦しそうな声を上げた。眉がひそめられかぶりをふるように顔が横向けられる。上掛けを握り締めている姿はひどく人間くさい。

 珍しいこともあるものだとランドルフは興味をそそられた。

 やがて閉じていた目蓋が開き、青い瞳がのぞく。いつになく瞳が潤んでいるように思えた。


「どうした、辛いのか?」


 ぼんやりと視線をさまよわせてランドルフを認める。徐々に焦点があってきてクリスティーナはいいえ、と否定した。


「陛下こそどうなされました?」

「見舞いに来たつもりなのだが」

「……それは、わざわざありがとうございます」


 弱っている時でさえ隙を見せない。目覚めればもういつもの、氷の王妃だ。

 ランドルフは胸に宿った憐憫の情がすうっと消えていくのを感じた。そしてクリスティーナの発言が決定付けた。


「陛下。花を贈ってくださるのはありがたいのですが、今は」

「気に入らぬか」

「いいえ、とても綺麗です。ただ、今は花をあまり見たくないのです」

「――私が贈ったからだろう。分かった、もう花は贈らぬ」


 物をほしがらないクリスティーナも花だけは受け取っていたのだが、それすら迷惑かとランドルフは鼻白む。どこまでも相容れないのかと冷え冷えとした心地でランドルフはきびすをかえした。

 食欲はとうに失せた。側妃の侯爵令嬢をその足で訪問する。


「まあ、陛下。いらっしゃるとは思いませんでした。私、感激です」


 突然の訪問にも全身で歓迎の意を表す側妃のブレンダに、ささくれ立っていた神経が和らぐ思いがする。夕食をとっていたブレンダに付き合って軽くつまみ、酒を飲んで二人きりとなる。

 ブレンダがランドルフの胸に顔をすりよせた。


「陛下、このたびのお子様のこと。さぞお辛かったでしょう。私も考えるだけで悲しくて……」


 見るとほろほろと涙をこぼしてランドルフを見上げている。

 その目尻に親指をはわせて涙を拭う。


「そなたは優しいな。そなたに子供ができていればよかったのに」

「ああ、陛下。もったいないお言葉です」


 すがりついてきたブレンダを腕に抱いて、同じ女でこうも違うかと醒めた思いがぶり返す。今はただこの温かく柔らかい存在に溺れようと、抱きしめる力を強めた。



 エルマは目覚めたクリスティーナの背中に枕をあてがって、消化がよいようにと煮込んだスープの皿を手渡した。機械的に数口飲み込んで、クリスティーナは皿を下げさせた。


「陛下のご不興を買ってしまったわ」


 美しい花の飾られた花瓶を見つめながらクリスティーナが囁く。

 エルマは唇を噛み締めた。クリスティーナが『今は』花を見たくない理由など決まっている。あの日、花を見に庭園に行こうとした自分を責めているのだ。

 花は嫌でもあの日のことを思い起こさせる。血も凍るような一瞬と、その後の辛い現実を。


「王妃様ももう少し詳しく理由をおっしゃればよろしいのに」


 クリスティーナが王女の頃から側についていたエルマは、つい主従の垣根を越えて本音を漏らしてしまった。

 口を清めて再び寝台に横たわったクリスティーナが、困ったように微笑んだ。

 この国の人間はほとんど目にすることのない、王妃の微笑は物悲しかった。


「そうできたら良かったのに」





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