> 伊藤氏の後ろには左翼の輩が居たとさw
山口氏の後ろには右翼の輩が居たとさw
https://togetter.com/li/1445305
TIME誌も伊藤詩織さんの件を伝えている。記事中には"Yamaguchi, who has close links to Prime Minister Shinzo Abe, "(安倍晋三首相と密接な関係にある山口は)との記述も。
But once I had given my statement, he told me that few rape complaints ever lead to convictions, and advised me in the strongest possible terms to drop it. He pointed out that the man I was accusing – who has consistently denied any wrongdoing – was powerful and influential, and that my career as a journalist would probably come to an end if I insisted on making these allegations.
Rape is such a taboo topic in Japanese society but also in the Japanese media.
The media is one of the most male dominated industries in Japan. There are no women on any of the News boards of the Tokyo based TV networks. This is also reflected in the fact that Japan is ranked 114th in the World Economic Forum’s global gender equality rankings for 2017.
Rape is invisible in Japanese society.
2019年12月23日 12:14
> (政府に指導された)資本家は、工場の機械や労働力を買って製品を作る。その製品に使用価値があると、製品が売れて、資本家のもとに利潤を加えた価値が戻ってくる。しかし資本、(政府)はそこで運動を止めない。さらなる価値(生産物)を求めて増殖を続ける これは日本の戦後復興の経済政策に使われた拡大再生産の理論です。戦後復興の経済政策を立案したのは有沢広巳氏というマルクス経済学者です。彼が目指したのは、資本家の利益でなく、消費財の拡大に必要な生産財の拡大です。私は、有沢 広巳氏の甥と仕事上1年ほど付き合ったことがあり、有沢広巳氏についても少し話してもらいました。 日本の高度成長計画にも同様な理論が使われました。この計画の実現に’中心的役割を果たしたのは東大電気工学科出身の大来佐武郎氏でした。彼の息子は、私が働いていた課の隣の課で働いていました。
2019年12月23日 10:28
> 博士号をもっているんですね? 米国では学位というのは尊重されますので、私のようなものでも、就職は比較的容易でしたし、永住権も自分で申請して、すんなりと取れました。 日本では博士号を習得した多くの人たちが、大学講師として少額の手当で働かなくてはならないのでかわいそうです。伊藤詩織さんも米国の就労ビザを得るために、山口氏に会っていて極めて残念なことになりました。彼女は、私と違って、極めて流暢な英語をはなされます。 私は、大学院生として米国で4年間すごしましたが、授業料は一度も払っていません。一年目は採点係などをして、後の3年間は大学院生研究助手としての手当で、親子3人、大学のアパートで何とか暮らすことができました。 yahoo user 5805b 氏は、私がろくでもない人物であることを示するために、多大の努力をされているようで、実際、私はろくでもない人物です。しかし、私が博士号をもらった、収得したでなくて、タナボタ式に貰った米国西海岸のS大学の電気工学科は、米国ではMITと並んで全米で1・2位の学科とみなされています。 今振り返ると、私が米国に来てからは、不思議なほど幸運なことがつづきました。そして、私が一番感謝しているのは高校時代に受けた教育です。英語などは、教科書の24課のうち6課しか終えないような中学を卒業しましたが、高校ではこの12倍のスピードで進みましたので、初めはとても苦しかったのですが、この高校、特に3年生の時の担任の先生にはとても感謝しています。 私に信念に近いものがあるとすれば、人生は’すべて運であり、自分はとても運が良いというものです。私のボロを探し出せば、まだまだあるとおもいますので頑張ってくささい。
2019年12月23日 01:59
> 「大島部落」と呼ばれた村出身で、日本が嫌いになったんでしたっけ? 私が日本を離れたのは、底意地が悪く、あることないことを言いふらす人達がいたからです。なにしろ、これによって自殺に追い込まれる人達がいるくらいです。 私が「大島部落」出身と書いたのは、どのような反応があるか知りたかったからです。すでに、返信しましたように、「大島部落」というのは被差別部落ではありません。この地域の村は、すべて XX部落 と呼ばれていました。そして、あることないことを言いふらすような底意地が悪い人はいませんでした。 私の書いたことをひん曲げて何度も引用するような人は無視することに決めていましたが、今回は、すこしだけ返答しました。
2019年12月22日 20:12
> 海外に留学する若者も中韓に比べたら減少しているようだし、単なる観光でも海外に行こうとする若者も少なくなっている印象を受ける 今から30年前は、米国に留学するのも、旅行するのも、日本国内の大学に通うのも、日本国内で旅行するのも同程度の費用がかかるとといわれていました。この30年間に、米国では4倍ほどのインフレがありましたが、日本の物価は安定していました、そこで、米国に留学したり旅行したりする実質的な費用は4倍にもなりました。 逆に、中国から日本に来る費用は、GDPの増加と元高により30分の1ほどになりました。
2019年12月22日 19:58
過去30年間に韓国の GDP は4倍に増え、米国市場では、日本の家電製品と半導体は韓国製品に駆逐されてしまいました。この間に、日本の GDP はほとんど増えませんでしたけれど、嫌韓記事は何十倍にも増えました。
2019年12月22日 19:41
> 韓国の大学は推薦入学が7割以上(ソウル大は8割)であり 高校時代の成績が入学基準をみたしていること、自己紹介状、推薦状、面接などを参考にして、志願者を総合評価するのは米国式です。教授の多くも、米国の大学で博士号を習得した人たちで、教育方法も米国式で、学生は毎週50時間ほど勉強しなければなりません。
2019年12月22日 19:00
韓国人から、多くの家族が、子供の一人は外国で暮らして欲しいと思っているというのを聞いたことがあります。理由は朝鮮戦争の再発です。台湾人も同様です。 それに比べれば、日本はいい国です。毎日嫌韓記事を楽しく読むことができます。JBpress のよく読まれた5つの記事のうち、しばしば4つが嫌韓記事です。
2019年12月22日 11:50
> 伊藤氏の後ろには左翼の輩が居たとさw 山口氏の後ろには右翼の輩が居たとさw https://togetter.com/li/1445305 TIME誌も伊藤詩織さんの件を伝えている。記事中には"Yamaguchi, who has close links to Prime Minister Shinzo Abe, "(安倍晋三首相と密接な関係にある山口は)との記述も。
2019年12月22日 11:40
> ヒックス著作については今後、精査されていくだろう。 私が指摘した小林よしのり氏と池田信夫氏の誤りは、 ヒックスの本の最初の数ページを読めばわかることです。 > 韓国軍がベトナムや朝鮮戦争でやった行為を検証することにあなたの検証能力を使わないのか。 韓国軍がベトナムや朝鮮戦争でやった行為を正当化するような誤った意見があれば誤りを指摘します。 > なぜ、旧日本軍の慰安婦制度だけなのか。 「朝日など極左が、吉田清治や挺身隊慰安婦説など恐ろしいデマを世界中にまきちらした」などという恐ろしいデマをまきちらす極右がいるからです。 > たとえばナチスのホロコーストや米軍の原爆投下、それと欧米の軍隊の戦争犯罪とくらべて、わざわざ(今の時点で)ことさら強調されることか。 米軍の原爆投下を否定する人はいません、そしてナチスのホロコーストを否定する人は極右とみなされます。ところが、日本の現状は、日本の戦争犯罪を否定する人達が圧勝している状態にあります。真面目に歴史的資料を読んで議論している人達は、もう絶滅危惧種です。 > その相対的な過去の人権侵害をナチスレベルの絶対的犯罪であるかのように糾弾しつづけることが、日本の左翼にとっては一種の宗教または信仰、一種の麻薬となっている。 私は日本軍の慰安婦制度がナチスレベルの絶対的犯罪であるといったことはありません。ただ、ブロゴスのコメント欄に頻繁にみられる誤りを指摘しているだけです。
2019年12月22日 00:12
ハバロフスク裁判については、次のような記事もあります。 NHK,これでいいのか 旧ソ連のフェイク裁判を鵜呑み「731部隊」特番を斬る! | Web「正論」|Seiron https://seiron-sankei.com/10897 「七三一部隊とは関東軍防疫給水部の通称である。防疫給水部は日本陸軍に置かれた疫病対策を目的とした医務と浄水を行う部隊だ。七三一部隊が細菌戦の研究も行っていたのは事実だが、細菌兵器の人体実験や中国での実地使用については見方が分かれている。」 もちろん、ユダヤ人のジェノサイドについても、見方は分かれています。
2019年12月22日 00:00
> ごんべい氏の731部隊の証言はどこでされたもんか? ペスト菌の散布については、中国人の被害者が日本の裁判所で起こした裁判がありました。この時は、この告訴理由の真偽に疑問がありました。しかし、この裁判における原告の主張をうらずける、731部隊員の金子順一氏が書いた博士論文が2011年に発見されました。この博士論文は、731部隊の機密の報告書をたばねて東大に提出されたものです。 > スターリンの戦犯裁判だったら、今は、その証言を信用するものはいない。 ハバロフスク裁判に起きて告発された731部隊による人体実験については、米軍も人体実験の確証が得られず、その真偽を疑っていました。そうしているうちに、731部隊の指導者から戦犯として告発しなければ人体実験の情報を提供するという提案がなされ、米国はこの提案を’受け入れました。731部隊員が米国に渡り提供した人体実験についての情報をもとに作成された報告書は米軍の図書館で公開されています。 金子氏などの731部隊員は、戦犯にならないと知ると、人体実験についての学術論文を作成しました。 10年ほど前には、731部隊が人体実験を行ったという資料は、米軍のものしかなかったので、Webの記事は731部隊による人体実験を否定するものがほとんどでした。今でも。NHKのハバロフスク裁判の番組を非難する人たちはたくさんいるようです。 731部隊で補助的な役割を果たした少年兵による人体実験についての証言はたくさんありました。 日本政府は、充分な資料ないとして、731部隊の人体実験を認めていません。
2019年12月21日 19:52
> あとBlogosでもよく転載されている小林よしのり氏の指摘をネットより転載し、以下に引用します。 小林よしのり氏のは、「国連人権委の「クマラスワミ報告書」の唯一のネタ本である」と書いていますが、これは誤りです。詳細はクマラスワミ報告書を読んでください > 『The Comfort Women』は、その80%が、日本の運動家による資料のまる写しという代物だった。 これも誤りだとおもいます。ヒックスの本には、韓国と日本の研究者から情報を送って貰ったと書いてあります。そして、マレー半島における日本軍慰安婦については、彼自身が調査をしています。さらに、彼はオーストラリアの大学の研究者からも情報を入手しています。80%という数字を見たことはありません。 池田信夫氏も次のようなデタラを書いています。 http://agora-web.jp/archives/1611545.html > つまりクマラスワミ報告書は、たった2冊の一般書の孫引きで書かれているのだ。 クマラスワミ報告書を読めば、これが誤りだということが分かります。 > このHicksという人物は香港に住んでいた経済評論家で、日本語も韓国語も読めない。この本の謝辞では「韓国から英訳して送ってもらった資料をもとにした」と書いている。つまりクマラスワミ報告書は、元慰安婦の証言を韓国の活動家が(特定の意図をもって)英訳した伝聞資料を切り貼りしたものにすぎない。 香港でなくてシンガポールです。 日本が韓国になっっていますが、正しくは日本と韓国です。そして、クマラスワミ氏は現地調査もおこなっています。 小林よしのり氏とか池田信夫氏は、まともな研究者ではありません。資料もまともに読んでいません。
2019年12月21日 19:21
> 多数の資料があるのであれば「或る慰安所の帳場人の日記」で記述されている慰安婦像を覆すような資料が沢山存在すると思われますので、その中から2・3教えていただけませんか? 米軍が押収した日本軍の慰安所の管理規則がアジア女性基金のサイトで公開されています。そのなかには、日本軍直営の慰安所のものもあり、利益を上げることができたと書いてあるものもあります。 資料というのは総合的に判断しなければなりません。アジア女性基金のサイトには慰安婦の性病検査報告書が公開されています。性病検査報告書自体は犯罪性を示すものではないとも言えますが、15才・16才の少女が記されたものもあります。 「或る慰安所の帳場人の日記」について李栄薫が解説をおこなっています。 https://www.youtube.com/watch?v=1fGampvrKGE 彼は、日本軍は朝鮮に存在した人身売買のネットワークの実力者と深いつながりがあったことをのべています。さらに、日本軍が慰安所の管理に深く関与していたことも述べています。 「或る慰安所の帳場人の日記」の慰安婦達と米軍の捕虜尋問調書49号に記された慰安婦達は同じ船団でビルマに運ばれました。捕虜尋問調書49号によると、これらの慰安婦たちはシンガポールで看護婦のような仕事があるとだませれたということです。 つまり、「或る慰安所の帳場人の日記」は、慰安婦 Sex Slave 説を補強する資料となっています。
2019年12月21日 14:48
Wikipedia より 両親と4人の弟、それに叔父までもペストに奪われ、家族の中でたった1人生き残ったという当時15歳の王栄良は、1942年9月に崇山村でのペスト菌攻撃の様子について、次のように語っている。 「日本の軍用機が低空で円を描きながら、煙のようなものを落としました。小麦やトウモロコシなどでした。数日後死んだネズミが見つかるようになり、開明街の一帯で高熱や痛みに苦しんでどんどん人が死んで行きました。街のみんなは一体何が起きたのかまったく理解できませんでした、自分の家族が次々と死んでいくのです。本当に悲惨な状態でした。みんな死ぬ時は苦しみもだえて、全身痙攣しながら死んでいきました。その体ははじめ赤くなって、死んだあとはだんだん黒くなりました。母は私の目の前で水をくれ、水をくれと叫び、父も喉をかきむしりながらライオンのようなうなり声をあげて死んでいきました。(中略)村民380人が死亡しました。20人も亡くなる日もありました。最初の死人が出ると、保護衣とマスクを着用した日本人が村に入り、3日間村中を巡回して村人に注射をしました。」 もう一人の生存者、王達は、この生体解剖所について次のような手記を残している[35]。 「丘の頂上の寺に行くと、治療を受けられると言われました。私の友人は、妻が治療を受けるためにそこに行って、数日後台に縛り付けられて体を切り開かれているのが発見されたと私に話しました。彼女の足はまだ動いており、生体解剖されたことは明らかでした。」
2019年12月21日 14:13
> 山口氏は生でやったのだろうか。もし避妊していなければ、完全にアウト。 山口敬之氏が、日本外国特派員協会で行った会見のビデオによると避妊具は使用していなかったようです。 https://www.youtube.com/watch?v=lvVGCJ-0BJM
2019年12月21日 13:59
> 朝日など極左が、吉田清治や挺身隊慰安婦説など恐ろしいデマを世界中にまきちらしながら 貴殿はアジア女性基金のサイトで公開されている記事、調査報告書、資料集に含まれている日本国および各国の歴史的文書を読まれたことはありますか? そして、吉田清治の偽証言を世界に広めたのはヒックスの本です。クマラスワミ報告書の参考文献を参照してください、 米国下院の慰安婦問題対日非難決議につかわれた議会調査局の報告書の著者は、日本軍の慰安婦制度の犯罪性を示す資料は多数あり、その中のひとつであった吉田清治の証言が嘘であることが判明しても結論は変わらないと述べました。 挺身隊慰安婦説は戦中・戦後を通して朝鮮で広く信じられていたことです。これについては、サンフランシスコ州立大学のサラ・ソー教授の本に詳しく説明されています。日本でも、植村氏の記事以前に、千田夏光氏の本などに書かれています。
2019年12月21日 13:10
But once I had given my statement, he told me that few rape complaints ever lead to convictions, and advised me in the strongest possible terms to drop it. He pointed out that the man I was accusing – who has consistently denied any wrongdoing – was powerful and influential, and that my career as a journalist would probably come to an end if I insisted on making these allegations. Rape is such a taboo topic in Japanese society but also in the Japanese media. The media is one of the most male dominated industries in Japan. There are no women on any of the News boards of the Tokyo based TV networks. This is also reflected in the fact that Japan is ranked 114th in the World Economic Forum’s global gender equality rankings for 2017. Rape is invisible in Japanese society.
2019年12月20日 11:11
> 最終残高25345円は、インフレ率1856.48を考慮すると、実質残高は14円です。 文玉珠さんが高額のチップを受け取っていたということは、ビルマの日本軍将兵は、公式レート 1円 = 1ルピー でなくて、実勢レート 1円 = インフレ率を加味したルピー で現地の給与を受け取っていたということです。そうであれば、慰安婦への支払いも実勢レートであったとおもいます。 25345円は、1945年4月以前に朝鮮に送金されていれば、25345円となりましたが、彼女はそうしませんでしたので、結果的に無価値となりました。 日本軍の軍票の発行は次のような方法で行われました。無銭の個人Aがどのようにして一億円を使えるかを例として説明します。 銀行Bに、Aのために預金口座Xと借入金口座Yをつくり、Yから1億円を借り出し、この1億円をXに入金します。この時点で、Aの資産はゼロですが、問題はありません。これ以後、Aは預金口座Xからお金を引き出し一億円までつかいます。
2019年12月20日 10:35
元慰安婦文玉珠さんの貯金通帳についての分かりやすい説明があります。 http://scopedog.hatenablog.com/entry/20120325/1332693277 最終残高25345円は、インフレ率1856.48を考慮すると、実質残高は14円です。 彼女の主たる収入源は、チップでした。 「将校たちの宴会に呼ばれる回数が増えてきた。それはうれしいことだった。チップの現金収入があるし、そのあいだだけでも慰安所で兵士の相手をする時間が減ったからだ。」 「私たちは、お酒のお酌もし、踊りを踊ったり、歌を歌ったりするのですが、一週間に二、三度はそんなことがあって、その度によばれて行きました。上手に相手をつとめると彼らはチップをはずんでくれるので、私はこのお金を使わずに貯金しました。」 「わたしの手もとには、少しずつもらったチップが貯まって大きな金額になった。友達と比べてわたしだけが大金を持っているのは都合が悪い。事務を仕事にしている軍人に、わたしも貯金できるか尋ねると、もちろんできる、という。兵隊たちも全員、給料を野戦郵便局で貯金していることをわたしは知っていた。貯金することにした。兵隊にたのんで判子も作ってもらい、お金を五百円預けた。」 (退却する部隊が)「私どもは経理部の者で、これから車両と荷物を焼き棄てます。入用の物があったらお取り下さい。金はどうです。今全部焼却するところなので必要なだけ持っていって下さい。まだまだ入用ですよ。二、三十万円くらいどうですか」と言う。「そうですな、頂いておきましょう。しかし荷物も多いし、当座用に三万円ほど頂きましょうか」と返事して、新札の軍票三万円を受け取り、礼を言って別れた。」 それから、彼女は戦時郵便貯金の払い戻し請求訴訟いわゆる下関裁判の原告とされていますが、そのような裁判は存在しませんでした。
2019年12月19日 21:23
上記の記事には、次のようにも書いてあります。 1940年に支那派遣軍経理部が配布したパンフレット「軍票の栞」の記述によると「特別の許可なき限り、現金の内地への携帯持ち込みは一人当り二百円まで、送金は五百円までと制限されている」とあり、慰安所経営者が特別の許可を取れないぼんくらだと、慰安婦はせっせと自分で分割送金をする羽目になったかも知れない。
2019年12月19日 21:10
> 「占領地通貨金融政策の展開」によると1945年4月19日以降は急激に規制が強化され、送金額、送金目的、送金元地域により送金額の9/10から69/70が封鎖預金に当てらるようになり、1945年8月13日には調整金徴収制がとられ、1人限度50万円までとして華北5,000%、華中7,000%の超高額の“調整料”が徴収がされた。 > 重慶では1944年6月~1945年6月の1年間で東京の700倍のインフレであった。元慰安婦の文玉珠氏の郵便貯金の記録をみても、終戦に近づくにつれて急激に額が増加しているので同様であろう。 問題は、現実とかけ離れた公式レートが用いられたことです。慰安婦への支払いが公式レートでおこなわれたのか、実勢レートで行われたのかはわかっていません。 > 最も運が悪くて占領地から内地への送金は1/70に目減りしたのだが、インフレにより占領地と内地の収入格差は何百倍にも開いていたので、送金で失う実質価値は無かった。 > 送金規制の開始時期を確認していないし、為替レートが固定されていたために占領地のインフレーションがむしろ送金規制の不利を相殺して余りあった。送金規制とインフレーションでは、慰安婦高収入説を覆すことはできない。 > 慰安婦に料金とチップの形でお金を払っていたのは兵士であって、彼らの収入が増えなければ慰安婦の収入も増えない。俸給表と外地手当から出した将校の給与と比較していることが多いが、インフレーションに応じて金額が足されていったのでは無いであろうか。この想像が正しければ内地ではなく外地の将校よりも慰安婦が高収入であったかは定かではなくなる。 ここで引用されている資料を読んでみます。送金は、実勢レートとかけ離れた公式レートでおこなわれました。そして、超高額の“調整料”が課せられましたので、訳が分からなくないました。
2019年12月19日 20:49
本格的な送金規制は1945年4月まで行われなかったという記事がありました。 http://www.anlyznews.com/2018/11/blog-post_23.html > 前借金の返済分は戦地からの送金規制に影響されない。 > インフレーションで慰安婦の貯金の実質価値が目減りしていたと言う主張もあるが、名目収入は増えている。 これについては疑問に思っていました。慰安婦への料金1.5円というのは、公的レートにより1.5ルピー、もしくは実勢レートにより 1.5ルピー ✖ インフレ率 支払われたのでしょうか? 名目収入はふえているというのは、実勢レートで支払われていたということです。しかし、実勢レートで支払われていれば、インフレ率が1860あれば、2万ルピーは、30人を相手ににすればよいので3日で稼げます。 > 「占領地通貨金融政策の展開」の対日送金抑制策(pp.462—466)の所に送金規制の展開が説明されているのを参照しよう。1945年1月10日からは20万円未満の場合、送金額の4分の3を半年間、外貨表示内地特別預金として保持となったが、3月23日には「現地応召者家族の生計費確保のため,1万円以下の送金を認め,外貨建預金とし払出しを要許可とした」と緩和されている。 ただし、大阪朝日新聞 1942.1.23 (昭和17)は、占領地と本邦間の資金移動を禁止という賀屋蔵相の声明を伝えています。 一、占領地と本邦間の資金移動の禁止=開発の進展に伴って今後本邦と占領地間に送金関係を生ずることになるが当分内地より現地向資金の移動は原則的に禁止し現地における所要資金は南方開発金庫に一元的に取扱わしめ、本邦側既存金融機関の自由主義的な進出は差控えしめる (つづく)
2019年12月19日 07:13
多数の職業的な売春婦でもなかった朝鮮人女性が騙されて、借金で縛られ、日本軍相手の売春を強要されたということです。当時の朝鮮では、朝鮮軍(朝鮮に駐留していた日本軍)は、こうした人身売買のネットワークの中心人物と接触していたとビデオではのべられています。 騙して海外に連れ出す、つまり誘拐して海外につれだして、買春を強要するというのは、今も昔も重大な犯罪です。 この帳場人という人物は、犯罪にまきこまれ1年間拘留されたこともあり、正妻とは別居して、お妾さんとの間に子供をつくって暮らしていました。そして、人身売買に関してだまされたりしたということです。 日本政府が批准しているローマ規定によれば、≠本人の意思に反して、性行為を強制される状態にある人は性的奴隷です。高収入がどうかは関係ありません。 慰安婦高収入説については、調査をつづけています。 まず。軍票について「1円は1円だ」という人がいましたが、ビルマでは軍票の1円というのは、正式には1ルピーでした。そして、公式レートは、1ルピー = 1円 でしたが、実勢レートでは、1860ルピー = 1円 にまで軍票の価値が下落したとおもっていましたが、どの時点で、実勢レートで 1ルピー = 1円 であったかご存知の方がいましたら教えてください。 それから、私が読んだすべての日本政府の資料は、軍票のインフレが進行してからは、軍票の日本円は制限されたか、大幅な減額が行われたというものでした。
2019年12月19日 06:45
> 慰安婦=性奴隷説から慰安婦=売春婦(置き屋の従業員)説に切り替えたのでしょうか。 次のビデオで、「反日種族主義」の著者が「帳場人の日記」について解説をおこなっています。 https://www.youtube.com/watch?v=1fGampvrKGE 実は、「帳場人」の慰安婦をふくめて702名の慰安婦をビルマに運んだ船団と米軍の捕虜尋問報告書に記されている船団は同じであることが分かっています。 米軍の報告書には、どのようにして慰安婦が集められたか述べられています。ビデオでもこの解説がなされています。 「一九四二年五月初旬、日本の周旋業者たちが、日本軍によって新たに征服された東南アジア諸地域における「慰安役務」に就く朝鮮人女性を徴集するため、朝鮮に到着した。この「役務」の性格は明示されなかったが、それは病院にいる負傷兵を見舞い、包帯を巻いてやり、そして一般的に言えば、将兵を喜ばせることにかかわる仕事であると考えられていた。これらの周旋業者が用いる誘いのことばは、多額の金銭と、家族の負債を返済する好機、それに、楽な仕事と新天地——シンガポール——における新生活という将来性であった。このような偽りの説明を信じて、多くの女性が海外勤務に応募し、二、三百円の前渡し金を受け取った。 「これらの女性のうちには、「地上で最も古い職業」に以前からかかわっていた者も若干いたが、大部分は売春について無知、無教育であった。彼女たちが結んだ契約は、家族の借金返済に充てるために前渡しされた金額に応じて6ヵ月から1年にわたり、彼女たちを軍の規則と「慰安所の楼主」のための役務に束縛した。」 (つづく)
2019年12月18日 01:22
> 「崔氏は当時の公務員の給与を75円、それがいま約20万円として計算した。3万2000円は現在8530万円になる。」 これでは、インフレ率が 200000 / 75 = 2666 となり、大きすぎます。 一番の問題は、一万円ほどのお金が実際に送金できたかということです。日本政府の文書によれば、これほどの額の送金は許されないか、送金できてもその一部しか受け取れません。
2019年12月18日 01:05
桜井よし子氏に、「帳場人の日記」について次の記事があります。 https://yoshiko-sakurai.jp/2017/12/14/7180 「崔氏は当時の公務員の給与を75円、それがいま約20万円として計算した。3万2000円は現在8530万円になる。」 これは、インフレ率の計算としては誤りです。これが、インフレ率とすれば、当時と現在の公務員の生活レベルが同じということになります。 「実に、1億円近い大金が、行き来していたわけである」と崔氏は驚いているが、朴氏が朝鮮の家族や自分の口座に送金した中に、1万円台、2万円台、3万円台の額が目につく。1億円近い額を2年の間に数回送金できた程、慰安所経営は利益が上がったということだ。」 楼主が2年間にどれほどの収入をあげられたかを計算します。慰安婦の毎月の売り上げを300円とし、その半分を楼主の取り分とし、慰安婦の総数を20人とします。 300 ✖ 0.5 ✖ 12 ✖ 20 =32000 経費を差し引けば利益はこの半分以下だと思います。すると、「1億円近い額を2年の間に数回送金できた」というのは正しくありません。
2019年12月18日 00:12
http://scopedog.hatenablog.com/entry/20130218/1361207042 (1942年) 実勢レートが公式レートから乖離していても、民間の交換所などありませんので、海外からの送金手続きを取るか、渡航の際に経理部などで換金するしかなく公式レートが適用され、またビルマから日本に向かう者が、1円=7ルピーの実勢レートでは損をするだけなので換金は、公的機関で行われていました。ただし、送金であれ携行であれ、換金額には限度があり、大量のルピー軍票を持って日本に帰る際に全て円に換えることはできませんでした。例えば、1942年3月の「陸亜普第一八二号 (甲) 外貨表示軍用手票ノ払出、預託及引換ニ関スル件陸軍一般ヘ通牒」によれば、軍人以外の者が外貨軍票を日本円に引き換える場合、1回10円が限度とされています。 昭和19年1944年、物価指数は、3月時点で2629、6月時点で3635、9月時点で5765、12月時点で8707でした*5。 1944年3月にはインパール作戦が開始されます。この作戦のために多くの物資、食料がビルマで徴発されますが、対価としてばら撒かれたルピー軍票はインフレを加速させる要因のひとつとなり、作戦が失敗して第15軍が崩壊し始めた7月ごろには開戦時の36倍以上にまでインフレが進行しています。 昭和20年1945年、物価指数は、3月時点で12700、6月時点で30629、8月時点で185648でした*7。 (公式レートでは 1ルピー =1円、実勢レートでは 1856ルピー = 1円)
2019年12月17日 19:19
日銀の資料をもとに作成された、東アジアの戦時のインフレ率のグラフがあります。 http://www.wayto1945.sakura.ne.jp/APW/APW-inflation.html 1943年3月の物価指数を1としたグラフでは、ラングーンの1941年12月の物価指数は0.2で、1945年8月の物価指数は400ほどです。つまり、この間のインフレ率は2000ほどです。 戦時郵便貯金の預金は軍人・軍属ならいつでもできました。朝鮮への送金が可能であったか、可能とすればどのような換算が行われたのか調べてぃます。
2019年12月17日 12:37
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/019/0806/01904300806012a.html 第019回国会 郵政委員会 第12号 昭和二十九年四月三十日(金曜日) ○政府委員(小野吉郎君) 「軍事貯金につきましては中国関係の預入が非常に多いのであります。北支、中支、南支が、これが全体の約九四%ばかりを占めております。而もその中で今回の換算率で行きますと、換算率の一番高いものと申しますか、中支地域でありますが、まあ二千四百分の一になるわけであります。尤も郵便貯金は終戦当時のレートで円表示になつておりますので、当時の百元を十八円に換算して通帳に記載してあります。そういつた関係で、通帳面で言えば二千四百分の一になるわけじやなく四百三十二分の一になるわけであります。これは丁度もとのものが二千四百分の一に換算される、このような結果になるわけでありますが、そういつた面で、中支方面の関係におきましては、かなり換算率によつて支払い金額は少くなりますが、これは儲備券が非常に下落をした、こういう実情に対応するものでありまして従つて仮に十万円の貯金を持つておりましても、額は非常に少くなるというような計算になるわけであります。」 ビルマの返還率が、インフレ率の逆数の1/1800でなくて、1/432となっているのも、通帳に記載されている額が記載時に減額されているからだとおもいます。いずれにしろ、文玉珠さんの26000円貯金っの価値は 1500 +2000/11 + 22500/432 =1733.9円です。戦後の失業対策事業の7日分の手当です。戦中なら700日分です。
2019年12月17日 08:35
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_housei.nsf/html/houritsu/01919540515108.htm 軍事郵便貯金等特別処理法 第一条 この法律は、軍事郵便貯金、軍事郵便為替、外地郵便貯金、外地郵便為替、外地郵便振替貯金等の特別処理に関し、必要な事項を定めるものとする。 第三条 昭和二十年八月十六日以後預入された軍事郵便貯金の現在高(この法律の施行前に本邦にある郵便局で払いもどしがあつた軍事郵便貯金については、その払いもどし前の現在高)の金額は、左に掲げる換算率により換算した金額の合計額とする。 一 表示金額千五百円までの部分につき 別表甲欄に掲げる換算率 二 表示金額千五百円をこえる部分のうち、別表乙欄に掲げる換算率により換算した 金額が三千五百円となるまでの部分につき 別表乙欄に掲げる換算率 三 表示金額千五百円をこえる部分のうち、別表乙欄に掲げる換算率により換算した 金額が三千五百円をこえることとなる部分につき 別表丙欄に掲げる換算率 換算率 (1円に対する表示金額) マライ及びビルマ 甲 1円 乙 11円 丙 432円 (三千五百円をこえる部分については、432円ごとに1円が払い戻されるということです。)