OVERLORD -the gold in the darkness- 作:裁縫箱
世界に期待するのは高望みだ。
この世界は、基本的に救われない。努力は何も生まないし、その過程にも意味はない。
だが、救われたいと願う人間は、そのことに気づかない。
彼らは、自分たちは幸せになるのが当然だと考えているのだ。
冗談じゃない。
そんな都合のいい話あるわけないじゃないか。
皆が幸福を願って、皆がその願いを叶えられることは、不可能だ。
人が完全に分かりあうことはできないし、人が完全に譲り合うことなどできない。
いつだって、我がままで自己中心的な人間が、力にものを言わせて、公平な人間から権利を奪う。
そしてそういう人間は、自分の権利を少しでも侵害されると、逆上して喚きたてるのだ。
まるで、自分が全てを得るのは当然のことのように。
性質の悪いことに、欲の強い人間がいると、周りまでそれに影響されてしまう。
欲の強い人間に虐げられた人間は、『次は勝ちたい』『あいつには負けたくない』と考えて、あらゆることを勝ち負けで捉えるようになるだろう。
そうなってしまえば、後はもう自分から何かを奪う、自分を負かそうとする相手に対し、過剰なまでの報復を行う、哀れな人間が増産されるだけだ。
だが、大前提として人は、そもそも人は、自分が思っているだけのことを本当に所有しているのだろうか。
所有という考え方自体が、余りにも傲慢な考え方なのではないだろうか。
金も、地位も、名誉も、それら全てを含んだ人としての力も、挙句の果てには己の体、命さえも、己一人で手に入れたものがあるだろうか。
それらは全て、偶然手にしただけの回りもので、本当に自分が手に入れたものなのだろうか。
だったら、結果的にだれが手にしてもおかしくはなかった、あやふやなものに拘って、そんなことのためだけに争う人間のなんと醜いことか。
そんなもののために折角与えられた命を浪費するなど、勿体ないではないか。
仮に、願った夢を叶えれば、幸せになるとしよう。
では、願った夢を全て叶えるためにはどうすればいいのか。
それはもう、自分以外に人間のいないところに行くしかないだろう。
つまり、自分と対等の存在がいない世界に行くのだ。
皆が自分に傅き、崇め奉り、何もかもが思った通りになる世界。
そこならば、人は非力な人ではなくなる。
醜い欲求の全てを実行する事が出来るだろう。
しかし、その果てに一体何があるというのか。
自分と対等に話すことのできない存在であふれた世界は、人に何をもたらすのか。
答えは無。
その世界は人に何も与えない。
与えられない以上は、己で作り出すしかないのだが、生み出す量にはどうしても限りがある。
緩やかに、そして確実に一歩一歩何もない世界に足を進めていくには相当の勇気がいるだろう。
人は求めるものを全て手に入れようとすれば、そしてそれを実現してしまえば、最早人間とは呼べない化け物となる。なってしまう。
ならば、欲求を全て叶えるという形で人間が幸せになることはできない。
果てのない欲は、いつか人を怪物へと変えてしまう。
本当は幸せになりたかっただけなのに、幸せとは程遠い孤独が、人を待っている。
ーーーーそう、彼は知っていた。
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空から降り注ぐオレンジ色の陽光が、地上を照らし、影を作る。
木々は静かに風に吹かれ、穏やかな音色を奏でた。
そこには調和があり、森、自然と一体となったかのような、包まれるような気配で、満ちていた。
以前この森で、恐ろしいトロールに怯え、必死になって走った少年は、森の変化に驚きながら、木々の下を歩く。
既に日は西の空へと沈み始め、人という種族には不利な時間帯になりつつあるが、少年に恐れはない。この一帯は、超越者の手によって守られていると、分かっているからだ。
その姿を思い浮かべ、少年は下げている鞄の肩紐をギュッと握る。やや大きい茶色の袖から覗く小さな拳は、先日とは打って変わって清潔であり、身にまとっている高級そうな服が持つ雰囲気に包まれても、まるで見劣りしなかった。
それどころか、もともとの品の良さもあって、高貴な身分の人物に仕える侍従のようだ。
その可愛らしい横顔に、夕日が差し込む。
木漏れ日の一つもないほどに鬱蒼と生い茂っていた植物たちだったが、適当に間引きされたことによって、空間に余裕ができ、光は少年のもとにまで届いていた。
暖かい光だ。
生まれてからずっと、隠されるように建物の中で暮らしてきた少年は、最近になってようやく、光は暖かないものだと知り、その存在に感謝している。
少年の幸せな気持ちを、世界が反映しているような、そんな気さえするのだ。
いや、少年が変わったからこそ、世界の明るいところを見ることができるのかもしれない。前はこんな風に、周りの風景を見ることなどなかったし、しようとも思わなかったのだから。
歩いてからしばらくして、一際と光に満ちている場所へと出た。
学校のグラウンドくらいの面積であり、かつてここに生えていた木々の多くは切り倒されている。いや、切り倒すだけでなく、根っこまで完全に掘り返して、木の痕跡を抹消し、地面を慣らした後そこに踏み石を用意する徹底ぶりだ。
けれども、完全にその場所から植物がなくなったかというと、そうではない。
もともと葉に覆われた日陰と湿気を好み、地面を覆っていた苔は、量こそ減ったものの、今なお、自然のしぶとさを身をもって示している。
そして、巨木に光を奪われ、育つことができなかった草花などが生えだしており、緑の苔に彩を加えている。まだ巨木を取り除いてあまり時間がたっていないので、草以上の植物が新たに生えてきている気配はないが、油断はできない。この世界には、予兆なく超常現象が起こることなどざらにある。つい先日少年が『意味が分からない超常現象』に遭遇したように。
あの光景を、少年はきっと、死ぬまで忘れないだろう。
少年にとって圧倒的強者であったトロールが、地を這う虫のように、簡単にひねりつぶされた、あの光景。
そして朝日が昇り、目を覚ました時に視界に飛び込んできた、山と積まれていたトロールの死体。
それを為した存在が浮かべた、柔らかな微笑み。
意味が分からなかった。
その存在は、余りにも強く、美しく、自分たちが近づいていいわけがないと思った。
だが叶うことならば、傍にいたい。
傍で、気にかけてもらいたい。
その存在は、そういった人を引き付ける、何とも言えない魅力を持っていた。
少年の心が、かの存在の神秘的な気配を思い出し、恍惚としている間にも、体は動き続け、緩やかな傾斜をゆっくりと歩き続ける。
かつては、一面を木の根に覆われ、ただ歩くだけでも転びそうな悪路であったが、前述の踏み石を始めとした様々な処置により、この丘は絶好の散歩スポットとなっていた。蛇のように曲がりくねって丘を取り巻く小道は、坂を上っているはずなのに、それを意識させず、実に軽やかに足を運ぶことが出来る。
もしかしたら、ごく最近少年が知ったばかりの『魔法』という技術が、関わっているのかもしれない。そのようなことを、かの存在から聞いたような覚えがある。
その他にも、色々と今以上のことを配下たちが行いたがっていたと、困り顔で言っていたが、少年にはスケールが大きすぎて想像がつかない。
ただ、かの存在が自分などでは計り知れない、強大な力を持っていることに、感服するのみだ。
ふと、足元に影が見える。影の中にも、細かくぼんやりとした光があることから、木の影だ。
その事実に、そろそろだと悟った子供は、顔を上げ、同時に足を止めた。
世界でいいものを見た記憶がなかった少年は、それらを見ないように、視界を狭める傾向にあったが、本当に見たいものを前にすれば、無意識のうちに顔を上げてしまう。
今目の前に広がっている光景は、まさしく見たいものだ。
正面には、この丘唯一の大木があり、その長い枝を周囲に広げている。数週間前までは、同じようにその威容を競い合う木々が周りにひしめいていたので埋もれていたが、ライバルがいなくなった現在は、存分にその存在感を示していた。
そしてその木の下には、少年がわざわざ集落からここまで歩いてきた目的の人物が、膝の上に本を広げて座っていた。
マントは羽織っておらず、従ってフードも被っていないのだが、逆光と影によって少年の位置からは表情が見えづらい。
だがそれも、その人物の雰囲気を際立たせていた。顔が見えないという、若干マイナスの要素でも、かの存在にかかれば利点となりえるのだ。
事実少年は惚れ惚れとしながら、根元に座った人物に熱い視線を送る。
何度見ても、美しいものは見飽きない。その言葉を体現したような姿だと思いながら。
しかし浮ついた心は、黒ローブの人物の背後に控えていた人物が、少年に向けている視線に気づいたことで、一瞬で冷え切った。
猛禽類のように鋭い眼光を放つ、白髪白髭の老人が直立不動で此方に顔を向けているのだ。老人も、此方から見ると逆光なので本当にそうかと問われると怪しい部分はあるが、それでも、害意ある視線にさらされることは、その短い人生でよくあった少年は、害意のあるなしに限らず、人の視線というものに敏感である。
その感覚からすると、老人は少年に向けて、少し咎めるような意思を込めた目線を送っているようだ。
何か自分は失態を犯している可能性が高い。そう結論付けた少年は、高速で老人の指導内容を思い返し、そして納得した。
仕える存在を呆けた顔で凝視するなど、使用人失格ということだろう。
そう考えると、今の自分はかなり緩んだ顔をしている筈だ。
主人は本に目を向けているため、此方の顔に気づいていることはないだろうが、それでもこれはまずい。
即座に表情を引き締めた少年の様子を見て、これ以上要求することはないだろうというように、老人は軽く頷いた。
そして依然として少年に気づいた様子のない主人に向けて、耳打ちする。
普通ならば聞き取れないはずだが、少年の耳はハッキリと内容を聞き取る。
「■■■■様。例の人間がこちらへ来ました。」
その言葉に、ようやく本から目を離した黒ローブは、真っすぐに少年を見た。
「おや、来てたのかい。悪いね、気が付かなくて。僕も自覚してはいるんだけど、本を読んでいる途中はちょっと周りのことに、注意が向かなくて。」
「大丈夫・・です。」
少年が覚えたての敬語で、たどたどしく答え、頭を下げる。
その拙い動作に、老人が何か言いたそうに目を細めたが、それを口にする前に、老人の主人が口を開いた。
「それで、何の用事があってきたのかな?魔獣でも出た?もしくは、家の建設で問題でも起きたとか?」
「・・・いえ、その・・集落の皆で感謝の気持ちを込めて、今度お祭りをしようということになって、その・・・ご判断を聞きに、来ました。よろしいでしょうか。」
もじもじと顔を伏せて話す少年の頭に、再び鋭い視線が突き刺さった。しかし、それに気づいていないのか、かの存在は自分に対する無礼には何も言わず、問い返した。
「お祭りねぇ。何をするとかは考えているの?」
「・・幾つか案は出ていて、御方から聞いた話にあった御神輿とか、焚火とか、像を使うとか、その・・衣装を作ってそれを着るとか、そういうのがあります。」
「なるほど。まだその段階か。」
黒ローブは少し視線を逸らし、すぐに戻す。何気ない仕草だが、常人には分からない何かを見たような、そんな様子だ。
「じゃあさ、とりあえず何をするのか具体的に決めておいで。色んなアイディアがあったほうが面白いから、計画は何個あってもいいよ。それを見て、僕が一番楽しそうだと思ったことをやることにしよう。」
「・・・えっと・・それはお祭りをしてもいいということですか。」
やめておいたほうがいいと言われるのではと思っていた少年は、思わず顔を上げた。
今までずっと、『まずは生活を成り立たせるように頑張らないとね、君たちは。』という風に、真面目一本調子な指示を出されていたから、無理もないが。
しかし、そんな懸念とは裏腹に、目の前の主人は、不思議そうに小首をかしげた。
「ん?勿論いいよ。穀物の収穫はまだだけど、君たちも割と強くなっているし、そこらの魔獣相手じゃそうそう遅れをとることはないだろうしね。ここらへんで君たち人間の成長を祝ってもいいんじゃないかと僕は思うよ。」
何やらお祭りの方向性に関してすれ違いがあるような気がしたが、ともかくも許可を逸れたことはめでたい。
少年は頭を下げる。
「・・・ありがとうございます。では、集落に戻って皆に伝えてまいります。」
「うん。皆によろしくね。」
「はい。それでは、お時間をとっていただきありがとうございます。」
深々とお辞儀した姿勢から、顔を上げて、背筋を伸ばす。その際に首からぶら下がっていたメダルが飛び跳ねた。
黄金色の金属で作られており、何らかの模様がこまかく刻まれている。
それを手で押さえながら、少年は後ろへ下がり、もと来た道を引き返して行った。
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「祭りなど、許してやってよかったのでしょうか。現在の彼らの状況を考えると、少し厄介なことになると思うのですが。」
少年の姿が木々の中に消えていったのを見届けてから、老人は自らの主人に疑問を呈した。
ここから先の展開を考えて少し厳しい表情だ。
「おや、セバスはお祭りが嫌い?もしかして、あの子がまだ侍従としての最低限のマナーを身に着けていないのが気にいらないのかな?」
それに対して、黒ローブは本に目を落としたまま答える。この本は特殊な方法で無限に文字や絵を記す事が出来るという代物であり、主人のお気に入りの品だったと記憶している。
今は、主人が自ら打ち込んでいた内容を読み返しているようだ。
だが、少年にはわざわざ本から目を離して対応していたのに対し、自分には目もくれないという態度は、信頼されているのか、嫌われているの判断に困るところで、少し不安になってしまう。
「いえ、そんなことはありません。確かにあの者が余り礼儀をわきまえていないことに、思うところがないわけではございませんが、それとは無関係です。」
基本的に、セバスは純粋な人間を好んでおり、嫌うことはない。しかし、自分が至高の存在に教育を任された以上、可能な限りの礼儀作法を身に着けて貰わなければ、ナザリックの品格に関わる。
特にあの少年は、最初に自らの主人が助けたという立場上、人間たちの意見を代表して伝えに来ることが多い。
通常ならばもっと年長者が担うべき役目だが、そもそも教育どころか、まともに同族とコミュニケーションをとったことがないような人間たちだ。あまり大人と子供で能力の差がなく、むしろ学習が早いということから、結局あの少年にその役目が押し付けられたらしい。
本人は、緊張はするものの憧れの存在に頻繁に会えると喜んでいたので、セバスが何か言うことはなかったが、悲惨な生活環境で育ってきた子供には憐れみを覚える。
「まあ別に、人間たちの方には非がないし、そこは気にしてもしょうがない。正常な集団生活を経験できなかったんだからね。」
セバスの顔色が曇っているのを察知したのか、主人が後ろを見ずにそう言った。
「問題は、ナザリックの方かな~。なんか最近皆雰囲気暗いし、そっちもどうにかしないとね~。」
セバスの懸念もまさにそれだ。
昨今のナザリックでは、至高の存在が彼らにとって下等な人間に関心を持って、色々と世話を焼いているという状況に不満を覚えている者が多い。
それが不満で済めばいいのだが、最悪の場合、そういった負の感情が暴発して惨事が起こる可能性すらあった。
一応、あの一件以来ちょっかいをかけてくるトロールの国をサンドバッグ代わりにしているが、それでどこまで持つかは未知数だ。
脳裏に銀髪の某吸血鬼が浮かんだセバスは、頭を軽く振ってそれを一先ず追い払う。
そして、良い機会だと今までずっと抱いていた疑問を言葉にしようと、声を出した。
「・・・一つ、お聞きしてもよろしいでしょうか。」
セバスの空気が微妙に変わったのを察知したのか、主人は本を閉じた。
「・・・何だい?」
軽く息を吸って、その息を吐くとともに言葉を紡ぐ。
「何故人間を御助けになったのですか。あの者たちは弱く、知識もなく、財もありません。助けたところで、現状では何の利益にもならない存在です。それどころか、助けるために微量とはいえ、ナザリックの資源を与えてすらいます。一体どこに、助ける理由があったのでしょうか。知恵なきこの身に、御方のお考えをお聞かせ願いたく存じます。」
もしセバスが主人の立場ならば、間違いなく善意から人間を助けただろう。たとえトロールにとってそれが当たり前のことでも、人間の同意なく拘束し、苦しめることは、許されない。許してはいけない行為だ。
けれども、主人は組織の長であり、感情だけでは動くことの許されない地位にいる。
以前階層守護者たちと共に主人に伝えられた行動方針は、極限まで情というものを切り捨てたものだった事からも、主人がこの異常事態にどれだけの警戒を抱いているかは容易に察する事が出来た。
しかし、いざ蓋を開けてみれば、全く違う行動をとっている。本来ならば可能な限り情報が漏れないようにすべきところを、大手を振って人間たちを助け出したのだ。
一体主人は何を考えているのか。
セバスだけではなく、ナザリック全ての者がそう思っているだろう。
忠実なる執事からの問いに、黒ローブは直ぐには答えなかった。
その代わりに、手に持っていた本を空間に仕舞いこむと、立ち上がって振り返り、沈みゆく太陽へ向かって数歩歩いた。
斜陽は、赤く空を染めながら、その威光を地上の全てへと示していた。
「・・・眩しいなーって思って、約束をしてしまったんだよね。」
太陽の眩しさとはまた違った眩しさのことを、言っているんだろう。
「あの子はね、僕が記憶を見る代わりに何を返そうかって聞いたとき、ただ姉の心配だけをしたんだ。そんな人間、視たことがなかったよ。それで僕は決めたんだ。この子みたいな善良な人間に、僕みたいな思いをさせちゃいけないなーって。だから僕はその場で彼に約束した。幸せな世界を見せてあげるってね。今思えば、くさいセリフだし、君たちに言った事とまるっきり反対のことをしたけど、僕は後悔はしていない。何ていうか、こう、目的かな。そういうのを見つけられた気がしたんだよ。」
主人は首を回して、セバスを見た。
「だからね。こういうかんじなんだよ。僕は別に理路整然としたことを計画して、実行に移せるような器用な人間じゃないんだ。」
困ったように、主人が笑う。
「こういうふわっとした理由で、納得してくれるかい?」
逆光に照らされた主人の表情は、何故だかセバスの目にはっきりと映った。
「・・・ご説明いただき、感謝いたします。」
セバスはこの時悟った。
主人は、別に完璧な存在ではない。
しかし、仕えるに値する、カリスマを持っていると。
一応言っときますけど、裁縫箱はホモではないですよ。
なんかそれっぽい雰囲気になっていますけど、ホモではないですよ。
繰り返しますけど私はホモではないですよ。
あと、過去編がもう少し続いてしまう予感が・・・・。
まあ、あくまでも可能性ですのでよく分かりませんが、
次回辺りで一区切りしたい・・・・。