世界が新型コロナウイルスの感染拡大に見舞われ、ポピュリズムや社会の分断にも揺らいだ2020年。こうした未曽有の1年に、アメリカのロックバンド、ボン・ジョヴィが正面から挑んだニューアルバムを発表しました。その名も「2020」。ボーカルのジョン・ボン・ジョヴィさんに、国際報道2020の池畑キャスターが45分にわたるロングインタビューを行いました。放送では伝えきれなかった話を含めて、インタビューの全体を前後編に分けてお届けします。前編は、新型コロナがテーマの曲「Do What You Can」が誕生したいきさつや、歌詞に込められたメッセージです。(後編はこちら)
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特集
ジョン・ボン・ジョヴィインタビュー「2020」社会問題を歌う 前編 新型コロナから見えたもの
アメリカでの新型コロナの状況
池畑 そちらでの新型コロナウイルスの感染状況はいかがでしょうか?ジョンさんの息子さんも感染されたと聞きましたが。
ジョン いまは、みな元気です。ここニューヨークでは感染拡大の第2波が始まっているようですが、市民たちはしっかりと対策をとっています。マスクはしていますし、ソーシャルディスタンスも保っています。ただ、レストランでは、いままで客は屋外で食事をしていましたが、寒くなってきて、それも難しくなってきました。ビジネスにとっては厳しい環境が続いていますが、なんとかやっています。
「Do What You Can」 “できることをやろう”曲に込めた思い
池畑 ニューアルバム「2020」は、現在のアメリカの混乱について多くの力強いメッセージを発信していますね。今年、このようなアルバムを作ろうと思い立った理由についてお聞かせください。
ジョン 私たちはナッシュビルへ行ってこのアルバムのレコーディングをしました。2019年3月でした。アルバムのタイトルは最初から頭にありました。明確なビジョンで、選挙の年のしゃれたバンパーステッカーのようなものを考えていたのです。しかし、曲を書き始めてから、ここアメリカでは実に多くのことが起きました。私は、これは時代を象徴するアルバムになると思いました。本当は2019年末にアルバムを仕上げ、5月に発売して、ツアーに出るというスケジュールでした。しかし、新型コロナの感染拡大でツアーはキャンセル、アルバムの発売も延期されました。そこで私は曲を作り続けました。一部の曲は歌詞を書き直し、さらに新しい曲も書き続けたのです。そうして感染拡大中に「Do What You Can」を書きあげました。この曲は、「仕事に出られないのなら、マスクをするなど、せめて自分にできることをしよう」という世界中の人たちへ向けたメッセージなのです。
池畑 この曲は、ファンからエピソードを集めて一緒に作ったそうですね?
ジョン いったんは曲を書き終えたのですが、われわれはまだ特別な事態を経験している最中だとも感じていました。日本の皆さんも、ニュージャージーの人たちも、みな同じ事態をくぐり抜けています。そこで、はじめの1小節と歌詞をネット上に掲載して、こう書きました。「歌詞を書いてください、ご自身のストーリーを書いてください。それを私が歌います」と。すでに曲は完成していてレコードにできる状態でした。ただファンとのやり取りがあり、ファンが送ってくれたストーリーは私と共通するような体験ばかりで、なんて特別な歌なのだろうと気づかされたのです。
池畑 メロディーは明るめで、少しカントリーミュージックのようでもありますが、意識してそのような曲にしたのですか?
ジョン とくに意識したわけではありません。曲はいつもアコースティックギターかピアノで作るのですが、この曲は、ああいうふうに出来上がりました。どのように収録すべきなのかは、スタジオに入るまで考えていませんでした。でも、6月にスタジオに入ってみて、これがいい感じだなと思えたのです。とても自然に感じました。
新型コロナで気がついた大切なもの “愛情に代わるものはない”
池畑 私が一番印象的に思えたフレーズは、「There's no substitute for love.(愛情に代わるものはない)」でした。“愛情の代わりはない”という歌詞で、どのようなメッセージを伝えたかったのですか?
ジョン 私たちはみな限界まで追いやられたのです。このウイルスの前では私たちは平等なのです。日本人であろうとアメリカ人であろうと、共和党員でも民主党員でも関係ないのです。コロナは相手を選びません。このような状態に追いやられ、人々は、健康や家族、友人などが最も大切だと気づかされました。それらに代わる存在はないのだと認識すべきです。仕事や、レコード制作、旅行、忙しく駆け回って過ごすことよりも大切なのだと。そこには人を謙虚にする要素があります。まるで食べ物のようなものです。ソウル・キッチンでも見られますが、食べ物の前では、若い、老いている、白人だ、黒人だ、民主党か共和党かなど、全く関係ありません。食べないと生きていけないのです。ソウル・キッチンの食卓では、みんな平等です。食べることはコミュニケーションにもつながっていくのです。
ジョン・ボンジョヴィが皿洗い? JBJソウル・キッチン 運営者の顔
池畑 「JBJソウル・キッチン」の話をされたので聞きますが、新型コロナの感染拡大で、キッチンも厳しい状況になっていると思いますが、どのように運営しているのでしょうか?
ジョン 「Do What You Can」を書いた頃よりもずいぶん良い状況ですよ。ボランティアの人たちが働いてくれています。それで経費を減らしているので、メニューには価格はありません。池畑さん、もし来ることができれば、20ドル寄付をしてほしいのです。その20ドルがあなたと隣の誰かの食事費用を賄います。寄付ができない人は、ボランティアとしてレストランを手伝ってもらえればいいのです。コロナのせいで、一時期、ボランディアがいなくなりました。ようやく外出禁止が解かれ、一部のボランティアが戻って来てくれています。でも3月からの数か月はボランティアが全くいませんでした。その時は私が毎日皿洗いをしていました。そして夏の期間は、フードバンクを開いていました。皆、食料品が必要だったからです。人々が食べ物を大量に貰うことのできる店として開けました。
ソウル・キッチンで皿洗いをしていたとき、妻のドロシアが私の写真を撮り、ソーシャルメディアに投稿しました。困っている人たちに私たちのことを知ってほしいと思ったからです。彼女は「if you can’t do what you do, you do what you can.」(普段していることができないなら、できることをやろう)と書き込みました。(注:この書き込みが「Do What You Can」曲名の由来です)
池畑 ソウル・キッチンはあなたにとってどれほど大事なのですか?
ジョン 気持ちの上で、とても大切です。これまでにないような喜びを与えてくれました。15年前に運営を始めた当初、私はスポーツチームを持っていて、他の大きなチームと差別化したいと思っていました。そこで、もっと慈善活動に寄せてみようと言ったのです。そうやって誕生したこのレストランでは、毎日、助けが必要な人たちと、助けたい人との間に交流が生まれました。レストランを通じて、良いことをすると良い気分になるのだと知りました。ステージで、大声で叫び歌っているのと同じくらい、良い気分です。その活動が、一人一人の人生に大きな違いを生みだしている、そう考えると魔法のようです。こうしたことが私たちに目的意識と喜びを与えてくれているのです。
池畑 巨大なステージで多くのファンに囲まれているときの喜びとは、また少し違いますか?
ジョン どちらも同じ大きな喜びです。私にとってステージに立つのは素晴らしいことで、好きなことでもあり、得意なことでもあります。でもステージだけが私を作っているわけではありません。それは仕事で、本当の自分とは違うようにも感じます。この支援活動は、私が私らしくあるために必要なことなのです。
日本へのメッセージ
池畑 奥様のドロシアさんの今年の誕生日を祝うために、日本の神社の前で撮った写真をSNSに掲載されていますね。あの写真は、いつ頃のものですか?
ジョン 1987年です。撮影してくれたのは素晴らしい日本の写真家です。忘れたことはありません。彼が私たちを神社の前に連れて行ってくれたのです。東京の昔のフォーシーズンズホテルの裏だったと思います。私たちはSLIPPERY WHEN WETワールドツアー中で、記念に写真を撮ってくれるように頼んだのです。
池畑 SLIPPERY WHEN WETツアーですか…あの時代を思い出します。最後に、日本のファンの皆さんにメッセージをお願いします。日本でも新型コロナが広がっていて、非常に難しい状況にあります。
ジョン まずは、信念を持ち続けましょう、必ずワクチンはできると思います。今朝、ニューヨークで素晴らしいニュースを見ました。東京でオリンピックの開催ができるという内容でした。頑張っているスポーツ選手たちを応援するために観客を競技会場に入れたいとも伝えていました。私もいつになったら日本にまた行けるようになるのか…と思いを馳せました。来年だといいですね。
(ジョン・ボン・ジョヴィインタビュー「2020」社会問題を歌う 後編 人種差別と分断)