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尾栓雌ネジ製造例 はじめに 以前に『銃砲史研究』第328号に、「うどん張りの筒 ―― その一例」を発表している。サンプルとなる銃身を輪切り方向で切断し、光学顕微鏡によりミクロ金属組織を観察することで、「巻張り」にあるべき「葛巻き」が見られず、「うどん張り」の筒であることを証明した。今回は、同じ銃身を使用して、尾栓雌ねじ部分の製作法をさぐってみた。その結果「熱間鍛造法」によるものであったことを報告する。ただ、この銃身の雌ねじが「熱間鍛造法」で作られているからといって、全ての雌ねじがこの方法で作られたものではない。あくまでも一例であることをも報告したい。 熱間鍛造とは加工する工作物を加熱して鍛打し、成型することである。火造りの一種で、いわゆる鍛冶による加工である。 一、雌雄ねじ研究の現状 火縄銃の銃尾は、大抵ねじによって閉塞されている。尾栓となるねじは発射火薬の燃焼で起こる銃腔内の残滓の清掃、あるいは不発弾の除去に際して取り外される。 また銃身の製作上、命中精度をきめる照準の先目当(照星)、元目当て(照門)を取り付ける決定にも銃腔内を覗かねばならず、ねじ構造であることは重要で、ねじは必要不可欠な部分であり部品である。ねじは雌雄で一対であるが、現在のところ雄ねじの製作は、ヤスリによる切削加工によるものと考えられていて、専門家間においても異論はないようである。 「雄ねじ」の加工法については、最近では伊藤博之氏(和光金属技術研究所)の発表が朝日新聞(2001年2月14日)をはじめ、その後も各所学会等において行なわれている。 日本における最初のねじは、伝来した鉄砲とともにあるといわれているが、その製作法、特に「雌ねじ」については謎は深く、多数の研究者が多方面から探究してきたが、未だに明確な結論は見いだせないできた。 それは多く文献史学的発想からの研究で、理工学的研究がなされずにきたためである。ただ25年前昭和52年、(社)日本ねじ工業協会は火縄銃ねじ類調査特別委員会を設置し、大学研究者・螺子製作会社の代表からなるプロジェクトチームで、火縄銃の尾栓ねじの究明にせまられたことがある。 その結果は、昭和54年(1977)『日本ねじ工業史』として発行され、尾栓雌ねじについては「現在のタップと同一原理のものを用いる以外に方法が考えられない。」と『火縄銃から黒船まで』奥村正二著を引用し、洞富雄著『種子島銃』から「…鋼鉄製おねじを銃孔端にねじこんで、めねじを切った」を引用している。 また国友などに遺る「ねじ錐」による、雌ねじの製作は疑問視されている。さらに雄ねじを用いて、「雌ねじの熱間鍛造再現実験を行なう」としている。 昭和57年(1982)『日本におけるねじの始まり一火縄銃ねじ類調査特別委員会韓告書一』日本ねじ工業協会発行がある。前者『日本ねじ工業史』の執筆にあたり調査されたものの集大成である。 いずれも雌ねじの製作法に関して、調査特別委員会の統一見解は示されたとは言い難く、「ねじ錐」による切削法とする小数意見と大多数の熱間鍛造法とが報告されている。 さらに熱間鍛造による雌ねじ製作が実験的におこなわれ、委員会もこの報告を肯定しているように思われる。 二、熱間鍛造と冷間切削法 火縄銃が伝来の島名「種子島」の別名を持フことは、誰もが知るところであり、尾栓ねじの製作秘話として、鍛冶矢板金兵衛と娘の哀話がある。真偽のほどは別として、ねじの製作の難しさをものがたるものであろう。 この伝来のねじ作りが、どのような方法であったのかは記述したものが無いだけに謎とされている。 比較的信頼できる『鉄砲記』には次の部分がある。(臓点直者記入〕 「…時尭把玩の余、鉄匠数人をして、その形象を熟視せしむ、月鍛季錬して、新にこれを製せんと欲す、その形制頗るこれに似たりと雖えども、その底のこれを塞ぐゆえんを知らず。 その翌年、蛮種の賈胡またわが嶋、熊野の一浦に来たる。浦を熊野と名づくるは、また小盧山、小天竺の比なり。賈胡の中に、幸いに一人の鉄匠あり、時尭もって天の授かるところとなす、即ち金兵衛尉清定なるものをして、其の底の塞ぐところを学ばしむ。漸く時月を経て、其の巻いてこれを蔵むることを知る。…」(原文は漢文・詳は所壮吉著「火縄銃」参照) 鉄砲伝来が『鉄砲記』にある天文十二年(1543)とすれば、この文書は六三年後に著わされたものであるうえ、時尭ひいては種子嶋家顕彰の為であって、技術書であろうはずもなく、ねじの加工の詳細は不明である。解明には推察以外に手法がない状況であった。 その推察から生まれた雌ねじ製作法が、熱間鍛造によるものとなった。 理由付けとして、 1) 鉄砲伝来直後には、タップやダイスが存在するはずはない。 2) 雄ねじは、ヤスリで製作したものであろう。 3) 日本には鉄加工技術として、優秀な鍛冶技術しかなかった。 4) 雄ねじを、型として雌ねじを鍛造したと考えるのが当然である。 5) 上記鍛造法で実験した結果、鍛造雌ねじの製作に成功した。 以上が熱間鍛造説の根拠とするところである。これに対して、タップ(雌ねじを作る切削工具)を使用して、雌ねじを作る冷間切削法を支持する論もある。その根拠とする理由は、 1) 『中島流砲術管閲録』に大小二種のタップが描かれている。 2) 『銃砲史研究一国友鉄砲鍛冶国友覚次郎翁より直接聞いた火縄銃の作り方の話』にある「ねじきり」を使用した現実がある。 3) 国友「鉄砲の里資料館」、同「鉄砲鍛冶資料館」、「長浜城博物館」等に展示される「ねじ錐」が遺存している。 4) タップによる、雌ねじ加工が前記二書によって証明されている。 とするのであるが、両者にはそれぞれ問題がある。 |
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