307.商会長の贈り物とお守り
さらさらと二通の手紙を書いたイヴァーノが、インクをドライヤーで乾かし、メーナに渡す。
「マルチェラを送る前に、この手紙をこの住所に届けてください。屋根の傷み具合にもよりますが、急ぎの修理に応じてくれるはずです。こちらの手紙は救護院の院長先生へのご挨拶状です」
「ありがとうございます!」
本日、マルチェラは休みである。イルマが午後から神殿に行くので、その準備と付き添いだ。
午後、メーナが二人を馬車で送る予定である。
イルマは大変元気なのだが、双子の出産のため、今日から出産までは神殿にいることになった。
先日差し入れを持って行ったときは、『産婆さんがいれば家で産めそうなのに』と残念がっていた。
しかし、出産は大ごとである。ましてや双子である。
万が一のことがあってはいけないので、神殿行きの大事さをせつせつと説いた。
結果、イルマに『わかったわ、ダリヤお姉ちゃん』と言われることになったが。
とにかく安全を最優先に、母子ともの健康を祈るばかりだ。
「院長先生には、明日改めて手紙と正式な書類をお送りします。修理が先で手紙が後と、順番が逆になるかもしれないのでと、お詫びをよくお伝えください」
「はい!」
すぐにも行きたそうなメーナに、イヴァーノは渡した手帳にメモを取らせつつ確認する。
その後、限りなく小走りに近い早歩きで、メーナは部屋を出て行った。
「メーナ、あの分だと、階段を一段抜かしで下りてそうですね」
イヴァーノの言葉に笑ってしまう。案外そうかもしれない。
だが、どうにも気になったことがある。
「あの、イヴァーノ。メーナのいる救護院って屋根が直せないぐらい、困っているんでしょうか?」
「だいぶ古い建物ですから。秋の大風あたりで傷んだのかもしれません。すぐに修理できないのは、今年の予算の組み入れが足りなかったんでしょう。来月には直せるでしょうが、冬祭りのテーブルにバケツは流石にかわいそうなんで」
自分に答えながら、イヴァーノは商会印が型押しされた便箋を取り出した。
「会長、すみませんが下書きはしますんで、院長のモルテード子爵へお手紙をお願いします。寄付台帳に名前を載せて頂くようお願いしますので」
「はい、もちろん書きます。でも、モルテード子爵というのは? 救護院って、国の運営ですよね?」
初等学院時代に習った記憶では、救護院は国の運営だったはずだ。
モルテード子爵という、個人運営のところが別にあるのだろうか。
「救護院の運営は国で、委託された何家かの貴族が管理をしています。モルテード子爵は主に子供の救護院を担当していて、メーナのいるところはその一つですね」
ふと思い出す。メーナが言っていた、院長先生はカツラ――いや、そちらではなく、院長先生は子供達の名付けをし、救護院に寝室まであったと聞いている。
「院長先生というのは一緒に住んで世話をする人だと思ってました」
「モルテード子爵はそうですよ。他の貴族は代理人を雇うみたいですけど。モルテード子爵は院長としてメーナのいる救護院に住んで、子供達と同じ食事をしているとかで、『清貧先生』って二つ名があります」
やはりすばらしい方らしい。メーナが卒院しても会いに行くわけだと納得した。
「とりあえず屋根を直して、その後にメーナをつついて――内情を聞いてみます。救護院に予算が少なすぎるようなら、干物を持って知り合いのところで愚痴ってきますので」
イヴァーノがいい笑顔で言っているが、その相手は誰だ?
干物と言えば最初に思い出すのはグイードとヨナスなのだが、他にも浮かぶ顔があって判断がつかない。
「あの、イヴァーノ、本当に大丈夫ですか? なんなら救護院は私の方から――」
「駄目ですよ、会長。俺達でも限界があります。今年はいいとして、先々はわからないじゃないですか。もちろん、商会を斜めにするつもりは絶対ないですが」
「それはそうですが……」
「二本羽根の飾りピン持ちの方なら、話は通りやすいと思うんですよ」
それは王城財務部長のジルドではないか。通りやすいも何も最短直通だろう。
だが、一番まちがいはないと思うので、お願いすることにした。
「さて、本日分の書類です。数字の確認とサインをお願いします。俺は手紙の下書きを済ませたら、服飾ギルドでフォルトと倉庫の件をつめてきますので」
「倉庫、やっぱり足りないんですね?」
先日、ルチアと食事をしたときにも言われた。
五本指靴下と乾燥中敷きと
結果、倉庫が足りなくなった。
「ええ、冬祭り前ですし、王都は人も増えてますから。海沿いを埋め立てて、倉庫区画にするなんて案も出てます」
前世も今世も土地問題は深刻らしい。
王都の南には港と海があり、あそこに倉庫があれば輸出入には便利かもしれない。
だが、海の埋め立ては大変そうだ。
「上級土魔法のある方々が総出でやれば、そんなに期間はかからないそうですし」
「え、そうなんですか?」
「レンガ作りよりは、岩の隆起の方がすかっとすると、ベルニージ様がおっしゃってました」
前世の重機が、ベルニージの笑顔に重なった。
魔力制御がいるものより、一気に魔力を叩きつける方が確かにすかっとしそうだが――なんとも豪快な工事になりそうだ。
「あと、すいません、俺も今日は早上がりで――今日から犬が来るものですから」
「娘さん達へのプレゼントですね」
少し前、イヴァーノが犬を買った話は聞いていた。
子犬のうちに飼い、犬の訓練士に預け、四日に一度は家で慣らす。三ヶ月の訓練が終わり、ようやく家で暮らすのだという。
「もう、娘達が喜びすぎて大変で……冬祭りのプレゼントとして、黒い犬は上の子が、白い犬は下の子が面倒を見ると決めてました。まあ、下の子は手伝わないと流石に無理ですが」
「大きくなる犬なんですよね?」
「ええ、
「オズヴァルド先生のお勧めでしたものね」
あれはまだ夏、王城向け礼儀作法を教わり始めた頃だったろうか。
オズヴァルドがお腹回りを気にしていたイヴァーノに、早めに子犬を飼うよう勧めていたのを思い出す。
「……ええ、そうですね」
イヴァーノは紺藍の目を伏せて苦笑する。
少しデリケートな話題だったかもしれない。
彼は夏よりもずっとスマートになった気がするのだが――仕事での胃痛が原因だったらどうしよう。
「そういえば、オズヴァルド先生は躾をまちがえて手を噛まれたとおっしゃってましたが、訓練士さんのところに子犬を出さなかったんでしょうか?」
「どうでしょうか……そのあたりは――なかなか微妙なので……」
イヴァーノが濁しに濁して答える。
貴族が飼い犬に手を噛まれるというのは、もしかすると不名誉なことなのかもしれない。
ダリヤはこの件について、黙っておくことにした。
ちょっと困った空気を打開するために、鞄から白い封筒を取り出す。
「商会長になって初めての冬祭りということで、プレゼントです、副会長」
商会を開いた最初の年、冬祭りには商会長が商会員に対し、ささやかな贈り物をする――そんな慣例があることを、ガブリエラから教えられた。
「ありがとうございます、会長! でも、この前、氷の出るマドラーを全員もらって、あれで充分だと言ったじゃないですか……」
「あれはあれ、これはこれです」
ここまで世話になっているのだ、マドラーよりしっかりしたものが贈りたかった。
悩んだ結果、重すぎるものになったのは許してほしい。
「封筒に引換券が入っているので、馬車で帰るときに受け取ってください。重いので、分割したタイプでも大丈夫だそうです」
「え? 一体何を?」
珍しく慌てた顔で、副会長が封を切る。
中の赤いカードを見て、その表情が笑み崩れた。
「『岩石チーズ』ですね、ありがとうございます! 妻も娘も喜びます。『板ハム』は俺の酒の
イヴァーノに贈ったのは、石のように固いチーズの『岩石チーズ』と、四角い『板ハム』だ。
岩石チーズは大きな丸型一個分、店で保管してもらい、分割で受け取ることも可能にした。
岩石チーズという名の通り、ナイフで削って食べたり、粉にして料理に使ったりする。日持ちもするし、なかなかおいしい。
何より、イヴァーノの妻が好物だと聞いている。娘さん達も好きなようでほっとした。
板ハムはイヴァーノの好物である。香辛料が香り高く効いた、四角いハムだ。
貴族向けでちょっと値が張る。
以前、商会で食事をしたときの一切れに、いつもは饒舌な彼が黙り込み、しみじみ味わっていた。
いつか冷蔵庫に常備したいくらいにうまいと言っていたので、冬祭りにはちょうどいいだろう。
ちなみに、ダリヤの家の冷蔵庫にも入れてある。
次にヴォルフと飲むときに出す予定だ。
「あの、メーナのさっきの手帳って、イヴァーノですか?」
「ええ。俺の手帳をかっこいいと言ってくれたことがあったんで、同じ店の茶革の手帳をもたせました。俺とお揃いの色違いというのは残念でしょうけど。メーナには、これから商人として大きく育ってもらうということで」
メーナはかなり期待されているらしい。
考えてみれば、マルチェラはロセッティ商会員ではあるが、その前にスカルファロット家の騎士である。騎士と共に商人にもなれというのは無茶がすぎるだろう。
やはり、メーナに頑張ってもらわなければいけなくなりそうだ。
もちろん、新しい商会員が増やせれば一番なのだが、それもなかなか難しい。
「会長、他の皆には何を贈ったか聞いてもいいです?」
「ええと、マルチェラには、
こういうものは盛り上がった者勝ちである。
前世のクリスマスとお歳暮の気分で選んだ。
マルチェラとイルマは、
なお、メーナは膝掛けはかけてくれたが、クッションは『座らずに抱きしめていきます!』と言っていた。何故だ。
ちなみに、ルチアには友人とのプレゼント交換として、銀の飾りをつけた薄青の小型魔導ランタンを贈った。淡く青い光で、リラックスして休んでもらおうと思ったためだ。
夜の針仕事が進むようになったと礼を言われ、納得した。
ルチアからは、茶革の書類ケースをもらった。
とても艶やかなそれは、王城に持ち込んでもおかしくない美しさだった。
今年の冬祭りは、贈る人が増えてとても楽しい――そんなことを考えていると、イヴァーノがごそごそと鞄をあさりだす。
「ええと、俺からもありまして。商会としては、下から上に渡すものじゃないので、会長じゃなくて、ダリヤさんにですが、どうぞ」
テーブルの上、細長い木箱に入ったそれは、なぜか二つ。
勧められるがままに開けると、小さめの白銀の羽根が一本、その根元には、赤いビーズと青いビーズが飾られ、その先には飾り紐がついていた。
魔力は感じないので、素材ではなさそうだ。
「
今年はあまりにめまぐるしく、胃が痛いことが多かった。
健康を心配されても無理はない。
来年は叙爵もあるが――それが済んだら、今年よりはきっと落ち着いた毎日がおくれるだろう。
「ありがとうございます、イヴァーノ。ヴォルフにも次に会うときに渡しておきますね。来年は、お互いに胃が痛くなくなるといいですね……」
「……ええ、そうですね……」
そうして二人、作業に戻った。
手紙の下書きを終えたイヴァーノは、自分にそれを預け、商会部屋を後にする。
「高かったんだから、ちょっとは効いてくれよ、『二人の縁結び』」
ドアの向こうのつぶやきを、ダリヤが聞くことはなかった。
(子犬については「104.王城向け礼儀作法」とつながっております)
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