今日も冷え込みが厳しい札幌です。
さて、本日は札幌にお住まいの
楢部一視(ならべ・かずし)さんがご来館くださいました!
東京ご出身の楢部さんは学生時代、
あの淀川長治さんが始めた
「映画友の会」の創立メンバーとして参加。
念願叶って松竹に入社し、
10年以上の下積みを経て、プロデューサーに。
ところが、当時はテレビ創成期。
会社の意向でフジテレビの制作部へ出向し…などなど、
起伏に富んだ人生を歩まれ、現在は札幌で
「北海道自分史友の会」や「アトリエ楢部」などを主宰し、
映画研究や講演、若手育成に励んでおられます。
そんな楢部さん。
この日は、函館出身の大女優・
高峰秀子さんの思い出話をひとつ教えてくれました。
その出会いは、
石狩ロケ「喜びも悲しみも幾歳月」(57年、木下惠介監督)。
なんでも当時、制作助手だった楢部さんのミッションは、
(高峰さんに少し似ているという)
有沢正子さんという女優を木下監督に会わせて、
(撮影が始まっているのに未定だった)
高峰さんの娘役としてOKをもらう、というもの。
そのため、東京から有沢さんを連れて
石狩のロケ現場に行った際、高峰さんに会ったのだそうです。
「いきなり木下監督に会ってもうまくいかないだろうから、
高峰さんの〝お墨付き〟をもらおうと思ってね」と楢部さん。
旅館で待ち時間中の高峰さんに会ったところ
「あら本当に私に似てるわね」と何とかOKの返事をもらい、
木下監督にも無事、了解してもらえたとか。
へぇ~そんなウラ話があったんですか!
「15分くらいだったけど、直接話せたのはいい思い出だね」と楢部さん。
興味深いお話がさらに。
初めて石狩で会ったその時、
高峰さんから交通手段を聞かれて「飛行機」と答えたところ、
「ダメね~北海道には汽車で来なきゃ」と言われたとか。
後日、その言葉の真意を尋ねたところ、
汽車と青函連絡船を乗り継いでようやく到着
という感慨を持って北海道に来ないと感動できない、という意味だったそう。
「距離感を感じて北海道の風土を感じなさい、ということだったんだろうね。
高峰さんに北海道の楽しみ方を教わったよ」と振り返っておられました。
このほか、楢部さんは
制作側ならではの映画話をたくさんお持ちの様子。
ぜひまたたっぷり伺って、お伝えしようと思います!
乞うご期待。