2020-11-29

原稿修羅場」をやっている同人オタクが許せない

かなり火力の強いことを言う。

私はコミュニケーションツールとして同人誌を作っているオタクが嫌いだ。正直言って憎い。

オタクとしての歴はそこそこ長いと思うが、私はこれまであまりオフでの交流を行ってこなかった。ぽつぽつと作品投稿して、信頼できる解釈オタクだけをフォローする。

ネット上での交流は当然あるし、仲良くなれば会ったりもするが、同人誌即売会交流の場だと思ったことはなかった。本を出したことがないからだ。

原稿きつすぎる」「原稿やってないけど遊びに来てる死んだ方がいい」「原稿?なにそれ知らないですね……」

こう言って本を出すことに苦慮している様子のオタクツイッターを見ればいくらでもいる。私はそのたびに、悪意からではなく純粋に疑問だった。

小規模ジャンルオンリーならともかく、そんなに時間がないなら原稿が完成してから参加するイベントを選べばいいのでは?

そんなにギリギリ状態で本当に自分の満足のいくものが書けるのか?

自分が本を出すようになって初めて分かった。彼女たちは、同人誌即売会コミュニケーションの場だと考えている。だから「そこに参加するために」本を出さなければならない。

まず初めから動機が違うのだ。私は同人誌とは、「自分の書きたい、書かなければ気が済まないものがあって、どうしてもそれを形にして残したいから」作るものだと思っていた。

私が初めて出した本はカップリングでもなんでもなくてただ自分の思う推しはこれだ、という解釈を煮詰めて小説にしたものだった。原稿が書きあがってからこれをどうしても活字にして残したいと思って、それから読みたいと言ってくれる人がいたので、イベントに参加することにした。

それが正しいと言いたいわけじゃない。ただ周囲を見たらどうやら多くのオタクはそうではないようなのだ


即売会を通してできたフォロワーを見ていて思うのは、彼女たちは作品推しへの愛情よりも、そこを通して発生するコミュニケーションに重きを置いているようであることだ。

「○○さんの小説読みました」「新刊楽しみにしてます」「天才じゃないですか?」「○○さんの書くAB最高です!」「好きです」「マジでよかったです」

そこにおいて発生するのは自己への肯定であることが初めから確約されている。作品を書けば、本を出せばたくさんの人に肯定してもらえる。同人界隈において作品は「交流のためのツール」としての一側面を持つことは確かである

からこれは単純に比重問題だ。初めに原作キャラクターへの熱情があって、そこに交流が付随するのか。初めにコミュニケーション肯定への欲求があって、そのために同人活用しているのか。

本当なら「利用」と呼びたいくらいだ。後者、『コミュニケーション同人』のオタク交流の機会を確保するためにイベントに参加し続けなければならない。

もちろん一般参加という手段もあるが、そこでの奇妙な一体感を味わうためにはサークル参加しかない。

結果、「書きたいものは決まってないけどとりあえず参加する」という事態が発生する。

この話がどうしても書きたくて、作品として出力しなければ気が済まない! という熱意は存在しない。そのためギリギリスケジュールしか書けなくても、本来よりも低くなってしまたかもしれないクオリティに疑問を抱くことはない。

それは同人活動の本当に誠実な在り方なのだろうか? 私は甚だ疑問に思う。

二次創作自分推している作品に対する熱意や解釈をぶつける場じゃないのか。私の小説に送られてきた感想を読んでも分かる。この話に本当に感動したわけじゃなくて、フォロワーから、仲良くしておきたいから「○○さん天才です〜」と言っている人のことは分かる。

コミュニケーション同人をやっているオタクは全員同じだ。作品にも感想にも"味が無い"。

どうしてこうも無味無臭なのか分からないけれど、それは本来第一に優先されるべき場所に「作品への熱情」が乗っていないからなのではないかと思う。

もちろん、それを好きな気持ちが確かにあることは否定しない。だが二次創作を通して交流を求める気持ち比重デカすぎるのだ。

そのキャラクターについての解釈を詰めようという気もない。だから時間の経過とともに原作時間軸の創作が減っていき、パロディや転生ものオメガバースや異常性癖ものといった「オリジナリティ」を演出するための要素に縋るしかなくなる。目新しいものを書くにはそれしか手段がないからだ。

もちろんどんな作品二次創作である以上、原作からは明確に隔絶したただの妄想である。それを充分に自戒とした上でなお、それでも原作に寄り添った解釈二次創作を書くことはできるし、できるだけそう努力すべきだと思う。

だってキャラ崩壊みたいな創作はどのジャンルに行ったって同じことができてしまうからエロ特にそう。


私はどちらかと言うと、キャラクター解釈をきちんと詰めた、原作物語の穴を埋めていくような二次創作が好きだ。解釈に厳しすぎて読めない作品が多くなってしまう厄介オタクである自覚もある。だからこそ、コミュニケーション同人をやっているオタクが許せない。

ネット上で信頼できる解釈の人とだけ繋がって、ひたすら自分の好きなものだけを書いていた時には気付かなかった。無味無臭同人誌は買いたくないけど同じ界隈の人たちと○○さんの同人誌ここがよかったよねという話になることが多いから圧を感じる。

このジャンルを抜けたらもう深い交流を持つのはやめて本当に好きな作品にだけ感想を送って本当に信頼できる作家の本だけを買いたい。


もう本当に、ただの愚痴だけど。そうやってどのジャンルに行っても似たり寄ったりの作品を量産して、同じく似たり寄ったりの感想を送ったり受け取ったりし続けているコミュニケーション同人オタクに思う。

そんなことをしていて虚しくならないのか?

  • 二次創作に限らず、創作で仲良しグループ作ってると、だいたいそうなるイメージがある ギリギリ原稿芸人は、テスト前に「勉強してない」とかいう奴の亜種じゃないかなと思う

  • でもさ…むしろコミュニケーションの場としてコミケとかはできたもんだから そちらの方が正しいような気もする むしろ二次創作物で、コミュニケーションも取らんなら オンだけでや...

  • 同人誌:同人誌(どうじんし)とは、同人(同好の士)が、資金を出し作成する同人雑誌の略語。(ウィキペディアより) 同人雑誌:主義・目的・傾向などを同じくする仲間が集まって...

  • 偉そうに言っても二次じゃねえ… せめて一次なら気持ちはわかるけどさ 人のお話で真剣に 私が考えたお話!というのはそっちがどうなんだ

  • 締め切りがないと描けない(完成させられない)から参加する勢もそこそこいると思う。ていうか1~2年前にそういうツイートバズってなかったっけ。 あと馴れ合いはオフ同人に限らない...

  • 本出したこと無さそう

  • 締め切り切らずに完成するほど創作意欲の落ち着いている方は素敵ですね

  • 仕事でも修羅場があるタイプの職種だけど、 趣味で修羅場ごっこする分には全く問題ないのでは? 趣味だよ 好きにやったらいいやん 他人の趣味に口を出すな そして仕事だったらちゃん...

    • アンソロとか複数人が関係するもので、SNSで遊び呆けて、ギリギリ、やばい!とか言って落としたり締め切りぶっちぎるカスでなければ、好きに言わせておけばいいよね

  • この増田の長文よりはそうやって生み出された同人誌のほうが価値あるんじゃねえかな

  • 締切ギリで仕上げてとりあえず間に合わせで出したような奴の本に500円の価値無いだろ そもバカ正直に極道入稿報告ツイートしてる作家の人間性は疑った方が吉

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