20.修行開始!(前編)
ついに恐れていたことが起きてしまった。……いや、自分で計画したのだが。
レオハルトの思惑にのせられたのが癪な一方で、まがりなりにも友好関係にある隣国だ。内政が荒れそうだと知ったままないがしろにするわけにもいかない。
リーシャ嬢は魔力量が多く、またその質もよく扱いやすいだろうというのはラファエルから聞いていた。
ショックを与えれば魔法の素養が目覚めるかもしれないと考えた。魔法は貴族たちですらおいそれとは手を出せない稀少な資源。使いこなせれば彼女の切り札になる。
と、いうわけで、ラファエルを呼び、レオハルトがテラスから飛び降りて。
いまに至る。
「お初にお目にかかります。マーシャル侯爵が子息、ラファエルと申します。ヴィンセント殿下のお話どおりだ、なんと可憐でたおやかな御令嬢でしょう」
「こちらこそ、お噂はかねがねうかがっておりますわ、ラファエル様。どうぞエリザベスとお呼びください」
歯の浮くような世辞に頬を染めつつエリザベスが応える。
そう、オレが恐れていた事態とは、エリザベスとラファエルの対面である。
冷静に考えればエリザベスとラファエルが出会ったところで何も起きるわけはない。ラファエルはこれでもネコをかぶっているし、エリザベスはオレにぞっこんだし? 照れるな。
しかしそれでも二面性を持つ人間を純粋無垢で天使なエリザベスに近づけるのは嫌なのだ。明確な理由などない。嫌なものは嫌。
やべー性格の男を友人として側近としてともに行動することはできても、恋人に紹介するのは嫌。
「エリザベス様。ヴィンセント殿下より、リーシャ様の魔法講師役を仰せつかりました。今後はお会いすることが増えるかもしれません」
「そうなのですね。ラファエル様に見ていただけるならこれほど心強いことはありません。よろしくお願いいたします」
「お任せください。若輩者ではありますが誠心誠意つとめてまいります」
ぐるぐると考えこんでいるオレの前で、エリザベスとラファエルはお手本のような応酬をくりひろげる。……オレ一人精神年齢が低く見えるからやめてくれ。
一通り挨拶をすませて話を区切ると、ラファエルはレオハルトとリーシャ嬢に向きなおった。
緊張した顔で『気をつけ』の姿勢をとるリーシャ嬢を頭のてっぺんから爪先までじろじろと眺めまわしてから満面の笑みでうなずく。
「これはすごい。回路が通っている。精神集中の修行を何か月もしてようやくコツをつかむものなんだけどね、普通は。何をしたのか、後学のために聞いても?」
「ぼくがテラスから落ちた」
「なるほど、身近な人の危険を見せることでショック状態に追いこみ、強制的に魔法素養を発現させたのですね」
レオハルトの雑な説明にラファエルが神妙な顔でうなずいている。
なんでいまの一言で理解できるんだよ。ツーといえばカーにもほどがあるだろ。本当に似た者同士なんだな……。
「手数をかける」
「いえいえ、ご協力できて恐悦至極に存じますよ」
「あ、あの……私には何がなんだか……」
「リーシャ様はすでに呪文を唱えるだけで魔法が使える段階にきているということですよ」
おずおずと手をあげて申し出るリーシャ嬢にラファエルはにっこりと笑った。
このあたりのことは我が国でもアカデミアに入学するまでは知らない者が多い。一回生で座学、二回生で演習。とはいえ、一年かかってちょっとした魔法が使えるようになる程度だ。変に攻撃魔法なんか教えて怪我をされても困るのでそよ風を吹かせるとか明かりを灯すとかそれだけ。そこで素養の認められた者のみが、三回生で特別授業を受ける。しかしそれはほんの一握り。
もちろんオレは王太子なので素養が足りないようでしたですまされるわけがなく、幼いころから家庭教師をつけて特訓をしたわけだ。
まれに、魔法との相性がよい者がいる。
普通の生徒たちが何か月もかけて習得する『己のうちに魔力をためこむ感覚』を、彼・彼女らは一瞬でつかむ。
それだけでなく、次の段階『自然界からの魔力の収集』もなんなくこなす。
リーシャ嬢はいまその狭間にいるが、おそらく苦労はしないだろう。
「もともと質の高い魔力を人よりも多く持っておられたので、自然と親しくすごされていたのだとお見受けします」
「た、たしかに、子どものころから野山を駆けまわって遊んでいました……」
「健全な魔力は健全な肉体に宿る、と父も言っていました。ボクもよく父に連れられて森で瞑想したものです」
肉体も精神も魔力も健全かは怪しいだろと言いたくなるのをこらえて話を聞いているふうを装う。なんせエリザベスもいるからな。
代わりにつっこんでくれないかとハロルドを見たが首を振られた。いやでもお前も考えたんだな、同じことを。
「私が、魔法を……」
「そうです。このラファエル、責任を持ってリーシャ様を立派な魔女に育ててみせましょう」
「ま、魔女!?」
「おっと申し訳ない。魔法使いです。魔女のほうがボクにとってはロマンが……いえこちらの話です」
こほんと咳ばらいをし、ラファエルはことさら真面目な顔をつくった。
「それでは、リーシャ様」
「は、はい」
「リーシャ様には、半年間で高等魔法を二種類覚えていただきます」
「はい、……えっ!?」
うなずいたリーシャ嬢は目を大きく開いてふたたびラファエルを見た。見事な二度見リアクションだ。
「傷などを癒す回復魔法と、邪を祓う清めの加護です。この二つは大陸で共通の高等魔法ですから、我が国で習得しても問題はありません」
「そうだ。それ以外のものになると色々と手続きが面倒なのでな」
友好関係にある隣国とはいえリーシャ嬢は外国人だ。我が国の《魔法使い》を充てるだけでも特例中の特例。当然、秘術や禁術のたぐいは教えられるわけがない。
リーシャ嬢にもそれはわかったようだ。
「ありがとうございますっ!!」
がばりと頭を下げて礼を言われた。
うん、この態度は好感の持てるものだが、それはそれとして礼儀作法もがんばってもらわねばな。
それと、リーシャ嬢のほかにもう一人、がんばってもらわねばならぬ者がいる。
オレはエリザベスを見た。
エリザベスもオレを見て、にこりと笑う。はぁん、かわいい。
じゃなくて。
「エリザベス様も魔法を習得していただきます」
「わたくしが、ですか? なんの魔法でございましょう?」
「魔法自体はなんでもよいのですが……エリザベス様の魔力が安定すれば、それだけラース君の制御も強まりますので。これだけなついているので暴走などという事態はありませんが、たとえばエリザベス様を賊からお守りするような場合にはエリザベス様の魔力によって強化をほどこすこともできるのです」
「わたくしの魔力で、強化……」
突然話を振られたラースが「きゅおおおぉっ」と鳴いて翼をばたつかせる。君呼びにされたのが悔しかったんだな、たぶん。そのあたりは記憶を失っていてもプライドの高さが残っているらしい。
一方エリザベスは、ラファエルの説明に目を見開いた。アメジストの瞳がキラキラと光る。
「ということは、ヴィンセント殿下をお守りすることもできるのですね!?」
あ、ラースがもんどりうって墜落した。
「わたくし、一生懸命に励みますわ。よろしくお願いいたします、ラファエル様」
「こちらこそ」
エリザベスはスカートをつまんで膝を折る。ラファエルも胸に手を当て、斜めになるまで頭を下げた。
起きあがったラースが二人の背後で目を爛々と光らせているが、いやもうそんなのお前がエリザベスとの契約まで組みこんで邪竜に変化しちゃったからだろ……? 以外に言うことがない。本人もそれはわかっているので肩を震わせたまま黙っている。
憐れなり、ラース……。