17.リーシャ、覚醒。(前編)【エリザベス視点】
こちらへ、と案内した部屋の前で、リーシャ様はぽかんと立ちつくしている。
荷を運ぶ従者や侍女にまで恐縮しきっていた彼女だ。そうではないかと思ったのだけれど、でもこれ以外の部屋をご用意するわけにはいかなかった。
恐怖に染まった顔でこちらを見るリーシャ様に、ほほえみつつ、しかし毅然とした態度で部屋を示す。
「リーシャ様、その……難しいかもしれませんが、おくつろぎください」
「エッ、エ、エリ、エリザベス様、わ、私、こんな部屋……」
「我が家の迎賓室です。男爵令嬢としてではなく、次期王太子妃としてのお部屋ですの」
「お、王太子妃……!!!」
一瞬、青白かった頬が赤く染まった。意中の相手を思い出すだけでその方とすごした記憶が脳裏へよみがえり、好きだという気持ちがわきあがるのだ。それはわたくしがヴィンセント殿下を想うときと同じ。
だから協力したいと思った。
もちろん、我が国に留学経験のあるリーシャ様が王太子妃になられれば国交もますます友好的なものになるでしょうと思ったりはしているけれども。でもそれよりも、やっぱり未来の恋人たちを応援したい気持ちが強い。
「さようです。王宮では男爵令嬢というお立場に応じた部屋だったと思いますが――この屋敷では、王太子妃として、わたくしと同じ立場の方として皆が接します」
「そんな……畏れ多くて、とても耐えられません……」
崩れ落ちそうになるリーシャ様。その腕をとって支えると、そっと背を撫でた。わたくしだって幼いころにヴィンセント殿下との婚約を聞かされたときは身震いがした。公爵夫人としてのふるまいは母を見て知っている。けれど王太子妃としてのふるまいなど自信がなかった。
わたくしでそうなのだから、リーシャ様ならばなおさら。
でも、だから。だからこそ。
ご自身にかかる重責を、理解していただくために。そしてそれに慣れ、本来の彼女らしさを失わないために。
ヴィンセント殿下やレオハルト様、お父様とお母様にご許可をいただいて、わたくしはリーシャ様を屋敷へお連れした。そしてもっとも身分の高い方のための部屋へ、リーシャ様をお通ししたのだ。
必死になってついてゆけばよい学業のほうが、きっとリーシャ様には心やすらかだ。けれどそれだけでは王太子妃にはなれない。
「耐えてください。これはマリウス殿下のためです。オリオン国の王宮でマリウス殿下にお会いするとき、そうやって震えてはいられないでしょう」
「マリウス様のため……」
「そうです。そしてリーシャ様、あなたは新しい礼儀を身につけねばなりません。挨拶の言葉も礼の仕方も、席の順序もすべてが変わります。それが王太子妃というものです」
不安げにさまよった視線がわたくしへすがるように向けられる。深い漆黒に輝く瞳を見据え、励ますための笑みをつくった。
聞けば、リーシャ様の双肩にはマリウス殿下のご進退もかかっていらっしゃるとか。レオハルト様にひっぱられてきたこれまでですらひどいプレッシャーだったろう。
そしてこの状況は、これまで以上にリーシャ様に問いかける。
本当に王妃になる覚悟がおありかと。
「大丈夫、我がラ・モンリーヴル公爵家には、わたくしを育てた教師たちがまだ残っておりますわ。それにおいしいお菓子をつくるパティシエも」
「お菓子……」
「えぇ。疲れたときは甘いものが一番。わたくしもそれを楽しみにレッスンに励んでおりました」
「マリウス様……お菓子……マリウス様……。……エリザベス様」
リーシャ様は顔をあげ、立ちあがった。何かを思い起こすようにさまよう視線にどきりとしたものの、瞳は物思いにけぶっている。
あぶないわ……実は柱の影にはラース様が隠れていらっしゃるのよね。
リーシャ様を怖がらせてしまうのであまり姿を見せないようにお願いしているのだ。「きゅうん……」と寂しげな声をあげるラース様に胸が締めつけられたけれども、心を鬼にして首を振った。でもたまに視線を感じるので、チラ見られているんじゃないかと思うの。
ハラハラとしながら見守っていると、リーシャ様は「よしっ」と自分に気合を入れてうなずかれた。
ふたたびわたくしを見たとき、その瞳に迷いはなかった。すがすがしい表情でにこりと笑う。
「ありがとうございます。私はもともと男爵家の三女の生まれで。礼儀作法にもうとく、自分に自信がありませんでした。マリウス様はそのままの私でいいと言ってくださいましたが……私は少しでもマリウス様のお役に立ちたいのです。それに、ご自慢のお菓子も食べてみたいです」
「その意気ですわ、リーシャ様」
わたくしも嬉しくなってリーシャ様の手をぎゅっと握った。
何度か勉強会をご一緒しただけだけれども、この方の一生懸命な気持ちや真心は皆が知っている。マリウス殿下が御心を奪われるのもわかるというものだし、もし自分のライバルだったらと考えると……。
「さ、では――」
思い浮かんだお顔をふりはらいながら、リーシャ様を見る。
「部屋に入りましょう」
「あっ、す、すみませえええん!!!」
言えば、侍従たちを待たせたまま迎賓室の前で語りあっていたことに気づいたリーシャ様は、悲鳴をあげた。
ぱたぱたと駆けこむ後ろ姿に「淑女は走ってはなりませんわ」と声をかけながら、わたくしは心の中で一人うなずいた。
メリーフィールド家からは絶縁され、ラファエル様のご慈悲でマーシャル侯爵家に行儀見習いとして引き取られたと聞いた。
罪を償い、健やかな人生がとり戻せるといいのだけれど――。
***
――そのころ、マーシャル侯爵家の一室では。
「ふ……ええええぇぇぇっくしょん!!!」
「おや、ユリシーちゃん、風邪かい?」
盛大なくしゃみをしたユリシーは、前にかたむいた身体を今度は後ろへのけ反らせて目を見開いた。
「ラファエル様ッ!! こっ、ここ、使用人部屋っ!!」
「うん、だから主人のボクが入ることに何の問題もないわけ」
いつの間にか背後をとっていたラファエルがのほほんと答えるがそんなわけはない。問題はありまくりだ。
使用人の部屋は狭くて調度も少なく、おもてなしなどできない。よって次期侯爵を約束されている子息が入るような場所ではない。そしてそれを主人側の厚意で無視したとしても、女性の部屋に男性が入るべきではないというごく普通の倫理観が――。
「以前だってボクのことを部屋に呼んでくれたろ?」
ヒィッとユリシーは悲鳴をあげた。たまに心を読まれているのではないかと思って怖くなる。魔法か。魔法はそんなことまで可能にするのか。
ラファエルを部屋に呼んだのはそういう指示だったからだ。シナリオどおりに行動しただけ。
それだってわかっているだろうに。
「……?」
何をされるのかとビクビクしていたが、ラファエルは何もしなかった。
いやよくよく思い返してみるとラファエルから何かされたことはない。たらしっぽい雰囲気と言葉責めだけでユリシーを恐怖のどん底に叩き込む、それはそれでどうなのと思うドSである。
やはり何かあるんだろうと身をちぢこめて待っていると、ラファエルは切れ長の目を細めて笑った。
「ふふ、やっぱりうちのユリシーちゃんが一番かわいい」
「えぇ……?」
「急に悪かったね。おやすみ。しばらく休日は屋敷にいないから、ゆっくりするといい」
一人で勝手に納得がいったというような顔つきをしてラファエルは部屋を出ていった。礼をすることもなくその後ろ姿をぽかんと眺めて見送り、ユリシーは眉を寄せる。
自分は公爵令嬢様を罠にかけようとした罪人だ。そんな女を、ラファエルは妻に迎えようとする。
本気なのだろうか。
それともこの誘いすら、期待させて落胆させる罰なのでは――?
苛めすぎたせいで信頼度がゼロになっているとは知らぬラファエルであった。
12月10日に第一部の書籍発売予定です。よろしくお願いします!
近いうちに活動報告も書きます〜。
また感想の返信ができなくなってしまいそうです、申し訳ありません…!!