16.狙われた王子(後編)
王都郊外の田園地帯。ところどころの防風林のほかには遮るもののない景色の中に、石造りの塀を持つ屋敷が見える。
ノーデン伯爵邸だ。
王家の紋章を戴いた馬車はしずしずと舗装された道を進んだ。オレたちの乗る馬車の後ろにもう一台。そちらの窓にはカーテンが引かれ、中が覗けないようになっている。
乗っているのはハロルドと、縛られた侍従たちとメイドが一人。謀叛人らである。
速度を落とした馬車はひらかれた門にすべりこんだ。すぐに出迎えの者たちが現れオレやレオハルトを案内する一方で、背後の馬車からは縛られたままの者たちが運ばれていく。
この数日ハロルドに管理を一任していたせいかすっかり大人しくなった彼らは、ドナドナされていく牛のようであった。
大の大人を単なる荷物のようにかつぎあげる使用人たちに、レオハルトが感嘆の声を漏らした。
彼らが鍛え抜かれた精鋭であることを見抜いたらしい。
「ほう、これはこれは」
レオハルトの称賛にも使用人たちは眉一つ動かさず、ただ礼を返すのみだ。振り落とされるのではと青ざめる裏切者をこともなげにかつぎなおして出ていく。
ノーデン伯爵家は代々の騎士団長を務める家柄だ。家風は質実にして剛健、忠を以て徳となす。まー早い話が貴族にはめずらしいバリバリ体育会系の直情一家であって、その気質は使用人たちにも受け継がれている。
微妙な立場の裏切者たちを放りこむのにこれほど適した場所はない。
家令に案内されて客間へ入ると、そこにはすでに侍従たちが座らされていた。床に。
「ようこそお越しくださいました。オリオン王国第二王子レオハルト様、ヴィンセント王太子殿下。ノーデン家当主ザッカリーと申します」
ザッカリー殿がオレたちそれぞれにきっちりとした敬礼を向けてくる。その後ろにはウォルターが控えている。やる気満々の布陣だ。
「こちらこそ、お手数をおかけいたします」
レオハルトは愛想のよい笑顔を浮かべて応えた。
オレはうなずくと、縛られた侍従たちにも伝わるように大きな声で述べた。
「すでに手紙でお知らせしたが、しばらくのあいだこの者たちの監督をお願いしたい。
「はい、もちろんですとも」
どんな罰を受けるのかと戦々恐々としていた侍従たちの顔つきがほんの少し、希望を含んだものになる。
レオハルトの命を狙ったとはいえ、本人は無傷だ。彼らにはまだ使い道があるだろうというのがレオハルトの意見で、それにはオレも賛成だった。国に送還したとしても当事者が我が国にいる以上面倒な手間がかかる。
彼らにはアクトー侯爵ほどの使命感はない。身柄が助かるならそのほうが互いに得だろう。
ザッカリー殿はウォルターに戒めを解くように命じた。一人一人にやさしい声をかけながらウォルターが縄をほどいていく。
「大変な思いをされましたね。王家への忠誠を誓うがゆえの過ち、謀られたと知ったときはつらかったでしょう」
自由になった手足を確かめながら、侍従たちの頬に血の気が戻ってくる。
許された、または立場上この国では自分たちへの処罰ができないのだと考えているらしい。まぁそれはそうなのだが。それだけで百パーセント許されると思ったら大間違いだぞ。
期待を隠せなくなった侍従たちを眺めまわし、ウォルターは聖職者のごとき清廉さをたたえて微笑みかけた。
「その悲しみ、葛藤、真実を知った際の驚愕、安堵、悔恨……僭越ながら私が耳を傾けます」
「私もだ。そして上に立つ者の想いも知っていただきたい」
「忠臣とはどうあるべきかについて、ともに考えましょう。納得のいくまで」
ザッカリー殿とウォルターの周囲に形容しがたいオーラが見えるような気がするが……侍従たちは気づいていない。
「あの者は、以前に主人を救わんがために罠に嵌まり、主人を裏切ることになってしまった。それを心底から悔いているのだ」
「あぁ、なるほど」
ほかの者には聞こえぬようにレオハルトに囁く。
ザッカリー殿のためを思い魔石を盗んだウォルターは、咎めを受けなかった。むしろザッカリー殿はふがいない主人であったと自らを罰するようオレに願った。
そういう関係なのだ、ノーデン家の主従というのは。
正直ウォルターが我々の『建前』をどれだけ理解し、どれだけ斟酌しているかは不明なのだが。
たった一つわかっているのは、
「
感心した声でレオハルトが言う。
「本当にまったく、計画を聞いたときは胸が張り裂けそうで……」
「しかしこれも国のためと……」
「はい、過ちを犯さずにすんだこと、心より感謝しております」
侍従どもがぺらぺらと心にもない相槌を打ちだすのに、ウォルターは逐一うなずき、共感し、慰めた。ザッカリー殿もやさしげな表情を浮かべてかたわらに立っている。
「そうだな」
心にもなくとも、何度も口に出しつづければ脳には刷りこまれていくものだ。ましてや周囲は妥協を許さぬ熱血集団。
「では、用件のみですが、お任せしました」
「いいえ、殿下自らお越しいただき恐縮でございました」
部屋を退出する際、ふりかえれば、裏切者たちはこちらを見もせずに切々とウォルターに己の不遇を訴えていた。
この媚びにあふれた視線が次に会うときは一点の曇りなき輝きに満ちているのだろうなぁ。
なんとなく諸行無常を感じながら、オレたちはノーデン家をあとにした。
***
「――で、君の作戦はなんなんだい?」
帰りの馬車内。膝を組んだレオハルトが笑みを浮かべながら尋ねる。
オレがこうして率先して動いているのだから協力はとりつけられると見抜いたのだ。相かわらず人にものを頼む態度ではないが……こちらも跳ねつけられん。
「お前の計画よりもよっぽど荒療治だが、効果は高い」
「ほう?」
マリウス殿を真の王にしたい場合、レオハルトがなすべきことは多い。
一つめは、アクトーを失脚させること。自分の命を張ってまで相手を挑発し、決定的な証拠をつかんだ。
二つめは、男爵令嬢であるリーシャ嬢を周囲に認めさせること。
三つめは、マリウス殿のひっこみ思案をなおすこと。
当然ながら、難しいのは後者二つだ。
「お前の目的は――エリザベスか、それに近い容姿の者を妃候補として国へ連れ帰り、『乙星』の再現をさせることだな?」
弟の妃に苛められるリーシャ嬢。きっと彼女は王宮内の同情を買えるだろう。本当に『星の乙女』が抜けて出てきたかのような性格のよさなのだ。
それをマリウス殿が断罪すれば、マリウス殿を不安視しレオハルトを持ちあげていた連中もあきらめざるをえない。
ていうかレオハルト、「我が国ですごしたほうがエリザベス様が幸福になれると考えている」とか言ってたよな。完全に生贄にするつもりじゃねーか。もう本当に怖い。
「そうだ。エリザベス様だって協力してくださるだろう? 兄上様が堂々とふるまってくださればそれでいいのだ。リーシャが追いつめられればさすがの兄上様も見て見ぬふりはできまい」
「エリザベスに嫌がらせができるわけがないだろう。天使だぞ」
「ぼくがかわりにやる」
「もう本当に怖いわお前」
はいアウト。このサイコパスにエリザベスを差しだせるわけがない。
「しかしえらいな。君は最初からぼくの計画がわかっているみたいだった。短期間でよくそこまで推測したものだ」
「まぁな……」
すでに『乙星』の実現を企んだ人間がいたなんて言えない。
言葉を濁したオレは咳ばらいをした。
とにかく、エリザベスをレオハルトの脚本で踊らせるわけにはいかん。というかたぶん無理だ。エリザベスはこちらがキュン死するかと思うほど壊滅的に演技が下手なのだから。
マリウス殿やオリオン王国の人々にインパクトを与える役は、エリザベス以外の者に委ねる。
それがオレの計画だった。
「奥の手を使う」
苦渋の決断だ。
面白そうに瞳を輝かせるレオハルトの対面で、オレの脳裏には紫の長髪をなびかせる男がよぎっていった。