13.レオハルトの本性(後編)
「……ぶら、こん?」
エリザベスがきょとんと首をかしげる。
わかりやすく単刀直入に言ったというのに、純粋すぎるエリザベスには伝わらなかっ……あ、そうか。
「ブラザー・コンプレックスの略だ」
「まぁ……コンプレックスとは、心的要素の複合体のことを指しますわね。特定の人や物への強い執着として現れることが多いと聞きます。ということは、レオハルト様は御兄様に……?」
伝わった。
砕けた俗語は知らないが、正式名称なら知識として理解できるのがエリザベスの花嫁修業のたまものである。
「失敬な、誰がブラコンか。兄上様の完璧なお姿、立ちふるまいを前にすれば心奪われるのは誰しも当然のことだ。ぼくは人間として当然の反応をしているまでだ」
「こういうことだ」
レオハルトを指し示す。エリザベスはいまいちぴんとこないようで、ふたたび首をかしげた。
「そのお気持ちはとてもよくわかりますわ。わたくしがヴィンセント殿下を思い浮かべるときと同じです」
「ぐぎゃっ」
「わたくしもヴィンセント殿下・コンプレックスということでしょうか」
そんなに重大なものだとは……と不安げに眉をひそめるエリザベスに、ラースが悲鳴をあげてひっくり返った。床にのびて腹を出している。いやオレもまさかこんなところで撃たれるとは思わなかった。しっかりしろラース。
胸に手をあてて鼓動を静めようとするも無駄だった。
それならオレはエリザベス・コンプレックス、略してエリコンか? とかいう疑問が沸騰した脳内を駆け抜けていく。
「その……ぼくたちは婚約者だからおかしくはないと思うんだ。けれど彼らは兄弟だから」
「でももしヴィンセント殿下がわたくしのご兄弟であらせられたとしても、敬愛の念は変わりませんわ」
「エリザベス様はすばらしい論理的思考能力をお持ちです。やはり我が国へお越しいただき兄に面会を――」
「待てっ! そこで好感度をあげるんじゃない!」
レオハルトの目がキラキラと輝いた。「この人なら兄上様のよさを語りあうことができそう」という期待に満ちあふれて。
常識で考えろ、エリザベスがほかの男を褒めるための旅など許せるわけがなかろう。
「この話は終わりだ。何度も言うがエリザベスはぼくの婚約者だ。話を元に戻すぞ」
「ぼくがブラコンだとか言いだしたのはヴィンセント、君だけど」
「お前の企みは知らんが、オリオン王国の情勢については詳しく調べさせてもらった」
唇を尖らせるレオハルトをサクッと無視してハロルドを見ると、有能な乳兄弟はうなずいた。
サロンのあの日から、情報はさらに詳細になっている。
「オリオン王国についてのお話を少し。現在の王太子は第一王子マリウス殿下……ですが、国民の支持はレオハルト様に向いており、このため家臣たちのあいだでも意見が分かれています。マリウス殿下にはアクトー侯爵を始めとする歴史の古い貴族たちが、レオハルト様には新興の若い貴族たちがついたようです」
なるほどな、弟の下剋上とともに貴族の勢力図も描きかえる気でいるのか。
レオハルトは何も言わずにハロルドの話を聞いている。その目に色はなく、表情もなかった。
「そのマリウス殿下はオリオン国のアカデミアを卒業されたのち人前に出ておられず、容体を危ぶむ声もあります」
「まぁ……」
エリザベスが心配そうな声をあげる――が、この話にはまだ続きがある。
「それ以前には、マリウス殿下は冷酷で不愛想だという噂もございました。推察するに、その噂のどちらも正しいとは言い難い」
「へぇ……短期間でそこまで調べるとは、さすが王家の右腕と名高いアバカロフ家」
「お褒めにあずかり光栄です」
賛辞を口にするレオハルトに向かって礼をすると、口をつぐむハロルド。マリウス殿の真相はつかんではいるが、一応レオハルトをはばかっているのだ。
アバカロフ家が我が国の諜報を担うとはいえ、実の弟の口から語られるならそのほうがいい。
レオハルトはにやりと唇をつりあげた。例の微笑だった。
……もしかしてこの笑顔、マリウス殿のことを思い出したときに発生するのだろうか。学園で見たアレもそうか。
「兄上様が人目を避ける理由、それはとても単純だ。聡明で理知的で慎みぶかい兄上様は、謙虚でもあらせられる。……早い話が、人前に出るのが恥ずかしいのだ」
ハロルドが胸に手をあてて頭をたれた。アバカロフ家が仕入れてきた情報と同じだった。
派閥争いなんてものが起きるにはそれ相当の理由がある。大きな欠点がないのに兄を引きずり下ろすことなどできない。
レオハルトについた勢力は、マリウス殿のその性格が王にはふさわしくないと判断したのだろう。……自分たちが推すレオハルトが超絶ブラコンだとは知らずに。
「冷酷だの冷血だの言う輩は物事の本質が見抜けぬ阿呆よ。兄上様はひっこみ思案なのだ。それでたまに塩対応に当たった者が騒ぐだけのこと」
まぁ、
「そういう奴らはぼくが裏で手をまわして制裁を加えている」
おい、冷酷とか冷血とか言われる原因それじゃねーか?
大きなため息をついたがレオハルトは何も感じていない。認知のゆがみを諭すことは無理だなと考えてとっとと話を進める。
「とうに成人した第一王子であるにも関わらず人前に出ぬマリウス殿と、成人をひかえた第二王子……おまけにおそらくアカデミアでの成績はマリウス殿より優秀で、外見だけは完璧の君か」
「あぁ。しかし人の上に立つ者に大切なのはやさしさだ。いくら見目がよく、頭がよく、とりつくろった上辺がよかろうと、内面の輝きには勝てぬ。そうだろう?」
オレがそれにコメントできないのをわかっていて振るんじゃない。
エリザベスは隣でじっと考えこんでいる。
能力か、性根か。正直難しい問題だ。「そうです」と即答されなくてよかった。エリザベスに内面の美しさ第一を宣言されたらオレの繊細なガラスのハートが砕け散ってしまう。
「ぼくとしては悩むところなんだ。ぼくが国王となり兄上様のお姿を俗物の目から隠すべきかもしれん。しかし……ぼくは兄上様が絢爛たる王冠をかむり、
「完全にそれが理由じゃねーか」
頬に手を添えて悩ましげなため息をつくレオハルトに思わずつっこんでしまってから口を閉じる。いかん。
エリザベスを見れば鉄壁の笑顔、ハロルドをふりむけば氷の無表情だった。うん、二人とも引いてるな。特にエリザベスは耐性がないからきついだろう。聞こえてなかったようだから結果オーライ。ラースはドラゴンなので表情はよくわからないが目が青くなっている。
とっとと話を進めよう。
「で、マリウス殿と君のどちらを次期国王とするかの派閥争いが表面化するのを避けるため、我が国のアカデミアへ留学を希望したわけだな。王位継承権を奪う気も、マリウス殿と同じ土俵で成績を比較される気もないと示すために」
「そうだ。父上と母上に無理を言ってな」
「ま、そこまではわかる。ではもう一つ尋ねよう。……リーシャ嬢はどういった人物だ?」
それもなんとなく推測はついているのだが。
「わかっているだろう、彼女は嘘のつけない性格だからな」
レオハルトも言った。
「兄上様の想い人だ」