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腐ったミカン騒動に加茂監督更迭。
W杯初出場をめぐる日本代表事件簿。

posted2020/04/28 07:00

 
腐ったミカン騒動に加茂監督更迭。W杯初出場をめぐる日本代表事件簿。<Number Web> photograph by Kyodo News

日本代表監督をめぐって大きな議論を巻き起こした長沼健会長(当時、右)と加茂周監督。カザフスタン戦後に衝撃の更迭劇が起きた。

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川端康生

川端康生Yasuo Kawabata

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『Sports Graphic Number』は創刊1000号を迎えました。それを記念してNumberWebでも執筆ライター陣に「私にとっての1番」を挙げてもらう企画を掲載しています! 今回は長年日本サッカーを取材している川端康生氏の、1998年フランスW杯初出場をめぐる“事件簿”について。

 いま振り返っても、刺激的な時代だったと思う。

「ドーハの悲劇」から「ジョホールバルの歓喜」まで――1000号を迎えたNumber本誌にちなんで言えば、中山から中山まで(どちらの号の表紙も中山雅史!)――の4年間である。

 ロスタイムの失点で初めてのワールドカップ出場を逃した悲劇から、延長Vゴールでようやく手にした歓喜まで、という「始まり」と「結末」だけでも十分ドラマチック。

 しかし、その間にも“事件”は次々と起きた。

ファルカンがわずか9試合で解任。

 悲劇の直後、ファルカンがやってきた。ジーコらとともに「黄金のカルテット」を形成したスーパースターが日本代表監督に就いたのである。悲劇の反省を生かしてこのとき設定された「世界の修羅場をくぐった監督」という条件での人選だった。

 もう驚きの連続だった。合宿でカズがCKの練習をしていたとき、「俺にやらせてみろ」とファルカンが蹴ると、全然違うのである。当然だが、別格にうまかった。選手も報道陣も感心しながらその軌道を見つめた。

 選手選考も奇想天外だった。メンバー発表の会見で「これ、誰?」。記者たちが顔を見合わせたのは僕の知る限りあのときだけ。それほど奇想天外な人選だったのである。

 だから(というのもナンだが)あっという間にいなくなった。指揮を執ったのは約半年、わずか9試合で解任されてしまったのだ。

 そして「世界の修羅場……」だったはずの監督条件は「外国人ではコミュニケーションがとれない」という理由で反故にされ、横浜フリューゲルスで指揮を執っていた加茂周が後任に選ばれ、当初は順調にチーム作りを進めていたものの、徐々に雲行きが怪しくなり……というあたりから日本サッカー界の温度が上がり始める。

 サポーターが<解任要求>の横断幕を手に、スタジアムだけでなくサッカー協会まで押しかけた。強化委員会も「加茂ではNG」と判断を下し、ヴェルディ川崎監督だったネルシーニョと交渉を始めた。そしてセッティングされた記者会見。新監督の発表だと誰もが思っていた。ところが……。

【次ページ】 ネルシーニョの腐ったミカン発言。

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