プロローグ
活動報告にも書きましたが、11月下旬頃に削除する予定です。
詳しいことは今後活動報告の方でお知らせします。
ふと顔を上げると、病室の窓に雨粒が張り付いているのが見えた。静かな病室で絵を描いていただけなのに、まるで雨の音に気付かなかった。せめて退院の日くらいは、清々しい青空であってほしかったな、と軽くため息をついて、再び視線を落とした。
右手に持った鉛筆を握り直し、ベッドテーブルに広げたスケッチブックに、軽快なタッチで細い線を引いていく。
大空を飛び回る、鳥の絵を描いていた。
大きな羽をバサッと広げ、自由に颯爽と飛び回る鳥の絵を、僕はこの小さな病室で一人寂しく描いていた。
一週間の検査入院も、ようやく今日で終わりだ。同時に春休みも、今日で終わる。
明日から僕は、高校二年生になる。二年生になる、と言うよりも、とりあえずなれた、と言うべきかもしれない。三年生になれる保証は、僕にはない。
もう一度ため息をついて、サイドテーブルの上にある置き時計に目を向ける。母さんと妹が迎えに来ると言っていた時間まで、あと十分しかない。僕は急いで鉛筆を走らせた。
そして十分後、ようやく絵が完成した。
書き終えたばかりの絵を眺めて、うんうんと頷く。
描いた絵を満足げに眺めていると、扉がノックされた。僕が応答する前に、扉が勢いよく開いた。
「お兄ちゃん、迎えに来たよ」妹のナツミだ。
「アキト、体調はどう? 荷物、ちゃんとまとめたかい?」母さんが心配そうに言った。
「体調は良いよ。荷物はもうまとめてるから、いつでも出れるよ」
着替えが入った紙袋と、スケッチブックと漫画本がぎっしり詰まった紙袋を両手に持って、病室を出る。右手に持った紙袋が、ずっしりと重い。持つところが千切れてしまわないか不安だった。
「今日はお寿司食べに行こう。アキト、好きだもんね、お寿司」
「別に、なんでもいいよ」僕はむすっと答えた。
「おっすし! おっすし!」
ナツミが嬉しそうに連呼する。全く恥ずかしい妹だな、と苦笑した。
僕が苦笑した、その時だった。エレベーターに向かう途中の通路で、一人の少女が前方から現れた。
パジャマを着ているので、おそらく入院患者なのだろう。
すれ違う瞬間、彼女と目が合った。一瞬の出来事だったのだが、ゆっくりと時間が進んでいるような感覚に陥った。目が合ったのはほんの一瞬だった。それなのに何秒も、何分間も見つめ合っているような、経験したことのない不思議な感覚があった。瞬きをすると、再び時が動き出したかのように彼女は歩き去っていった。なんとも言えない、奇妙な出来事だった。
彼女はスケッチブックを小脇に抱え、俯いて歩いていた。僕は振り返り、彼女を目で追う。
談話室の窓際の席に、彼女は腰を下ろした。そしてスケッチブックを広げ、絵を描き始めた。
「お兄ちゃん? エレベーター来るよ!」通路の先で、ナツミが手招きをする。
「ああ、今行くよ」そう言って僕は、ナツミの元へ向かう。
曲がり角で、もう一度振り返った。
彼女は、眠たそうに小さく欠伸をしていた。
入院患者は年配の人たちばかりで、僕と同じくらいの歳の子が入院しているなんて知らなかった。だから、気になって目で追っていたのかもしれない。
彼女は、どうして入院しているのだろう。
なんの絵を、描いているのだろう。
帰りの車の中で、僕はそんなことを考えていた。
どうしてかは自分でもわからない。衝撃的な出会いだったわけでもない。その日から僕は、絵を描くたびに、彼女のことを思い出すようになった。