[4a-5] 社畜の数だけ明かりは増える
『超難関試験を満点突破! 天才少女の横顔に迫る』『悲劇の伯爵令嬢、第二の人生は』『鮮烈なる受付嬢デビュー!』『学者顔負け!? 天才受付嬢キャサリン・アークライトの仕事ぶりに密着!』……
壁の隙間から顔を覗かせる巨大歯車がウィルフレッドを見下ろしていた。
大きな机の上に広げられたるは、新聞や雑誌のバックナンバー。
見出しを見ているだけでウィルフレッドは若干うんざりした気分になってくる。
しかし、ウィルフレッドとて半ば興味からこれらの記事を漁りに来たのだから悪し様にも言えない。
ウィルフレッドはルドルフ記念図書館を訪れていた。
ここには本だけでなく、連邦内で発行されている新聞や雑誌のバックナンバーも収蔵されている。それを見に来たのだ。
約二年前、このサクタムブルクがキャサリンに夢中になっていた時期の記事を探しに。
少しでも、ほんの少しでも、彼女の実態に迫ることはできないだろうかと。
ウィルフレッドが話を聞いて回った限り、キャサリンの評判は、冒険者たちの間でも対照的だ。
彼女の担当する冒険者たちや仕事上で関わった者は、神懸かり的な優秀さと細やかな気配りに痺れてしまい、畏敬の念すら抱いている。ウィルフレッドもそうだ。
だがそれ以外の冒険者からは、ぼんやりと悪印象を持たれているという調子だった。
『優秀だっつーけどなあ。自分の頭が良いのを鼻に掛けてんじゃないのか』
『確かシエル=テイラのお貴族様なんだよな。いかにも傲慢そうで』
『性格悪いって話は聞くぜ。こないだだってな……』
『着任早々、自分と揉めた受付嬢を政治力で
嫌う理由は、誰から聞いたかも覚えていない噂話だったり、どこかで読んだ三文記事だったり。
もしくは単に華々しい看板を背負ってやってきた彼女への嫉妬や偏見か。アウトローの冒険者らしく、元貴族である彼女に反感を抱いているのか……
だがウィルフレッドは、そんな漠然とした悪印象にどう言い返せばいいのか分からなかった。
実際キャサリンはとても優秀だ。だが、それ以上、多くのことをウィルフレッドも知らない。知らないものを弁護するのは難しい。
そんなわけでウィルフレッドは目の痛くなるような文字の行列とにらめっこしているのだが、戦果らしい戦果は得られなかった。
――確かに、これらの記事はキャサリンを持ち上げてるけど……みんな勝手に色々想像して褒めてるだけだ。キャサリンはどういう人なのか。それを本当の意味で見ちゃいない……
出来の悪い物語のようだとウィルフレッドは思った。
上っ面の経歴を舐めて、彼女の心の中を勝手に想像し、好き勝手な味付けをして騒いでいるだけ。
もっとも、そうなったのはキャサリンがこの事で表舞台に立とうとせずひたすらに口を噤んできたためでもある様子だが。
先日、この図書館でキャサリンに会った時、彼女は"怨獄の薔薇姫"について鬼気迫る様子で語った。
恐ろしいとさえ思えるほどの、あの姿をどう表現すればいいのか。彼女の心の中には何があるのか。
積まれた紙の山からは、それを掴むための一欠片の手掛かりさえ得られていない。
夢中で文字の樹海へ分け入り続け、ふと疲れて集中が途切れた時。
既に船窓めいた小さな窓の外は暗く、目眩のような空腹感に見舞われ、ウィルフレッドは冷静になる。
こんな事をしてもキャサリンにとって何の意味があるのかと。
「クソ……何やってんだよ、俺は……」
溜息をついて首を鳴らし、ウィルフレッドは広げた資料をまとめ始める。
キャサリンは酷い誤解と悪意の中に居るように思えた。それが不憫で我慢ならない。
だからウィルフレッドは、他者が客観的に見ても分かるような確証が欲しかったのだ。
キャサリンが尊敬に足る人物であるということの。
しかし紙束をいくら積み重ねたところで、まるで幾重にも鍵を掛けられた宝箱のように、彼女の本心は見通せない。
それがウィルフレッドには酷くもどかしかった。
「……うぇっ!?」
資料の束を抱えてつかつかと歩いていたウィルフレッドは、今まさに自分が思い浮かべていた相手が通路脇の閲覧スペースに居たもので素っ頓狂な声を上げてしまった。
ギルド職員のブレザー制服を着たキャサリンが、先日のようにファイルと本を机に積み上げていたのだ。
「あら、ウィルフレッドさん。どうかしましたか?」
キャサリンはすぐウィルフレッドに気が付いて、絵画のように完璧な微笑みで会釈をした。
「いや、その……びっくりして。今日も非番でしたっけ?」
「非番ではありませんが、気になったことがあって帰り道にちょっと寄ったんです」
ウィルフレッドは手にしていた資料を見られないよう背後に回し、ちょうど通りかかったメイド型司書ゴーレムに押しつけてチップを渡した。読んだ本の片付けは基本的に自分でやるものだが、司書ゴーレムに頼むこともできるのだ(暗黙のルールとしてチップを必要とする)。
ゴーレムは無表情に頷き、資料を持ち去っていく。
幸いキャサリンはウィルフレッドが何をしていたのか詮索する気は無い様子だった。
視線はウィルフレッドの方を見ながらも、その手は何かのメモを書き留めている。考えた事は忘れる前にメモにしてしまいたいようだ。
積まれた本は魔物の生態に関する学術書。そして彼女が開いているのは最新の論文が掲載されている科学誌だった。
「ずっと、こんな生活をしてるんですか」
「こんなとは?」
「仕事以外の時間ずっと、身を削るように勉強して」
「身を削るようだなんて、そんな。私だって……」
言葉を探すような間があって、キャサリンの手が止まる。
「……正直に申しますと、自宅と職場と図書館と商店街と病院以外にはほぼ行っておりませんね」
「やっぱり」
苦笑めいた表情をキャサリンは浮かべる。
だけど、それは軽い。
彼女は今の人生を……身を削るような日々を当然のものと思っているのだ。あるいは修行僧が崇高な信念の元に苦行を積むように、己の行いを只々為すべきものと考えているから苦であるとも思っていないのか。
異質。
常人には持ち得ない炎が彼女を突き動かしている。
あの、国が壊れた動乱の中でキャサリンは二度も大きな戦いに巻き込まれ、その度生還しているという(その程度は新聞も掴んでいた)。
そこで何があったのかキャサリンは多くを語らないが、彼女を変えた何かが起きたのだろう。
ウィルフレッドが『名も無きサムライ』に救われた、あのウェサラの戦いのように。
だが、そのためにここまで突き詰める必要があるのだろうか。
まるで彼女は目的のためだけに動き続けるゴーレムだ。人を辞めようとしているかのようにも映る。
サムライの誇りは人の道にある……ウィルフレッドは二人の師匠からそう教わったつもりだ。
人である事を捨てるかのように己を研いで研いで研ぎ澄まし、一振りのカタナのようになったところで、それはサムライではなくオニに過ぎない。
それが、ウィルフレッドの恐れの正体だとしたら。彼女が隔意を抱かれる理由だとしたら?
「あの……
今、少しお時間頂けますか」
ウィルフレッドはキヨミズ(極東に伝わる、世界の果ての伝説の断崖らしい)から飛び降りるつもりで切り出した。
* * *
流星のように光の尾を引いて、廃蒸気を噴き出しながら蒸気車が疾走する。
サクタムブルクの街は、概ね南に向かって階段状に、皿状の市街地を積み重ねた形になっている。
その南側に張り出した半円周状の道路『リム橋』がいくつもあって、これが同階層の『皿』を繋いだり、上下の階層に通じる斜めの道路になっていたりもするのだ。
夜であってもリム橋の通行量は今だ多く、轟々と風を切り裂いて真鍮の猪たちが行き交う。
その道路脇、吊り下げられたように一段低い連絡通路を二人は歩いていた。
「このリム橋って、蒸気車以外立ち入り禁止じゃないんですか!?」
「本来はね!
ところが、一時期ここに魔物の発生が相次いで、冒険者とギルド関係者はいつでも連絡通路に
それが未だに撤回されてなくて! 合法的に入れるんですって!
俺も先輩から聞いて知りました! 暇な奴が役所で記録閲覧して裏は取ってるそうです!」
二人は風の音と、ひっきりなしに通る蒸気車の機関音に掻き消されないよう怒鳴るように喋る。
歩くことしばし。
二人はあばら骨のような短い階段を上り、道路脇に張りだして申し訳程度の風よけが着いた、鳥の巣みたいな小部屋に辿り着いた。
「ほら、着きました」
「わあっ……!」
キャサリンが歓声を上げた。
夜闇に浮かぶのは銀河よりも眩い光の洪水。
真白いものからほんのり色付いたもの。窓を切り抜いた四角いものから、空中に投影されるホロ活動広告まで。
モザイクタイルアートのような夜景、天地を貫く輝きの大樹がそこにあった。
サクタムブルクの街の手前側に張り出したリム橋は、場所によっては街全体を俯瞰で見ることができるポジションだ。
中でもここから見える景色は最も美しいと密かに評判になっている。
普通であれば蒸気車でリム橋を通りすがりざまに見ることしかできないが、一般人立ち入り禁止のこの連絡通路からならばじっくりと鑑賞できるのだった。
「知る人ぞ知る、この街で一番夜景が綺麗な場所です。
あっちには一般向けの展望台もありますけど、ここの方がいいっすよ実際」
「こんな場所があるなんて知りませんでした……」
「そりゃ勿体ない。サクタムブルクに居るなら一度は来るべきですよ。ギルド関係者でもなきゃ、そうそう入れないですけどね」
ウィルフレッド自身も先輩冒険者から教えてもらっただけだが、こうなれば大得意だ。
キャサリンが喜んでくれたことに安堵してもいた。
ウィルフレッドはふと思い立って、この場所にキャサリンを誘ったのだ。
この神話的なまでに壮大な光景を見て人並みに感動とかしてほしかった。彼女もまた人であるのだと思いたくて。
「……こんなに沢山の明かりがあって、その数だけ人の営みがあるんですね」
「そっすね」
街から放たれる光によって、この場所すら明るい。
ぼうっと浮かび上がるキャサリンの横顔は、大いなるものを前にしたかのように厳粛だった。
ウィルフレッドはこの景色を見ても『綺麗だ』と思っただけで、そこまで想いを馳せはしなかったものだが。
「200万都市、サクタムブルク……かつてのシエル=テイラの2倍、キーリー伯爵領の50倍もの人が、この巨大な街に住んでいる……
でも、これだけ人が集まっても連邦市民8000万の一部でしかなく、さらに世界人口からしたらほんの一部にしかならないなんて。
数字では分かっていた筈なのに、こうして自分の目で見ると、なんだか……」
こんなに人が居るのに、と。
キャサリンは口の中で呟いたような気がした。
その意味をウィルフレッドは理解できなかったが、キャサリンの表情が和らいだような気がした。それだけは分かった。
「ありがとうございます、ウィルフレッドさん。
思いがけず霧が晴れたような心地です」
「い、いやあ、俺はただ気分転換とかにならないかなって思って」
仕事や社交のためではない、心からの笑顔でキャサリンは礼を言った。
遠い夜景が朧に照らすだけの彼女の表情は、ウィルフレッドには正視に堪えないほど眩しいものだった。
この夜景から、彼女は何を見て何を感じたのか。
聞くべきか聞かざるべきか、ウィルフレッドは少しだけ逡巡した。
踏み入るべきでない領域の話かも知れない。しかし、一日中図書館で七転八倒しても分からなかった、彼女についての何かを知る機会だ。
ウィルフレッドがその問いを口にしようとした、その時だった。
リム橋を走っていた蒸気車の一台がいきなり二人の傍らで停車した。
そしてその後部座席から一人の男が降りてくる。
「おっと、探してる顔を見たもんで思わず出て来ちまったが……
こいつぁ俺、お邪魔虫ってやつだったかな?」
仰々しい紋章を胸に着けた黒いコートのような服。両腰の剣。
異様に短い袖から飛び出したのは、人型ゴーレムの素体に見るような、鋼と真鍮を継ぎ接ぎにしたかの如き機能美溢れる両腕。
男は、よく見ると整っているのに何故か無精な印象を与える黒髪を真鍮色の手で掻き乱し、口の端を吊り上げて、渋みと茶目っ気のある笑い方をする。
思いがけなさすぎる突然の遭遇に、ウィルフレッドは凍り付いたように動けなくなり、しかしその心は燃えるように昂ぶっていた。
ウィルフレッドは彼の顔を知っている。自分が憧れた男の一人だ。
「第二騎士団長……じゃねえ、えっと、今は……
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