8.アカデミアは騒がしい(後編)
放課後。
虫の知らせ・その二を感じたオレは立ちあがるとサロン室へ向かった。週二回、決まった曜日にエリザベスは友人の令嬢たちと勉強会を開くのだ。
案の定、そこにはレオハルトとリーシャ嬢がいた。
疲労で崩れ落ちそうになる身体をなんとか壁で支え、見ていれば――、
「エリザベス様、この貴婦人の集いにリーシャも混ぜてやってくれませんか」
「えええぇぇぇっ!?!?」
「はい、それは、リーシャ様がよろしいのなら……」
扉の前で、令嬢たちに見守られながらレオハルトとエリザベスが話している。二人に挟まれたリーシャ嬢は驚いている。
と、オレの姿を認めた途端、令嬢たちが音もなくこちらをふりむいた。
怖い。
『いったいどういうことですか、これは?』
まったく声には出ていないし口も動いていないのだが、彼女らの言わんとすることはわかった。オレはついに読心術を身につけたのだろうか。
首を振って不本意を示す。知らん、オレも知りたい。
「ヴィンセント殿下。ごきげんよう」
「やぁ、エリザベス」
エリザベスの挨拶に、令嬢たちもすぐにとりつくろった笑顔で礼を見せる。が、依然として視線は厳しい。
突然現れた隣国の王子――しかも妃候補物色中――がエリザベスを名で呼び、親しげな表情を見せているのだ。何があったのかと勘繰りたくもなるだろう。
実は朝から王宮で会っていて求婚済みと露見しては、レオハルトよりオレに非難が集まりそうだ……。
あぁ、今日は一日が長いなぁ……。
「わたくしたちが学んでいるのは、二回生の内容なのです。それでもよろしいでしょうか」
「は、はい、少しでも知識を吸収したいのです」
エリザベスにやさしく尋ねられうなずくものの、リーシャ嬢は泣きそうになってる。
ペンとノートを抱きしめる姿はやる気満々に見えて、とるものもとりあえずレオハルトを追いかけてきただけだ。さっき目ん玉ひんむいて驚いてたしな。
どう見ても寝耳に水なのだ。だからエリザベスも気を使っている。
レオハルトの企みとしては、リーシャ嬢を勉強会に参加させることで学園内でのエリザベスとのつながりを持とうというのだろう――とか冷静に状況を分析している間に、レオハルトがキラキラと輝くばかりの王族スマイルを浮かべてエリザベスに言い寄る。
エリザベスにはまったく効かないんだけどな、それ。
「エリザベス様、ぼくの申し出を受けてはくれませんか。ぜひ我が国をご覧いただきたいのです」
国交のためにオレの王太子妃としてという意味でも、レオハルトの妃候補としてという意味でも、どちらにでもとれる言い方だ。
レオハルトの言葉に護衛の令嬢たちは目を鋭くさせた。
「そうだな、
つまりいまは駄目だ。手を出すな。口も出すな。様々な思いを込めて否定を返す。
あ、エリザベスが赤くなっている。結婚を意識したせいで平静が保てなくなったようだ。かわいい。
エリザベスの正面ではリーシャ嬢が青ざめた顔で立ちつくしている。なんかもうこの表情で顔が固定されそうだ。
彼女も苦労人だ。第二王子の留学に巻き込まれたと思ったらそいつは留学先の王太子の婚約者に横恋慕。男爵令嬢の身で諫言もできない。
いったい彼女は何のために連れてこられたのか。レオハルトの目的は何なのか。
はぁ、と何度目かわからないため息をつきながらオレは首を振った。
仕方がない、切り札を使うときがきたようだ。
「レオハルト、あまり無茶を言うな。マリウス殿が望んでいるのは、大切な弟である君自身の研鑽ではないのか」
婉曲に表現したが、要はお前が勉強せんかいというだけ。令嬢たちの
効果を高めるため、弱点である人物の名を出してやる。
なんなら兄君に報告を入れてもいいんだぞ、という言外の脅しだ。
レオハルトは兄であるマリウス殿には逆らえない。ましてや派閥争いを繰り広げているのならば、醜聞が国に届くのは痛かろう。
強力な魔符のようにその名はレオハルトを縛る――はずだった。
しかしレオハルトは、にやりと笑った。
バサッと物の落ちる音にふりむけば、隣ではリーシャ嬢が息を詰め、胸に手を当てている。
その顔は湯気が出そうなほど赤かった。足元にはノートとペン。
「わ、私、少しでも多くのことが学びたいのです……!! お願いします!!」
ゆでだこのようになりながら、必死な表情でリーシャ嬢は言った。
何度も頭を下げるリーシャ嬢をエリザベスがなだめる。
――そういうことか。
想像と対照的な二人の反応に、オレは『裏事情』の一端を悟った。